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桜霞
2022-10-01 17:50:07
46624文字
Public
【twst夢】フライパンは無敵
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君がいる夏
#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/05/22にpixivに投稿したものの再掲です。
1
2
3
4
5
6
7
ブーッ、とけたたましくオンボロ寮のブザーが鳴った。
いつも通り仕事を終えて寮に戻ったリンは、ちょっとだけ浮足立って玄関まで降りていく。
夏祭り、と言えば。
立ち並ぶ屋台、どこからともなく響くお囃子、ぞろぞろ動く人の波、きゃいきゃいはしゃぐ浴衣姿の女の子達、ワイワイ騒ぐ男子達、ちょっと眠そうにしつつも親に促されてもじもじしながら屋台で遊んだり綿あめを買ってもらったりしているこどもたち、など。様々な情景が思い浮かぶ。
じめじめとした暑さも忘れ、どこか浮かれた空気に足取りも軽くなり、打ち上がる花火にどこか寂寥を感じ、心地好い疲労と共に祭を終えるのだ。
地域によってはその祭りそのものが観光イベントとして盛り上がるところもあるだろう。開催場所は必ずしも神社仏閣ではないかもしれないし、山車が出るかもしれないし、ご近所さんしか集まらない小規模なものしかないかもしれない。
とは言え。大人にとって祭に付き物のアレと言えば、やはり。
「はーい!
……
アレ?」
上機嫌で勢いよくドアを開けたリンは、きょとんと眼を丸くさせた。
誰もいないのである。ブザーは確かに鳴ったはずだ。きょろきょろと辺りを見回しても人っ子一人いやしない。
「レオナかと思ったのに
……
」
独り言ちても、返ってくるのはちょっとだけ湿った海風だけだ。後は木擦れの音が少々と、紫苑に染まった空だった。夏の夕暮れだ。
「っかしいわね
……
悪戯かしら」
期末テストも終わって、生徒たちは解放感に包まれている。部活に精を出すもの、好き勝手騒ぐもの、今から補修に怯えるもの、様々いた。
その中にまさかオンボロ寮にピンポンダッシュをかます生徒がいるとは予想だにしなかった。
……
暇を持て余したNRCの生徒たちならやらかしそうではあるが。高校生とは言え、心はいつまで経っても小学生男児の生徒が複数いることもリンは知っている。
ゴーストの悪戯かしらね、と嘆息しながら、リンは夏祭りのための準備をすることにした。
物置から、事前にディアソムニアから運び込まれた提灯や、長机を引っ張りだす。他にもバーベキューセットやビニールプールなどなど。
外に運び出しやすいように廊下に出しておき、リンは二階に上がって食材の準備をしようとした。
ブーッ!
「、」
ブザーが鳴る。
「
……
はーい!」
今度こそレオナか、はてさてこの時間帯なら一年生たちだろうか。
リンはガチャリとドアを開けた。
潮風がふわりと吹き抜ける。しかしそこには誰も居ない。
「
……
えぇ
……
?」
ほんの少し、リンの胸がざわついた。
折しも夏の逢魔が時である。御先祖様が還ってくる季節であり、納涼と称して怪談話をするのが風物詩である故郷出身のリンとしては、ちょっとどころではなく不安になってしまうところはある。
何しろここはツイステッドワンダーランド。リンの世界ではいるもいないも五分五分だった存在が、はっきり十割この世にあって当然のものとして証明されているのだ。たちの悪い人外の悪戯───で済めばいいが───ということも十全に考えられる。
「
……
やだなあもう
……
」
リンはドアを閉めると、足早に二階に移動した。バーベキュー用の食材はもう準備が終わっているので出すだけだ。リンは紙皿やコップを出すついでに円卓の城の名を冠するフライパンを取り出した。
この一年、このなんちゃって宝具には散々お世話になった。もはやオンボロ寮にとってのお守りだ。英霊ギャラハッドには申し訳ないがこれもか弱い民草を守るものということでご了承いただきたい。リンはちょっと不安になった心と不意に浮かんできた申し訳なさを払拭するために両掌を合わせてフライパンをなむなむ拝んだ。神仏宗教ごった煮ここに極まれりである。
