mishiadd
2025-08-15 15:39:53
32031文字
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曇天に唾を吐く

【本編軸】「俺でなんて興奮できないくせに」「言ったな?」とかいう若気の至りすぎる売り言葉に買い言葉でギッスギスの最悪で険悪な関係性のままなぜか肉体関係を持ってしまうクソデカ感情グッチャグチャ恋愛白書【剣伊】


三、

出逢った当初に受けた第一印象よりはいくらかましだとは思ったが、所詮その程度だ。

セイバーにとっての伊織は、甘っちょろい理想論ばかりを口にして実利を犠牲にする戦闘の素人で、いわば古代の軍人であったセイバーから見れば、とても司令官として彼が仰ぎ見るに値する器ではなかった。
だが、伊織の頭の回転は悪くなかった。セイバーから見れば理解のしがたい奇妙な規律を重んじているのでまだるっこしい部分は往々にしてあったが、その規律を踏まえた上での彼の理屈はいつも通っている。大雑把で結論を急ぎがちなセイバーに対し、物事を冷静につぶさに観察しては慎重に判断する伊織のやり方は、結局正解に辿り着くことが多い。――そしてその正解を手にしたときに後ろを振り返ってみると、犠牲は少なく、感謝する者や同盟者は多かった。きっと、かつてのセイバーならば取らなかった道だ。取れなかった道だ。

伊織は、セイバーが思っていたほど莫迦ではないのかもしれない。だがそれだけだ。セイバーが何かを知らぬと言うたびにひどく驚いた顔をされるのは相変わらず癪に障るし――誰だって知らぬことのひとつやふたつあるだろう――ほんのちょっぴり食事やおやつをねだっただけで呆れ返ったような顔をされるのも腹が立った。だからわざと最悪の時と場合を選んで大袈裟に騒ぎ立て、伊織の財布がすっからかんになるまで屋台で飯を頬張ったりなどもしていた。……かつてそんな振る舞いを、生前他の誰にもしたことなどなかったが、伊織にはなんとなく許されるような気がしていた。

好きか嫌いかで言えば、多分『嫌い』寄りだ。なにかにつけてすぐ癇に障って文句や意地悪を言いたくなるし、伊織だって痛烈な皮肉を真顔で返してくる。寝食を共にするのはマスターとサーヴァントの関係上仕方がないしそこは我慢するが、隣に立っていれば一触即発、互いの足を踏んづけ合いたくなるときだって少なくなかった。

互いの顔だって真面目に見たことはなかった。伊織の顔立ちがそれなりに整っていることはセイバーだって気が付いていたし、セイバーの顔立ちが美しいことも伊織は認識している様子だったが、お互いにただそれだけだった。互いの容姿がどうこう以前に、お互いの態度が気に喰わない。お互いの考え方が気に喰わない。お互いの言葉が癪に障るし、お互いの目つきが、表情が気に喰わない。

何から何まですべてを勘違いした万屋の店主に「妹さん以外は誰ひとり寄せ付けなかった浪人さんがこんな別嬪さんと懇ろになるなんて、まったく羨ましいったらありゃしないよ。隅に置けないねえ」などと言われている伊織が、うんざりした顔で「いや、そんなものではない」と目を逸らしているのを見た。――きっと、あの『そんなものではない』はありとあらゆるすべてに掛かっていた。伊織とセイバーはそういう関係ではないし、そもそもセイバーは女ではないし――そして、いくら見目麗しかろうと、中身がこんな跳ねっかえりの傲岸不遜の皮肉屋なのでは容姿などなんの効力もない。……そっくりそのまままるごと全部きみに返すぞ、とセイバーは内心舌を出した。



――だから、まあ。



セイバーが伊織の顔をまじまじとよく見たのは、あの夜が初めてだったのだ。







雨が降っていた。

行きつけの青菜屋に買い出しに行った帰りに雨に降られてしまった。長屋まであと少しというところで本格的に雨が降り出してしまったので、雨宿りに大通りの店の軒先を貸してもらった。
店の隣の空き地に桜の木が植わっている。せっかく咲いたばかりだというのに雨に降られてはらはらと花弁が散っていた。

「台無しだな」

後頭部で両手を組み、壁に寄り掛かって桜を見上げているセイバーがぽつりと言った。濡れた白い外衣は一度霊体化してすっかり乾かしてしまっていた。
そんな器用なことはできない伊織の着物の肩と袴の裾は濡れたままで、いつもより布地の色が濃くなっていた。

「そうでもないさ」

静かに言った伊織の声は、反論というにはあまりにも穏やかだった。セイバーが桜から伊織の横顔に視線を移す。その視線には気付かぬ様子の伊織が、ただ雨に打たれて揺れている桜の木を眺めている。

ゴロゴロと遠くで雷鳴が響いている。曇り空の灰色がかった薄暗い中で、つるりとした伊織の肌がぼんやりと光っている。高い鼻梁の目立つ整った横顔に嵌ったガラス玉のような深遠な瞳が、ちらちらと少ない光を反射させながら遠くを見ている。
風が吹いている。雨の湿気を吸ってうねりの強くなった伊織の栗色の癖毛をさわさわと揺らしている。

