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柚鈴
2026-01-10 11:58:03
26679文字
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でぃあぷろSeason3 第0話②/第2話「悪夢」
執筆:2026/1/9〜1/15
pushing up daisies:「死んで埋葬されている」
悪夢:悪夢であってほしかったね
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第2話「悪夢」③
◇セシル・サンチェス
人は誰しも生まれた瞬間に祝福を授かるというけれど、セシルだけはその例から漏れていたのだろう。生まれた瞬間からこれまで、常にセシルを取り巻いていたのは、祝福からは程遠い呪いと存在の否定だった。
記憶に刻まれた最古の光景は、凍えるような薄暗い部屋。
些細な礼儀作法の間違いを口実に、両親は事あるごとにセシルを地下に閉じ込めた。外には氷柱が降りるような底冷えの冬でも、毛布の一枚すら与えられず、熱を帯びるのは消えない痛みだけ。
「汚らわしい忌み子のくせに!」
母親は口癖のようにそう怒鳴りつけ、害虫を潰すみたいにセシルの頬を叩いた。倒れ伏すセシルを見下ろして、他の使用人は笑っていた。同調的でも露悪的でもない、ごく自然に零れた笑み。勧善懲悪の物語に胸がすくような、極めて本性的な笑み。
そういうものを浴び続けて、セシルは気付いた。自分はきっと、彼らと同じ人間ではないのだ。存在だけで害を及ぼす、踏みつけられるべき化け物。理由も分からないままに、ズタズタに切り裂かれた幼い心は悟ってしまった。
セシルはきっと、生まれてくるべきではなかったのだ。
「セシル」
殴られた頬の腫れが引き、切れた唇と血の味だけが、暴力の名残になった頃。飢えと寒さに蹲るセシルを気遣うように、控えめな声がかけられた。
「大丈夫? クレアのおやつ、セシルにあげるね」
開いた扉の隙間から、小さなパンと温かなミルクが差し出される。傷だらけの口では何を食べても痛かったけれど、それを主人のクレアに気取られるわけにはいかなかった。汚いものは薄暗闇に紛れてくれと祈りつつ、懸命な笑みを浮かべて嚥下する。使用人たちの残飯でない、まともな食事を与えられるのは数日ぶりだった。
そんなことを知るよしもないクレアは、まるで誰かの秘密基地に迷い込んだかのように、きょろきょろと周囲を見回して──それから、とびきりの内緒話を始めるみたいに、声を潜めて口を開いた。
「あのね、お母様が教えてくれたんだけど
……
。クレアとセシルは、本当は『双子』なんだって。クレアは、セシルのお姉ちゃんなんだって」
その瞳に爛々と好奇心を宿らせて、クレアはセシルの手を取った。温かくて柔らかな手のひらが、凍えたセシルの指先に触れる。
「双子
……
」
一人の母親から、同時に二人の子供が生まれること。そういう存在があることは知っていたし、それに纏わる伝承も聞いたことがあった。ずっと遠い昔、帝国の黎明期と呼ばれる頃に、双子の怪物が国を滅ぼしかけたのだという。それ以来、双子は不吉の象徴となって、生まれた子供の片方は遺棄されるのが習わしになった。
知識としてなら知っていた。ただの言い伝え、古い慣習だと思っていた。それが今でも存在するなんて──ましてや、自分に関係があるなんて、頭の片隅を過ったことすらなかった。 だけどクレアは、他ならない自分たちこそが、その双子だと主張している。
悪い冗談だと切り捨てたかった。だけど、無理だった。繰り返し投げつけられた罵倒と嘲笑。「汚らわしい忌み子」という烙印。他の使用人にも及ばない、虫けら同然の扱い。そういうものだと受け入れるしかなかった断片が、理由の分からなかったすべてが、今の事実で説明されてしまう。正当な理屈が成立してしまう。
クレアとセシルは同じ日に、不吉な双子として生まれてしまった。だから習わしに従って、その片方──妹のセシルは遺棄され、従者の家系に引き取られた。汚らわしい忌み子として、虐げられるためだけに。
セシルは生まれた瞬間から、呪われた存在だった。帝国に害を及ぼしかねない、忌み嫌われた不要品だった。クレアの双子として、妹として生まれたせいで。
「誰にも内緒にしなきゃいけないって、お母様は言ってたんだ。だからね、二人だけのときは、クレアのこと『お姉ちゃん』って呼んでもいいよ」
言い伝えられた怪物の伝承も、双子が不吉の象徴であることも知らないのだろう。擽ったそうな笑みを浮かべて、クレアは悪戯っぽく囁いた。無邪気な彼女にとってはきっと、双子に生まれたという事実も、おまじない程度の秘密でしかないのだろう。
双子の姉として生まれ、次期当主として蝶よ花よと育てられたクレアは、他人の不幸を疑うという思考回路を持たない。妹として生まれたセシルとは、何もかもが正反対だ。
