シノハラ
2025-07-26 18:31:12
49575文字
Public 戦パ
 

『最果てからずっと前』の進捗晒し

スパーク向けの戦パ本の予定の進捗晒しです。最終的にweb全文公開予定。『最果てから少し前』のアベンチュリンがレイシオの実家に連行されて猫と過ごす話。


 結局アベンチュリンは悩みながらお玉に一杯、レイシオは二杯のシチューのお代わりをした。家族向けの食洗器に自分の食器を運んでから、いつの間にかクッションに戻っていたウェヌスに誘われて腰を下ろす。
 レイシオは何か用事があったのか、リビングを通り過ぎて別の部屋に行ってしまった。自分の仲間が帰って来ないと察したのか、ウェヌスはクッションの上でくるりと丸まって目を閉じる。
 くちくなった胃袋を意識しながら、綺麗に片付いているものの端々から生活感が滲んでいる室内を見渡した。たとえば部屋の隅に掛けられたカレンダーのメモであったり、市販の箱が剥き出しになっているティッシュであったり。所謂センスのある部屋から逸脱した品物を見つけながら、それが一家で暮らすことでもあるのだとアベンチュリンは思いを巡らせた。
 もし。もしも。そう少しだけ思う。
 もしも、自分の家族も生まれる場所が違っていれば、こんなふうに暮らしたのではないか。両親が暮らす家で姉と共に成長して成人すれば二人とも家を出たかもしれないが、それでも機会を見つけていくらでも帰ってきて四人で顔を合わせた事だろう。もしかしたら、もう一人くらい家族も多かったかもしれない。
 その時の自分は一体どんな仕事をしていただろうか。ギャンブル癖が健在で、両親を困らせはしなかっただろうか。さすがに借金を背負わない程度で済ませてくれていれば良いのだけれど。
 そんなありもしない空想を思い描いているうちに、レイシオのスリッパの音が聞こえてきて正気に戻る。ウェヌスは既に音に気がついていたらしく、クッションから床に降りて玄関に続く廊下の方に足を進めていた。
「それ、僕も見ていい奴?」
「見て面白いものでもないが」
 持ち込んでいたキャリーケースを運んできたレイシオに尋ねると、ほどほどに色よい返事があったのでアベンチュリンも立ち上がる。ちょうど蓋を開けるタイミングでキャリーケースを覗き込めば、ぎっしりとお菓子が詰まっていた。内容としてはデパートで買えそうな流行り物であるとか、彼が拠点にしている星では有名なメーカーの物とかで構成されているらしい。
「ご両親へのお土産?」
「どちらかと言うとお使いだな。先に送ると言ったのに来るなら持ってきたらいいの一点張りだったんだ」
 困ったものと言いたげに説明してくれるレイシオに微笑ましさを感じて、思わず笑みを零してしまう。きっとお使いのリストを作った彼の両親はお菓子の味よりも、彼が持ち帰ってくることの方が大事だったに違いない。
……何だその顔は」
「えっ、どんな顔?」
 どんどんお菓子を棚の上に載せていくレイシオがアベンチュリンを見て、途端に眉を顰めてくる。普通に笑っていたはずだけれどと思わず頬に手を当ててみたものの、それで自分の顔が分かるわけでもない。
「ご両親と仲が良さそうだなって思っただけで、変な事は考えてないよ」
……ああ、そうだな。随分と多くの事を許してもらっている」
 最後の菓子を棚に積んでから、レイシオは菓子の山に目を向けながら口にした。てっきりそれほどでもないとか、とにかく全面的な肯定は得られないものだと思い込んでいたので、アベンチュリンは思わず目を丸めてしまう。
「僕が早くに家を出る事を許してくれた事」
 聞いた事のない声音だったように思う。郷愁のような、希求であるような。何かを求めて止まないようでありながらも、既に満たされた人のそれでもある。
 彼の、ベリタス・レイシオの生涯は特異である。平凡な家庭に生まれ、才能を見出されながらも両親は彼が望むままに学ぶことを優先した。
 その結果、彼は直接真理大学には入学せず、別の大学の教授から推薦状を書いて貰っている。両親が彼に対して決して過度とは言えない期待を寄せていれば、大学そのものの入学の時期も早まっていただろう。
