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シノハラ
2025-07-26 18:31:12
49575文字
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戦パ
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『最果てからずっと前』の進捗晒し
スパーク向けの戦パ本の予定の進捗晒しです。最終的にweb全文公開予定。『最果てから少し前』のアベンチュリンがレイシオの実家に連行されて猫と過ごす話。
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10/7更新(完結)。最初から読みたい人は後ろのページから遡って読んでください。
夢も見ずにぐっすりと、と言いたかったが夜中にウェヌスが寝返りを打った拍子にアベンチュリンにぶつかってきて一度目を醒ました。まるでどうしてそんなところにいるのだとばかりに不満を表明された気がするが、どう考えてもかなり理不尽な主張である。
次に目覚ましのアラームで目を醒ました時には、ウェヌスの姿はベッドにはなかった。カーテンを開けてベッドを整えてから廊下に出て、階段を降り始める頃には昨日嗅いだシチューの匂いがアベンチュリンの鼻先を擽っている。それからリビングへの扉を開けると、ベーコンと卵、それにパンの匂いも分かるようになった。
ツガンニヤに帰省した時の食事の準備は当番制で、レイシオが朝食の用意をすることももちろんあった。けれど、ぴかぴかの眩しい朝日であるとか、一つの星に特化したニュース番組がテレビから流れているなんて事は当然ながら一度もなかったのである。
レイシオはテレビを見るどころか聞いている様子すらないのだけれど、きっとこの家では朝にはテレビを付けてニュースを流すのがルールなのだろう。この家で暮らしている人達の習慣を垣間見ているうちに、足元に微かな振動を覚えてアベンチュリンは視線を下げる。
「おはようウェヌス。君もご飯はまだ?」
最後にぎゅむ、と人の足を踏んできたウェヌスに挨拶と質問をすると、律儀に二回返事をされた。何時から起きているのかは知る由もなかったが、こんな色々と食べ物の匂いがしている中でそれは辛かろう。
「そっか、じゃあ用意しないとね」
「嘘だ。僕がジョギングから帰ってきた時に餌はやっている」
なん、とウェヌスが可愛らしく返事をした瞬間、温め直したシチューを持ってきたレイシオがペットの嘘を暴き立ててくる。しゃがみ込んで抱き上げようとしていた手だけ止めて、アベンチュリンはじっと見つめてくるウェヌスに視線を合わせた。
「嘘かあ
……
人の嘘を見抜くのは得意なつもりなんだけど、猫はちょっと専門外みたいだ」
悪い子だと鼻先を突いてやると、ふるふると頭を揺らして感覚を散らしたウェヌスが悪事がバレたと理解したのかアベンチュリンから離れていく。ウェヌスがいなくなって自由の身になったアベンチュリンは朝食の準備をしているレイシオを少々手伝ってから、もっちりとしたパンにベーコンと目玉焼き、それにシチューをやや無理やり乗せてぺろりと食べてしまった。
食事を終えてコーヒーを用意した頃になってやってきたウェヌスがすんすんと匂いを嗅ぐのを許しながら、レイシオはようやくテレビを見るつもりになったらしい。もう少ししたら始まるらしい美術館の展示の告知、昨日あった遠くの街のそれなりに規模の玉突き事故の概要、どこかのお店の目玉商品。
脈絡があるようなないようなニュースを二人でぼんやりと眺めた後、昔の映画が始まったと思ったらどうやら二時間枠のドラマだったらしい。シリーズものなのでアベンチュリンにはちんぷんかんぷんな部分も少なくなかったものの、どうやらある程度内容を知っているらしいレイシオが補足してくれたので大体の所は押さえる事ができた。
そうやってぼんやり過ごしているうちに、レイシオが言っていた家を出る時間が近づいて来る。スケジュールを考えると少し遅めの昼食はシャトルの中で摂る事になりそうだった。
「ご両親はいつ頃戻るんだい?」
「延泊がなければ今日の晩には帰ると言っていた」
「なら、せっかくだし顔を見て帰った方が良かったんじゃ」
