Skorca
2025-06-23 22:39:43
37024文字
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精霊異聞 〜風の至宝〜



6.ネリアの悲嘆

 目立たない洗い晒しの外套を頭からすっぽり被った若者が、床の上に転がされている。その両手両足は荒縄で厳重に縛られていた。
 彼を壁に寄りかかって眺めているのは、平均をはるかに上回る長身の青年で、きっちりと着込んだ長衣に幅広の帯を巻き、その上から革の剣帯を締めている。使い込まれた長剣の柄が、黒みがかった灰色の外套の陰から見え隠れしていた。典型的な騎士の出で立ちだ。
 黒髪に蒼い瞳、見るからにハーディア人である。その容貌は彫像のように、完璧なまでに整っていた。通った鼻梁、切れ長の目、整った形の眉、そしてしなやかな筋肉に覆われた四肢、どれをとっても隙がない。問題があるとすれば、その顔には仏頂面しか浮かばないことだろう。
 腕組みしたまま、まだもがいている若者に言うともなしに言う。
「細作に口を割らせようなどとは思わない。無駄だからな。そういう意味では安心するがいい」
 この若者に対しては徹底的に武装解除したつもりだが、彼が王侯貴族の使う細作であることを考えると、油断はできない。
 取り上げた武器や暗器などから、国内貴族の手の者と推測されるが、それがなぜあの場に居合わせたのかが分からない。
 もっとも、それを考えるのは彼の仕事ではない。彼の役目は、この細作を拘束し、監視することだった。
(それにしても遅い。何かあったのか)
 彼が苛々と格子の嵌まった明かり取りの窓を見上げたとき、
「アロイスさま……
壁の向こうから囁くような声が聞こえた。
「聞こえている。何事だ」
「指示が。虜と共に来い、とのこと」
 アロイスと呼ばれた騎士は眉をひそめた。
……どこに?」
「最後にお見かけしたのはつがい鶏の……
「なんだと!?」
 相手が言い終えるのも待たず、彼は叫んだ。
「確かか!?」
 相手の剣幕に声の主はたじろぎながら答えた。
「は、はい」
 アロイスはぎりと歯を食いしばった。
「なんたることだ……!」
 唸るように言うと、彼は床の若者を荷物か何かのようにひょいと担ぎ、鋲の打たれた入り口の鉄扉を蹴破り、大股で歩き出した。


……ええ!?」
 ネリアは驚きの声と共に自分の膝を見下ろした。畳んだヴェールの上に、包みがある。先刻、買い求めた首飾りだ。
 そういえば、風の精霊ゆかりの宝石だと、店の主人も言っていた。確か風霊玉と呼ばれていると……
 しかし、そんなまさか、である。伝説の秘宝が市の露店で売られているなど、そんなことがあるわけがない。
「ご冗談を……
「言うか。ならなぜ命を狙われた?」
……
 言われると、確かに反論できない。
「ですが、なぜこのようなことに? 盗まれたのでしょう?」
 商品として流通しているなど、おかしな話である。
「どうやら、あのボケなす老人たちが王都に現れたのを、賊どもに知られたようだ。或いはキリヤの鏡が珠玉を捉えたのを感知したか。後者かな。奴らは一旦、珠玉を手放すことにしたらしい。国外へも赴く商人に売り、捜索の目をくらまそうとしたようだ」
「危険な賭に出たものですね。商人の手に渡したらどこに売られてしまうか分かりませんのに」
 現に、自分が買っている。
「あの商人は近々イルダに出発する予定だったらしい。風霊玉はハーディアでは売れにくい石だ。珠玉を持って王都から出たところを物盗りに襲われたとしても、それはあまり珍しいことではない」
……
「唯一の計算外は、姫があの店に現れたことだろうな」
 確かに、この首飾りは店先に並んではいなかった。相手がネリアだったから、主人が出してきたのだ。