「さて。後は皆が持ち寄ってくれるから準備するのは飲み物くらいかしらね」
リンはサムから借りた巨大なクーラーボックスをいくつか取り出した。よっこいしょ、とシンクにひっかけて、蛇口から水を捻りだす。
それぞれ半分ほど水を入れたところで、リンは冷凍庫からこれでもかと氷を移した。そして冷蔵庫からラムネやペプシなど、ソフトドリンクをどかどかぶち込んで浮かせる。クーラーボックスはあっという間に満杯になった。リンの腕ではとても持ち上げられない。
後で学生たちに任せることにして、リンはそろそろ着替えようかしらと腕時計を見遣った。
時刻はもうすぐ六時である。スーパーボールすくいやヨーヨー釣りのプールの用意は学生たちがするという話だったような気がするが、はて。リンは首を傾げて今度はうんともすんとも鳴らなくなったブザーの方の気配を探った。約束をしているレオナはおろか、夏祭りを一番楽しみにしていたユウですらまだ戻ってくる気配を見せない。
「
…………
」
リンはなんとなくフライパンを見遣った。持って行くべきか否か。フライパンはじっと静かにコンロの上で大人しくしている。
様子を見に行くだけだから、と言って手ぶらで探索に出かけたやつから死んでいくのはホラーゲームの定石だ。いやよく知らないが。
しかしこれでただの悪戯か何かであればこどもたちに馬鹿にされて笑われるのは目に見えている。
リンはしばらくむつかしい顔で唸ったが、「まぁどうせクルーウェル先生も後で来てくれる約束だしな」何かあってもどうにかなるだろうとフライパンをそのままに踵を返した。
それにまったくの手ぶらという訳でもない。懐には「『夏祭り』なるものがあるらしいとユウから聞いてな」と言ってトレインがプレゼントしてくれた簪がある。リンは素直に喜んで有難く頂戴した。簪はお守りの意味も持っているし、いざというときの武器にもなるのだ。
リンはそっと、夏の斜陽差し込む一階の廊下に顔を出した。玄関はいつも通り、重苦しく閉ざされたままで、何かの気配があるとも感じられない。玄関を入ってすぐの談話室も、いつも通りカーテンが閉ざされて───いや、ここはいつも開けっ放しにしていたはずでは?
「
……
」
リンは意識して深く呼吸した。気付いたあなたはSAN値チェック! などというポップ体が賑やかに踊るのを頭を振って掻き消す。
ゴーストが閉めたんでしょ。なんでかはよく知らないけど。
……
そう言えばさっきからゴーストの一人も見かけてないけど。
「
……
」
ばしりと音を立ててリンは己の額を打った。優秀な脳みそめ、いらんことばっかり気がつきやがる。知らない方がいいこともこの世にはごまんとあるっていうのに。ぶつくさ言いながら階段を上ろうとして、───リンは廊下の奥、物置部屋がある方を二度見した。
「
…………
」
いやだから気付かない方がいいって。
どうにかSAN値チェックを回避したい本能が気付こうとする理性を全力で押し留めている。だって絶対に何か変わっているのだ。めちゃくちゃ分かりやすい間違い探しである。気付かない方がおかしい。だって。
───廊下に出しておいた長机やバーベキューセットといった大仰な道具類が、揃ってごっそり消えている。
リンは逸る心臓と震えそうになる手足を叱咤して二階に上がった。
いやいやいやいやないないないない、とキッチンエリアに足を踏み入れて、───クーラーボックスや食材までもがフライパンごと綺麗さっぱり消えているのを目の当たりにする。
「
…………
なるほどね」
何がなるほどなのかはまったくもって分からないが、リンはとりあえずそう言った。顰め面しい顔で腕を組んで、神妙に頷いてみるなどする。
こういうときは、アレだ。いや、どれだ。ええと。
しかしプチパニックに陥ったリンの脳みそは要らんことに気付くだけ気付いてあっさりその役割を放棄した。つまりは何も思いつかない。綺麗さっぱりまっしろである。
何をすればいいのかまったく思いつかない。ゲームならまずメニュー画面を開いてステータスを確認して持ち物を
……
そうだ持ち物!
