シノハラ
2025-07-26 18:31:12
49575文字
Public 戦パ
 

『最果てからずっと前』の進捗晒し

スパーク向けの戦パ本の予定の進捗晒しです。最終的にweb全文公開予定。『最果てから少し前』のアベンチュリンがレイシオの実家に連行されて猫と過ごす話。


「ああ、この星の原種だ。遺伝子配列はともかく、飼育している分には一般的な『猫』よりも少々寿命が長い傾向にあるくらいしか大きな差異はないが」
 ふかふかの毛並みを見ようとしゃがみ込むと、レイシオがようやく腕の拘束を解いてくれた。自分の視線の高さに近づいた来訪者が気になったらしく、猫が少しアベンチュリンに近づいてふんふんと匂いを嗅いだようだった。それからまるで説明を求めるようにレイシオに視線を投げかける。
「この人間は僕の同僚のアベンチュリン。今日は彼もここに泊まるからよろしく頼む」
 急な予定変更ですまないがと紫色の毛玉にレイシオが詫びると、ひゃ、と高めの微かな鳴き声が帰ってくる。まるで言葉を理解するような相槌にレイシオがしゃがんで手を伸ばすと、猫が彼の手のひらに頭を擦り付けた。
「えっ、そんな、ご両親に悪いよ。日が落ちる前には僕は帰るから」
「いや、今日明日は両親は旅行でいない。それでこの子が長い間ひとりになるから様子を見るために来たんだ」
 猫の要求に応えるように手を動かしてやりながら、レイシオが種明かしとばかりに告げてくるので思わず声がひっくり返ってしまう。この様子では、アベンチュリンが抱いていた不安は一から十まで無駄だったらしい。
「この猫はウェヌスと呼んでやってくれ」
「うん、それは分かったけど」
 アベンチュリンから離れてしまった猫の名を呼んでみたものの、視線だけ寄越されて終わってしまう。彼女だか彼には共感覚ビーコンが着いていないだろうから、ひょっとしたらこの星の人が使う発音で届いていないのかもしれない。
「君をここに連れてきたのは、君が無事に生き延びたお祝いに食事をと思ったからだ。君もしばらくの間は立て込むだろうし、やるなら今週末くらいしかない。が、生憎僕の方に先約があった」
「君のやりたい事は分かったしありがたい事だけど、最初に言ってくれたら良かったじゃないか。無駄にドキドキさせられた」
 同僚の実家を訪問する時点で大分異常事態ではあるが、同僚のご両親に挨拶する事態はもっとありえない。亡くなった部下のご両親であれば何度かあるものの、今回のそういう手合いでもないのだ。きっとお手本を探そうとして簡単に見つかるものでもないだろう。
 レイシオが口を開く前にウェヌスと呼ばれた猫がに、と小さな声を上げた。大きな体とは相反する可憐な声量にアベンチュリンは思わず意識を奪われたが、それはきっとレイシオも同じだっただろう。
 彼に撫でられる猫は大型で毛足が長い。毛色はレイシオの髪の色に似ていて、細められた瞼の隙間から金と朱の虹彩が窺える。
 主にカラーリングと体格のせいでレイシオを思わせる猫はしばらく撫でられて満足したのか、レイシオの手から逃れて顔を上げた。それを合図にするようにレイシオがウェヌスを抱き上げると、まるでお返しだとでも言いたげに小さな舌でウェヌスがレイシオの手の甲をぺろぺろと舐める。
「僕の事を仲間だと思っている」
「そうみたいだね」
 されるがままになりながらも靴を脱いだレイシオが廊下に上がるので、アベンチュリンも少し笑ってしまいながらも彼に従うことにする。ここまで来てしまった上に家族も不在と言うので、今更抵抗するつもりにもなれなかった。
「僕が真理大学に通うために早々に家を出てしまったから、両親は随分と寂しく思っていたらしい。その折に偶然この子を見つけてすぐ飼う運びになったそうだ。僕がこの子に会ったのはその後の長期休暇の帰省の時で、見てくれからかずっと同族扱いされている」
「へえ、君ってば猫だったんだ」
 相槌ついでに一応冗談を挟んだのに、レイシオは否定の一つもしてくれなかった。それどころか、だとしたら僕の両親も猫ということになるなと無感動に返されて、彼が教職に就いている事実を思い出した。子供のからかいには派手に反応しないのが有効な対抗策らしい。
