紫輝
2024-10-12 10:49:53
36174文字
Public リオヌヴィ
 

【リオヌヴィ】200年振りのただいまを【原神】

人間としてヌ様と添い遂げて星に還った200年後に記憶を置き忘れて転生したセスリ殿が忘れ物を取り戻してヌ様に逢いに行く話です



 ――パレ・メルモニア。記憶と寸分違わぬ凛とした佇まいを見せるその建物を見上げて深呼吸をひとつ。足を踏み入れるのは初めてではない。フォンテーヌ廷市民であれば皆、市庁舎も兼ねているここには一度くらいは訪れたことがある。リオセスリも例に漏れずだが、今日は必要な心構えが常と段違いだった。一番近いものを選ぶとしたらヌヴィレットへの恋を自覚して、初めて『贈り物』を持って訪れた時、になるだろうか。心臓が仕事をし過ぎて少々苦しい。
 あのあと改めて現在のヌヴィレットについて調べてみたが、どうやらのひとの現在の肩書は『顧問審判官』らしい。どうも直接表には出ないようだ、というところまでしか追えなかったので詳細は不明だ。調査中に気づいた。そういえばこの歳までここで暮らしてきて一度も、『顧問審判官』の肩書も、『ヌヴィレット』の名も聞いたことがなかったな、と。肩書はともかくせめて名前を聞いたことがあったならあんな顔をさせずに済んだかもしれないし、こんなに待たせずに済んだかもしれないのに、と、自らの察しの悪さを棚に上げて思いながら、警備の警察隊員の微笑ましいものを見る視線を受けつつ(初めて訪れた人間だと思われたのだろう)扉をくぐる。
 階層ごとの案内表示にも顧問審判官の文字列はなく、少しだけ迷ってひとまず四階に向かうことにした。セドナか、もしくはその後輩かがいれば相談もできるだろうと思ったので。
 懐かしい四階の懐かしい席には懐かしいメリュジーヌが控えていた。話が早く済みそうだという気持ちと、大切な主さまへの仕打ちを鑑みるといきなりお説教される可能性もあるよな、という気持ちを半分ずつ抱え、真っ直ぐにカウンターへと歩み寄る。
「セドナさん」
「こ!」
 公爵様、と、上げかけた声はなんとか抑えたようだが身体の方はそうもいかなかったらしい。ぴょこんと跳ね上がり、その勢いのままカウンターから飛び出してくる姿は見知った彼女の印象とは違っていたが、どうやら歓迎してもらえているらしいということはぴこぴこと動く触角でわかった。お叱りを免れたらしいことに密かにほっとしつつ、かける言葉に少しだけ迷って「久しぶり」と口にすると、セドナは大きな瞳を潤ませてはいと応じる。
「もっと早くここに来るべきだったんだが忘れてるのさえ気づいてなかったデカい忘れ物を取りに戻ってたらこのザマだ。ヌヴィレットさんに会わせてもらえるかな」
 不甲斐ない元つがいだが。頬を掻いて告げた言葉に、セドナはぷんとその頬を膨らませた。
「ヌヴィレット様のつがいは、今までも、これからも、公爵様だけです! そんな言い方しちゃダメです! 忘れ物に気づいて、ちゃんと取り戻したから公爵様はここにいらっしゃるんですよね? だったら私が反対する理由なんてありません。公爵様がいらしたら声を掛けるようにって、前から私ヌヴィレット様にご指示も受けてるんですよ!」
「それは知らなかったな」
「内緒でしたから」
「今内緒じゃなくなったな」
「あっ! 内緒じゃなくなったこと内緒にしてください
 姉のように笑ったかと思えば得意げに胸を張り、口を滑らせたことに気づいて肩を落とすセドナに小さく笑って約束だとうなずく。居住まいを正して首を傾げた。
「実は顧問審判官って肩書は初めて聞いたんだ。手続きの仕方がわからないんだが、どうしたらいいかな」
「そうですね。今のヌヴィレット様の役職はあまり外部とは関わらないものなので特に案内は出していないんです。というか、外部の方との面会を想定されていません」
「そうなのか。道理で」
 リオセスリの問いに、セドナは顎に手を当てて中空を見つめる、メリュジーヌ特有の愛らしい仕草をして答えてくれる。『顧問審判官』は、簡単に言うと『審判官たちのサポートをする仕事』らしい。法廷に立つことはなく、審理に関わることもない。名誉職のようにも聞こえるが、人が人である限り裁判は無くならない。過去の判例や豊富な経験に基づいた助言を得ようと、審判官達はヌヴィレットの執務室をよく訪れているそうだ。現在まで公平で公正な裁判が執り行われているのは彼のひとの尽力あってこそなのだなと、離れていた間も変わらぬ彼の眩さにそっと目を細める。でも、と真っ直ぐにリオセスリを見つめたセドナが、両の手を体の前でキュッと握り。
「公爵様ならお通ししない理由がありません。万が一ご予定が入っていても、私が責任を持ってずらしました!」
 力強く宣言してくれる。彼女の精一杯自分達を応援してくれようとする姿勢があの頃と何も変わっていなくて、情けなくも鼻の奥が痛んだ。
「はは、それは頼もしい」
「お部屋は以前と変わっていません。そのままお進みくださいね。あ、公爵様がお客様ならティーセットのご用意だけで大丈夫ですか? お茶もご用意しましょうか」
「いや、「いつも通り」で構わないよ。よろしく」
「はい! 後でお持ちしますね。あ、公爵様」
 どうやら震えずに済んだ声に安堵して、久方ぶりの会話を交わす。元気にうなずいたセドナが、早速と背を向けかけて立ち止まった。
「なんだい?」
「私たち、みんな待ってたんです。お帰りなさい」
ああ。ありがとう」
 振り返り、満面の笑みでかけられた言葉に笑みを返す。
 ただいま、とは言わなかった。一番に言いたいひとは、もう決まっていたから。


