mishiadd
2025-08-15 15:39:53
32031文字
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曇天に唾を吐く

【本編軸】「俺でなんて興奮できないくせに」「言ったな?」とかいう若気の至りすぎる売り言葉に買い言葉でギッスギスの最悪で険悪な関係性のままなぜか肉体関係を持ってしまうクソデカ感情グッチャグチャ恋愛白書【剣伊】


六、

もしかしたら、仲良くなれるかもしれない。――などと、素朴で単純でいかにも甘い考えを抱いたことが、伊織にもあった。

口では散々伊織を軽んじ愚弄するようなことを言いながらも、いざ戦闘中に伊織の身が危なくなったときに、セイバーは伊織を助けてくれた。
だからその翌朝には「もしかしたら仲良くなって、うまくやっていけるのかもしれない」などと、淡く純真な希望を胸に、伊織はセイバーに朝の挨拶をしてみたりなどした。――結果、彼の口から飛び出たのはそれを嘲笑い一蹴するかのような、相変わらずの伊織のやり方自体の全否定と憎まれ口だった。

自分が甘かったのだと、伊織もようやく学ぶ。それと同時に、セイバーには伊織にそれだけの口を利けるだけの実力があることを、認めざるを得なかった。

伊織は強者が好きだ。人としての人格を得た瞬間から変わらない。強い剣、美しい剣、凄まじく圧倒的な剣――彼の奥底に存在する彼という存在意義のすべてを震わせ呼応させる剣ならば、彼はそのすべてにひれ伏して、その価値を認め、従う。ひとつの剣に操を立てたことなどない。それこそ、節操なしに――己を魅了するものならば、そのすべてを貪欲に吸収し、我がものとして、それを超える……いつの日か、あの夜に見たあの月のような剣を超える、ただそのためだけに。

セイバーの剣は、伊織にとってまさしくそのような剣だった。だから、セイバーが伊織にどんな口を利こうと――それが剣に関することであるならばなおのこと――伊織は、ただ諾々と甘受せざるを得ない。だって、セイバーは強い。強いのだから、伊織に偉そうな口を利く権利があるし、そうであっても仕方がない。

よしんば『仲良く』なったとしても、きっと対等などではあり得ない。生温い『友情』などは、きっと伊織とセイバーの間には成立できない。――ふたりの出逢いは、そもそも剣から始まっていた。
剣を抜きにセイバーを語ることなど、伊織にはできないし――セイバーもあの口振りならばきっと、弱い伊織になど、そもそも興味は一切ない筈だった。

互いの価値は剣でしか測れず、剣でしか証明できず、その力関係はただひたすらに剣のみで決まる。……伊織にとっては至極わかりやすく、極めて単純で、極々当たり前の話だった。







「善哉が食べたい」とセイバーが散々ごねるので、ほとんど仕方なく甘味処に寄った帰りだった。

くちくなった腹をさすりながら上機嫌でセイバーが伊織の三歩先を歩いている。伊織はといえば、セイバーの腹とは対照的に随分寂しくなった財布の軽さに溜息をつく。――セイバーへの好感と反感の狭間を、伊織は行ったり来たりしている。

元来、和と友好を重んじる平和的で温厚な性質だった。仲良くできるものならば誰とでも仲良くしておきたいし、人間関係において不要な波風は極力立てたくない。嫌い、と表立って思うことも滅多にない性格だった。――それを、伊織自身はやがては究極の剣に至るための打算であると自認していたが。

それが生来の伊織の性格なのであったにせよ、伊織の自認通りやがてはセイバーを理解し、斬るためであったにせよ――伊織は、心に余裕のある時は、可能な限りセイバーに友好的に接しようと努力していた。

元来、伊織はおっとりしていてお人好しで、どこか損をしがちな性質ですらあった。押しに弱く、相手が喜んでいるのなら――それを実現した伊織自身が特に感謝されていなくとも――「まあいいか」と、多少の自分自身の不利益などはあっさり許容してしまう。養父に躾けられた『善く生きる』信条とも相まって、自分の欲求など二の次で、人のためにばかり生きてしまうところもあった。……まあ、自分の本当の欲求になど正直になれるわけがない、という側面も、無論ありはしたが。伊織にとって、至上命令のために生きられないのであれば死んでいるのと同じだ。であるならば、それ以外の欲求などすべてが無価値であり、存在しないに等しい。