ただほんの少し、生まれる順番が違っただけなのに。クレアは温かな屋敷で愛を注がれ、セシルは冷たい地下室で痛みを浴びている。順序が逆なら自分の身にも起こりえた不幸を、セシルの置かれた悲惨な境遇を、ひとつも知らずにクレアは笑っている。
陰ることのない太陽のような、その鈍感さが憎かった。
セシルが犠牲になったのは、全部クレアのせいだった。
クレアさえいなければ。クレアさえ生まれてこなければ。
本当の両親のもとで、サンチェス家の娘として、セシルは幸せになれたのに。
その日に芽吹いた彼女への恨みは、それから一度も消えてくれなかった。
クレアの正式な従者になる年、セシルたちが十二歳になる少し前。
部屋を訪れた父親──サンチェス家に仕える義父は、髪を暗く染めるようセシルに命じた。クレアとお揃いの金髪は、使用人として相応しくないから。
地味で目立たない色にするよう、乱暴に染料を投げつけられて──その瞬間、セシルの中で何かが音を立てて切れた。それは矜持や意地と呼ばれるものかもしれなかったし、これまで散々に重なった傷跡が叫んだのかもしれなかった。
太陽みたいに綺麗なこの髪は、クレアと双子であることの証明だ。セシルも本当は、サンチェス家の人間である証明だ。都合が悪いと隠蔽されて、無かったことにされてたまるものか。
「染めたくない! 私とクレアが双子だって、隠そうとしてるんでしょう!」
抵抗するように頭を振って、声の限りにそう叫んだ。絶句した義父の目の色が、瞬く間に変わっていくのが分かった。
図星なんだ。言われたくないんだ。ずっと無力だったセシルの言葉が、義父を狼狽させている。初めての武器を手に入れた気分だった。全身を満たしていく高揚感に駆られて、誰の接近も拒むように、机上に置かれた鏡を床に叩きつける。
「不吉な双子なんでしょう、私たちは!」
もうこれ以上、黙っていられない。クレアばかり幸せでズルい。セシルは何もかも奪われてばかりなのに。ズルい、ズルい、ズルい! 癇癪を起こした子供のように、手当たり次第に物を投げつける。本棚に仕舞った本や書類。クレアから贈られた花瓶。あらゆるものがセシルの不幸を象徴しているようで、腹立たしくてたまらない。硝子や陶器の割れる音、物と物がぶつかる音、それらに掻き消されないように、セシルは叫んだ。私たちは双子だと、セシルもサンチェス家の人間だと。
騒ぎを聞きつけた使用人が、続々と部屋に集まってくる。言わなくちゃ。訴えなくちゃ。握りしめた凶器を振り回すように、セシルは言葉を継ごうとして──吐き出しかけた声が、音のない空気に変わって宙を舞う。鳩尾を殴られた、そう理解した瞬間には、床に押さえつけられていた。
「二度とそんな戯言を抜かすな」
地を這うような怒鳴り声が、鼓膜に染みて全身を竦ませる。萎んだ肺が膨らみ方を忘れたように、一切の声を出せなくなった。巌のような片手に口と鼻を塞がれ、呼吸ができずに視界が明滅する。
引き摺るように髪を掴まれ、半ば意識を失いかけながら、連行されたのはいつもの地下室だった。鍵をかけられることすらなく、セシルの胸倉を掴んだ義父に、何時間も怒鳴られ、蹴られ、殴られる。双子じゃない、そう白状させるための拷問のようだった。クレアとセシルの繋がりを、この世から抹消するかのようだった。
何度も意識が飛びかけて、そのたび鮮烈な痛みに呼び戻される。全身が焼けた金属のように熱くて、双子じゃないです、と繰り返す喉はとうに枯れていた。止まない暴力の嵐に、抵抗の気勢が完膚なきまでに叩き潰される。
閾値を超えた痛苦に苛まれ、顔を上げることさえ儘ならなくなった末に、セシルの髪は汚された。煌めく黄金など見る影もない、くすんだ焦茶色に染められた。屈辱すらも痛みが塗り替えて、捨てられた人形のように動けなくなる。
やがて扉は固く閉ざされ、あらゆる光が姿を消した。残るのは手狭な暗闇と、微かに聞こえる雨音だけ。腫れた瞼は涙を零すことも忘れて、ただ茫洋と虚無を見ていた。
義両親が憎かった。使用人が憎かった。サンチェス家が憎かった。
セシルのことを救ってくれない、幸せそうなクレアが憎かった!
憎悪に傾いた天秤が、歪んで軋んで悲鳴を上げる。何もかもが許せなくて、このまま消えてしまいたくて、そんな思念が過った途端に涙が落ちた。押し殺した嗚咽の残滓が、点々と床を濡らしていく。頬を伝う不快な雫を拭おうと、地に伏せた顔を鈍い仕草で上げかけて──誰もいないはずの空間に、ひとつの人影を認めた。
「助けてあげましょうか、セシル──いえ、セシル・サンチェス」
闇夜すら支配するような不遜さで、流麗に紡がれた声が揺れる。
束の間の痛みを忘れるほどの美しい黒が、セシルだけを見つめている。
救われたかった。解放されたかった。矛盾だらけの苦しみから。どうにもできない憎悪から。セシルにはもう、それだけしか考えられなかった。
慈悲を浮かべた微笑みに、甘く柔らかな眼差しに、縋るみたいに手を伸ばす。
「どうか、良い夢を」
頬を撫でる指先の感触を最後に、セシルの意識は途切れた。
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