Skorca
2025-06-23 22:39:43
37024文字
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精霊異聞 〜風の至宝〜


1.遭遇

 太陽は中天にさしかかり、ハーディアの城下を行き交う人々にも活気が溢れている。通行人が埋め尽くす大路も喧騒に満ちた市場も、乾季の間、ほぼ毎日見られる光景だ。
 水の大精霊の眷属たる雨の精霊エヴェナの加護をける王都は、砂漠の中心に存在するオアシスでありながら緑豊かで、周囲の砂に熱せられた空気の間を、しばしば冷涼な風が吹き抜ける。真昼でも人々が日除けを頼りに戸外で活動できる、稀有な土地だ。
 とはいえ、やはり日差しはきつい。ネリアは強烈な陽光にヴェールを被りなおし、目の前に並ぶ装飾品を端から眺めた。
 宝飾を専門に扱う小さな店が並ぶ、大市の一角である。警備が行き届き、比較的治安が良いと言われるハーディアの王都では、このような雑踏に面した店にも値打ち物の宝飾がしばしば見かけられた。
 この店はなかなか趣味の良い品を置いているので、市に足を運んだ際には、彼女はいつも立ち寄っている。もっとも、顔を覚えられるのもあまり都合が良くないので、必ずヴェールを深く被るようにしていた。店の主人はどこぞの豪商の娘かと思っているようだ。裕福な者でも供連れも無く出歩くのは、平民に限られるからである。
 いま手にとっているものと、他の品を注意深く見比べてみて、やはりそれが一番良いとネリアは判断した。中央に大きな宝石の嵌まった首飾りである。彼女が訪ねたときは仕舞われていたようだったが、店の主がお似合いでは、と言って奥から出してきたのだった。
 黒髪が大半を占める中で極めて稀な、北方の血を引く証であるまっすぐな銀髪と、ハーディア人らしい深い蒼の瞳を持ち合わせた彼女は、普段、あまり派手な宝飾は好まない。他人が身に着けるのは一向に構わないのだが、良く言えば楚々とした――悪く言えばいまひとつ地味な自分には似合わないと思っているからだ。
 その首飾りの石は、そんな彼女が選んだにしては大きなものだった。真珠を思わせる乳白色の地に銀粉をまぶしたような表面は、光の当たる角度によって変化する虹彩を放ち、ときには藍色に近い反射を見せる。歪みのない見事な球体で、直径は大人の指二本分はあった。
 他には一切の宝石を使わず、地金は複雑な透かし彫りが施された銀が使われ、いかにも涼しげだ。
 外国の貴族の家から渡ってきたものらしいと説明されたが、王宮に献上されていてもおかしくない品とすら言えるだろう。
 ネリアは店の主人に首飾りを包んでくれるよう頼み、金子を渡した。主人は愛想良く品物を箱に収めながら言う。
「毎度のことながらお目が高くていらっしゃる。隣国リューシャで採れる瑪瑙めのうの一種ですが、希少なため滅多に国外には出回りません。私も実物は過去に二度ほど、商品の買い付けであの国に行った折りに見かけたくらいでしたよ。地元の商人が優先的に買い占めてしまうので、こちらにはなかなか……
「まあ、ではこの国に持ち込めばかなりの高値が見込めるのではなくて?」
 こういった会話が、相手にネリアを商家の身内と思わせる所以だった。
「流通量だけで言ったら確かに、そうなんですがねぇ。ほら、リューシャは色々な精霊と関わりが深いし、曰く付きの宝石の鉱脈が数多く地下に眠ってます。この石も風霊玉ふうれいぎょくと呼ばれてる、そういった宝石の一種ですが、この国の人間はもっとはっきりした宝石を好むんですね。瑠璃や青玉といった、色のくっきりした石を。ですから、神秘に目がないリューシャ人に比べて、この石もハーディア人にはあまり人気がない、というのが実際のところです。もうちょっと北のイルダあたりとは交易されているって話ですが」
 なるほど、とネリアは納得した。ハーディア人は質実剛健を尊ぶ現実主義者と一般的に言われる。信仰の対象たる精霊が生み出した、妙なる輝きや不思議な色合いを愛でるという感覚があまり発達していないのも事実だった。