お互いに予定の時間より早く家を出る準備を済ませて、結局テレビの前に戻っていた。今どこにいるかも分からない彼の両親の事を思い出して尋ねれば、思いの外早い日程を伝えられて目を丸めてしまう。
「明日は僕が顔を出したい学会があるんだ。どうせ再来月には大学が長期休暇に入って、その時にまた帰省もするから君が気にすることでもない。それに」
ふうん、と漏らした声が彼には不服そうに聞こえたのだろうか。レイシオがちらりとアベンチュリンを見てから、ソファの特等席で丸くなっていたウェヌスにレイシオが触れる。
「僕がどう過ごしていたかはこの子が伝えてくれるだろう」
「なるほど。大役だよ、ボス」
背をぽんぽんと叩かれているうちに起き上がってゆっくりと体を伸ばしたウェヌスがレイシオを乗り越えてアベンチュリンの元にやってきてくれるので、顎の下を撫でてやった。そうすればまるで心得ているとばかりにウェヌスの尻尾がしたりと揺れる。
出発の予定時間が迫り、レイシオがリビングにある大きな窓のカーテンを閉める。それからウェヌスの水と餌を確認するレイシオの手元を覗き込むまで、ウェヌスは彼の後ろに付き従うようにして一緒に戸締まりを確認したようだった。
テレビを消して念のため二階の戸締まりを見て回れば、もう後は家を出るだけである。中身のほとんどなくなってしまったキャリーケースにレイシオが手をかけると、二階に戸締まりを確認した時についてきてそのままだったウェヌスが降りてくる。
じゃあ、と尻尾をゆらりとさせたウェヌスに声をかけて、それから少し迷ってしまう。本当は自分からこんなことを言うべきではないと分かってはいるのだけれど。
「またね?」
自分でもどうしてほしいか分からないままに助けを乞いたくなってレイシオを見れば、彼が返事をする前にウェヌスが軽やかな声を上げる。その声につられてウェヌスに視線を戻すと、綺麗な赤銅の瞳がアベンチュリンを見上げていた。
「ご所望かもしれない」
「
……
そっか。ありがとう、またね」
しゃがみ込んでもう一度挨拶をすると、ウェヌスは律儀にもう一度鳴いてくれた。むにゃりと閉じた口辺りを撫でてやれば、ぷるぷると顔を振られる。
それから家を後にして、行きの強制連行とは異なり今度は歩いて最寄り駅に向かった。辿ってきた道のりを遡るだけと思いきや、レイシオが解散前の中継地であるステーションヘルタで一度降りたいと言い出す。
何の用事があるのかさっぱり分からなかったものの、当然ながらレイシオは友連れの類を好む気質の男ではない。きっと、アベンチュリンにも関係のある件ではあるのだろう。
ステーションヘルタはスターピースカンパニーのアベンチュリンとしてではなく、一介の旅行客としてなら来たことがあった。とはいえ予約をすれば出入りできる博物館のエリアを見て回っただけで、レイシオがシャトルから降りてから迷わず進んでいる研究エリアには足を踏み入れた事はない。
周囲を見回してしまうアベンチュリンを尻目に迷わず進んでいくレイシオの様子を見る限り、彼はそこそこステーションヘルタに出入りしているらしい。そうでなければ、さすがに職員か警備員が立ち入りを阻止しに来ていたはずだ。少なくとも常時使えるゲストの権限くらいは所持しているのだろう。
最後に辿り着いたのは小さな部屋で、どうやら研究室でも実験室でもないらしい。応接室とまでは行かない程度の他所向きの打ち合わせの部屋らしいドアの簡単な生体認証をパスしたレイシオに続いて入れば、そこには職員が一人と大きな荷物が三つ置いてあった。
「申し訳ないが、しばらく席を外してもらっても?」
「ええ、問題ありません。話がまとまったら内線の七十二番にお願いします」
これでお役御免とばかりに部屋から職員が出て行くと、レイシオがおもむろに荷物を持ち上げた。一つ一つは簡単に抱えられそうだが、それが三つとなると主に高さが邪魔そうである。
「これを持って帰るつもりはないか?」
「つもりも何もそもそもそれ何
——
えっ⁉ 本当に何これ!」
差し出されたそれを一旦受け取ろうとした瞬間、生暖かくて柔らかい感触がして、アベンチュリンは反射的にそれらを振り払ってしまう。途端に宙に飛び散ってしまったそれはひゃんとかひゃーとか言う音を立てて床に着地した。その声は数時間前まで聞いていたウェヌスの鳴き声を髣髴とさせる。
「ルアン・メェイを知っているか?」
「ああ、うん。簡単なプロフィールくらいなら」
「これは彼女の創造物だ。ここではお菓子生命体と呼ばれている」