リンは懐をまさぐって簪とスマホを取り出した。安堵で思わず頬が緩む。
あぁ私ってば馬鹿ね、まずはスマホでユウにバーベキューセットや食材が消えちゃったことを連絡しないと。
いつも通りに電源を入れてぱっと明るくなったスマホ画面には、六時を少し過ぎた時間といつもの待ち受けが表示された。そしてロック解除をしようとリンが指を滑らせた直後、時刻表示が軋むようにしてぶれる。
「、」
リンは思わず固まった。何度か目を瞬かせる。再び指を滑らせようとした直後、ザサッと嫌な音を立ててスマホ画面ががくがくと揺れ、あっという間に砂嵐になり、「やべえ」とリンがわたわたする暇もなく、プツンと真っ暗な画面になってシン
……
と静まり返ってしまった。
「
……
」
───ホラー展開でスマホが使えると思った私がバカだった
……
。
リンは簪をこれでもかと握りしめた。
「どうしようかなぁ
…………
」
頼みの綱のフライパンも居ない。スマホも通じないので助けを呼べない。使えそうなのは貰い物の華奢な簪だけ。飾りが綺麗なのでなるべく傷がつくような真似はしたくない。
時計はデジタルではないので長針と短針が正確にカチコチ時を刻んでいる。これが右回りの法則を無視してぐるぐる回りだしたら最悪だな、とリンは顔を歪めた。時計の盤面もしばらく確認しない方が精神衛生上よさそうだ。
「なんだってこんな急なホラー展開に
……
」
生徒の悪戯だろうか。それともガチで何かの人外の仕業なのだろうか。はたまたゴーストの類とか。魔法が使えたら対処できないこともないだろうに、悲しいかなリンは己の躯と知識を武器にするしかないパンピーである。襲われそうになったらコンロの火を点けて何かに炎を移し松明代わりにしながら包丁を振り回すしかない。
しかしこんなところでまごついていても仕方がない。リンは今の自分にできることをしようと決めた。どんなホラーでも直前までしようと思っていたことを忘れないのは重要だ。とリンは考えていた。ホラーのことはよく知らないが。
うっかり異世界に行ってしまっても、それを頼りに元の世界に戻って来られるかもしれない。私だけがよく分からないところに来てしまっていても、ユウなら探してくれるだろうし。
リンは既に自分が異世界に来ていることも忘れて自分の部屋に移動した。手直しした浴衣に着替えるためだ。ついでに髪も結わえてしまおう。開け放したドアをそのままに、簪を咥えて頭に手をやったリンの背後で、ゆっくりとドアが閉まってゆく。
ぱたん、という音を聞いたリンは、ゆっくりとドアの方を顧みた。
「
……
」
───うーん、もう、これは。
リンは鏡台の前に腰かけた。
無視を決めこむしかない。だってリンにはこれがどういうことなのか調べることもできないし対処することもできないからである。
風は吹いていないし、なんなら窓は開いていないし、なんならしっかりカーテンが閉めてある。朝には開けて出て行ったはずなのになァ、とリンはどこか引き攣った笑みを浮かべた。
鏡の向こうに何もいないことがこんなにも恐ろしいとは思わなかった。なんだか瞬きした瞬間に背後に何か立っているような展開が容易に想像できる。ウワァ最悪だァなんで今が真っ昼間じゃないんだろう
……
。
しわくちゃのピカチュウになりそうだった。それでもどうにかこうにか髪をまとめて簪を差す。この一年で随分とまあ伸びてしまった。簪が差せるようになったくらいには。
クローゼットにかけておいた浴衣と帯を取り出して、ベッドの上に放る。
そう言えば、生徒たちは自分で浴衣を着れるのだろうか。一通り教えはしたけれど、綺麗に着れるかどうかは別問題である。着付けもリンが手伝うつもりでいたけれど、それなら浴衣に着替える前の方がしやすいのでは。
つい、いつもの仕草で時計を見やる。まだ六時半にもなっていない。視界の外で、カーテン越しに西陽が傾いた。不意のそれが異様に眩しくて、思わず眉をしかめて強く目を瞑る。
何度か目を瞬かせたリンは、ふと、何かの跳ねる音を聞き拾った。
遠くから響くそれは、規則的にトントンと拍子を刻んでいる。ぴぃ、と隙間風が高く吹いたような音も聞こえる。
「
…………
」
リンはそっと部屋の扉に手をかけて、ドアノブを回した。
ゆっくりと扉を開くと、音はさらに大きくなる。コン、チキチン、と鉦(しょう)の音も聞こえる気がする。
祭り囃子であった。
「
……
」
───言ってはいけないと、分かってはいるんだけど。
リンはふらりと音のする方へ進んだ。タンドコドン、と体の内側に直接響く、これは太鼓だ。ピイヒョロピイヒョロ、笛の音がどこか粋に空を切り裂く。コンチキコンチキ叩かれる鉦がどっちつかずなそれらを繋いで引き留めてくれていた。
音は外からしているようだった。玄関の前まで行くと、祭囃子だけではなくて、人のざわめきもリンの耳に届くようになる。どこか聞き覚えのあるそれらに、リンは瞬いてドアノブに指をかけた。
「リンさん」
「っ、」
びくりと肩が跳ねる。リンは音を立てて声のした背後を振り返った。
「あ、あぁ、
……
ユウ
……
」
戻ってたの、という声がひどく上擦った。リンは咄嗟に眉を寄せてンン、と喉の奥で咳を払った。
ユウは既に浴衣に着替えていた。白地に色とりどりの花が散っていて可愛らしいが、藍色の帯がいい塩梅に浮つきそうなそれらを締めてくれている。まとめた髪に、しゃらりと草花の簪が揺れた。
似合ってるわよ、と言おうとして口を開いたリンより先に、「外、楽しそうですね」とユウが声を発する。
「
……
そうね。先に行ってていいわよ、私も着替えたらすぐに行くから」
わっ、と歓声が盛り上がる。リンはつい、外に続く方へ視線を走らせた。
「楽しそうですね」ユウが繰り返す。
「リンさんは、どうしますか?