「とにかく、ウェヌスは僕の事をやたら大きくてどんくさい上に変な匂いをさせている毛繕いの下手な猫だと思っている。だから放っておくとすぐにこうなる」
「僕、君の香水の趣味嫌いじゃないけどな。朝一で会うとミドルノートの選び方が良いなっていつも思ってる」
「ありがとう。とはいえ、猫からすれば概ね妙な匂いには違いない」
 どうも猫の嗅覚からの評価をレイシオは気にしていないらしい。自身に毛繕いを施し続けるウェヌスを抱きかかえたまま軽く肩を竦めて見せるレイシオに同意を示すためにも少し笑って、廊下を通り過ぎてリビングに案内される。するとするりとウェヌスがレイシオの腕から降りて、三人掛けのソファの端にあるクッションにぼふりと身を沈めた。
 それからひ、とやっぱり小さな高めの声でウェヌスはレイシオに呼びかけたようだった。鳴き声の意図を窺おうと無言でレイシオに視線を投げかけると、隣に座るように求められていると告げられた。
「ひとりは嫌いな子なのかな?」
「いや、人間を好きに動かしたがっているだけだ」
 ますます君っぽい、と言うのは止めにして代わりに癖が強いと感想を漏らせばレイシオが同意してくれる。四足歩行で毛が生えている類の一般的に可愛いと評価される生き物でないとなかなか許されないとまで言ってくるので、もしかしたら本人は許されていない自覚があるのかもしれない。
「僕は飲み物を持ってくるから君が代わりに座っておいてくれ」
「おめがねに適うかな」
 動物と触れ合うのならトパーズの方が適役だとちらりと思いながら、ソファに座ることにする。ウェヌスが座るクッションがある端とは反対側に腰を下ろして様子を窺うと、予想とは違って人間が来たからか尻尾の先をぴたぴたと上下させながらじっと来客の様子を観察しているようだった。
 ウェヌスの方はアベンチュリンをまじまじと見つめているが、人間が動物を凝視するのは良くないと記憶の中のトパーズが注文をつけてくるので言われるがままに視線を反らすことにする。そうすれば手持ち無沙汰になってしまうので、鞄からスマホを引っ張り出すと思った通りメールボックスからの通知が増えていた。
「復帰は週明けだろう」
「とはいえ、今無視しても月曜日の僕が苦しむだけだから。あれ、ハーブティー?」
「ああ、戻った時はいつもこれだ。口に合わなければ教えてくれ」
 差し出された分厚い耐熱のガラスに入ったそれにすんと鼻を鳴らして、癖のなさそうな匂いに安堵する。それからまだ熱いそれを少しばかり啜り、香りと味わいが合致している事を確認した。きっとレイシオも子供の頃から飲んでいたそれが万人受けする傾向があるものだと分かっていて寄越しているのだろう。
「うん、美味しい。ありがとう、レイシオ」
「それは良かった……ウェヌス、服は止めてくれ。この後また出かけるんだ」
 アベンチュリンが味見をしているうちにソファの真ん中に座ったレイシオが眉を顰めたと思ったら、どうやら身を乗り出したウェヌスにシャツを舐められたらしい。それでも首を伸ばしてくるウェヌスに仕方なしとばかりにレイシオが抱き上げて太腿に乗せてから、腕まくりをして肌を差し出した。
 自分とは違い地肌が剥き出しになっている腕をじっと見つめてからようやく納得したらしく、ウェヌスがレイシオの腕を舐め始める。この調子では家を出る頃にはレイシオの腕が真っ赤になってしまいはしないだろうか。
「夜は近くの店で食べよう。地域密着型の個人経営の店だから派手さはないが、昔から家族とよく行っている店だ」
「分かった。楽しみにしてる」
 レイシオ曰く下手くそらしい毛繕いをウェヌスに返してやりながら、彼は夜の予定を伝えてくる。のは良いのだけれど、昼はどうなるのだろうか。
 星を跨いで移動したときに体内時計がめちゃくちゃになるのは慣れっこだが、最後にした食事を考えるとそろそろお腹が空いてくる時間である。リビングにある時計を見ても昼を過ぎた頃で、食事時としてはちょうどいい塩梅なのだけれど。
「昼は僕の親の作り置きだが、見知らぬ素人の料理に抵抗はないか?」