 品物を受け取り、太陽の位置を確認する。良い買い物をした、という満足感に気分は高揚していたが、そろそろ屋敷に帰らなければと思って歩き出す。忍びで街に出てきているので、昼食の時間までに戻らなければ、家人が心配して騒ぎ出すだろう。万が一、街へ出ることを全面的に禁止されては大変だと、歩を進めながら考える。
 周囲の雑踏を聞くとはなしに聞きながら、人混みの中を黙々と歩き続けてしばらく経った頃のことだった。
 ふと、ただならぬ気配を感じてネリアは顔を上げる。周囲をそれとなく窺うと、同じような服装の人間に四方をすっかり固められていることに気付いた。灰色の外套を頭から被った男たちが五、六人、前後左右をネリアに合わせた歩調で歩いている。
 その外套の裾から長剣の先がちらつくのを見て、彼女は息を呑んだ。日々の作業用に短剣を持ち歩く人間は多いが、あからさまに武器としての用しか為さない長剣を腰に提げた人間は限られている。騎士や兵などの武人か、賊の類か。
 いずれにせよ、友好的な目的でこのような真似をしてくるとは考えにくい。彼女は抑えた声で誰何すいかしようとした。
「何者……っ」
 言い終わる前に横から腕をつかまれ、背後からは口を塞がれる。そして右手に伸びる、両側を家の土壁に挟まれた路地裏に引き摺り込まれた。全員が彼女を囲んだままついてくる。
 白昼堂々、人を拉致することに慣れた者たちだろうか。あらかじめ目標を他の通行人の目から隠して通りを外れ、怪しまれずに人目のない場所に連れていくとは。
 彼らはしばらくその状態で歩き続けたが、やがて土壁に付けられた家の裏口と思しき扉を開け、中に入る。
 廃屋らしく、傾いた調度などが捨て置かれ、天井近くの明り取りの窓には日除けの布がかかったままだ。その破れ目からわずかに光が差し込むだけの、薄暗い室内だった。
 不安げに立ち尽くす彼女を、男たちは頭から足先までつぶさに眺める。彼らの顔は、目深まぶかに被った外套のフードのために、こちらからは良く見えない。
 その男が無言のまま彼女を取り囲む仲間に向かって頷くと、右手の斜め前に立つ一人が、外套の陰から抜き身の短剣を取り出した。
 その手が何の迷いもなく自分の喉元を狙って振りかざされ、ネリアは先刻の買い物の包みを胸元に抱き締める。
(殺される!)
 反射的に目を瞑った瞬間、何かが空を切る音がした。
「ぐっ……
 しかしくぐもった声をあげたのはネリアではなく、彼女を狙った男の方だった。一瞬後に金属音が響き、不審に思ってネリアが目を開けると、男が短剣を取り落としている。
 小さな柄の付いた、鍔のない片刃の小刀が相手の肩に突き立っているのを見て、ネリアはわずかに安堵の吐息をもらした。
 密かに連れている護衛が、忠実にその務めを果たしたのだろう。
「誰だ!」
 一方、曲者たちは驚いて辺りを見回した。真っ先に我に帰ったのは、主導者と思しき正面の男だった。
 彼はひとまず目的を果たそうと、剣の柄に手をかける。が、次の瞬間、激しい破壊音がして入り口の木戸が砕け飛んだ。
 ぎょっとして動きを止めた男が、呻き声を漏らしてうずくまる。
 扉が破られ、そこから投げ込まれた短剣が彼の背に突き立っていた。ネリアがそれを認識したときには、入口から滑り込むように入ってきた人物が、その男の背後に立っている。
 短剣を男の背から引き抜き、その侵入者は手を伸ばしてネリアの腕を捉えると、
「来い!」
と鋭く叫んで再び短剣を投げた。
 あやまたず、主導者とおぼしき正面にいた男の右肩に突き刺さる。
 それを確認する間もあらばこそ、ネリアは自分でも驚く敏捷びんしょうさで身を翻し、床に倒れた襲撃者を飛び越え腕を引かれるままに家の外に走り出した。
「逃がすな!」
 負傷した男が苦痛の滲む声で叫ぶのが背後から聞こえたが、ネリアの腕を掴んでいた相手がその手を離して何かを家の中に投げ込んだ途端、白煙が炸裂し、そこからの声は咳と苦鳴に取って代わられる。
 やがて元いた市の通りに出、人混みの中に飛び込むと、後ろから肩を抑えられた。
「もういい。災難だったな」