……
てきとうにぶらついて、ビールとおつまみを買ったら、隅の方でうちわ片手に一人酒ですか?」
「、」
リンは思わず息を詰めた。黒々としたユウの瞳が、じっとリンを見つめている。
ユウの言ったことは、全くその通りだった。てきとうに酒をひっかけて、レオナやクルーウェルなどとちょっとだけ絡むかもしれないが、せいぜいそれだけだ。後は食事の準備をしたり、飲み物を注いだり、後片付けの段取りを少しずつ進めたりと、やろうとしていたことは多くあった。
……
そのどれもが裏方の作業としてのものだったが。
「リンさんの夏祭りって、いつもそんな感じなんですか?」
「───」
いや。そんな、ことは。
からん、と下駄の音が鳴る。ユウの下駄だ。サムの店で取り寄せることになったが案外安かった、といつだったかに言っていたのを思い出す。
リンは反射的に一歩下がろうとして、しかし背後の扉に阻まれた。
「リンさん」
からころと、浴衣の袖をふわふわ揺らして、ユウがリンとの距離を詰める。ユウはリンの両手を取って、ぎゅっと握った。
「旅行デートの前、に。私と浴衣で、夏祭りに行きませんか
……
!」
リンは目を丸く見開いた。夏の暑さか、ユウの頬はふんわり朱に染まっていた。瞳は水面のようにきらきら輝いている。髪を飾って、いつもとは違う衣装を身に纏って。全身全霊で、リンを誘ってくれる、その姿がどうにもいじらしくて、可愛くて。
「ぎゃふん」
「えっ」
「参った」
「───えっ」
「参りました」
「
……
!!」
ぎゅう、とユウが握る手に力を込める。リンはなんだかユウのすべてがふわりとなびいた、ような気がした。
「分かった。もう、参りますから。どうにでもしてくれ」
「っ
……
はい!!」
喜色満面、破顔一笑。ユウはぴょんぴょん飛び跳ねてリンを談話室に連れ込んだ。先程まではなかった衣桁に、藍染の浴衣と白帯がかけられている。その足元には下駄がちょこんと添えられていた。
肌襦袢を着て、変な皺が入らないように、少しだけ晒しを巻いて補正する。その上から浴衣を着て、腰帯を締め、おはしょりを整える。襟を抜いた後、伊達締めをし、その上から白帯を締める。帯の形は貝の目で整えた。
藍色に、観世水が流れて、縞菖蒲が揺蕩っている。化粧は薄く、紅は細くすっきりと引いて、リンはユウから手渡された揃いの団扇を持った。和紙でできているらしいそれの隅に、甚兵衛を着たグリムが水彩で小さく描かれている。ユウのは遠くにあるツナ缶を見ているグリムで、リンのはころんと転がっているグリムだった。
「行きましょう、リンさん!!」
からころ、からころ、祭囃子の中に下駄の音が溶けてゆく。リンは手を引かれるがままに、夏の夕暮れへと足を踏み出した。
眩しさに、団扇をかざす。
少しだけ持ち上げられた腕から、するりと浴衣の袖が少しだけ滑り落ちた。細いしなやかな腕が袖から覗く。
かざされた団扇の影に、細い朱色が一筋浮かんだ。
「あ、」
誰かが声を上げたが、それもざわめきに掻き消された。
オンボロ寮の前庭は、大層賑やかなことになっていた。噂を聞きつけてやってきた学生たちが、こぞって遊びに来たのである。楽な恰好で食べて遊び、勝手に飲料や食材を調達して、どんどん規模を大きくしていた。この手のことには皆慣れているのだ。
裁縫や衣装づくりが得意な生徒は頼まれればマジカルペンを振ってカタログ片手に即席で浴衣を作ってやっていた。射的の屋台では「イカサマだ!!」「金返せ!!」「喧嘩か?」「やれやれ!!」やんややんやの大騒ぎだ。
歓声やざわめきを縫うようにして、お囃子がスピーカーから流されている。これは甚兵衛を着たグリムの動画(約五分)をじっと静かに鑑賞したイデアが無言で己のデスクに座り、オルトにも手伝ってもらって作曲したものだった。ちなみに動画の差し入れと作曲依頼はユウが行った。
「ウワ!! また切れた!!」
ぼちゃん、とヨーヨーがプールに落ちる。へたくそ、と揶揄が飛んで、うるせえと生徒の一人ががなった。
