紫輝
2024-10-12 10:49:53
36174文字
Public リオヌヴィ
 

【リオヌヴィ】200年振りのただいまを【原神】

人間としてヌ様と添い遂げて星に還った200年後に記憶を置き忘れて転生したセスリ殿が忘れ物を取り戻してヌ様に逢いに行く話です



看護師長が語ることには


 今日はなんて良い日なのかしら! シグウィンは輝いて見えるカレンダーの数字を見つめてにこにこと笑う。手の中には何度も読み返した水の上からの一通の手紙。待ち望んだ人の帰還と久方ぶりの訪問を知らせるそれを丁寧に封筒の中へしまって、耐衝撃・耐水性のケースへしっかりと収めた。ケースを引き出しの中へ戻し座っていた椅子から飛び降りて、棚へと歩み寄る。
 ティーセットは用意済みだ。主さまが趣味の一つに加えた陶芸で製作したという三組のカップとソーサーにはそれぞれ、ノンビリラッコと、鮫と、メリュジーヌの意匠が施されている。特別なときにしか使わない大切なそれらを綺麗に拭き上げて、お水と紅茶は数種類。プロが来るのだから用意はそれだけでいいだろう。
 コンコン、と自室の扉が来客を知らせる。そう、自室だ。今日は大切な日なので、医務室は弟子たちに任せてきている。なにか大事件が起こったらすぐに呼んでねと伝えてあるし、本当に大事件が起きれば『お客様』たちが率先してシグウィンを医務室へ送り届けるだろう事は想像に難くない。公爵ではないけれど、何も起きなければいいなぁとそっと願いながらドアを開けた。
「ごきげんよう、シグウィン。息災だっただろうか。時間を取ってくれてありがとう」
「ごきげんよう、ヌヴィレットさん! お元気そうで何よりなのよ! ウチ今日をとっても楽しみにしていたの!」
 ふわりと微笑む、ここ二百年で一番の『息災』を見せてくれるヌヴィレットに笑顔を返して脇に避け、どうぞ入ってと促して。
「アナタもよ! 早く早く!」
 後ろに控えていたもう一人の『お客様』の服をぐいぐいと引くと、伸びる伸びると困ったような声を上げながら彼は部屋へ足を踏み入れる。ドアがきちんと閉じたのを確認してから、シグウィンは記憶と変わらない高さを誇る『お客様』へ思い切り飛びついた。
「お帰りなさい、公爵! 待ってたのよ! 久しぶりね、とっても元気そうでウチ嬉しいのよ!」
「歓迎ありがとう、看護師長。遅くなってすまない。ただいま」
 ぺたぺたと顔や頭を触診するシグウィンの手をはにかみながら大人しく受け容れているリオセスリの目周りや喉元に傷はない。少なくとも命の危機に瀕することなく今まで育ってきたのだと思うと嬉しくて、そう考えてしまうと確信が欲しくなった。
「はい、脱いで!」
「え」
「公爵がちゃ~んと自分を大切にしてきたかどうか診てあげる。ほらほら早く!」
 するりと腕の上から滑り降り胸を張ると、リオセスリは「ええ」などと動き渋る。観念なさいと叱る前に、横合いから涼やかな援護射撃が入った。
「君が健やかに過ごしてきたことを示してやると良い。私にそうしてくれたように」
……わかった」
 はぁ、とため息をひとつ。がしがしと頭を掻いて、リオセスリはボタンに手を掛けた。その様にふふと笑う。結局彼はシグウィンたちメリュジーヌに弱いし、ヌヴィレットにはもっと弱いのだ。
 これでいいかいと晒された上半身はほぼ記憶のままの見事なそれと言って差し支えなかった。「前」には大小さまざまな傷がその逞しい身体に刻まれていたが、今はそれもない。とはいえ全くの無傷というわけでもなさそうだ。然るべき処置はされているようだけれども。
「うん、ひとまず合格なのよ。元気に育ってきたのね。えらいえらい、なのよ」
 他の傷たちとは趣を異にする背中の引っ掻き傷をつんつんとつつきながら診断を下せば、ありがとうセンセイ、と居心地の悪そうな答えが返ってくるのにくすくすと肩を揺らした。
 公爵のお茶と最新のお菓子に舌鼓を打ちながら会話に花を咲かせる。「やらかし」にはしっかり雷を落としておいた。誰よりも本人がひどくショックを受けていたし他でもないヌヴィレットからフォローが入ったのでそれなりで済ませてあげたけれど。フリーナに頼まれて吹き込んだレコードは大いに役立ったようで誇らしい。あとで図書館の友人たちにお礼の品を用立てなければ。
 今の公爵は「上」で警備会社を経営しているらしい。鍛え上げられた体躯とそれが無傷でない理由に得心を得て、記憶がなくてもカリスマって滲み出るのねなどと思ってみたりして。
「ここには戻ってこないの?」
「おいおい看護師長。真っ当に生きてる今の俺に手を汚せって言うのかい?」
 首を傾げてみるとリオセスリは顔を顰めた。元々メロピデ要塞の管理者の職にそれまでの経歴は関係ない。相応の武力と交渉力、事務処理能力があれば誰にでも――それらの最低ラインはそれなりに高いのだけれど――その椅子を欲する権利があるのだ。公爵その人のおかげで随分と過ごしやすくなったここでまた彼と囚人たちの面倒を見て過ごすのはきっと楽しいだろうな、と考えたのだが、どうも犯罪に手を染めろと言っているように聞こえてしまったらしい。心外だ。
「すまない、シグウィン。君の提案でも、それは受け容れられない」
 もう彼を水の下にやりたくないのだ。
 ぷんと膨れる前にヌヴィレットにゆるく首を振られる。私は『最高審判官』ではなくなったが、やはり水の下との諸々には制約がかかってしまうから、と。
そうよね。確かに遠距離恋愛になっちゃうものね。ごめんなさい、ヌヴィレットさん」
 今の管理者のように水の上から出勤することも出来なくはないけれども、例えばリオセスリが管理者に戻ったとして、よくよく考えればパレ・メルモニアで彼と言葉を交わすのは今はヌヴィレットではないし、会談帰りに顧問審判官の執務室に寄る理由がそれこそ無い。あらこれもしかして「前」より良くないんじゃないかしら。そこまで考えて、リオセスリが乗り気にならなくてよかったと胸をなで下ろす。提案を呑んでやれなくてすまないと肩を落とすヌヴィレットにウチこそごめんなさいと首を振って、せっかく二人とも自由に生きて良い身分になったのだから余計な枷などつけさせるべきではなかったと反省したことを伝えると、ヌヴィレットさんが良い考えだなんて言い出さなくてよかったよと公爵が戯けてくれて。
 やっぱり良い子だわ、と思ったし、見てみたい、と思った。彼曰く「真っ当に生きてる」今の公爵が、水の上でどんな風に過ごしているのかを。
「ねえ公爵、一つ「前向きに考えてほしいこと」があるのだけど」
「空恐ろしい言い方をしないでくれ」
 「前」していたように手招くと、肩を竦めながらも耳を寄せてくれた彼に囁く。ぱちりと瞬いた彼は、わかったよ、と笑った。