「僕の名が世に知れてしまう事での弊害を受け入れてくれた事」
 レイシオの名が門外漢にも知れ渡ったのは、彼が病の王と悪名高い石紋症を克服した時だったらしい。どんな家庭がレイシオを育てたのかと、マスコミが彼の両親にインタビューをした記録も残っている。
 レイシオは天才となると目されながらも、今の今までヌースの一瞥すら受けずにいた。彼自身が落胆したかはともかく、期待を裏切られたと感じた者もいたに違いない。彼は列挙した中には含めなかったが、天才クラブの件を両親がレイシオに話す事もなかったのかもしれない。
「僕の研究内容の一切を咎めずにいてくれる事」
 この家の様子を見て、対天体兵器の研究をする子を迎え入れる態勢が整っているようには俄には思えなかった。周囲から何か言われても、おかしな話ではなかっただろう。
「今なお僕をただの息子として扱ってくれる事」
 兵器の研究結果をきっかけにスターピースカンパニーの技術顧問となったレイシオをその人達は自身の息子として迎え入れている。それが簡単な事とはアベンチュリンには思えなかった。
 アベンチュリンがエヴィキン人の、両親と姉のためにこの道を歩むのは自分達の気質と文化によるものだ。最後まで上手くやった末子を彼らはきっと迎え入れてくれるという確信がある。その結末をアベンチュリンが疑った事は一度もない。
 けれど、レイシオの家庭はそうではない。画期的な治療薬や、星を丸ごと救ったエネルギー技術ならともかく、星一つを壊す目的の兵器の研究と聞いて平然としていられる暮らしぶりとは到底思えなかった。その兵器がどのような役割を持ち実際に運用されるかは除外したとしても、想像も尽かぬほどの暴力を前に関係が瓦解してしまったとしても誰も文句はいえなかったはずだ。
「僕は彼らに一生をかけても返せない恩がある」
 それでも彼らはレイシオをただの息子として愛し続けているのだ。少なくともそれが相応の苦労の上にあるものだと、レイシオは感じているらしい。それを彼の後ろ向きな思い込みだと一笑に付すことなど、アベンチュリンにはできそうもなかった。
 アベンチュリンがどう答えて良いかも分からない間に、ウェヌスがレイシオの足にするりと身を押し付ける。その感触に気を取られたレイシオを慰めようとしているようにも見えた尻尾はすぐにするりと外れ、開いたままだったキャリーケースの中に入っていく。それからすぐに丸まってしまうのを見て、レイシオは少しばかり苦笑したようだった。
「そうだな。君にも感謝して多少の奉仕をするべきだろう」
 キャリーケースの前にレイシオが膝を突いて、ウェヌスの頭を何度か撫でた。ウェヌスは耳が手のひらに形を変えられるのも気にせず、柔らかな感触を彼の手のひらに伝えている。そんな穏やかな雰囲気のままレイシオがウェヌスから手を離したと思ったら、ぱたんとキャリーケースの蓋を閉じてしまった。
……そんなことして大丈夫?」
「出てきたくなったら鳴くからその時は開けてやってくれ」
 少しばかり返事に迷ってしまったけれど、特に抵抗もなくしまわれて行ったのでウェヌスに不満はなかったのだろう。トパーズのSNSのアカウントでも猫と思しきペットが小さな段ボール箱に詰まっている写真があったから、猫と言うものはそもそも狭い空間が好きなのかもしれない。
 とりあえずアベンチュリンが頷いたのを確認してからレイシオが再びどこかに行ってしまったと思いきや、彼は案外すぐに戻ってきた。手には数冊の本が載せられている。
「最近の父のおすすめらしい。君も読むか?」
 そう言ってローテーブルに置かれた本を窺うと、父のおすすめとやらはいずれも小説のようだった。その中から一番薄い本を選んで、アベンチュリンはソファにゆったりと腰を下ろす。