「僕はそういうの全然気にしないけど」
 見計らったように話題を出してもらってから、アベンチュリンは思わず首を傾げてしまった。おそらくレイシオ自身に抵抗感がある状況なのだろうが、アベンチュリンは奴隷の身分を逸脱するまで食と衛生が結びつかない環境で暮らしていたのだ。あくまでも念のための質問だっただろうに、レイシオは納得するまでにしばらく時間をかけているらしい。
 本人の感性との兼ね合いかと思ったものの、アベンチュリンの反応から過去を探ろうとしていたのかもしれないと思い直す。自分の人生を振り返れば、レイシオが懸念しそうな出来事が起こっても不思議な事ではなかっただろう。
「ありがとう、本当に大丈夫だよ」
……ああ、分かった」
 ぱちりとレイシオが瞬きをして、少しばかり萎れた口調で了解してくれる。勝手に人様の過去を推測してどうこう考えることが失礼にあたることくらい、彼は当然承知しているだろう。それでもアベンチュリンが不快には感じなかったと、ちゃんと伝わっていれば良いのだけれど。
「料理はこの星特有の物?」
「そうだ。ムサカと言って、茄子とジャガイモ、それにひき肉を生地に挟んで焼いたものと、コキニスト……まあこれはトマトが入ったシチューだな。ビーフシチューをイメージしてもらえればいい。ムサカは一人前だから二人で分けよう。コキニストは鍋ごと置いてあったから好きに食べるといい」
「そんなにあるのかい? 量を作らないと具材の種類が偏って味が決まらないとかかな」
 ざっくりと説明された内容を思い浮かべながら首を傾げると、レイシオがゆるゆると首を振った。どうやら、人参を一本綺麗に使い切る以上の事情があるらしい。
「たしかにそういう側面もあるが、これは人の親はいつまでも子供の胃を過信するというだけの話だな」
「ああ、なるほど。さすがに今の君一人じゃ食べきれない?」
「怪しいところだ。明日の昼前に出ると伝えていたはずなのにムサカと合わせて五人前はある。たまにならともかく、毎食一人前半はさすがに多い」
 現在も体格も良く、記憶に残る食欲が中学生の年頃となるとそう思い込まれてしまうのかもしれないが、レイシオが指摘する通り結構な量なので苦笑してしまう。大人になってしまったからか他所の親の話なんて聞く機会がなくて新鮮に感じられて、その上それがレイシオの話だと思うとどこか擽ったい気持ちになった。
 少なくともこの非凡な才覚の持ち主も、親からすればかわいい子供に過ぎないのだろう。そういう家庭に彼が生まれ育った事はプロファイルからも察してはいたものの、実際にその片鱗を目の当たりにするとちかちかとした眩しさを感じてしまう。
「今から料理を温めるからしばらく待っていてくれ」
「分かった」
 アベンチュリンが返事をするかどうかというタイミングでレイシオが立ち上がるのに邪魔になるウェヌスを持ち上げて、こちらの太腿に乗せてくる。同じ家に暮らす相手として信頼感を覚えているのか、いきなり持ち上げられてもウェヌスはくったりとレイシオの手に身を預けていた。
 結局抗議の声の一つも上げなかったふわふわのそれは、レイシオに抱き上げられた時の柔らかさのままアベンチュリンの太腿にやってきた。そういえば人をソファに誘導したのを最後に、ウェヌスはずっと静かにしている。あまり口数の多くない猫なのかもしれない。とはいえ、アベンチュリンが猫の平均的な口数を知っているわけでもないのだけれど。
……凄く見られてる」
「客人がくるといつもこうだ。満足するまで見せてやってくれ」
 ウェヌスはアベンチュリンの太腿の上に座って背筋を伸ばし、少しだけ顔を上げてこちらをまじまじと見つめてきていた。まるで思案するように揺れるふさふさの尻尾が膝頭を撫でてきて擽ったい。
 どうやら、初めて見た相手はしっかりと検分しないと気が済まないタイプらしい。レイシオが台所に向かう前にブラシをくれたので、言われた通りにウェヌスに見せて匂いを嗅がせてから背中をブラシで撫でてみる。そうすれば換毛期でもなさそうなものの、元々毛量が多いからかそこそこ毛がついてきた。
「アベンチュリンの腕前はどうだ? 動物を飼ったことはないだろうから僕より下手でも不思議はないが」
