Skorca
2025-06-23 22:39:43
37024文字
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精霊異聞 〜風の至宝〜



3.発端

「少し長い話になる。――事の起こりはおよそ一年前だ」
 予想外の出だしにネリアは相槌を打ちそびれた。
「リューシャのフィアリィス神殿を知っているか?」
「王都近くの風の大神殿ですね」
「そうだ。そこに賊が侵入した」
 ネリアは目を見開いた。
「初耳ですわ」
「まあ当然だ。大した被害も怪我人もなかったらしく、当時はほとんど話題にならなかった。私もその時にはそんな事件など知らなかった」
 そこで一旦言葉を切り、サーイスは組んでいた脚をほどき、身体を起こす。
「だが、大した被害がないというのは大きな間違いだということがすぐに判明した。最大の秘宝が姿を消していたんだ」
「最大の秘宝?」
 精霊を祀る神殿には、その精霊が人間に遺した神器が集められている。特にそういった神器が多く存在するリューシャでも、フィアリィス神殿は最大の規模を誇る。
 どれほど貴重な神器があっても不思議はない。
「聞いたことはないか? フィアラの珠玉だ」
「まあ……!」
 純粋に、ネリアは驚きの声をあげる。
 伝説級の神器だ。風の精霊フィアラが自らの力を封じて作り出したと言われ、使い手はいかなる大気も操れると聞く。もっとも、それだけの力ある神器は使い手の出現も稀だ。故に、これまでその存在が世に出ることもなかった。
 まさに秘宝だ。
「なんと大それたことを……。一体どのような手を使ったのでしょう? それほどの神器、警備も厳重でしたでしょうに」
「その手口が未だに不明というのがこの事件の嫌なところらしいがな。それはともかく、神殿は必死に珠玉の行方を探した。しばらくは盗賊の足取りすらようとして知れなかったのだが、近ごろ、リューシャの王族の一人が“キリヤの鏡“の持ち主であることを大神官が知り、そこでようやく神殿は王家にことの次第を打ち明けて、その王族に協力を仰いだ」
「それまで王家にも秘密にしていたのですか?」
 かなり重大な事件である。神殿と言えど、治外法権では有り得ない。当然、報告はしているものと考えるのが普通だった。
「一般には知られていないが、フィアラの珠玉を祀ることがあの神殿の存在意義でな。こんなことが知れたら神殿の面目は丸潰れだ。なんとか自力で取り戻して事件自体を闇に葬るつもりだったのだろう。まあ、あの神殿は前にも王家に文句を付けられるような問題を起こしたことがある。これ以上弱味を見せたくないというのが本音だったのかもしれないが……
「王家と神殿の間には確執があったのですか?」
 サーイスは肩をすくめる。
「そんな大げさな状況ではない。前回の問題というのはもうかれこれ二十五年かそこら前の話だし、大したことではなかったんだ」
 二十五年も昔の話では、サーイス自身も生まれていなかった頃のことだ。その割には、まるで見てきたことを語るような様子だった。
「そのときの問題などより、今回のほうがはるかに重大だ。神殿にも失せ物を探すための神器がなかった訳ではない。むしろ、同じ属性の風の神器のほうが感応しやすいはずだ。にもかかわらず、まったく役に立たなかった。そこで慌てて他の精霊の神器を頼ることにしたというわけだ」
 ネリアは少しばかり眉根を寄せて、口を開いた。
……先ほどから思っておりましたが、人を使って探すということはしていないのでしょうか?」
 サーイスは意地の悪そうな顔でにやりと笑った。
「彼らはリューシャ人だぞ。それも物心つかないうちから神殿にいるんだ。片足どころか腰まで夢想の世界に突っ込んでいても驚くにあたらん」
 かく言う彼も半分はリューシャの血を引くはずなのだが、こんなことをさらりと言うあたり、中身は完璧にハーディア人だ。
「で、よりによってこういう場合に最適な神器の持ち主が、王家の――イレナ王妃だったというわけだ。さぞや神官たちは平身低頭したことだろう。実に痛快極まりない」
 サーイスの科白に、この王太子はフィアリィス神殿に個人的に含むところでもあるのだろうか、とネリアは内心で小首を傾げた。
「それで、妃殿下の鏡は役に立ちましたの?」
