【創作|馬子軸】レゾン・デートル CASE.02

26/1/18 追記しました(ラストまで出てます|サークル名義Privatterに移植しました)
※改行少ないです。閲覧の際は縦書きリーダーで読むことをお勧めします。
CASE.02 マスグレイヴ家の儀式書

されば得られん──窮極へ至る鍵を。

吊られた男の殺人事件から数週間が経ったある日、ERにひとりの女性患者が運び込まれる。そこには色濃い幻想の気配が宿っていた。さらに患者とその母親はマスグレイヴ家の家名を名乗り……? 二人が椿に接触した目的とは。再び蠢く悪意に、椿たちは挑む。


スペシャルサンクス 笋さん
光る羊をお借りしています。事後報告で申し訳ありません。

Privatter版 CASE.01 - https://privatter.me/page/661a9a22d636d
※カクヨムに載せる前のやつなのでこちらは校正とかしてないです



……、エレノワ・マスグレイヴ。私の名前。こっちはリリ。リリ・マスグレイヴ」
 一時間ほど経ってから、その母娘は椿の研究室を訪れていた。学部棟の八階、渡り廊下のすぐ傍にある研究室である。申し訳程度に二人の前に置かれたほうじ茶は、外の暑さとは関係なく、ほのかな湯気を立てていた。
「マジで本物だったンですか!? やばい! こりゃやばいですよ咲良さん!!」バシバシと大河が俺の二の腕を叩く。「サインとか貰えますかね!?」
「しゃあしいわ、ちょっと大人しくしとれ!」
 俺は大河をいなしてエレノワの方を向く。「あ、あの。すみません、一つお伺いしたいのですが」
 彼女は少しぎょっとした表情をつくった。長い髪の男は魔術師界隈ではそう珍しいものでもないだろうが、彼女はさっと俺から視線を逸らす。
「娘さんと仰るリリさんは、実子ではありませんよね」
「ええ、養子よ。私と夫の間には子供がいなかった。夫に先立たれて、途方に暮れていた時……、家の前に、リリが捨てられていたの。おくるみに包まれてね。赤子の状態で随分妖精に集られていたから、魔術師の子供なのはすぐに分かったわ」
「つまり生まれながらにして、ロダン・バッカー症候群になりえる可能性があった」
 ロダン・バッカー症候群? なんやその疾患。俺は必死に疑問を飲み込む。それと同じようにエレノワも黙り込んでいた。唇をきつく噛み締め、椿の言葉を待っている。
「私たちがエコーで見た胎児は、妖精の胚だった」
 椿は澱みなく言う。
「リリ、お前は自らの意志で完璧な人形パーフェクト・ドールになろうとしている。それは己の身が幻想に侵され、いずれ妖精の苗床となって消える……、己の疾患について理解しているからだな?」
「はい」
 リリははっきりとした声で言った。
 己の身が幻想に侵され、妖精の苗床になって消える病? 螺旋捜査官として、或いは国家陰陽師の端くれとして様々な仕事をしてきたつもりではあったが、そんな疾患を聞いたことはこの方無かった。
 だがそうだとしたら腑に落ちない。リリの心臓は幻想種のもののはずだ。人体に幻想種の臓器を移植する、など──そこまで考えて、俺は前例が真横にいることに思い至る。
 椿の真っ赤な右目は、神秘魔眼だ。即ち神秘生命体の目玉である。
「ドクター。貴女はその身に神秘の目を宿しながら、ロダン・バッカー症候群を制御下に置いている。貴女ならリリを治療できるんじゃないかって、私はそう思ってるの」
 エレノワは軽く目を伏せた。祈るような思い詰めた雰囲気に、茶化しそうな大河ですらぐっと黙る。
「進行を止める手段は二つある」椿は指を立てた。「一つは、妖精の胚を摘出することだ。胚ができるたびにな」
「!」リリが一瞬身体を震わせた。「もう一つは、何ですか?」
「もう一つは、妖精の胚を体内で育てて、正しいかたちで産むこと」
 椿が緩やかに左腕を持ち上げ、
「来い。〈カンブリア〉」
 それを呼ぶ。空間の一部が奇妙な具合に屈折し、ローテーブルの上に影を落としている。完全に姿を表したそれは、ぎょろぎょろと大きな目を動かして俺たちを観察した。
 魚影にしてはおかしいはずだ。それは魚ではない。かといって、甲殻類でもない。水棲哺乳類でもなく、魚竜でもない。
「あ……アノマロカリス……?」
 嘗てこの世界に存在していた海の王者。〈カンブリア〉はそれにそっくりな姿をしている。奇妙なエビの身体の横から、いくつも突き出たヒレがひらひら揺れていた。
 何を考えているのか全く分からない。顔──と思しき部分にくっついた、捕獲器を曲げたり伸ばしたりしている。