……仮に彼らがキリヤの鏡の対策として珠玉を手放したのだとしたら、知られたくないのは珠玉の行方より彼ら自身の正体ということになりませんか?」
 サーイスは頷いた。
「そうだ。珠玉のことはひとまず後回しにした感があるな。探索者の手に落ちても取り返せると思っている節がある」
……
 釈然としないことが多すぎる。ネリアはため息をついた。
「複雑な事件ですのね」
「そうだな。いまだに黒幕の正体も分かっていない。さらに言うなら、どうやって盗まれたのかも不明なままだ。まあ、それは置いておくとして、目的の物は見つけた。悪いが、渡してくれないか?」
「はい」
 ネリアは素直に頷いて、包みをサーイスに差し出した。風の神器など、自分が持っていても仕方がない。
 が、サーイスはすぐに手で彼女を制した。
「ああ、悪い。一度開けて見せてくれ。確認したい」
「はい」
 もっともなことである。そして、サーイスは珠玉に触れてはいけないのだということを思い出す。
 言われた通り、ネリアは包みを開き、中の箱の蓋を開けてみせた。
 薄暗い室内にほのかな光が浮かび上がる。先ほどは明るい場所で見たので、あまりよく分からなかったが、この宝石は自ら柔らかな光を放っているのだった。
 つい、ネリアは珠玉に見入った。そして、目が離せなくなる。
 途方もない力を秘めていると言うが、あまり実感がわかない。しかしこの、それほど目立つ外見なわけでもないのに、ネリアを否応なしに惹きつける、その魅力は本物だ。
 ふと、ネリアは悲しくなった。今後、風霊玉を手にすることがあっても、それはけっしてこの目の前にある石にかなうものではないのだ。
「おい」
 サーイスが声をかけてきた。ネリアは慌てて顔を上げる。
「泣きそうだぞ。大丈夫か?」
「え……あ、いえ、なんでもありません。こちらでよろしいのですね?」
 よほど変な顔をしていたらしい。取り繕うように笑ってみせたが、あまりうまくいかなかったような気がする。自覚している以上に、自分はこの首飾りが気に入っていたらしい。
 箱を閉じ、サーイスに渡す。
 本当に欲しいと思ったものは、いつも自分をすり抜けていってしまう。
 ネリアはそう思った。いつも、自分はそうなのだ。
 不自由のない暮らしをしているから、真に望むものというのは、ネリアには少なかった。けれど、ことごとく手に入れるのに失敗している。それも、たいがいが一旦自分の手元に来た後で。
(あのとき、何かを欲しがるのはやめようと思ったはずなのに)
 その背に乗るためだけに、必死で馬術を身に付けた領地の黒馬も、初恋の婚約者も、今、彼女の許にない。
 それらに比べれば、今回のことなど大したことではないはずだが、過去の悲しい記憶も相まって、彼女の気分は奈落に沈んだ。
「そんなに気に入っていたなら、今度同じ石を見つけてやる」
 親切にもサーイスは言ったが、珠玉に心奪われた彼女は首を振る。
「お気遣いは有り難いのですが……結構ですわ。わたくしは個人的に精霊のご加護を受ける身ではありませんが……それでもこちらにこんなにも惹かれたのは、きっと神器に秘められたフィアラさまのお力の気配によるものなのでしょう」
 そもそも、社交嫌いのネリアがこれほど立派な宝飾に魅入られること自体、振り返ってみれば異例のことだった。いつも街で探すのは、普段の装いにさりげなく彩りを添えてくれるような、ささやかなものばかりだったのに。
 一方、自分の申し出をあっさり断る彼女に、サーイスは珍しいものを見るような目つきになるが、文句は言わなかった。
「そうか」
 ネリアの言うことも、分からないではない。本物に魅せられた人間が、代用品ではけっして満足しないのだということを、彼も経験的に知っている。
 しかしそれは、王太子の申し出であることを差し引いた場合の話だ。自分がこんなことを言い出すこと自体、滅多にないことなのだが、それを断る人間はもっと珍しい。たいがいは、目の色を変えて飛びついてくるものだ。