 以前レイシオを目付役に選んでツガンニヤに戻った時、彼は映画をあれやこれやと薦めてくれた。原作付きのものばかりを選んでくれたのは彼の映画鑑賞スタイルもあるのかもしれないが、アベンチュリンに小説を読ませたいと目論んでいたからだろう。仕事をする手前アベンチュリンだって世間の話題の本のあらすじくらいは押さえているが、仕事のためにならない小説や映画を嗜み始めたのはあの一件がきっかけだった。
 レイシオの父親の情報は最初に目を通したプロファイル程度の事しか知らないが、レイシオが目を通すつもりになっているのだから大きく趣味は外れていないのだろう。ならばそこまで妙なものは引くまいと目次を開くと、どうやら短編集のようだった。
 目次のページには紙切れが挟まれていて、数字が三つ並んでいる。最初こそ暗号かと面食らってしまったが、目次に印刷されているページ数と合致するようなのでどうやらおすすめの話であるらしい。
 まずは一本読み切りレイシオの父親の趣味を確認して、次はあえておすすめから漏れた話を読んでみる。それから好みの傾向を掴んで、次の話に移った頃に隣に座って静かに本を読んでいたレイシオが立ち上がった。
「そろそろ十五時だ。胃に余裕はできたか?」
「もちろん。そのためにセーブしたんだから」
 立ち上がった彼を追いかけて視線を問いかけにすると、リビングの壁掛け時計をこれまた視線で教えてくれながらレイシオが答える。一応お腹に相談しながら色良い返事をして、アベンチュリンは一度本をローテーブルに置いて立ち上がった。
「コーヒーを淹れよう。君は食器とトリゴナ・パノラマトスを出してきてくれ」
……うん、分かった」
 思わずローテーブルに置いたままだったスマートフォンで検索をしてトリゴナ・パノラマトスとやらの姿を確認してから、アベンチュリンは快諾する。あの風貌を見る限り、ケーキの箱に入っていそうだ。
 レイシオが向かった台所に遅れてついていくと、それなりに使い込まれたコーヒーメーカーに水が注がれている所だった。ちらりと盗み見てみたものの、有名どころの製品ではないらしい。
 そう広くもない台所を見回して食器棚に当たりをつけてから、とりあえずコーヒーカップを選ぶことにする。おそらく手前にあるのは彼の両親の物で、奥にある落ち着いたプリントの物が来客用なのだろう。二つカップを取り出すと、その横に大振りのカップがあるのに気がついた。もしかしたらレイシオの物かもしれない。
 少し悩んでから来客用とレイシオの物と思われるカップを取り出して、一段下に納められていた皿を二枚選んだ。それから引き出しに詰まっているフォークと使うか分からないスプーンも無作為に取り出す。
 それをレイシオの横に置きに行くとちらりと食器を検められて、簡単な礼を言われた。どうやらカップに間違いはなかったらしい。
 両手が自由になってから冷蔵庫を覗くと、想像よりもたっぷり食材が詰まっていてびっくりしてしまう。それからすぐに、アベンチュリンは自分の思い違いを訂正した。
 この家に住んでいる人達は今は旅行に行っているだけで、直に戻ってきてまたここで暮らしていくのだ。であれば旅の前であったとしても、アベンチュリンの家の冷蔵庫のような有様でなくて当然である。ひょっとしたら、野菜室の葉物はなくなって気持ちすっきりしているのかもしれないけれど。
 一つ一つ冷蔵庫の棚を覗いていくと、想像通り厚めのビニール袋に入った紙の箱があった。それを斜めにならないように気を付けて取り出して、先に蓋を開けて中身がパイ生地のお菓子であることを確認する。先ほど調べた画像とは少し違うけれど、形は地域や店によってバリエーションがあるのだろう。
 箱の蓋を閉じてからレイシオの下に戻ると、コーヒーメーカーの前で手持ち無沙汰にしていたらしいレイシオが箱を寄越すように求めてくる。ケーキくらいちゃんと取り出せる、とは言いたいのだが、中身がパイ生地だと少しばかり話が変わってくるかもしれない。
 経験者が目の前にいるのだから任せてしまおうと差し出せば、代わりにそろそろ喧しくなる頃だと言われた。何のことかはっきりしなくて首を傾げると、キャリーケースとヒントを貰える。ああなるほど。