床に落ちてしまっていたお菓子生命体とやらが何かしら鳴き合いながら机の上に戻ってくるのを見ながら、人工的に作られたらしい姿を今一度観察する。お菓子と呼ばれた三匹は被り物を被った猫のようにも見えた。
アベンチュリンが自分達を注視しているのに気がついたらしいお菓子達は猫よりもずっと大きな眼でアベンチュリンを見つめ返した。それからまるで相談事をするようにこしょこしょと小さな声で鳴き交わして、たまにレイシオの方にも視線を投げかける。
「この子達は独自の言語体系を持つ程度の知能を有しているから、君が共感覚ビーコンに辞書をダウンロードすれば高度なコミュニケーションが可能になる」
「へえ、それは凄いな」
ふかふかとした毛に気を取られて撫でようと思ったが、会話可能な生命体に許可も取らないのは不躾かもしれないと手を止める。そうすればアベンチュリンの手に気がついたらしい一匹がアベンチュリン指先の匂いを嗅いで、そのまましっとりした鼻先を擦り付けてくれた。
「協調性が高く群れで行動するため、同種とのコミュニケーションも密に取る。少なくもこの子達は過度に部屋を汚すような悪癖もないし、自動給餌機さえあればしばらく放っておいても勝手に過ごしてくれる」
「
……
ふうん?」
急に何なのだと言いたいが、ここまで来てレイシオの考えがさっぱり分かりませんとは言えるはずもない。彼は多分、この子達をアベンチュリンの住む社宅に連れて帰れと言っているのだ。飼育の初心者に三匹もとは思わなくもないが、彼の説明を聞く限り、同種はいればいる程良いのだろう。
「ただ、よりよい群れを構築するには三匹は少し少ないかもしれない。君も帰れるときは帰るようにした方が無難だろう」
アベンチュリンの指を鼻先で濡らしている子以外の子達も、アベンチュリンの腕が気になるのか近づいてきて匂いを嗅いでいる。まるで、自分達の仲間に引き入れても問題ないか検分しているようにも感じられた。
ならばとアベンチュリンもこの子達が自分の住居で過ごしている姿を想像しようとして、思った以上に具体的な場面が描けた事に少しばかり驚いた。きっと、一日一緒に過ごしたウェヌスとの時間がなければ、ぼんやりとしたイメージしか湧かなかっただろう。
アベンチュリンにとってあの家はカンパニーに登録し、福祉に組み込まれる以上の意味はなかった。仕事のスタイル上あちこちの星を転々とする必要がある手前、生活の拠点とも言い難い。そこに不思議な生き物が三匹も暮らしているのを想像すると、途端にそこがちゃんとした意味を持つ場所のように思えてくる。
同じと言ってしまうつもりにはなれないが、この子達がいれば自分が契約しているだけのあの部屋が、レイシオが生まれ育ったあの家に近づくような気がした。アベンチュリンがろくに帰れなかったとしても、この子達がそこで生きていってくれるのだから。
それからアベンチュリンはようやく彼の意図を全て理解して、レイシオに視線を向けた。そうすれば、先にアベンチュリンに向けられていた眼差しと自分の視線がぴったり合う。
レイシオはアベンチュリンの家を用意しようとしてくれていたのだ。自身の実家に連れて行ってウェヌスと引き合わせたのも、ある種の試金石だったのだろう。
一つ瞬きをする間に、アベンチュリンはレイシオがくれた言葉を思い出した。処方箋と便宜上彼が呼んだ、整った字で綴られていた祈りをアベンチュリンは諳んじる事ができる。
「
——
君は本当に僕が生きていた方が良いと思ってくれてる?」
他所事に気を取られたくなくて、一度お菓子達から手を引いた。きっと彼からすれば今更だろう質問にレイシオが僅かに眉を顰めてくるので、緊張から心臓がつきりと痛むのを感じながら彼の答えを待つことにする。
「単純な僕個人の気持ちとしてはそうだ。世界情勢も、君の身の上も、君の願いも無視すればそういう答えになる」
少しだけ、硬さのある声音だったように思う。その強張りの分時間をかけてレイシオの言葉が心の内に入り込んで、自分の中で異物として存在を主張した。しばらく解けず、アベンチュリンの片隅に残り続けるだろう。
レイシオはアベンチュリンが死んでしまいたいのを知っている。アベンチュリンが彼にその願いを口にした事は一度もない。けれど、彼がアベンチュリンの気持ちを分かっているはずだった。そうでなければ、レイシオはあんな言葉を選んで答えなかった。
