ねぶくろ
2025-12-24 20:00:00
12149文字
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クリスマス企画2025




騎士の心得


 視力を失った人間が白杖を使いこなせるようになるまで、平均的にどれほどの時間がかかるのかはわからない。それでも、目の前で迷いなく足を踏み出し、晴眼者だった時分と寸分たがわぬ躊躇のなさで闊歩している浅沼南桐が、『平均』から逸脱していることはわかる。
 阿倍陽太郎は彼の荷物を肩に下げ、「浅沼さん、もう少しゆっくり歩きませんか?」と彼の半歩後ろから声をかけた。白杖で進む先の様子を探り、類まれなる平衡感覚で惑うこともなく点字ブロックの上を進む彼は、その歩みを止めないまま「なんで?」と言葉を返した。
「危ないからです。俺が介助しますから、もっとゆっくり行きましょう」
 急ぐ理由はありませんし、と言葉を重ねれば、ようやく彼がこちらを振り向いた。戦場を駆けていたためか、彼の五感は人よりも優れているらしい。いくつもの環境音が重なる街路においても、声の方向から過たずに阿倍が立っている方角を振り向く。見えていた頃と変わらない滑らかな動作と共に、彼は、「陽ちゃんの介助は必要ない」と阿倍の申し出を切り捨てた。
「不慣れな人間に介助される方が事故のリスクは高い。陽ちゃんは荷物だけ持ってくれればそれでいいよ」
 有無を言わさぬ語調に閉口して、見えないのをいいことに彼を睨む。気配から不満を感じ取ったのか、彼は苦笑交じりに「危なくなったら声かけて」と言葉を重ねた。それだけ言って、またすぐに進行方向へ向き直る。──風景を楽しむ、という余地がなくなったからか、彼は視覚がなくなってからの方が歩くのが速くなった。阿倍はため息交じりにその背中を追いかける。
 大通りに差し掛かり、大きな交差点の前に出る。交通量の多いこの道は、車と言わず歩行者と言わず、障害物が多い。環境音も先ほどまでの道に比べて幾分大きく、聴覚を頼りに歩いている彼がどれだけ周囲の状況を把握できているのかは未知数だ。
 危ないんじゃないか、と阿倍が再度介助の申し出をしようとしたところで、浅沼は迷いなく横断歩道を渡り始めた。──対岸で点滅し始めた青い歩行者信号に、頭が真っ白に染まる。阿倍は「止まってください!」と声をかけて浅沼の肩を掴んだ。
 呆気ないほど簡単に彼が後ろに倒れ込んで、転倒する寸前にその体を抱きとめる。阿倍が「信号、」というより先に浅沼が迷惑そうに眉根を寄せて口を開いた。
「急に引っ張るなよ、危ないだろ」
……、信号が変わりそうでした。あのまま渡っていたら轢かれていたかもしれません」
 轢かれていたかも、と危険性に重きを置いた言葉に、彼がため息を吐く。浅沼は立ち上がると、杖の先で点字ブロックの位置を確認して、「ここが横断歩道なのは把握してる。陽ちゃんが思ってるほど危なくはない」とこちらを見遣った。交わらない視線に、苛立ちと焦燥が募って、今度はこちらがため息を吐く。阿倍は「失礼します」と断ってから彼の白杖を取り上げた。
「は? おい」
 何してんの? と抗議する言葉を無視して、阿倍は虚空を彷徨う手を取った。
「エスコートします。大人しくついてきてください」
 貴方は姫なんでしょう、と彼が部下から揶揄されているあだ名になぞらえれば、浅沼が舌を打った。流石の浅沼も、白杖もなしに聴覚だけを頼りに歩くことはできないのか、その手が素直に阿倍の肘を掴む。阿倍は浅沼ヘ向けて、「信号が変わったら渡ります」と声をかけた。頷いて、彼がもう一度ため息を吐く。浅沼は天を仰ぐと、つまらなさそうに呟いた。
「陽ちゃんに姫扱いされる日が来るとはね」




【あとがきのようなもの】
 浅沼阿倍ペアの失明ネタ……とは全然関係ないけど、かねてから書きたかった姫とエスコートのネタを捩じ込みました。最初は「エスコートするなら相応の振る舞いをして」って浅沼さんが煽る方向で書いていたんですが、クリスマスネタの方を浅沼さん視点で書いたので、こっちは阿倍さん視点で書こうと思い方針を変更。こんな感じになりました。
 書くまでもないことですが、現実において視覚に障害を持つ方の白杖を触る、急に体に触れるなどの行為は大変に危険なためおやめください。(読者向けの注意喚起)
 最後になりましたが、この度は企画にご参加くださりありがとうございました!楽しんでいただければ幸いです。