 ケーキの下に敷かれているアルミ箔がかさりと音を立てるのを聞きながら、アベンチュリンは台所からリビングに向かう。そうすれば足音を察したのかもそもそとキャリーケースの中でウェヌスが動く気配がした。どうやら静かにしていたはずの人間二人が急に動き始めたので気になってしまっているらしい。
「もう少し待ってね」
 ロックのかかっていないキャリーケースに声を掛けてから、ファスナーの合わせ目を外していく。差し込む光が気になるのか隙間の方にウェヌスが移動しているのが重心の変化で分かって、毛が挟まらないか心配になってしまった。思わず危ないと警告をしてみたものの、人間の言葉なんて分かりませんとばかりにウェヌスはふんふんと匂いを嗅いでいる。
「痛い目みても知らないよ?」
 それを最後通告にしつつ、アベンチュリンはファスナーを再び動かしていく。とはいえ、無暗に人様の家のペットを痛めつけるつもりは毛頭ないので巻き込みを気にしながらのゆっくりの作業になった。レイシオはてきぱきと蓋を閉じていたはずだが、積み上げてきた交流のなせる技なのだろうか。
「ほら、開いた。毛は大丈夫?」
 ようやく全部ファスナーを外して蓋を開ければ、アベンチュリンの仕事の速度が気に食わないとばかりにぐっと中から押し上げられた。幸い毛は無事だったらしく、ウェヌスはするりとキャリーケースから出ていつの間にかケーキが置かれていたローテーブルによいしょとばかりによじ登る。
「あ、こら」
 ぐっと首を伸ばしながら皿に近づいたウェヌスを慌てて抱き上げると、わあん、と鳴かれてしまった。先ほどまでは小さい声かつ短い発声ばかりだったのに、打って変わって大きくなった鳴き声に思わず腕に力を込めてしまう。その力加減もお気に召さなかったらしいウェヌスは身を捩りながら、不満なのがありありと分かる声を上げた。
「どうしたんだ急に」
「多分これ君への告げ口じゃないかな」
 コーヒーを注いだカップを持ってきてくれたレイシオが呆れたように状況説明を求めてくるので、タイミング良くぐるると唸るウェヌスを抱え直す。そうすればやっぱり拘束が気に食わないようで、背を反らしてウェヌスが不満を表明した。引っ掻いたりしてこないのはレイシオの両親の教育の賜物か、はたまたこの子の持って生まれた気質なのか。
「お菓子を食べちゃいそうで」
「ああ、それなら下ろしてやって構わない。この子は人間の食べ物は匂いしか嗅がないんだ」
「そうなんだ?」
 たしかに昼食も匂いを嗅ぐだけだったけれど、どうやら甘い物も匂いだけで我慢してくれるらしい。思わずウェヌスの顔を覗き込んで問い合わせをしてみると、不貞腐れたと表現してしまいたくなる声でわあと鳴かれた。
 ちょっと剣呑に感じる視線にちくちく刺されながら温かくてずっしりした体を下ろしてやると、ぶるるとアベンチュリンの手や腕の感触を振り払うかのように身震いをされる。正直なところ少し、いやそれよりももう半歩だけ踏み込むくらいの感覚で傷ついた。
 そんなアベンチュリンの傷心など知る由もないウェヌスは再びローテーブルに飛び乗って、今度はレイシオが置いたコーヒーの匂いを嗅いでいる。すんすんと鼻を微かに鳴らすウェヌスが気にならないといえば嘘になるが、レイシオの言う通りゆらゆらと揺れる黒い水面に舌をつける様子はなかった。
——なるほど」
 よくあるパイ生地よりも大分儚いそれをフォークで崩しながらクリームごと口に入れると、一気に思考がクリアになるのを感じた。あの程度の移動は慣れっことはいえ、体は順当に疲れているのだと乱暴な甘味が理解させてくれる。
「説明した通りの味だろう」
 こちらの感想を待っていたのかまだ口をつけていなかったレイシオが少し楽しそうに指摘してくるので、アベンチュリンは頷くしかなかった。甘い。ただひたすらに。
 もちろんバターを使った薄い生地にたっぷりとカスタードクリームを詰めて、更に癖のないシロップを掛けたお菓子が不味くなることなんて早々ないだろう。アベンチュリンも不味いと言うつもりは毛頭ないが、コーヒーにミルクすら添えられていなかったのにも納得してしまう。
「ちょっと失礼するよ」