 若い男の声だった。ネリアは立ち止まって振り返り、ここで初めて恩人の顔をまともに見る。最初に声を掛けられたときから感付いてはいたが、それは自身が連れていた護衛とはまったく違う人物だった。
 長身の、黒髪の青年である。鍛え抜かれた隙のない体躯の持ち主で、非番の兵士が着るような簡素な服に、粗布の外套を肩に巻き付け、腰には使い込まれた長剣を提げていた。どこにでもいそうな目立たない服装とは裏腹に、引き締まった表情の顔立ちは端正で、何よりも極上の硬翡翠ひすいのような深く鮮やかな碧眼が、否応なしにこちらの視線を釘付けにする。
 しかし問題は、その印象的な容貌に、ネリアは見覚えがあるということだった。彼女はいささか当惑しつつ、呟くような小声を発する。
「殿、下……
 相手はなんとも言えない顔つきになり、まじまじとネリアの顔をのぞき込んだ。
「私を見知っているとは、貴族か……。どこの家中の令嬢だ?」
 ネリアは思わず口を噤む。しかし今更誤魔化すこともできず、観念して答えた。
「アルディーク家の娘、ネーレイアにございます」
 それを聞くと、彼はますます妙な顔つきになって注意深く彼女を見つめた。ヴェールに縁取られた顔の脇からわずかに覗く髪の色が確かに銀であるのを認め、彼は驚き混じりの低い声で、唸るように言った。
「大臣の、姫か……。何をやってる、こんな所で」
 ごもっともな質問に、ネリアはいたたまれなくなる。
 相手は王の従兄にして王太子、アザルシスだった。まだ二十代前半の若者だが、その辣腕ぶりはつとに知られており、筆頭大臣を務める彼女の父と双璧をなす実力者だ。
 彼とまともな面識も持たないくらい宮廷には近寄らないネリアが、こともあろうに城下の市で庶民よろしく買い物などしているところを見られたのである。
 特別取り入ろうとは思っていないが、著しく印象が損なわれるのは必至だ。年頃の良家の姫としては大失態である。証拠に、恐る恐る見上げた相手の顔には明らかに呆れの表情が浮かんでいるではないか。
「こ、この身をお救いくださり、御礼申し上げます」
 真っ赤になり、それだけ言って軽く膝を折って礼をすると、彼女は逃げるように踵を返した。なぜ殺されかけたのか、なぜ王太子こそあんな姿で街中にいたのかなど、とりあえず後回しだった。本気で、穴があったら入りたい。
「待て!」
 容赦なく王太子は呼び止め、大股に追ってくる。
「悪いが、まだ帰すわけにはいかん。また狙われるぞ」
 言われて、ネリアは足を止めた。一つ気掛かりなことを思い出したのだ。
「殿下、わたくし、護衛が付いているはずなのですが……
 あの事態に動かないわけがなかったのだが、実際にはネリアは目の前の相手に助けられた。彼はああ、と小さく呟き、あっさり答えた。
「あのとき様子を窺ってた細作か。余計な手を出されると却って邪魔だったものでな、眠らせて拘束してある」
 相手の科白にネリアは目を見開いた。
 アルディーク家の子飼いの細作は腕利き揃いのはずだった。常に主に付き従い、平常時はその存在を感じさせず、主が危機に陥ったときのみ救出する。
 それを、表の世界の人間のくせに事前に見つけ出して出し抜くなど、非常識にも程があった。
「拘束とは……どちらにですの?」
「さあ、今部下が適当な場所に運んでいると思うが……
 王太子の返答は冷たい。彼の身分からすれば、細作の一人や二人、取るに足らない軽い存在である。しかもどこの手の者か、身柄を預かる人間は知らないだろう。まともな扱いをしてもらえるのか不安になり、ネリアは真剣な面持ちで訴えた。
「お返し下さいませ」
「ことが済んだらな。心配はいらん。抜け出せないよう厳重に拘束はするが、私の命令なしには何もするなと指示してある」
 彼が察しのいい人間であることは確かなのだろう。ネリアの懸念を正確に見抜いた言葉だった。
「ことが済んだら、とは?」
 護衛に対していま自分ができることはないと判断し、ネリアは仕方なく頭を切り替える。
「これから説明する。ついて来い」
 そう言って、王太子は歩き出した。ネリアは一度天を仰ぎ、小さく溜め息をついてから彼の後を追って歩き始める。
 何やら妙なことになってしまった。