mishiadd
2025-08-15 15:39:53
32031文字
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曇天に唾を吐く

【本編軸】「俺でなんて興奮できないくせに」「言ったな?」とかいう若気の至りすぎる売り言葉に買い言葉でギッスギスの最悪で険悪な関係性のままなぜか肉体関係を持ってしまうクソデカ感情グッチャグチャ恋愛白書【剣伊】


四、

そもそもの始まりは、お互いの信条のすれ違いであったように思う。
伊織とある程度長く付き合うにつれ、伊織の方針自体には表立って異を唱えることも少なくなったセイバーであったが――それはそれとして、伊織がむっとするだろうとわかりきっているちょっとした嫌味や意地悪のようなものは、まるで口癖のように口を衝いて出てしまうのであった。
別に本気で傷つけたいわけではない。ただ、そうやって『意地悪』を言ったときの伊織の反応が新鮮で面白いのだ。つんと澄ましてお高くとまっている仏頂面のあの顔が、ほんの少しだけぴくりと歪む。そうやって、普段は見えない感情を伊織が少しでも露わにするのを見るのが、セイバーにとってはちょっとした楽しみだった。ふと気が向いたときに摘まむ豆菓子のようなものだ。反感をなんとか押さえ込んで取り繕おうとしながらも、それでも隠し切れなかった伊織の心の襞が――それがどういった感情であれ――まるでシックな無地のジャケットの裾がちらりと翻って裏地の派手な柄が覗くように、ちらりと覗いて消える。それが嬉しかった。

……きっと、セイバーが伊織のことが嫌いで、小憎こにくらしい男がらしくもなく動揺するのを見るのが楽しいからだった。きっとそうだ。そうに決まっている。

当初の頃こそ売り言葉に買い言葉で皮肉の応酬にも真っ向から立ち向かってきていた伊織であったが、最近ではセイバーの態度にもすっかり諦めたのか、セイバーの意地悪にも「はいはい」と取り合わず、流してしまうことが多くなった。――それでも、伊織の剣の腕について言及すると、まだ少し反応があった。だからついついそのことばかり口にしてしまう。――それも、最初の頃は伊織もらしくもなく見栄を張って強がりを言うことが多かったが、この頃ではセイバーとの力の差を思い知ったのか、「……そうだな」とセイバーの言葉を素直に肯定してしまうことも多くなっていた。そうなってから慌てるのはむしろセイバーの方だった。伊織の反応が面白いから悪しざまに言っているだけで、実際口で言うほど伊織が弱いとはセイバーもこの頃は思っていない。――否、間違いなく当初の頃は弱かった。それが、儀を戦うにつれて伊織は確実に強くなってきていた。だからもう、セイバーが口にする評価と伊織本人の腕前に釣り合いが取れなくなってきている。


それでも、相も変わらず残酷な意地悪を言うのがやめられない。――あのつんと澄ました顔が。

ほんの少しだけ不愉快そうに眉根を寄せて、白い頬をほんの少しだけ膨らませて拗ねたような顔をするのが。



――何度見ても、飽きない。







「今日も今日とて雑魚ばかりだったな」と長屋に戻るなりセイバーが吐き捨てた。

「儀には無関係のごろつきに怪異――いい加減腕がなまるぞ」
「う――ん」

歯切れの悪い返事に、ちらりとセイバーが目を遣る。土間に立ち竦んだ伊織が、はあはあと肩で息をしていた。――殊更に呆れ返った様子を装って、はああーああ、と盛大にセイバーが溜息をついてみせた。

「きみ、あれしきの戦闘で疲れたのか」
「す、こし――少し、手間取った」
「うむ。……まあ、いつもよりは少しだけ格上だったかもしれぬな? いつもは七割を私が片付けていたのが、今日は八割が私だったからな?」

ぐ、と伊織が血色の薄い下唇を噛む。――セイバーは大袈裟に言っていた。この頃では半分は伊織が片付けていたし、今日だってセイバーの分はせいぜい六割くらいだった。だが、そんなことを反論しても意味などないことは伊織にもわかっていただろうし、何より彼自身にとってもそんなものは些末なことに過ぎなかっただろう。

正直、セイバーには伊織の拘りはわからない。彼が殺すなと言うなら従う。だが、見境なく格上の強者相手に突っ込んでいく彼の無分別や無謀さにはさっぱり理解を示せなかった。殺戮機構であらざるを得なかったセイバーには生来備わっていない感性だった。

別に彼の命が惜しいわけではない。彼の心配などしている筈がない。伊織がどうなろうとセイバーの知ったことではない。だが、そう、彼が死ねばセイバーも現界を保てなくなるのだし、それから、ええとそう、彼の義妹も悲しむ。だからそうとも――セイバーだって、皮肉のひとつも言いたくなってしまうのだ。