 鏡の精霊キリヤの神器である魔法の鏡は、持ち主の望む場所、望む物を映し出す。確かに探し物にこれほど威力を発揮するものはないだろう。
「ああ、拍子抜けするくらいあっさり見つかったようだ。しかし問題があった。賊どもは盗んだ珠玉を後生大事に抱えたまま、このハーディアに潜り込んでいたんだ。これではさすがに神殿は直接手を出せない。仕方なく、彼らはハーディア国内にいる、一度絶縁を言い渡した元関係者に助力を請うことにした」
「元関係者?」
 サーイスは頷いた。
「私の父のことだ」
「サリアートさまが?」
 サーイスの父、即ち王の伯母ナリジア姫の夫君サリアートといえば、医療や薬事に造詣が深く、王宮の施薬院の長を務めている人物である。一般に、薬院卿と呼ばれている。
 リューシャ出身ではあるが、神殿と何の関係があったのだろう。
「父はもともとフィアリィスの主神官でね」
「ええ?」
 ネリアは驚きのあまり声をあげてしまった。元神官というのも初耳だったが、主神官という地位にも驚いた。大神官に次ぐ高位聖職者である。
 サーイスはちらりとネリアを一瞥した。
「本当に知らなかったのか?」
……はい。申し訳ございません」
 ネリアは悄然となった。
「謝ることはない。最近ではもう話題に上ることも少ないからな。だが、本当に宮廷に興味がないようだな」
……良くないとは思っておりますが、少々……苦手です」
「時の権力者の娘だろう」
「田舎育ちですので」
 それは事実だった。彼女は正式に社交界に出た数年前まで、ほとんどを領地のキサという場所で過ごしていた。草原の真っ只中にある城塞で育ったのである。実を言うと今も年の半分以上は領地に戻っていた。
 自嘲めいた口調の彼女を、サーイスは少しの間見つめる。ただの謙遜ではない何かを感じ取った様子だったが、それには触れず、話を続けた。
……サリアートというのは上代の言葉で風の民という意味なのだそうだ。生まれた時にフィアラによって名付けられ、父は風の加護を得る身となった」
 精霊によって、人間に与える祝福や加護の形はさまざまである。鏡の精霊キリヤの祝福は魔法の鏡の持ち主に与えられるというし、水の精霊リュミエは当代に一人だけ、巫女を選んで守護すると言われている。
 中でも、強力な神器を数多く創り出したフィアラは、それらを扱える可能性のある男児の誕生時に現れ、風や大気に因んだ名前を贈るのだった。
 風の加護を与えられた子供は神殿に引き取られる。そこで神器の使い手になるかどうかを試され、才能有りと認められた場合、神官として聖職に就くのだ。
「一方、母は昨今の暗殺と粛清の連鎖でハーディアの王族が極端に減っていることに強い懸念を抱いていた。それで、他国には嫁がず、国内貴族から婿を取ろうと考えたのだが、めぼしい相手がいなかったらしい。で、国外に目を転じた。詳しいことは知らんが、そこに父がいたらしい。だが、十代で主神官にまで登りつめるような才能の持ち主だ。隣国の王女の婿に迎えられては国内の神殿に仕え続けることは不可能だ。当然、神殿側は難色を示した」
 いったい、どうやってハーディアの王女がリューシャの神官を見初めたのだろうか。年若い娘らしく、ネリアはその点に少々興味をそそられたが、肝心の息子が知らないのでは話にならない。
「父は神殿の奥深くになかば監禁され、人前に出ることも禁じられた。おそらく母が帰国するまでそのままにしておくつもりだったのだろう。埒が明かないと判断した母はある夜神殿に押し入り、父を強奪してハーディアに連れ帰った」
 ネリアは唖然となる。それでは拉致だ。確かにナリジア姫と言えば、その美貌と同じくらい、いやある意味それ以上に、剣の腕と勝ち気な性格が有名な王女だった。これと決めた夫を得るためなら、そのくらいやりかねない。
「大問題になったのでは?」
「まあ、母だけで行動したのなら、力押しでどこまで暴走したか分からんが、幸い優秀な頭脳が付いていた。少なくともリューシャ王家への根回しは完璧で、神殿が悪者になるようにしっかり仕組まれていたんだな」
 なんとなく、先ほどサーイスが語った、神殿が起こした二十五年前の問題というのがなんだったのか分かってきた。どちらかというと、問題を起こしたのは彼の母ナリジア姫の方ではないかと思われるのであるが……
 事態のあまりの突飛さにひきつった笑いを浮かべる彼女を見て、サーイスは呆れたような顔になる。
