mishiadd
2025-08-15 15:39:53
32031文字
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曇天に唾を吐く

【本編軸】「俺でなんて興奮できないくせに」「言ったな?」とかいう若気の至りすぎる売り言葉に買い言葉でギッスギスの最悪で険悪な関係性のままなぜか肉体関係を持ってしまうクソデカ感情グッチャグチャ恋愛白書【剣伊】

一、

常識的に考えて、普通に過ごしていれば魔力切れなど起こらない。儀自体の進行や器の不完全さに反してマスター・サーヴァントの主従マッチングにはことごとく天才的な手腕を発揮した盈月の儀である。もういっそ向いていない聖杯戦争の運営など辞めてしまって婚活市場に打って出た方がいいのではないか。

術者マスターの技量でサーヴァントの能力値に影響が出ることは往々にしてあるだろう。それがそのペアの限界値であるということだ。現界を維持するために宿主を蝕むほど魔力を吸い上げるようなサーヴァントがいたとしたらそれこそ亡霊や怨霊の類と変わらないし、そこまでした挙句マスターを憑り殺せばサーヴァントだって退去となるのだから、そもそも聖杯戦争の目的にそぐわない。――から、基本的にはあり得ない。

だから、セイバーが満足に動けないほど伊織からの魔力供給が滞っているのだとすれば、考えられる原因はふたつだった。



セイバーが伊織の術者としての技量を顧みずばかすか魔力を消費する大味な技を連発するので、伊織の供給した魔力が湯水のように垂れ流されて無駄に消費されているか。

あるいは、伊織が魔力供給者であるという己の立場を忘れて戦闘に参加し考えなしに己の肉体を酷使した結果、体力が尽きて本来ある筈の魔力が伊織の中で枯渇しているか。



セイバーのせいか、伊織のせいか。



悪いのは果たしてどちらなのか。





「私ではないぞ」と盃に口をつけたセイバーがむすっとして言った。

「きみに宝具の使用を禁じられて何が『大技の連発』か。やっていいならやるぞ私は」
「む……

伊織が押し黙る。――ぐうの音も出ない。セイバーには町中での宝具の使用を禁じている。であるならば今の彼が使用しているのはすべて通常攻撃である筈で、その一撃一撃がいくら強力で仮に魔力消費が激しかったのだとしても、それすらサポートしてやれないのであれば責は伊織側にある。

がり、と伊織が結い上げた髷の下あたりを掻いた。

「面目ない」
「そうとも。その通りだとも。無論この私がわざわざこの水の鞘から刀身を抜く必要がある事態など早々あるものではないが、そうだとしてもちまちまちまちま小技でいちいち雑魚を潰していかなければならないのは正直苦痛だぞ。できることなら軽く一発で一掃してやりたいところをきみの下らぬ理想のために出力を最低限にしてやっているのだ、だというのにきみは更に私が『食い過ぎだ』とでも非難するのか?」
「食い過ぎ――はあながち否定できんかもしれんが――

が、それは食費の問題であって今議題となっている魔力消費の問題ではない。それに、セイバーの食生活について伊織がなにか一言でも不満を洩らせばまた大喧嘩になるだろう、聞くに堪えない皮肉と嫌味の応酬になって。

伊織がなにかを思い、そしてそれをぐっと吞み込んだのを見て取って、セイバーが目を眇めて伊織をねめつける。それから、ふと下唇を親指で軽く拭くようにして言った。

「食事――食事か」
「うん?」
「いや。……この件、答えはもう出ているな? きみから私への魔力供給が滞っているのだとするならば、きみが一方的に十割完全に悪い――で、だ。どう是正するかという話だが」
「う、うん……
「当然、一番はきみが大人しくしていることだ。ごろつきに怪異、敵陣営や逸れのサーヴァント――どんな相手がやってこようと、きみは見境なく勝手に昂ることなく、己の分際を弁えて一歩身を引き、私がひとりで闘い勝利するのを遠くから見守る。……そういう、ごくごく当たり前の、マスターたるものかように自分のサーヴァントにきつく言い含められずとも率先してできるべき当然の振る舞いというものをだな」
……セイバー、悪いがそれだけは」
どうせきみができるわけがない。私は端からきみに期待などしていない。私は現実主義者なのだ」