夕陽はすっかり沈みかけていて、暗くなり始めた辺りを提灯が赤々とぼんやり照らしている。リンは祭りを初めて見るような顔をして、ユウに手を引かれるままのんびりと進んだ。
「後で花火も上がるんですよ!」
「えぇ?」
ユウが声を張り上げる。花火。リンは素直に驚いた。
───こんなに賑やかになるなんて
すれ違う人々は、各々それぞれのことに目を向けている。リンはそこにいたけれど、リンを見つめているのはユウだけだった。少なくとも、今この時だけは。
ビニールプールの傍のパイプ椅子に腰かけて団扇を仰ぐトレイは、ぷかぷか浮かぶスーパーボールとにらめっこしているリドルを見守っていたし、それをケイトとフロイドが面白そうに見ていた。
プラスチックのお面を斜めにつけたラギーは、片手にいかめし、片手にラムネと、夏祭りを満喫しているようだった。ジェイドはそんなラギーに何かの屋台を指示していたし、アズールはむつかしい顔で綿菓子をちまちま食べている。
「あ! 来たぞ!」
「お」
「ユウー! リンさーん!」
「こっちこっち」
長机の一部を占拠して、一年たちが手を振っている。焼きそばや焼きもろこし、バーベキューで焼かれただろう食材がまとめて取り皿に置いてあって、傍にはジンジャーエールやラムネがあった。
「みんなお待たせ! 見て見てリンさんの浴衣美人!!」
「見てる見てる」
「リンさん、綺麗
……
!」
「ありがと」
リンがはにかんで、「皆もよく似合ってるよ、浴衣」と優しく目を細めた。学生たちは揃って顔をもにょりとさせ、ジャックの尻尾はゆらゆらぎこちなく揺れた。美人に褒められて満更でもないけれど慣れていないのでどう振舞えばいいのか分からないのだ。
「あー、っと! はいこれリンさんの分!」
「あぁ、ありがと。皆は?」
「い、今、食べ始めたばっかりです」
「おいぎこちないぞデュース」
「ばっ、そっ、ンなことねえって!!」
「リンに褒められて照れてるんだゾ!!」
「うるせえ!! トウモロコシでも食ってろ!!」
「ふな゛ーッ!!」
変に滞っていた空気が流れて、いつもののんびりとした緩やかなそれが戻ってくる。皆がそれにほっとして、肩の力を抜いた。
「それにしても、すごい規模になったねえ」
「いつの間にかこんなことになっちゃって」
てへ、とユウが頭に手をやって誤魔化すように笑った。
「お店での遊び方とかは、屋台ごとに段ボールに書いて置いてあるんです」
「クルーウェル先生もいるし、まぁあんまり馬鹿な真似する奴もいねえっしょってことで、こーやってのんびり飯食えてるんすけど」
「なるほどね」
どこにもそれらしい姿は見えないが、来てはいるらしい。リンは視線を巡らせながら、「ところで」ぱくりと焼き肉を口にした。
「うちにピンポンダッシュかましたの誰?」
「んっぐ、」
デュースがむせた。
「
……
なんだそのぴんぽんだっしゅとやらは」
セベクが仏頂面で淡々と言う。「お前隠し事するときは声小さくなるタイプか」リンの言葉にセベクは「そんなことはない」淡々と返した。図星である。
「発案はユウです」
「エース!?」
「乗っかったのはオクタヴィネルっス」
「それとハーツの先輩も!!」
「ジャッククン
……
ユウサン
……
」
エペルが苦笑する。リンは「なるほどね」再度神妙に頷いて見せた。
「マァ怒ってはいないけどね」
「あ、なんだ」
「そ、そうなんですか
……
?」
ほんとに? という顔をしてデュースとセベクが眉を寄せる。
「それはそれとしてそこのカルビは私にくれるべきと思うのよね」
「お納めください」
「うむ」
ユウが深々と丁重に頭を下げながら取り皿を差し出す。自分の手元にあったそれが持っていかれたエースは半眼になったが、何も言わなかった。これがほんの少し怖がっているリンを裏で「リンさんも怖がることってあるんだw」と言っていたエースへのちょっとした意趣返しだと分かっているからだ。
……