「君との約束は必ず果たすから、その点について君が案じる必要はない」
そうして、その先にある再会を強く待ち望んでいることももう知っている。砂礫の上にあった時、アベンチュリンはその願望を少しも隠すことはできなかったから。
「君の人生は君のものだ。君が行うべきと思ったことをすればいい」
人とはそうあるべきだ。そう、彼は口にした。
レイシオの言葉はレイシオ自身を端的に表しているようにも思えた。アベンチュリンの人生を拒めば、レイシオは彼自身の生涯を否定する事にもなるのだろう。もちろん、彼が今自己の正当化のためにアベンチュリンの心を認めているわけではないことくらい承知しているが。
「君は今、その信条に従っているんだね」
ほんの少しの沈黙の後、レイシオが同意を示す相槌を打つ。そこには彼自身の希望と、普段のスタンスとの乖離に苦悩する思いがあるように感じられた。こうやって彼がアベンチュリンの人生に大きくケチを付けたのは二度目の事である。
「僕は年に一度は帰省するようにしている」
「は?」
それから、どう考えても脈絡のない言葉を口にした。口調もわざといつも通りになるように意識しているような代物で、急に何だとばかりにアベンチュリンが反応しても気にする様子はない。
「仕事や研究の内容は話せない事ばかりだから、両親とは自然と生徒や同僚の話をよくすることになる。だから僕の両親は君の人柄くらいは知っている」
「初耳なんだけど?」
今初めて伝えたからな、と空っとぼけた返事があってアベンチュリンは少しだけ虫の居所が悪くなるのを感じる。一体どんなエピソードを抽出して伝えているのだか。
「知っての通り僕は社交的な人間ではないが、土産話が親孝行になることくらいは承知している。君はそうは思わないか」
おそらく、これは詭弁のためのとっかかりなのだろう。レイシオはアベンチュリンに死ぬべき時に死ねと告げながら、同時にその瞬間が来なければいいと思っている。
たとえば今テーブルからアベンチュリンを見上げているお菓子達を社宅に連れ帰り、この世の縁にするとする。そうすればアベンチュリンが命を賭すに値する瞬間に、僅かでも後ろ毛を引かれる思いがするかもしれない。多分彼は、そういうことを考えている。
「君は生きるべきだ。何よりも君が望む結末のために」
幕が下りて終劇を告げるアナウンスが響けば、アベンチュリンは誰よりも自由になるはずだった。高い舞台の端にある階段を軽やかに下りて、楽屋にも戻らず誰にも知られぬうちに劇場を後にする。そうして家族の元に帰って、そうして。
「そして全てが終わった時、抱えきれないほどの土産を手に君の家に帰ればいい。君の両親が僕の親と同じように考えるなら、きっと喜んでくれるだろう」
今日はどうしていたの、と母はよく優しい声でカカワーシャに尋ねていた。男手を失って他所よりずっと生活は苦しく、幼い長男の世話はもっぱら姉がしていた。だから、日がとっぷりと暮れてから帰ってきた母は、眠気まなこの我が子の日常を知ろうと頬を撫でたのだ。
鈍くなった思考を何とか動かそうとする子供の拙い説明を聞き、母はいつも柔らかく微笑んでくれた。今から思えばその微笑みに疲労の影を見つける事は難しくもなかったが、あの頃のカカワーシャにはそんなことも分からず母はこう笑うものだと思っていた覚えがある。
「
……
うん、きっと喜んでくれると思う。母さんはいつも忙しいのにどこで遊んだかとか、いつも聞いてくれたから」
きっと、オーロラの下にいる母はアベンチュリンの知らない表情で笑うだろう。疲れも憂いもない母の表情を目にしたいと強く希求する。それなのにアベンチュリンは母に屈託なく伝えられるエピソードをほとんど持ち合わせていなかった。
「
——
そうか。良い親御さんだ」
レイシオはゆっくりと瞬きをしてまるで過去の記憶を掘り返すような仕草をしてから、一つ頷いて会ったこともない両親を褒めてくれる。そういう褒め方がさらりとできるのは彼が大学で教鞭を執り、年若い生徒と触れ合う機会が多いからだろうか。
「それにしても」
アベンチュリンが礼を述べるとレイシオが視線をこちらに向けたが、その眼差しは少しばかり呆れているようにも見えた。そのまま彼が眼に相応しい調子でそれにしても、と口にする。
「その様子だと、アレを信じていなかったな」
「いや、まあ
……
信じてないとかじゃないけど、気持ちと言うより君の理性による善意によるものだとばかり」