「何を他人事のような顔をしている。その頭脳というのはアルディーク卿のことだぞ」
「父、が?」
「ついでに言うと、神殿の門衛その他数名を殴り倒し、軟禁場所の鍵をこじ開けたのもそうだ」
「そうでしたの……
「そこは驚かないのか」
 逆に納得するネリアに、すかさずサーイスが突っ込む。
 今でこそ筆頭大臣として文官の長を務めている父だが、かつては砂漠の嵐との異名をとる将軍だった。そもそもアルディーク家は武門の家柄であるし、荒事の方が父にはしっくりくると実の娘は思っていた。
「神殿側にしてみれば腸が煮えくり返る思いだっただろう。おまけにハーディアに連れてこられた父がはっきり帰らないと明言したものだから、彼らはなかば腹立ち紛れに父の聖職位を剥奪した」
「まあ、ずいぶんと思い切った処断ですわね」
 主神官に対する処置と考えれば、貴族が平民に格下げされるようなものだ。
「確かにな。そして今回、そこまでした相手に縋らなければならないほどの事態になってしまった、というわけだ」


 薬院卿サリアートは穏やかに過ごしていた休日の午後、執事からあまりにも意外な相手の来訪を告げられた。
 彼は快く客を自らの居間に招き入れ、にこやかに歩み寄った。
「カイエル師、お久しぶりです。なんとお懐かしい」
 カイエルと呼ばれたのはフィアラの紋の入った長衣をまとった小柄な老人だった。後ろに三人の年若い神官を連れている。
「二十五年ぶりか。息災かの? サリアートよ」
 何の屈託もない様子のサリアートに、老神官はいささか面食らった様子で応える。
「その節は大変なご迷惑をおかけいたしました。ですがおかげさまで、心安く日々を過ごしております」
 もう四十過ぎの年齢のはずだが、サリアートの整った容貌には、ほとんど苦労の跡や積み重ねられた歳月のおりというものが感じられない。
 後ろ盾もないまま大国の王室に加わった彼の立場は、気苦労の多いものであっただろうに、そんな様子は微塵もなかった。
 カイエルはサリアートが一人前の神官になるまでの数年間、彼の師を務めたが、その頃から彼は常に澄み切った清浄な空気を纏っているような子供だった。それが、長い年月を経てもまったく濁ることなく保たれているのは驚愕に値する。
「その……奥方はご息災かの?」
 いささか口ごもりながらカイエルは言った。ナリジア姫は未だに神殿にとっては恐怖の対象だったが、さりとてまったく話題にしないのも礼を失する。
 サリアートは爽やかな笑顔で頷いた。
「ええ。変わらず元気にしておりますよ。生憎、視察で都を空けておりますが……
「そうか、お会いできず残念じゃ。当時お目にかかったきりだが、大変美しい姫君でいらしたの。勝ち気なご気性も印象深かったものじゃが……
「今も相変わらずですよ」
「そ、そうなのか」
 目に見えてカイエルは怯んだ。実は、ナリジア姫が不在なのは彼を送り出した神殿側が調査済みだった。
 サリアートは客人に椅子を勧め、自身もその向かいに腰を降ろす。
「そなたは変わらぬのう」
 しみじみとカイエルは言った。
「そうでしょうか? お師さまこそ世捨て人らしさに一段と磨きがかかりましたね。ずっと書庫に籠もってらしたのでしょう」
「まさか。まあ、百年でも住みついていとうはなるがの」
「そんなお師さまがなにゆえ、御自らはるばる私を訪ねていらしたのでしょう? 只事ではないご様子ですね」
 カイエルは食べ物が喉に詰まったような顔をして、一瞬黙った。
 和やかな相手の雰囲気につい気が弛んでしまったが、サリアートは唐突に本題に彼の意識を引き戻したのである。
「う、うむ……。実はのう……
 カイエルは口ごもる。
「人払いはしてあります」
 師の態度から察して、サリアートは言った。最初から、彼はなにがしかの非常事態が発生したのであろうと推測していたのである。
 浮き世離れしているようで、意外と鋭く抜かりがないというのが、彼を知る人々の評だ。
「それはありがたい。実は、のう。一年ほど前のことなのだが、賊が侵入してな、こともあろうに珠玉を持ち出しおったのじゃ」
……珠玉が盗まれたと仰るのですか」
 一瞬の間を置いたものの、サリアートはまったく口調を変えずに言った。
「そうじゃ」
 カイエルが肯定すると、彼は苦笑いのような表情を浮かべる。
「なんとまあ……