「私の契約妖精〈カンブリア〉は、私がこの世へ産み落とした第三怪異だ」
「第三怪異って……いや、ちょっと待てや」
 俺は椿の言葉を反芻する。記憶が正しければ、それは確か思念体。ミームと呼ばれる存在のはずだ。
「妖精の胚から生まれるものは、厳密には妖精ではない。人間から妖精は産めぬ」
 椿はちらりと俺の方を見遣って、ふんと鼻で笑った。
「が、第三怪異というかたちで、ミームを産むことはある。故に正しいかたちを与えてやれば、こうして妖精の代わりとして魔術を媒介させられる」
「待ってください」
 今度はリリが声をあげる番だった。
「た、確かに第三怪異が人間から産まれる事例は知ってます。でもそんな簡単に……そもそも、どうやって胚に正しいかたちを与えるって言うんですか? そんなことができるなら魔術師はみんなきっとそうします。わざわざ妖精と交渉して契約して、なんて面倒なプロセスは踏まないはずです」
「ええ、リリの言う通りよ。そんな芸当ができないからマスグレイヴは〈生きた遺産〉イデアル・メデュラを引き継いでいるのよ? 魔術を学びたての赤子でもわかる話だわ」
 エレノワが頷く。「あ、あのォ~~……」大河が恐る恐ると言った具合で手をあげる。
「何かしら」
「そもそも〈生きた遺産〉イデアル・メデュラって、何なんですか。有名ですけどォ」
 それは俺も疑問だった。しかし魔術師が代々引き継いでいるような奥義を聞いて、おいそれと教えてくれるわけがない。俺の予想通り、エレノワは「それは教えられないわ」と首を横に振った。
「今すぐに決めろとは言わぬ。どうせ暫く医学特区にいるのだろう?」
 椿は一度ソファから立ち上がって、朝シャルルマーニュが持ってきた紙片を取り出す。
「お前たちには他にもいろいろと聞きたいことがあるのだ」
 エレノワは柳眉を逆立てた。椿の傲慢な態度がいよいよ我慢ならなくなってきたのだろう。相手は歴史ある魔術師の家系であり、しかもその奥義を受け継ぐような魔術師だ。椿のことを内心見下していたのだろうな、と俺は当たりをつける。
「お前、シャルルマーニュ・ハイドノーブルという男を知っているか?」
「何故そんなことを?」
「奴が言っていたのだ。マスグレイヴ家の者から光る羊を貰った、とな。お前たち母娘はシャルルマーニュと面識があったのだろう? だから私のもとに来た」
 エレノワは一層眉間のしわを深くして、「何が言いたいのかしら」唸るような声をあげる。
「疑問点はいくつかある。一つは、先日発生した菊武幹春の刺傷事件。そして、瀬川迅一の不可解な行動だ」
 部屋の中をゆったりとカンブリアが泳ぐ。遠くから波間を縫う水音が聞こえ、段々光の具合が水の底にいるかのような錯覚をおぼえる。
「あの時、私は鳥類の視界を乗っ取って、坂木柊作の遺体を先んじて発見した人物を探していた。だがそのとき。実にタイミング良く、刺されている菊武を見つけた。奇妙だとは思わないか? あの場で会食していた瀬川が菊武を刺した……私は一度、その結論を出した。だがそれは、半分正しく、半分違う」
 椿の瞳がす、と細まった。視線の先にいるのは──リリ。
「お前は瀬川と背格好が近い。さらに言えば、靴の大きさも瀬川とほぼ同じだ」
 リリは勢いよくソファから立ち上がった。皮膚に黄金色のラインがいくつも浮き上がり、魔術を行使しようと己の身体に魔力を巡らせているのが見て取れる。俺がホルスターから拳銃を引き抜くより早く、大河が黄金の杖先をリリの心臓へ向けた。
「お前は瀬川迅一の姿になって、菊武に接触し、菊武を刺した」
「リリ止して。お願い」エレノワが悲痛な声をあげる。
「理由は一つだ。菊武にバレたのだろう? 己が瀬川迅一ではなく、リリ・マスグレイヴであると。最初からこのいとしま医学特区で私たちが会っていた瀬川迅一とは、この目の前にいるリリ・マスグレイヴだった」
「お母様。止めないで」リリは左手を掲げた。「やっぱりこの人は……
「まーまーあんまり結論を急くもんじゃないですよォ」
 大河が余裕気な声で言う。あんまりにものんびりした声に、俺は思わず毒気を抜かれた。だが余裕をこいている場合ではない。
 相手はマスグレイヴ家の完璧な人形パーフェクト・ドール、それに限りなく近い存在。下手をすれば全員死ぬリスクだってあり得る。俺は立ち上がって下がり、拳銃を引き抜いた。
 だがこの緊迫した中にあっても、椿は変わらない。
 マグカップに淹れられたコーヒーを一口飲み、口元に冷笑を湛えている。