ぐ、と伊織が再び口を噤む。気まずさを呑み干すように、盃に口をつけた。
ぽり、と指先でつまんだ沢庵を口の中に放り込んだセイバーが、畳の上に片膝を立てて言った。

「で。根本的解決ができないのだから、であるならば、かくなるうえは強制徴収するほかあるまい」
「強制徴収」
「きみが勝手に自分の限界を超えて抑えの効かぬ男児のように暴れまわった結果、きみの体が魔力を出し渋っているというのなら力尽くで奪い取るしかあるまい」

うん、と伊織がセイバーを見る。うん、とセイバーが伊織を見返した。いつもの硬い表情筋のまま――わずかに切れ長の目を瞠り、困惑した表情で伊織が尋ねた。

……つまり?」
「魔力供給をする」
……既にしているが。それがうまくいっていないという話で」
「違う。魔力供給をする……ん、なんだきみ知らぬのか」

はああ、とこれ見よがしに呆れ返った顔をしたセイバーに、伊織がほんの少しだけ不満げに頬を膨らませた。
セイバーには江戸や当代の知識があまりにも欠けているので、あれも知らぬこれも知らぬと伊織が自分でも気づかぬうちに連呼してしまっていたのか、知識不足を指摘するとセイバーが機嫌を損ねるようになった。これは恐らくはその意趣返しのようであったが、とはいえ盈月の儀やマスターとサーヴァントに関する知識について伊織への説明責任があるのはセイバーの方である。伊織が知らないとすればそれはセイバーの咎だ。
――とは、伊織は今は言わない。面倒くさいので。

「魔力供給――とこの文脈で言ったなら、それは粘膜の接触による補助のことに決まっているであろう」
……とは」
「本当になんにも知らぬのだな、きみ」

はあーああ、といよいよわざとらしく頭を左右に振ったセイバーが、盃を手にしたままその場に立ち上がる。まるで酔っ払いが一席打つようであった。

「つまり、今のきみの体の状態というのは――本来私の魔力供給源に徹しているべきであるきみが、じっとしておらず己の限界も把握せずに暴れまわるせいで、きみの体の防衛機構が私への魔力供給に待ったをかけ、出し惜しみをしている」
「うん」
「そのままきみの体に任せていてはいつまで経っても供給される魔力量は増えてこないので、補助的魔力供給をして、この私が直接きみからきみの魔力をぶん捕るのだ」
「雑だ。なんというか、説明が感覚的で雑だ」

胡坐の膝に片肘をつけて頬杖をついた伊織が、「つまり、」と半ば呆れたように言った。

「前半部分についてはわかった。俺のせいだ、申し訳ないとも思う。……だが、俺が訊きたいのはその後半の部分だ。つまり、何をどうすると?」
「私ときみとでまぐわう」
……――

ぽり、と伊織が頭を掻いた。ぽん、と胡坐の両膝を叩き、背筋を正して言った。

「セイバー、それはあまり上品な冗句ではない。俺はおまえに何を言える立場でもないが、おまえのマスターとして俺は悲しい」
「冗句でもないし、きみに私の品性をあれこれ言われる筋合いはないぞ」

「というか、きみちょっと潔癖じゃないか」と明後日の方向にぶちぶちと文句を言いながら、粗暴な仕草でセイバーが畳の上に腰を下ろす。くい、と盃を呑み干したあと、下からねめあげるようにして伊織を見て言った。

「ふうん、だがまあ、そうか。……清廉潔白で品行方正、禁欲的で潔癖で品のよくていらっしゃるイオリには、どだい無理な相談か」
……
「きみ、随分大人しいものだな。私がきみくらいの年頃であった頃には、もう少し火遊びをしたものであったが」