 レイシオのカップの点検が済んだのかアベンチュリンのカップの匂いを嗅いでいるウェヌスに詫びを入れてからカップを持ち上げると、ウェヌスの首がにゅうっと伸びる。ついでに二歩ほど歩いてから、すぐに戻ってくると知っているのか追跡が止まった。
 コーヒーは酸味が少なく、香ばしさを孕む苦味があり強い。癖のないコーヒーは朝や、今みたいなお菓子の甘さを打ち消すにはちょうどよかった。口の中をすっきりさせてからカップを戻すと、今度は口をつけた辺りの匂いを嗅がれてしまう。人間の嗅覚ではそう気になる事もないだろうが、猫のように嗅覚が鋭いと少量の唾液も気になるらしい。
 人間相手ではないので気にするほどの事ではないだろうが、臭いが気になってしまいアベンチュリンはカップの口をつけた辺りを指で拭う。そうするとついでのようにウェヌスはアベンチュリンの指先の匂いを嗅いで行った。
 それから一人嗅いだのだからとでも言いたげにレイシオの指にも鼻を近づけるが、レイシオは特に気にした様子もなくパイ生地を口に運んでいく。この家ではこの風景が日常なのだろう。
 ウェヌスがふらふらしている間にお菓子をぺろりと平らげてから、レイシオはコーヒーカップを空にする。それから立ち上がって食器を片づけるのかと思ったが、手ぶらで全く関係のなさそうな棚を開けに行った。その姿をいつの間にかウェヌスがじっと見つめていて、ぱかりと戸が開いた音に合わせて高めの声が漏れ出す。
「君が食べさせてみるか?」
 渡されたチューブを見ると、猫のデザインのパッケージの隅に猫用嗜好品の文字が印刷されていた。是非と応じてチューブを受け取ると、いそいそとウェヌスが寄って来る。覿面の反応に目を細めながらアベンチュリンが封を切ると、ウェヌスがぷわ、と鳴いてチューブの先を舐め上げた。
 中身を押し出した先からてちてちとざらついた舌が舐め取っていく。その合間合間に興奮が隠せないのか、ウェヌスはちょっと猫っぽくない微かな鳴き声を漏らしていた。
「ほしいのかい?」
 半分と少しを舐め取ったところで一度ウェヌスが顔を離した思ったら、チューブに噛みついて引っ張ってくる。一通り食べて満足して、どこかに置いておこうという腹積もりなのかもしれない。レイシオが止める様子もないのでアベンチュリンはおやつの所有権をウェヌスに明け渡してやる事にした。
 アベンチュリンが引っ張る指の力がなくなったせいで頭をぴょんと跳ねさせてから、一度テーブルに落として咥え直す。そうしてくるりと体を反転させたかと思ったら、読書に戻っていたレイシオに飛び乗り手の甲にチューブを置いて一声鳴いた。
「ウェヌス」
 栞も挟まず本を閉じてソファの脇に置いたレイシオが自由になった手でチューブを摘まみ上げてから、もう一方の手で顎の下を少しばかり引っ掻くようにして撫でる。気に入っている触り方なのか、ウェヌスの元々太い尻尾が更に膨らんで一度大きく揺れた。
「僕はこれを食べないといつも言っているだろう?」
「そういう事か! ふふ、君は優しいねえ」
 不服ですと言いたげに鳴いたウェヌスに堪えかねて声を上げて笑ってしまってから、じっとレイシオを見上げているウェヌスのまん丸な後頭部を指で撫でてやる。本当にレイシオの事を自分と同種の、それも子分の類だと思っているらしい。
「ボスはかくあるべきだね。勉強になる」
 それからレイシオの指が離れた辺りを代わりに掻いてやれば、ぐるぐると喉が鳴るのが指先にも伝わってきた。それが自慢げにも感じられてしまって、アベンチュリンは追加で笑ってしまう。銀河に名を馳せる同僚も実家に帰ってしまえば、一人息子どころかただの猫の子分でしかないらしい。
「まったく……これは僕が相手をしておくから君もそれを食べきってしまえ」
「はあい」
 アベンチュリンがまだ味わっている途中と分かっていてウェヌスの相手をさせただろうに、身勝手な指示を出してくるものだ。けれど、猫に翻弄されている男の八つ当たりのようなものだと思えば、こちらも懐を深くしてやっても良いだろうと思ってしまう。