 その口調があまりにのんびりしていたので、カイエルは思わず言う。
「そなた、もう少し驚くなり慌てたりしたらどうなのじゃ」
「驚いておりますよ。ですがフィアラが持ち歩かれているわけではありませんし。秘宝と聞けば盗賊が目の色を変えてやってきても不思議はありません」
「そういう問題ではなかろう」
 苦虫を噛み潰したような顔でカイエルはため息をつく。
「そなたは呑気に言うが、あの珠玉が神殿にとってどれほど重要か、そなたが知らぬ訳はあるまい」
「勿論、承知しておりますよ。珠玉の存在ゆえに大神殿の格を与えられていることは」
 そう言うサリアートが、あまり格式や地位にこだわらないことを、カイエルは唐突に思い出した。
「ということは、五つの結界も破られてしまったということですか」
「そうじゃ。面妖なことに、そのときは誰もかの結界に触れられたことに気付かなんだ。その後も探索の風魔法にもまったく反応せず、我らはすっかり珠玉を見失ってしもうたのじゃ。致し方なく王妃におすがりし、キリヤのお力をお借りしたところ、ハーディアに運ばれていることが判明してのう……
 カイエルの声は尻すぼまりになる。サリアートは得心がいったように後をけて言った。
「それで私のところにいらしたのですか」
 カイエルは身を縮めて両手を合わせた。
「そうなのじゃ。サリアート、後生じゃ。どうか珠玉を賊の手から取り戻してほしい」
 老人に頭を下げられたサリアートはしばし何かを考える様子を見せたが、やがて口を開く。
「どうかお顔をお上げ下さい。――ときに、珠玉はこの国のどの辺りにあったのです?」
 彼の問いに、カイエルはきょとんとなった。
 サリアートは重ねて説明する。
「一口にハーディアと仰せられましても、王都周辺のハザリア砂漠だけで、リューシャの国土面積に匹敵します。せめてどの地方、いえ、どの街にあるのかくらいは教えていただかねば、とうていすぐには見つけ出せないのですが……
 カイエルは黙り込んでしまった。明らかに、彼はハーディアと言えば全てが通じると思い込んでいた様子である。
 サリアートは自身もそうであったから想像がつくのだが、カイエルは下手をすると数十年、神殿の外に出ていない。国外への旅など今回が初めてだろう。
 知識として、ハーディアがリューシャの何倍もの版図を誇る大国と知っていても、実感がない。ハーディアのどこであろうと、自分のいる場所からは遠いところ、とだけの認識しかないので、目的の場所を特定するには、隣近所と同じようにどの地方のどの街の、更にはどこの通りの何軒目……といった細かい指定が必要であることを失念していたのだ。
「無論、王族の権限で全国に伝令を飛ばし、一斉捜索を行ってよいのであれば別ですが、内密のご依頼なのでしょう?」
「そ、そうじゃ。それは困る……
 カイエルは慌て気味に答えた。
 すっかり意気消沈してしまった師に、サリアートは優しい声で尋ねる。
「魔法の鏡は何を映していたのでしょう。ハーディアであると特定できる何かがあったはずですね?」
 彼の言葉にカイエルははっとした。
「うむ。砂漠が映っておった」
 あまりに簡潔な答に、サリアートは慎重に掘り下げていく。
 国土の中央やや西寄りに広大なハザリア砂漠を抱え、あろうことかその中心に王都がある奇妙な地理のために、外国人にはハーディアといえば砂漠という固定観念がある。しかし世界に砂漠が一つしかないわけではない。
……岩ではなく、砂の砂漠ですか? ハザリアのような……
「うむ。よう似ていた」
「他には何が?」
「他、には……城壁が遠くに見えての、あれは確かにこの王都のものと同じじゃった」
 サリアートはようやく安心したような表情になる。
「つまり王都周辺の可能性が高いということなのですね」
「うむ。……おお、そういえば王妃がそのように仰せじゃった」
 それを先に思い出してくれれば余計な心配をせずにすんだのだが、今更言っても詮無いことではある。
 カイエルは元弟子の顔を覗き込んだ。
「探してもらえようか?」
「そうですね……。しかし生憎、私はそういうことは不得手でして。幸い、適任がおります。ちょうど良い機会ですし、ご紹介いたしましょう」
 カイエルは首を傾げたが、サリアートは構わず立ち上がり、壁際の天井から垂れ下がっている絹でできた綱を引っ張った。