リンには裏で監視していたとは一言も言っていないが、察しの良いリンのことである。この有様を一目見て、何もわかっていない筈がない。黙っておくが吉であった。
腹ごなしも終わってテーブルを綺麗に片づけると、皆はのんびりゆったり、人混みの中へ流れて行った。後ろからデュースにひょっとこのお面をつけてやったり、セベクがリドルの仇を討つと言ってスーパーボール掬いに挑戦するのを囃し立てたり、ユウが自分の手の中にあるヨーヨーとジャックの手の中にあるそれの大きさが違って見えると言い出したり、リンがツナ缶のピラミッドに命中させた射的が跳ね返って先程イカサマと罵られていた生徒の額に被弾したりした。グリムはツナ缶を大量に手に入れられてほくほくだ。
エペルは生徒達にせがまれてりんご飴をいくつも手際よく作って見せたし、エースはさりげなくスマホでぱしゃりと写真を撮ってやっていた。
「おい」
ふと、声がかかる。そちらを振り返ったリンの鶴首が綺麗な線を描いた。
「
……
」
レオナは小さく顎をしゃくって踵を返した。彼はリンの用意した黒十字の浴衣をよく着こなしていた。髪はすっきりと上げている。
リンさん、と呼ぶユウに、「すぐに戻るね」と言い置いて、リンは小走りでレオナの後を追った。
夏祭り、と言えば。
立ち並ぶ屋台、どこからともなく響くお囃子、ぞろぞろ動く人の波、きゃいきゃいはしゃぐ浴衣姿の女の子達、ワイワイ騒ぐ男子達、ちょっと眠そうにしつつも親に促されてもじもじしながら屋台で遊んだり綿あめを買ってもらったりしているこどもたち、など。様々な情景が思い浮かぶ。
じめじめとした暑さも忘れ、どこか浮かれた空気に足取りも軽くなり、打ち上がる花火にどこか寂寥を感じ、心地好い疲労と共に祭を終えるのだ。
地域によってはその祭りそのものが観光イベントとして盛り上がるところもあるだろう。開催場所は必ずしも神社仏閣ではないかもしれないし、山車が出るかもしれないし、ご近所さんしか集まらない小規模なものしかないかもしれない。
とは言え。大人にとって祭に付き物のアレと言えば、やはり。
ぷしゅ、と泡が立つ。
零れないうちに口に含んで、リンはごくごくと喉を鳴らした。
「ッはァ~~~! 優勝ッ!!」
夏祭り、と言えば。───やはり、缶ビールである。
リンは上機嫌に缶を煽った。苦みが口の中に広がって、喉の奥がカッと熱を持つ。パイプ椅子にもたれても腰の部分は穴が空いているので帯が潰れる心配もない。リンはゆうゆう団扇を扇いだ。
浴衣を手ずから用意することを条件に、リンはレオナに缶ビールをいくつか頼んでいたのだった。それもできるだけ、どこにでも手に入るようなヤツを。
高い酒が飲みたいわけでも、夕焼けの草原の特別な酒が飲みたいわけでもないそのお願いに使い走られたレオナは、「安い女だな」片頬だけでリンを笑った。
「言っとくけどあんたの浴衣の方が安上がりよ」
器用に片眉を跳ねさせ、半眼で笑んだリンが飄々と言う。反物は質さえ選ばなければ極端に価格を抑えることができるのだ。レオナはすん、と表情を落とした。
「だーいじょうぶよ、あんたにはそれなりの絹を用意したから。仮にも一応、王子様だものね」
リンがひらひら団扇を扇ぐ。生温い風に、レオナは表情を変えなかった。
「
……
仮にも一応、一国の第二王子を使い走りにするとはな。しかもたかだか酒の」
「だって私あんたの国の人間じゃないし。私の国この世界に無いし」
不敬ではあろうが、レオナの肩書きは今のところ高校生だ。二十歳だが。
外交問題に発展する訳も無し、リンが遠慮する必要は───余程のことがない限り───なかった。
「それに使い走りも今日で最後でしょ。夏休み明けたらあんたは実習行くんだし」
「
………………
」
途端に顔を顰めたレオナが腕を組んで溜息をついた。その顔を見たリンが思わずと言った体で静かに吹き出し、肩を震わせた。
「苦労するだろうね。まぁしっかりやんな」
「他人事だと思いやがって」
「他人事だもの。次に会えるのはもしかしなくとも文化祭か。卒論なにやんの?」