――きみ、本当に、一歩引いていたらどうなのだ」
……なに」

伊織の目の下にうっすらと疲れが出ている。どこか目の据わったような、それでいてふらふらと覚束ないような目つきで、伊織がセイバーをねめつける。それに一切怯むことなく、セイバーは言った。

「前にも言ったが、きみはきっと向いていない……今一度、本来の聖杯戦争におけるマスターという者の分際に立ち返ってだな」
――……
「きみを気にしながら戦うよりも、私はひとりで戦った方が楽なのだ」
「おまえは俺を気にしなくていい」
「そんな口は私に助けられずにひとりで鵺一匹くらい倒せるようになってからほざくのだな」

伊織が押し黙る。ぐ、と足元に目線を落としたので、がしがしと頭を掻きながらセイバーは言った。

「その――なんだ。……きみに礼を言われたり、たまにその、息が合ったりしてな? そういうときは、楽しさを感じなく……なくもないが、それよりも危なっかしいきみを横目で見ている方が、その――なんだ、私の気持ちが落ち着かぬのだ」
「見なくていい」
「そういうわけにもいかぬ。誠に遺憾ながら、きみは私のマスターなのだからな」

言いながら、子供のような端的な言い回しにふと違和感を覚えて伊織を見る。ぐ、と草履の先を見下ろしていた伊織が、顔を上げてセイバーを見た。

「もう、俺のことは気にするな。捨て置け」
……何を言っているのだきみは。そんなことできる筈ないだろう。盈月の儀の仕組みを忘れたのか」
「おまえは、俺が死のうが生きようがどうでもいいんだろう」
――いつの話をしているのだきみは」

いよいよ呆れ返ったセイバーが腰に手を当てて伊織を見る。――セイバーを見る伊織の瞳が、うっすらと熱を帯びているのを見る。……懸命に涙を堪える幼い男の子のような瞳だった。

「おまえにとって俺が足手まといだというのはわかっている。だから、捨て置いてくれたらいい。たとえ四肢を失おうと、死にさえしなければおまえへの魔力供給が断たれることはない」
……莫迦なことを」
「俺は弱い。強くなりたいと思っている。まだまだおまえに遠く及ばぬことなどわかっている、おまえの背中はまだ遠く、だから俺は、少しでも多くの強敵を、いずれはおまえの剣へと至れる道を
「イオリ」

セイバーが伊織に手を伸ばす。その手を拒絶するように、伊織が身を捩って一歩下がる。それを許さぬように、セイバーが伊織の顎を掴んだ。俯いた伊織の顔を下から覗き込む。

「それで、無様に死ぬのかきみは。私にも届かぬうちに、わけのわからぬ有象無象の手で」
……俺はおまえが嫌いだよ、セイバー。……嫌いだ……
「奇遇だな。私もきみが嫌いだ」

呟くように言って、噛みつくようにセイバーが伊織の唇に吸い付く。「ふ、」と伊織の鼻から抜けた声は、涙を堪えているようにも聞こえた。

畳にも上がらず土間に座り込み、セイバーが伊織を壁際に追い詰めて押し付ける。伊織の腰の上に馬乗りになりながら、くちくちと濡れた音を立てて伊織の口の中に舌を這わせる。抗議するようなくぐもった唸り声を発していた伊織の体温が上がり、口の中が熱をもったように熱くなってくると、やがて伊織は何も言わなくなった。ぺろりとセイバーが伊織の口蓋を舐めて唇を離す。つつ、と透明な糸が引いて、ぽたりと自重で落ちた。

はあはあと、先程とは違うテンポで伊織が肩で息をしている。先程までセイバーを睨みつけていた目許がとろりと蕩けて緩み、半開きになった唇がセイバーに吸われて腫れたように赤く染まっている。
伊織の目許に掛かった長い前髪をセイバーが指先で払ってやり、サイドの長い癖毛を耳に引っ掛けてやる。露わになったガラス玉のような月夜の瞳が、ぐっしょりと濡れて正面のセイバーの顔を目で追っているのを見返した。

ほんのりと桜色に色付いた伊織の眦を、セイバーが親指で拭うようになぞる。自分を見つめている伊織の目を真っすぐに見つめ返しながら、うっそりと静かな声で言った。

「きみは話していると本当に可愛げがないな。口を開けば私の気に障ることばかり」

伊織の着物の合わせ目に両手を掛ける。伸び上がるようにして背筋を伸ばし、伊織の唇を再び貪る。ちゅ、と軽い音を立てて唇をほんの少しだけ離し、まるで口づけの延長のような距離で、ひそりと言った。

「黙っていればこんなにも愛いのにな? なあ、イオリ」

伊織が何か返事をする前に、再びセイバーがその唇に吸い付く。――するり、と着物の合わせ目を緩めた。