 トースターで温めたらしいパンを手に戻ってきたと思ったら、レイシオがアベンチュリンに大分失礼な問いをウェヌスに投げかける。すっかり落ち着いて静かだったはずのウェヌスがタイミングよくなん、と鳴くので二人して少しばかり笑ってしまった。
「下手くそかあ。痛くはないかい?」
 昼食の準備の続きがあるのかレイシオが立ち去ってから重ねて問うと、今度はに、と小さな返事がある。逃げる素振りはないので肯定として受け取って、普段は口数が少ないようなのに返事は律儀にしてくれる猫を労うために再度背中にブラシをかけた。
 しばらくそうしている間に少し離れた場所にあるダイニングテーブルに食器や先に温まったムサカとやらが並び、ウェヌスもアベンチュリンを観察するのに飽きたのか膝の上で丸まった。自分も準備をしようかと申し出たものの、猫の相手をするのが今日は一番の仕事だと言われてしまっては引き下がるしかない。幸い嫌がらないウェヌスの顎辺りを指先で軽く掻いたりしながらテーブルが充実していくのを眺めているうちに腹が鳴った。
「うるさかった? ごめんね」
 そうすればウェヌスがアベンチュリンの腹に興味を示して、ふんふんと鼻を近づけてくる。気を反らすために頭を撫でてやると、耳に触れたのが気になったのか耳を倒された上にふるふると顔を振られてしまった。
「アベンチュリン、準備が済んだからそれをその辺りに置いてこっちに来てくれ」
「分かった。それじゃあまたね」
 毛が長いせいで想像よりもいくらか軽いが、それでも大型の猫としてしっかりと体重がある体を抱き上げてソファの上に下ろしてやる。アベンチュリンすらソファから離れると察したのか、ウェヌスは小さな足音を立ててソファからフローリングに移動した。
 遅れてアベンチュリンも腰を上げると、ダイニングテーブルとの中間当たりに座り込んでこちらを確認してからゆっくりと再び歩き出す。どうやら案内してくれているらしい。こういうのも人を好きに動かす範疇なのかもしれない。
「ふたりともありがとう」
「ん? ああ、そういうことか」
 感謝を述べられるもう一人が思いつかなかったらしく不思議そうにしていたレイシオが、一度椅子を経由してからテーブルに乗ってきたウェヌスを見て納得したらしい。そうそう、そういうこと。そう相槌を打ちながらアベンチュリンは自分が口をつけたグラスが置いてある方の席に着く。
「それは?」
 テーブルの端にレイシオが視線を寄せて、誘われるようにアベンチュリンも同じ場所に目を向けた。そこにはメモ用紙が置いてあり、何の気もなしに問いかけてからプライベートに立ち入り過ぎた発言だと反省する。とはいえ、彼であれば答えるべきではない内容だと判断すればはっきり回答を拒否するだろう。
「冷蔵庫にお菓子があるそうだ」
「至れり尽くせりだね」
 そんなアベンチュリンの心配は無用だったらしく、何のことはなさそうにレイシオが答えてくれる。自分の声に安堵が滲まないように気を付けながらも、こんな大の大人にお菓子を用意しようと思った彼の両親を微笑ましく思う。
 ウェヌスが食器を避けながらテーブルに座り込んで、レイシオがそもそもウェヌスが座れる程度の空間をわざと空けていたのに気がついた。よかったね、とウェヌスに声をかけると、この子は食べられないとレイシオから指摘があった。そういう事じゃないよと返す間ににゃうと相槌があったので、どうやら本猫には伝わっているらしい。
「あれ、これ茄子だけじゃなくてなんだろう、別のも入ってない?」
 レイシオの作法に合わせた祈りを形式だけでも口にしてから、アベンチュリンはムサカを掬って口に入れた。ラザニアのイメージに近いものの幾分か生地が少ないそれを咀嚼すると、なんとなく皮がしっかりした野菜があるのが分かる。身の部分は茄子と大差ないそれが不思議で器を覗き込めば、やはり茄子とは違う色味の皮が窺えた。
「ズッキーニじゃないか? ムサカは家庭によって入れるものが変わるんだ。うちはある物を入れる方針だから、食べるまで分からないんだが」
「なるほど、ザ・家庭料理だね。美味しい」