考える前に、セイバーは口にしていた。

「きみ、そんなに綺麗だったか?」
「うん?」

問い返されてはっとする。初めて自分の口走ってしまったことを自覚して、ぱしん、とセイバーが口許を押さえた。――かああああ、とセイバーの首から頬までが赤くなる。
「うん……?」と不思議そうに考えるそぶりを見せた伊織は、セイバーを見ることのないまま、桜の木を見上げたままで言った。

「よくわからんが。……おまえは、美しいと思うよ」

ぎくり、とセイバーの身体が一瞬大きく震える。そろそろと、俯いたまま、目だけを動かして伺うように伊織を見上げた。
桜を眺めながら、まるで遠くを見るように目を細めた伊織が、遠い何かを懐かしむような表情で言った。あるいはそれが、憧憬という感情なのかもしれなかった。

あの剣技……美しかった。――あれこそを、絶技と呼ぶのだろう」

うん、とセイバーが虚を突かれたように呆ける。――それから、きょときょとと視線を足元に彷徨わせたあと、可能な限りいつもの調子を装って言った。

「それは、どうも、だ。……私に血反吐を噴かせてまでアレを止めたのが、他でもないきみであったのだが?」
「ハハハ、それはそうだ。――だが、そうだな。だからこそ、あの時俺はおまえを止めてよかった。おまえの技が、あれ程までに圧倒的で強大で凄まじく――



――だからこそ、美しい。



声にはしなかった伊織の唇が無音のままに動くのを、セイバーは見た。

冷たいものが、セイバーの背筋を伝う。底冷えのするような違和感と――それとは別の、なにかぞわぞわとした熱のようなものが、セイバーの足元から這い上がってきていた。
その熱は、違和感に凍てついた背筋を溶かしてなお全身へと回り――制御しがたい衝動となって、セイバーの口を衝いて出た。

「イオリ。……魔力が足りない」
「うん?」

ようやく伊織が桜から目線を外してセイバーを見た。場違いなタイミングで屋台の飯をねだられたときのように、困ったような、呆れたような顔をして言った。

「そんなわけがない。今日は小さな小競り合いすらしていない」
「私が知るか。きみがマスターとして未熟だから、ろくに戦闘もしていないのにただこうして現界しているだけで魔力の供給に滞りがあるのだ」
「そんなことは……

うん、と伊織が己の身体をきょろきょろと見下ろしている。その袖を掴んで、セイバーが言った。

「いつまでもこうしていても雨は止まぬ。走るぞ」
「ん――は?」

言うや否や伊織の手首を取ってセイバーが雨の中へと駆け出す。先程よりも雨足の強くなっている中を、ばしゃばしゃと泥水を跳ねさせながら走る。
散った桜の花弁が泥水に浮いている。「セイバー、待て、セイバー」と制止する声を無視しながら、一目散に長屋へと戻る。

引き戸を開けて伊織を中へと押し込み、後ろ手に引き戸を閉めると共にセイバーが伊織の胸倉を掴んだ。ずるずると力任せに伊織を壁際へと追いやり、だん、と背丈の割に細い身体をぶつけるように壁に押し付けると同時にその唇を自分の唇で塞いだ。んん、とくぐもった抗議の声が洩れたが無視した。しっとりと雨に濡れた唇はあの夜よりも更に冷たく、氷のように冷え切っていた。

壁に寄り掛かって立ったまま、セイバーが背伸びをして伊織の着物を剥ぎ取るようにして暴く。「セイバー、濡れているからせめて脱いだものを干させてくれ」と呆れた声で訴える伊織の唇を噛みつくようにして塞ぐ。さっさと黙ってほしかった。

襦袢の合わせ目を緩めてセイバーが鎖骨に噛みつく。「痛っ」と小さく舌打ちをした伊織が、「そんなに足りないのか」とほんの少しだけ案じたような声で言った。日焼けしていない白い肌に吸い付いたまま、もごもごとセイバーが拗ねたように言った。

「足りぬ。これ以上私の耳元でごちゃごちゃ言うなよ、煩いぞ。私の食事の邪魔だ」
「『食事』――

はあ、と観念したように伊織が大きな溜息をつく。――「わかったよ」とうんざりした声で言った。

「俺は目を瞑っているから、さっさと好きにしてくれ」
「ああ、そうするとも」

言って、伊織の肌に唇を這わせる。――なにが『目を瞑っているから』だ、嗤わせる。

しばらくするとろくに立ってもいられなくなった伊織が、ずるずるとその場に座り込んだ。先程までは雨に冷え切って氷のようだった肌がすっかり火照って熱を持ち、はあはあと熱い呼吸と共に薄い胸が上下している。その首筋に歯を立ててきつく吸い上げながら、呼吸を求めて半開きになった熱い口の中に指を挿し入れつつ、かたちのいい顎を掴む。ぐい、と強引に引っ張ってこちらに顔を向けさせた。

――散りゆく桜ばかりを眺めてこちらを見てくれなかったあの透き通ったガラス玉のような月夜の瞳が、ぐっしょりと濡れそぼって潤み、今はセイバーだけを見つめている。

それでよいのだ、それで、と胸のすくような思いをしながら、すっかり熱をもって赤く熟れた唇に噛みついた。