 ────かちり。

Rigiditas止まれ

 秒針の音と共に、リリが硬直した。身体から魔力が抜け落ち、普通の人間並みへ戻っていく。
 規則正しく響く秒針の音。その間で響くのは鯨か、イルカか、海に生きる生物の歌声だ。

「な、にを……!」
 リリは幾重もの糸で縛られたように動けず、ただ恨めしそうに椿を睨む。大河ですら、エレノワですら、誰も反応できなかった。俺も目の前で何が起きているのか理解できず、ただ拳銃を握りこむ力を込めるばかりで、
「魔術師ともあろうものが、ホイホイ他の魔術師の根城へ入ってくる事自体、奇妙だとは思っていた」
 椿の視線はエレノワに向いている。マグカップがローテーブルにゆっくりと置かれた。真っ青になったエレノワは椅子をひっくり返しそうな勢いで立ち上がり、
「リリを解放して」
「するとも。疑問点が解消されたらな」椿はソファの背もたれにゆっくり身体を預ける。「私が聞きたいことは何も難しいことではない。何故リリが坂木柊作の一件に関与していたのか。何故お前が〈生きた遺産〉イデアル・メデュラを宿しているにも関わらず、魔術は認識阻害程度のことしかできないのか。そして、」
 椿は拘束されているリリを見上げ、エレノワへ視線を戻す。

「何故、お前たちが十二年前の一件を知っているのか」

 十二年前に東医で発生した重大な殺人事件がある。椿はそれに深くかかわっている、らしい。俺はその程度の情報しか知らない。知らされていないという方が正しいか。
 恐らく、大河は深く知っているのだろう。厳しい目つきで二人を睨む大河は、普段のすちゃらかな態度はすっかり隠していた。
「わかった。……もう降参よ。全部話す。だからお願い。リリを解放して」
 椿はぱちりと指を鳴らし、拘束を解く。リリはどっと息を吐いてソファに腰を下ろし、椿の方をもう一度睨みつけた。
「だからやめておくべきだと言ったのに。お母様……いくら〈彼〉が信のおける人だからって」
「シャルルマーニュのことか?」
 椿の声にリリはむくれて顔を背けた。何も言いやしなかったが、それが答えだった。
「まあ構わん。私はお前たちの抱える問題を解決してやれる可能性がある……それは間違いない。その点で言えば、シャルルマーニュは実によい人選をしたと言えるだろうな」
 急に生真面目な顔に戻った椿は、勢いよく残っていたコーヒーを飲み干し、「その前に、明らかにしておきたいことがある」と言った。
「明らかにしておきたいこと? これ以上何があるっつうんかちゃ」
 散々好き勝手母娘を脅すような真似をしておいて、これ以上何をするつもりなのかと俺は訝しむ。
「菊武はなんのためにお前たちと接触した? 或いは……逆か。何故お前たちが菊武幹春と接触する必要があったのか。当ててやっても構わんが────」
「その必要はない。貴女が考えている通りよ」
 エレノワは苛立ちを露わにしながらも、「本当に腹立たしいけれど、事実だもの。どうしたって仕方が無いわ」
「えっと……どういうことですか?」
 大河が腰に手を当てて、黒猫のような丸い目をさらに丸める。
奪われたの」
 エレノワは聞き取れるかどうか怪しいほど、屈辱と後悔に満ちた呟きを落とした。
「奪われたのよ。奴は私から、〈生きた遺産〉を奪った」
 そして俺の方を見据えて、エレノワは怒りを噴出させる。何故、と思うよりも先に、理解した。
「そして、奴は──日本へ逃亡した。その男の名は、エドワード・ブラントン。嘗てマスグレイヴ家に仕えていた一族の跡取りよ……