「決めてねぇ」
「やべえやつじゃねーか。私に不可の記録をさせるなよ」
言いながらリンが缶を煽る。リンがくちを離して息をつくと、ふと、その腕にレオナの指がそっと触れた。
「
……
ん?」
動きを止めたリンが瞬いて顔を上げる。案外近くに端正な顔があって、リンは胸の詰まる音を聞いた。
翠玉の双眸が、じっとリンを見つめる。
「
……
なによ」
数拍、間を空けて。レオナはようやく口を開いた。
「
…………
来年末の記録は、お前がするのか」
「
……
そりゃあ
……
」
どうも感情の読み取れない、凪いだ声だった。翡翠の双眸はじっとして動かない。どう返そうか迷ったリンはつい癖で頬を搔こうとしたが、レオナの指に緩く拘束されていて、なんだか動けない。
言葉を失ったリンとのすこししかない距離を、レオナは音もなく詰めた。
「俺が卒業するまで、お前はここにいるんだな」
「
………………
」
息が、詰まる。
噛み締められたリンの奥歯がぎしりと鳴った。
瞼が伏せられ、視線が隠される。レオナは伺うようにして覗き込もうとしたが、それからも逃げるように、リンは視線ごと顔を背けた。
「
……
それは
……
」
失言だった。
───残らないことを無意識にも意識するのが常だったのに。
年度末の立て込んだ仕事と、それらがひと段落ついた解放感と、酒のせいだ。リンは胸中で誰にともなく言い訳した。
「
……
最後なら最後だと思わせろ」
「
……
」
「知らぬ間に立つ鳥跡を濁さず、なんて俺が許さねえ」
静かな声だった。それ以上に、重さのある言葉だった。
まるで腹の底に抱えたものを無理に押し込んでいるかのようだった。レオナはゆっくりと離れ、リンの腕を解放した。やがてのろのろと、リンがぎこちなく団扇を扇ぐ。
そこへ、からころと下駄の音が紛れ込んだ。
「こんなところにいたのか」
「、」
「
……
なるほどな、仔犬どもから離れるわけだ」
ク、と喉奥でデイヴィス・クルーウェルそのひとが笑う。リンは黙って新しい缶ビールを冷えたクーラーボックスのプールから取り出すと、ぷしゅ、とプルタブを開けてクルーウェルに差し出した。
当然のようにして受け取ったクルーウェルは、軽く喉を鳴らすとすぐに口を離した。
「仔犬どもがそわそわと落ち着きがない。さっさと戻ってやれ」
「飲み終わったらね」
リンが缶ビールをぷらぷら揺らす。クルーウェルは嘆息して空いているパイプ椅子を引き寄せた。
「ツマミは無いのか」
「あ、枝豆出してたはずだけど。アレどこやったの?」
「
……
なんで俺に聞くんだ」
「だって、ちょっと目ェ離した隙にキッチンに用意してたやつ全部どっか行ってたのよ。あんた達の仕業でしょ」
「知らねえよ
……
」
レオナは唸って立ち上がった。リンだけならまだしも、クルーウェルと飲む気にはなれない。
「あ、ちょっと。
……
行っちゃった」
「放っておけ」
クルーウェルは何が愉快なのか、未だくつくつと喉奥で笑っている。リンは眉を跳ねさせたが、黙ってくぴりとビールを飲んだ。
「大方、俺が気に喰わんのだろう」
「でしょうけれども」
リンは嘆息し、目を眇めてクルーウェルを見遣った。───憎いほどに浴衣が似合う、この男。
裾の方に白のグラデーション。帯は深い朱色。肌襦袢も赤と来た。ちゃっかり自分の分も作っていたとは露知らず、リンはなんだかなあ、と視線を彷徨わせてしまった。誤魔化すように、目を瞑って缶を煽り、麦酒で喉を焼く。
塗れた口の端を指でちょいと直しながら周囲を見回すと、辺りはすっかり暗くなっていた。人いきれのせいか、アルコールのせいか、じんわりとした暑さが目元をふわりと緩ませる。
「
……
」
朱色の入った目端を、クルーウェルはじっと見つめていた。そして、なるほど、これがユウの言っていた浴衣美人かとも思う。
襟足から覗くうなじが艶やかで、同時に煽情的だった。かと言ってその佇まいは上品で、おいそれと手出しを許さない。ぼんやりとして団扇を揺らし、時折缶に口をつけてどこかいなせに喉を鳴らす。
