河童の皿箱
2025-08-03 08:22:10
13184文字
Public 遊戯王:長め
 

とある少年が持つサイキックについての報告書

Gボーイとファイアと娑楽斎が実験するだけ。


 絵を実体化させる超能力。そのように分類されるその力は、古い古い昔話の中にもみられる。例えば、龍の目を描かぬ絵師の話。例えば、とある絵師の天狗鼻を折った神の話。例えば、鼠の大群に猫の絵で事なきを得た僧の話など。とはいえ、これはあくまで伝説に過ぎず、今ここにいるふたりの性質は、自らたちで知る他にない。

 実験を経て、絵師と少年の力にはいくつかの違いがあると判明した。まず、絵師は自分が描いたものを実体化させられるが、他人が描いたものは実体化できない。これは絵師が以前より自覚していた特性だが、せっかくなので少年に描いてもらったヘニョヘニョの犬に息を吹きかけても、微動だにしなかった。
 けれど、自分で描きさえすれば、実体化させるものに制限はない。しかし、絵師は人型の生物を描いても、決して息を吹きかけなかった。絵師が形を与えたものは、おおよそ絵師の意思に従う。或いは、誘導に反応して移動する。けれどより高い知性あるモノに肉体を与え、それから肉体を奪う責任を負えるかは、また別の問題だからだ、と。

 一方で少年は、『Fire Starter』に登場するヒーローしか実体化できなかったが、その実体化の精度は極めて高く、人としての自由意志を持ち、独立して思考しては行動する、具現化の終着点とも言えるほどの高度なものであった。少年が生意気いえば怒り、そっぽを向く。決して従順ではなく、使いっ走りにしようとしたところ、嫌だと明確に拒否をした。けれど元の性質か、性格からか、基本的には人好きで、人助けに躊躇がない。
 そしてこの戯画は面白いことに、少年が熱中してコミックスを読み、そのヒーローを隅から隅まで知り尽くしていたのに、けれど一度も公開されたことのない情報を、戯画は持ち得ていた。その中で特筆するべきは、自分が描かれた時の記憶である。
 ペン先のインクが紙に落ち、その拳が初めに作り出された。燃え上がる炎の形から、試行錯誤を重ねて人の形を得るも、デザインを何度も何度も練り直し、そして決定稿によって自らの形が決まったのだ、と。
 戯画は、自らを人間であると言う。けれど、自らがコミックスの登場人物であるのも自覚している。幼少期が存在しないことも、特段の違和感を訴えることなく受け入れている。

 「っし、今日はこんなところだな」。絵師は本日の実験結果をレポートにまとめては、依頼人へとメールを送付する。実験と言っても、謎の薬品を注入したり、過負荷をかけるわけでもない。絵を描いて遊んで、喋る。そんなものだ。けれど今日得た情報は、これからより己達を詳しく知るための土台になるだろう。
 「そういやぁさ。お前、ファイアスターターをずっと召喚してるだろ? 疲れてねぇか?」。絵師が問えば、少年は首を傾げた。「疲れたりはしてる。その、緊張してるし。でも、うーん……呼んでるから疲れた、って感じじゃないかも」、と。ひとつひとつ、言葉を紡げば、絵師はまたメモをする。「んじゃ、ファイアスターターはどうだ? 力が出ないとかは?」。今度は戯画に問い掛ければ、「いや。腹は減ってっけど変な感じはねぇぜ」、と。それを聞いて、絵師は唸った。
 「これは仮説に過ぎないが」。絵師はそんな前置きをして、ぽつりこぼす。「お前の力は、ファイアスターターのためだけにあるのかも知れねぇな」、と。少年はその真意を図りかね、けれど口にする時間もなく、絵師はテーブルを立ち、車に積んできた木炭へと目を向けた。

 それじゃ、飯にしようぜ。せっかくのキャンプだ。バーベキューでもしようじゃねぇか。