あそこまでしたのにとでも言いたげにレイシオが溜め息を吐くので、さすがに罪悪感が込み上げた。主治医ではない彼が本来躊躇うだろう介入となった処方箋を思い出し、それが混じりけのない願望であったと今更ながらに理解する。
今回の行動だってアベンチュリンが主治医に伝えたら、存外さっぱりしている彼もやや眉を顰めるかもしれない。いやまあ、アベンチュリンさんが納得しての事なら構いませんけどね。で、かわいいんですか? そのペット、なんて言いながら。
「ごめんね」
どうやってスターピースカンパニーの産業医でもある主治医との摩擦を少なくしようか考えながら、アベンチュリンは苦笑しつつ謝罪する。その誠意のない響きにレイシオが余計に機嫌を損ねる気配があるのが分かった。
「でも分かったよ。ようやく分かった」
全部本当なのだと思う。家族を全員殺されて、独りぼっちになったどころか自分も殺されそうになって、自分もたくさん殺してきたような奴にちゃんと生きろと彼は言う。
それが世間体にも良くなく、アベンチュリンの望みでもない身勝手な願いだともレイシオも気づいているらしい。それでも彼はこうやって、アベンチュリンにはいまいちぴんと来ていなかった生き方を示そうとしてくれている。
普段あの家で暮らしている両親がいなくとも、たしかにあそこは誰かが暮らす気配が残っていた。きっとあれがレイシオの幸福の形の一つなのだと、あの家を包んでいた温かさの名残をアベンチュリンは思い返す。全く違うようでいて、アベンチュリンも間違いなく知っている幸せの匂いと手触り。
それがかつてアベンチュリンが抱いていたものと全く同じでなくとも、アベンチュリンが生きていく上にあっても良いのだとレイシオは言っている。多分。
ウェヌスのようにシッターが必要そうな生き物でないのはおそらく、この子達の生涯がアベンチュリンに完全に依存するものではないからだろう。アベンチュリンの人生が突然終わったとしても、きっと自分の死はこの子達に最悪な影響は及ぼさない。同じ部屋で暮らしていた自分達とは異なる姿の生き物が死ぬのは気分の良くない事ではあろうが、この子達はちゃんと故郷に戻って仲間と暮らしていくはずだ。
自分の人生の片隅にいながら、互いに枷にはならない存在。そういう子達をレイシオは選んでくれた。
引いていた腕にお菓子の一匹がそっと触れてくれる。やっぱり窺うような眼差しで、お菓子達はアベンチュリンを見上げていた。
「うん? なんだい?」
腕から感じる微かな圧力と眼差しに意味があると信じて尋ねると、歌うような調子でお菓子が鳴き始める。小さくて優しい鳴き声に残りの二匹もつられたのか同じように歌い始めた。
この子達はアベンチュリンの生涯の寄り道だ。終わり以外に何もないはずの人生の途中にちょこんと座っている、真っ黒で優しい触り心地の夜の欠片。
あの夜に帰りたい。あの夜と、その先にある朝以外に自分が戻る場所はない。
きっとアベンチュリンはいつかこの子達と別れるだろう。その思い出を携えて進むその先に何があるか、自身の望みが叶えられるかは本当は僕の神様だって知らないはずだ。
マザー・フェンゴ、だからこそ貴女は僕を見ているのでしょう。最期の瞬間まで、貴女のご期待に添えると良いのですが。
今の所アベンチュリンには分からない言葉の曲が一巡したのか、お菓子達が口を閉じて静まり返る。素敵な歌だね、と賞賛すればぴくりとお菓子達が動いた気がした。
「初めまして、僕はアベンチュリンって言うんだ。君達は?」
机にいるお菓子達に視線を合わせたくて椅子を引いて座ると、肘を突いてから彼らに挨拶をする。お菓子達はアベンチュリンの言葉が理解できているようで、今度こそぴょんと弾んでから一斉にうにゃうにゃと喋り始めた。
何を言っているか分からなかったけれど、その眼差しには昨夜眺めたアルバムの子供の瞳に宿っていた輝きが灯っているのが分かる。新しい生活を前に、期待と好奇心で一杯のそれを見て、アベンチュリンは自身の頬が緩むのに気がついた。
「君達が良ければ、僕の家に来てほしいな」
殊更優しく聞こえるように気をつけて彼らを誘えば、三匹が声を揃えて返事をしてくれる。その弾むような声に誘われて、アベンチュリンは夜の欠片達に柔らかく笑いかけた。
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