 今度は緑色の部分だけより分けて口に入れると、レイシオの指摘の通りの野菜だと確信が持てた。レイシオの言葉を信じれば、掘り返していく途中で別の具材にも出会えるかもしれない。
「シチューのお代わりはできそうか?」
「ああ~そうか、夕飯が外だから……うーん、多分半分くらいならいけるかな? いや、その後におやつ? そういえばおやつってなんだい?」
「先ほど見た冷蔵庫の雰囲気だと、おそらくトリゴナ・パノラマトスだと思う。パイの類の生地にシロップをかけて、カスタードクリームをたっぷり詰める」
 パイとシロップまでは分かったのだが、カスタードクリームと言われて思わず眉を顰めてしまった。パイとカスタードクリームも理解はできるが、さすがにその三つを合わせるのはやり過ぎなのではなかろうか。レイシオが甘党の印象は全くなかったので思わず視線で問いただすと、君の言いたいことは承知していると返される。
「この星の菓子は大体そうなんだ。子供の頃は菓子と言えばひたすら甘いものが大半だと思っていたから、大学に行って別の星の菓子を食べるようになって驚いた」
「実際行ってみないと想像がつききらない事ってあるよね。じゃあ、おやつをいただきたいからお代わりはなしでも許されるかな?」
「仕方がないな。翌朝二人で頑張ろう」
 どうやら今食べるか明日食べるかだけの違いで、残していくつもりはレイシオにはないらしい。どうやら彼にも親への孝行心があるのだろう。アベンチュリンも食べ物を粗末にするつもりは毛頭ないので、明日の朝たらふく食べる覚悟をする。
 こっくりと煮詰められたシチューにはゴロゴロと牛肉が入っていて、ムサカとやらにもたっぷりひき肉が敷き詰められている。どうやらレイシオが言った通り、彼の母は自分の息子が子供の頃から味覚と食の趣向が変わっていないと思っているらしい。
 もちろんステーキハウスでがっつり肉を食べることもあるが、そういう時ですら彼はちゃんと副菜を取るようにしている。サプリメントに頼らずに理想的な栄養バランスを実現する難しさを理解しつつも、そういうところで足掻いてしまいがちなのだ。
 けれど、彼の母はその当たりの事はあまり考慮していないらしい。もちろん野菜も入っているし、帰省なんて特別な日なのだからいつもの節制など不要と判断したのなら、アベンチュリンは反論するつもりはない。
 きっとレイシオのお母さんはそう考えて、彼にお腹いっぱい食べてもらう事にしたのだろう。自分の母親もそういう機会があったなら、同じような考えをしてくれたのかもしれない。
 スプーンの上にたっぷりと具材を乗せて口に運ぶと、故郷では終ぞ食べなかった味わいが口の中から鼻孔に伝わってアベンチュリンの味覚と嗅覚をじっくりと満たす。最初に感じたトマトの気配はすぐに牛肉の旨味に掻き消されて、誘われるままに顎を動かして肉を咀嚼すればじんわりと脂の甘さが伝わってきた。
 その一つ一つが仕事で使うような店と比べて劣らないとは、アベンチュリンだって言うつもりはない。けれど、一級の料理人によるものと家族のために作られたものを比べること自体、そもそも間違っているのだ。
「美味しいね。すごく美味しい。本当だよ」
 きっとレイシオには過剰な賞賛と思われているだろうから、アベンチュリンはしっかりと念押しをしておいた。今度はスプーンで掬ったシチューを口に運びながら、自分の母が作ってくれた夕食を思い出す。
 どれだけ記憶に補正がかかろうと、具材も味付けもこのシチューには勝らない。けれど、このシチューと母が用意してくれた豆と少しばかりの野菜の煮込みに込められた思いにはさしたる違いはなかったのだろう。
「それは良かった。母にも伝えておこう」
 ありがたいことにアベンチュリンの手放しの評価にレイシオはそれほど引っかかりを覚えなかったらしく、僅かに口角を上げながらパンを口に含んで頷く。パンが載っている皿にウェヌスが興味を示してすんと匂いを嗅いだようだったが、レイシオはこれといって気にした様子は見せなかった。お菓子はウェヌスには食べられないと言っていたから、きっと人の食べ物を口にしないタイプなのだろう。