* * *

とは言ったが、本当にいいのかい? 要塞 あそこほど給料は出せないし、刺激には欠けるかもしれないぞ?」
 自分で言うのもなんだが俺のとこは街のイチ警備会社だからな。
 陽光の下、石畳を並んで歩きながら首を傾げるリオセスリにシグウィンはふふんと笑う。
「ウチ、そんなに欲張りじゃないもの。公爵にもらったお給料、まだた~くさんあるのよ」
 リオセスリが管理者となってからシグウィンの給金は跳ね上がった。歴代の管理者たちも要塞におけるシグウィンの――医療従事者の重要性をよく知っていたから彼が退いてもそれは据え置きで。綺麗なものは好きだけれど、人間にとってその筆頭である「宝石」には全く興味の無いシグウィンにはそれこそメリュジーヌの長い生を持ってしても使い切れないくらいの、研究用にちょっと高価な薬剤を仕入れてもそうそう懐が痛まない程度の蓄えは(勝手に)できているのだ。
「また公爵とお仕事できて、ヌヴィレットさんにも沢山会えるならこっちの方が断然良いわ」
 事前に知らせてくれれば基本的には要塞の方にも自由に顔を出しに行って構わないとリオセスリは言ってくれているし、「前」よりも少しだけ二人に近いところで、大好きな二人が健やかに過ごしているところを見守れるのだと思えばなんだかわくわくしてしまう。シグウィンもメリュジーヌなので。ほかのみんなと同じように、主さまとその伴侶が幸せでいてくれたら嬉しいのだ。
「看護師長がそう言うなら、俺としては願ったりだけどな」
 またよろしく頼むよとリオセスリが笑うのに任せてちょうだいと胸を叩いて、彼の新しい――今日からはシグウィンにとってもそうなる――居場所へ続く扉を開けた。