――つまり。



伊織は、最大限の譲歩をし、努力をしていた。……どうやら伊織とまともな人間関係を築こうとしてくれる日は永遠にこないのであろうセイバーと、せめて憎まれ口を利かずに普通の会話をできるようにくらいはなれないか、と。

善哉を三杯おかわりし、更に団子まで平らげたセイバーからは別段感謝の言葉もない。伊織がセイバーに飯を食わせてやるのはセイバーにとっては当たり前のことで、それはサーヴァントに対するマスターの義務ということなのかもしれなかったし、マスターとして満足に魔力供給も果たせていない伊織がすべき当然の埋め合わせということなのかもしれなかった。

「まあいいや」と空になった財布を折り畳んで懐に仕舞いながら伊織が溜息をつく。礼を言われたくて食わせたわけでは無論なかったし、いざ言われたところでどうというわけでもなかった。

――ふと、思う。

儀が始まってからというもの、伊織はセイバーや同盟者の他に、数多くの逸れのサーヴァントとも友誼を結んでいた。
さまざまなクラスのある中で――この目の前のセイバーとは別のセイバーも何人かいた。……そのうちのひとりは伊織に対して異常な執着を見せるなどもしていたが、まあ内心はさておき、表面上は常識的なコミュニケーションが成り立っている。いっそこのセイバーとは大違いだった。

そう、いっそそちらが伊織のサーヴァントであったのなら、いくらか楽だったのではないだろうか。

少なくともこれほどまでに食費が掛かるようなことはきっとないのだろうし――よしんば多少は食べたとしても、ここまでとは考えにくい――普段のコミュニケーションだって、きっともっとスムーズで、胃の痛くなるようなとげとげしい言葉の応酬などもない筈だ。
セイバーの剣を間近で見る機会が減ることは惜しかったが、かの剣捌きを見るのに何もマスターとサーヴァントの関係である必要はない。事実、逸れのサーヴァント達だって適宜付き添って行動を共にしてくれている。もし、別の誰かが伊織のサーヴァントで、代わりにこのセイバーが『逸れのセイバー』だったとしても――

それはそれでよかったのではないかな、と伊織は思う。……いや、随分マシだったのではないかなどと、思う。

……イオリ。なにをぼうっと突っ立っている」

考えているうちに足が止まってしまっていたようだった。三歩先で立ち止まったセイバーが、うんざりと呆れ返った顔で伊織を振り返っている。――この顔も、もしかしたらされることはなかったのかもしれない。もしも、別の誰かが伊織のサーヴァントであったなら

……いや」

考えていたら、知らぬうちに口に出てしまっていた。

「お互い、不幸であったのかもしれん、とな。――おまえは、貧乏くじを引いたのかもしれん」

うん、とセイバーが首を傾げる。がりがりとうなじのあたりを掻くのを、伊織が考え事に耽ったままのような夢うつつの表情で見た。

「おまえの――マスターが、俺であったことは。……いっそ、おまえにマスターなどいなければ、おまえは随分楽だったかもしれない。俺が、おまえ以外のサーヴァントを引き当てていたならば。……俺も、おまえも」

セイバーが大きな目を瞠る。硬質なガラス玉のような瞳が、内側からの圧力でひび割れてしまいそうな程に見開かれていた。

声もなく、セイバーが何度か口を開閉する。――やがて、低く響く地鳴りのような声で言った。

……どういう意味だ、それは」
「大した意味はないよ。たらればの、もしもの話だ。実際にはあり得ない」
私がきみのサーヴァントでなかったら、と。――そう、今きみは願ったのか」
「『願い』。……大袈裟だな、そんな大層な話ではない」
他の誰かがよかったと、きみはそう言ったのか」