「やれやれ、情けないものだ」などとくだを巻き始めたセイバーに、ぐ、と両膝にかかった伊織の両の手に力が入る。――フ、と皮肉げな、小さな低い笑い声が洩れた。

「俺だけの問題なのか? これは」
……うむ?」

手酌で盃に酒を注いだセイバーが伊織を見る。口の端に引き攣り笑いを浮かべた伊織が、挑戦的な目つきでセイバーを見ていた。

「まるで俺だけに問題があるように言うが、これはお互い様というものだろう、セイバー?」
「なにがだ?」
「俺とおまえでまぐわうのだと。……百歩譲って、確かに俺は色事が苦手だ。だがな、セイバー、まぐわいというものはふたりでやるものだろう。……おまえ、俺でその気になれるのか?」

セイバーが大きな目を瞠る。「うん?」とまるで勝利宣言をするかのように口角を上げた伊織もまた、酔っているのかもしれなかった。

「おまえ、どうせ俺でなど昂ぶれないくせに、どのみち全部俺のせいにできるのだからと高を括っていないか? 自分は色事にも長けた粋人だが、俺がおぼこいばかりにできないのだと」
……なに?」

片膝を立てた伊織が挑発的に盃を傾ける。酒精にほんのりと色付いた眦を細めてセイバーに流し目をくれた。

「口で言うだけならば楽だろうな? セイバー? ……都合のいいことだな、俺のせいで魔力も足りない、魔力供給しようにも俺のせいでできない……次の戦闘で負けても俺のせいかもな? セイバー?」

いやに饒舌だった。伊織がこんな厭味ったらしい口調で話すのは出逢った頃以来で、最近ではすっかり鳴りを潜めていた。きっと、確実に酔っていた。
らしくもなく、伊織が胡坐を解いて気だるげに崩している。手酌をする手の指先がほんのりと桜色に染まり、揺れる橙色の行燈の灯りでちらちらと影をまとっていた。ぺろり、と下唇をてらてらと濡らす酒を赤い舌先が舐め取る。

「どれだけ粋がろうが、おまえは俺で興奮できないだから俺たちは魔力供給ができないが――だがまあ、いいよ。全部俺のせいということにしといてやる。そもそものきっかけが俺のせいだというのは間違いではないのだろうしな」
「それは私に対する挑戦か? イオリ」

かたん、とセイバーが空になった盃を畳の上に放り投げるように置いていた。その盃がくるくると独楽のように緩やかに回るのを、眦のじんわりと赤くなった伊織が、ぼうっとした目で見ている。
目線の合わないまま、セイバーが伊織の顔を見つめて言った。

「言ったな? イオリ。……私が、きみでは興奮できないと」
「ん? フフ……

呂律の回らぬまま、なにが面白いのかもわからないような笑い声を上げて、伊織がセイバーを見て言った。

「アハハ、無理をするな、セイバー。こんなことで意地を張っても誰にも威張れんぞ。――元服もとうに過ぎた独り者の大男に、昂ぶれなかったところで誰もおまえを嗤わない」
「きみが嗤っているだろう」

ひた、と伊織の端正な顔が笑みを象ったまま凍る。深遠な月夜の色をした瞳だけが、きょろりと動いてセイバーを捉えた。静かな声で言った。

「嗤うとも。――おまえはできもしないことをできると言った。俺は嗤うよ」
「私ができないと言ったか?」
「できないだろう?」

に、と伊織の切れ長の双眸が細められる。酒が回り、紅を引いたように赤くなった唇が弧を描いた。

「この、強がりで見栄っ張りの大口叩きめ。――おまえは俺で興奮なんてできないよ。おまえは、俺で昂ぶれない」
……言ったな」

かたん、と畳に置いたセイバーの盃が音を立てる。畳についた膝を擦って前へと進み出てきたセイバーがぶつけたせいだった。空の盃がひっくり返っているのも構わずに、セイバーが更に伊織へと近づく。その顔を、ぼうっとした様子で伊織がただ見つめている。――ふたりとも、確実に酔っていた。

「言ったな、イオリ。……言ったのはきみだから……

セイバーが伊織の肩に手を伸ばす。ろくな抵抗もなく、伊織がただ、肩を掴まれるに任せている。すぐ間近に迫っていたセイバーの夕陽色の双眸を、焦点の合わない月夜の双眸で見つめていた。



「だからやっぱり。――これは、きみのせいなのだぞ。イオリ」と、セイバーが伊織の耳元で囁いた。