細く引かれた紅がほんの少し崩れて、それが男の胸の裡をジリ、と焦がした。
「
……
似合うな」
独り言ちたクルーウェルに、ン、とリンが視線を寄越す。
「来年は、そうだな。朱染めや生成りも試してみるか」
「
……
えぇ?」
リンが怪訝そうに眉を寄せる。そこへ、するりと男の腕が伸びた。黒の麻が観世水に流れる菖蒲を囲う。
「飾りも。
……
自分で買ったのか?」
存外近くで低い声が響いて、リンは自分の息の詰まるのを聞いた。口元に団扇を寄せて、そっと顔を背ける。しなやかなうなじとすっきりとした襟元が晒された。
その所作も。男の胸を、ひどく低い音で鳴らした。
「
……
ン?」
静かに、促す。リンは漸う、「貰い物」と頬と首に集まる熱に細指を添えて鎮めながら言った。
「誰から」
「トレイン先生」
「
……
」
───冷や水とはこのことだと、クルーウェルとリンはそれぞれ違う心情を抱きながら思った。
クルーウェルが小さく舌を打つ。ファック、とそれは低い声で言ったのを、リンは聞き逃さなかった。
「ハロウィンのときといい、今回といい
……
」
「似合ってない?」
「
…………
似合っているから猶更腹が立つ」
「ふふ」
紅がゆるく弧を描く。クルーウェルは憮然として酒を煽った。
「簪って、お守りなんですよ」
「
……
」
「悪い男が寄ってこないように」
「
…………
」
クルーウェルはじとりとリンを睨めつけた。リンは「フン、」半眼で口端を吊り上げている。
「うそうそ、アンタほど好い男なんかいませんよ」
団扇をひらひら降って、リンは立ち上がった。遠くでリンさん、と自分を呼ぶユウの声がする。缶ビールを飲み干して、ゴミ袋に放り込むと、リンはするりとクルーウェルにしなだれかかった。
「お世話様」
そうして耳元で囁く。
クルーウェルがはたと瞬いた時には、リンは暗がりから提灯の下の光の中に移っていて、ユウに腕を取られ、ゆるりと微笑んでいた。
「
…………
」
ビールはすっかり、ぬるくなっていた。
眼下のざわめきをものともせずに、ドォン、と大輪の花火菊が夜空に咲いた。
きっと賢者の島の人々は、一体何事だと驚いただろう。ドン、ドォン、と空を揺らす花火は、目にも鮮やかに、そして儚く消えてゆく。
「綺麗ねえ
……
」
「
……
」
ぽろりとこぼれたそれに。ユウはなんだか胸の締め付けられる想いがして、そっとリンの腕に頭をもたせかけた。触れ合った指を、リンが搦めて、繋いでくれる。
じんわり、熱が集まる。苦しさに、ふと顔を上げると、リンはこちらを見つめて、優しく微笑んでいた。
「───」
炎の花が、ほんの一時、そのひとを照らす。
なんだか恥ずかしくって、苦しくって、顔の熱いのにどうにかなりそうになって、ユウは思わず片手で抱き上げていたグリムをぎゅうと締めてしまった。ぐえ、と呻いたグリムがするりとユウの腕を抜けて肩に移動し、フン、と一息つく。
リンはさらに笑みを深めて、眠そうなグリムの喉も指で擽ってやった。ごろごろと気持ちよさそうにグリムが目を細める。
やがて静寂が訪れる。
天上天下を繋ぐ花火が消えたのだ。出会ったとこしえと刹那が別れて、長く短い祭りが終わる。
「戻ろっか」
静かな声は、雑踏の中でもユウの耳によく届いた。はい、と頷いた声は、自分にしか聞こえなかったような気もするけど。
……
もしかしたらリンもそうだったかもしれない。
きっと、明日の朝、起きて。リンはいつも通りにご飯を作ってくれているだろうから、それを見て、あれは遠い夢だったのかもと思うかもしれない。後片付けは全部明日と皆で決めたから、それも全部終わってしまったら、余計に。
それは、なんだかちょっと。ほんのちょっとだけ、寂しいかもしれない、と。ユウはぐずる子供のように、リンと繋いだ手を離さなかった。
夜明け
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