柚鈴
2026-01-10 11:58:03
26679文字
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でぃあぷろSeason3 第0話②/第2話「悪夢」

執筆:2026/1/9〜1/15

pushing up daisies:「死んで埋葬されている」
悪夢:悪夢であってほしかったね




第0話「pushing up daisies」②


◇精霊

 退屈とは悪だ。決して許容されない悪だ。不快を会得させる諸悪の根源だ。
 もしも退屈という概念が、人間のように実体を持ったとしたら、古今東西の手法で拷問ツアーを開催した上で、ギロチンの刑に処してやりたい。
 そんなことを何度シミュレーションしたところで、所詮は気を紛らわすための妄想でしかなく、つまるところ精霊は退屈していた。それも、どうしようもないほどに。

 切り立った夜更けの丘に聳える透明な瓶詰め──眠れるカミサマの残した「聖域」は、虚ろな眼差しを宿したアイドルたちに囲まれている。さながら香水か飲料水のように、内部に注がれた暗闇が、その眼差しに応えるようにどろどろと蠢いた。
 サクリファイス。創造主たるカミサマによって造られた、世界を終わらせるための怪物。狭い鳥籠に囚われたこの災厄は、そう遠くない未来において、真価を発揮されなければならない。そのために必要なのが、彼らを阻む檻の破壊だった。
 いくらカミサマの忘れ形見といえど、使徒たる精霊の手にかかれば、直接破壊することなど容易い。三日三晩と経たないうちに、いとも呆気なく怪物は解き放たれるだろう。
 それでも、精霊はその手段を選ばなかった。選べなかった、と称するほうが正確だろうか。聖域に扉を描いて、自損したアイドルを放り込むことはできても、聖域を破壊することは許されない。それは人間の果たすべき役目だからだ。そんな刷り込みがプログラムとして染みついているせいで、精霊の力をアイドルに分け与え、契約を交わして自我を潰し、それから聖域を破壊させるという間怠い段階を踏まなければならない。
 それだけでも面倒極まりないというのに、片割れときたら、聖域の破壊が恙なく進んでいるかを監視するよう申しつけてきたのだ。新たに与えられた役目のために、これまで愉快に牛耳ってきた国家を手放す羽目になってしまった。あとは引き継ぐと言われたけれど、楽しい役目を横取りされて、心底つまらない役目を押しつけられたとなっては、素直にありがたいと思えるはずもない。

「はーあ、退屈……
 金属の刃が分厚い硝子を殴りつける音を聞きながら、精霊は深々と溜息を吐いた。いっこうに変わらない光景を眺め続けて、どれほどの時間が経っただろうか。退屈が実体化したら拷問に処したいなどと考えていたけれど、むしろ精霊のほうが退屈という拷問に処されている気分だ。今の精霊に許されるのは、ただ遅々として進まない聖域の破壊を見つめていることだけ。アイドルに干渉することも、新たな人形を探してくることも禁止。自分の方が偉いと思い上がっている片割れは、平気でこちらを格下のように扱ってくる。
「最有力候補だった依代が、貴方の管理不行き届きのせいで潰れてしまった。その責任は取っていただきます」
 世界を回す論理を言い聞かせでもするかのように、片割れはそう告げていた。とことん執念深く、懇々と一晩中理由を説かれるという苦行から逃れるためには、首を縦に振るしかなかった。だからといって納得したわけではないので、気を緩めれば片割れに対する怨嗟が唇から零れそうになる。
 だいたい、片割れのいう「ダメになった依代」は、もともとこちらが見つけてきた少女だ。向こうが勝手に契約を交わして、勝手に管理を委ねて、勝手に怒っているだけなのに、どうしてその責任を負わなければならないのだろう。その論理に従えば、こちらが片割れのお気に入りに手を出したって、お咎めなしじゃなければおかしい。

 決して余計な真似はしてくれるなと、何重にも釘を刺された「お気に入り」を見下ろして、またもや深々と溜息が漏れた。光のない双眸に聖域だけを映した少女──名前は忘れた──は、その破壊には加わることなく、ただ茫然自失として座り込んでいる。
 微かに残った自我を手放せず、それゆえに苦しみ続けている個体。奇妙な記憶の存在を自覚しないまま、得体の知れない幻影に翻弄されている個体。片割れの厳命がなければ、退屈しのぎの玩具として格好の存在だったのに。真実と虚妄の境に手を突っ込んで、ぐちゃぐちゃに自我を掻き乱して、そうしたらきっと綺麗なものが見られるのに。

「あーあ、僕だって──」
 片割れみたいに、人間の感情で遊んでいたいな。
 そう続くはずだった言葉は、半ばに芽生えた自意識によって途切れた。
 僕。何か意図を持ったわけではなく、自然とその音が口を衝いた。
 神の使徒として生まれた精霊は、その本性として、言葉を使う必要がない。戯れに始めた人間の模倣が癖づいてしまっただけで、意志の伝達を目的とするなら、言葉という道具に頼らなくたっていい。
 人間に喩えるなら、成熟した大人がわざわざ幼児語を使っているようなものだ。下等な人間を相手にするならともかく、単なる思考を独り言という型に流し込む必要はない。

「ワタシだって」
 それでも、微かな予感が閃いた。実験を続けるように、片割れの一人称を口にする。
 馴染まないな、と呟きが漏れた。借りてきた猫を被っているみたいで、どうにも居心地が悪い。

「僕だって」
 今度は意識的に繰り返せば、なんだか胸が軽くなる。奥底に沈んでいた澱が、残らず流れていくような感覚。
 僕。僕は。僕だって。新しい道具の使い心地を確かめるように、何度も振り回してみる。しっくりくる。似合っている。無数の称賛を心に浮かべて、唇が満足げに弧を描いた。
 「僕」。僕だけの一人称。僕だけのアイデンティティ、すなわち自我同一性。他人から自分を切り分けるための要請。ここでいう「他人」は紛れもなく、あの片割れのことだった。
 自由になりたいのだろうか、僕は。浮かんだ思考を検分するように、そう思案してみる。生じた答えは肯定だった。

 僕は、自由になりたいのだ。誰でもない「僕」として。

 まるで人間みたいな自我だ。実在するかも定かでない一人称を措定して、自他の間に境界線を引いている。片割れが知ったならきっと、許されない堕落だと詰責するだろう。
 それでも、僕は僕だった。人間の真似をするように、それを信じていようと思った。僕の、僕だけの、誰にも秘密の信仰。それはきっと裏切りで、許されない放蕩で、だからこそ価値のあるもの。証明も実験もいらない、僕にとって必要なもの。
 「僕」という主体を前提に置くならば、世界のすべては僕の箱庭だった。僕の前だけに現れる、僕に解釈を任された、粘土細工も同然だった。

 世界がまるごと塗り替わったような、鮮やかでふしだらな一八〇度の転回。
 僕はもはや、これっぽっちも退屈ではなかった。