 実際、すぐに引き下がった相手にほっとしたのも束の間、ネリアはとてつもなく貴重な機会を自分でふいにしたことに遅れて気付いた。何であれ、この王太子から装飾品を贈られたなら、素直に喜べたはずではないだろうか。しかしいまさら、やっぱりくださいなどとは言えない。
(馬鹿みたいね、わたくし)
 うつむいたまま、自嘲気味に笑う。そして気を取り直して、顔を上げた。
「申し訳ございません。せっかくのご厚意を……
「いや、いらないものを押し付ける趣味はない。もともと、何かを欲しいと言われてもやる人間じゃないからな」
 それもどうかとは思うが、であるならなおさら希有なことだったのだと思い、ネリアは自己嫌悪に陥る。
 と、その時、階下が突然騒がしくなった。何事かと思って耳を澄ますが、屋外の喧騒と混じってよく分からない。やがて騒ぎが近づいてくる気配がし、ネリアは用心のために急いでヴェールを被り直す。
 言い争うような声がすぐ外の廊下に聞こえ、次の瞬間、鍵をかけたはずの扉が勢いよく開いた。
「!」
 安物の鍵を破壊して現れた人物を、ネリアはぽかんとして見つめた。


 アロイスは件の店に足を踏み入れるなり、じろりと中を一瞥し、凄みのある声で言った。
「この店の主はいるか。訊きたいことがある」
 店にいた女たちは彼の美貌に、客たちはその殺気に凍り付く。
 店の主人が慌てて転がり出てきた。
「は、はい、わたくしですが……
「ここに碧眼の若い男が来たはずだ。女連れで」
 主人の顔が凍り付く。
「い、いえ、そのような客は……
 アロイスはじろりと主人を睨みつけ、厳しい声で言う。
「とぼけるな。この店にいることは分かっている。上か」
 主人は絶望的な顔になった。
「て、手前も商売でございまして……。どうかここは穏便に願います」
「穏便にと言うなら素直に吐くことだ。どの部屋だ?」
「い、一番奥の……。あのですね、ここで乗り込んでっても旦那が気まずいだけじゃないかと……
 思うんですが、と言い切らないうちに、アロイスは大股に店内を歩いていく。客たちは皆、食事の手を止め、固唾を飲んでことの成り行きを見守っている。
 彼は肩に布でくるまれた大きな荷物を担いでいたが、暗い店内ではそれが人間であると気付いた者はいなかった。
「ちょっとお待ちを、旦那!」
 慌てて主人が後を追う。長身の騎士はすでに階段を登り始めていた。
「旦那、ちょっとですね、冷静になって……。ほんと、ここで踏み込んだってなあんもいいことありゃしませんから!」
 追い縋りながら主人は言うが、アロイスはそもそも聞いていない。
「だいいち、部屋には鍵がかかって……ひっ」
 主人が悲鳴を上げたのも無理はない。目の前の騎士は華麗な回し蹴りで扉をぶち破ったのである。
 そのまま騎士が部屋の中に歩を進めるのを見て、主人はこれから繰り広げられる惨状を思い、つい右手で顔を覆った。
 ところが、それから先がやけに静かになる。下手をすれば流血の大惨事、と思われたのに、何かが壊れる音も悲鳴も聞こえない。
 つい、主人は首を伸ばして中を覗いた。そして目を見開く。
 先ほど強引にこの部屋を借りていった男女は離れて座ったままだし、彼らに斬りかかるつもりではないかと心配した騎士は入ったところで静かに佇んでいる。
 と、騎士が振り返りもせずに言った。
「主、扉を閉めて下に戻れ」
「戸を閉めろ……とおっしゃいましてもねえ、壊れちまってるんですが」
 呆けたような顔で、主人は両手を上げる。
「私が壊したのは鍵だけだ。さっさと閉めろ」
 どうやったのか、あの蹴りは計算して繰り出されたものらしい。確かに見てみれば、木製の扉自体は損傷していない。
……まったく、営業妨害ってやつですよ。鍵の修理代はいただきますからね!」
 腹立ち紛れに主人は言い、乱暴に戸を閉めて去っていった。