すたすたと、大股に歩いてセイバーが伊織に近づいてくる。ん、とやや怯んで半歩下がった伊織との間合いをすぐに詰めて、セイバーが伊織を見上げて言った。

誰だ。誰がよかった? ……この私ではなく、きみは一体誰がよかったと?」
「誰、などは……

そんな具体的に考えていたわけではなかった。ただ漠然と、この目の前のセイバーではないサーヴァントとの縁の可能性に想いを馳せただけだ。そんなこと、きっと誰にだってあるだろう。きっとセイバーにだってあるに決まっている。――伊織以外のマスターの可能性について

ただ、問われてみれば考えてしまう。ふむ、とかたちのよい顎に軽く指先をつけて一考したあと、伊織は軽く首を傾げるようにして言った。

「宗矩殿……か。あるいはあの武者姿の逸れのセイバー。やはりセイバークラスがいいかな」
「きみ……きみ」

わなわなと、セイバーの小さな唇が震えている。「うん?」と伊織が小首を傾げていると、やがて「フッ」とセイバーが鼻で嗤った。

「きみは……そうだな。きみはそうだとも。強ければ誰でもいい。師事する相手にすら二股をかけたのだものな。この、阿婆擦れの節操なし」
……あば

阿婆擦れ、とは随分酷い言葉だった。あまりの言い様に伊織が絶句していると、ともすればそれ以上の苛立ちを覚えた様子で、セイバーが腰に手を当てて仁王立ちしている。

「きみは誰でもいい。……誰とでも、私としているようなことをするのか」

それでようやく、酷い言葉で一体何を非難されているのか思い至った伊織が、「……ハッ」と鼻で嗤った。

「なにを珍妙なことを。……おまえだって、俺に操立てしているというわけではないだろう。そんなわけがない。そうだろう、セイバー」
……きみ」

いよいよセイバーの顔色が怒りで蒼白になる。その表情を見て、どこか胸がすくような思いがすると共に――『阿婆擦れ』などという本来ならば決して己に対して使われることなどなかっただろう侮辱の言葉に、自分が思いの外腹を立てていたことを伊織は自覚する。……いつの間にか日常と化していた、この目の前の男との行為だった。今だって慣れてなどいない。何度繰り返そうと好きになどなれないし、義務感から仕方なく行っていることに過ぎない。――それを、『阿婆擦れ』だと。

フン、と伊織が軽く顎を上げてわざとセイバーを見下すような目線で言った。

「むしろ逆だな? セイバー。おまえにとっては、俺こそがこの場限りのていのいいめかけだ。腹が減ったら便利に手に取って貪り喰らう、都合のいい魔力源の非常食だ。……その体たらくでよくもまあ俺を悪しざまに言えたものだ。
もし俺のサーヴァントがおまえでなかったら、その相手ともするのかだと? 当然だろう、おまえとせざるを得ないのだ、必要ならばするしかない。必要でなければおまえとだってしないのだから」

すべてたられば、もしもの話だ。実際に伊織のサーヴァントがセイバーでないことなどあり得ないのだから、こんな仮定の話は全て無意味だ。――仮に宗矩や逸れのセイバーが伊織のサーヴァントだった場合、これ程までに魔力消費の効率が悪いということも、正直伊織には考えにくかった。……セイバーという英霊が、自分という術者の器には少々荷が勝ちすぎているのだという可能性は、きっと完全には否定できない。

だからこの一連の言葉は、阿婆擦れ呼ばわりされた伊織の精一杯の意趣返しで、精一杯の意地悪だった。――この言い草が、どうしてセイバーにとっての意地悪になるのかは、正直伊織にもわからない。ただ、言えば言うほど目の前のセイバーがひどく傷ついたような顔をするので、効いているということはわかった。……効いている、ということしかわからなかった。

セイバーが、唖然として立ち竦んでいる。やがて、いつものように衝動に突き動かされて伊織に手を伸ばし――ぴたり、と手を止めた。

「いい。……しない
「うん? うん。――魔力切れを起こしていないのなら、する必要は一切ない。その様子ならまだまだ歩けるだろう、セイバー」
――……

くるりとセイバーが踵を返し、伊織の三歩先を歩き出す。――いつもより歩調が速く、さっさと伊織を置いていってしまうようだった。……そういうところだぞ、と伊織は苦々しく思う。