 扉を叩く感覚と、入室を許可する声。「前」の記憶でも五年かそこら振りのやり取りだ。懐かしい、なんて暢気なことを考えている場合ではないがどうしても考えてしまう。「前」はそう、優秀な看護師長のサポートのおかげで大怪我や大病を患うこともなく、年月による如何ともし難い身体の衰えで職を退くまではこうして彼の元へ、定期報告を理由に訪れていたものだった。
「ごきげんよう、顧問審判官殿」
……君は……
 リオセスリの姿を見たヌヴィレットの瞳が軽く見開かれ、すぐに凪ぐ。そして用件は、と平坦な声が紡いだ。『部外者』の君がどうやって入ってきた、とか、聞きたいことはあるだろうにそうしないところがこのひとらしい。
 慣れた、そして懐かしい距離をまっすぐ辿り机の前へ。定位置で立ち止まり、『土産』をまずは机上へ置いた。
「押しかける形になってすまない。もう一度、ちゃんと話がしたくて。これは無礼の詫びだ。顧問審判官殿は紅茶を嗜むと聞いたものでね」
 ちらと『土産』に目をやったヌヴィレットの瞳が隠しきれず揺らぐ。小さな白い花が描かれた素朴なパッケージのこの茶葉は、やわらかい口当たりと優しい香りが通の舌を満足させる、所謂知る人ぞ知る逸品だ。特徴である「香り」を担う花の開花期間の関係であまり数が出回らないこと、そもそも知名度が低いことからこれが贈答品として選ばれることはほぼないと言っていい。
 これは去る日モンドの友人から薦められた物だった。舌が肥えてるほど美味く感じるらしいぞ、と笑っていた友人も大地に還って久しいのだろう。
 パッケージのこの花の花言葉は『永遠の愛』だとかなんとかで、産地の村では結婚式の定番の引き出物だそうだ。あんたの水龍サマと飲むといい――それはもう楽しげにそう耳打ちしてくれた彼の言葉を伝えた時の、珍しくもわかりやすく淡く染まった頬に可愛いと口づけを贈って以来、時期が来ると二人でこの紅茶を飲むのが習慣になった。所謂想い出の紅茶だ。手に入る時で本当に良かった。ここまで来ると運命すら感じる、などと都合のいいことを考えてしまう。
 紅茶を見つめたまま、ヌヴィレットは黙り込んでいる。その優秀な頭脳で、「『リオセスリ』が」「この茶葉を持ち込んだ」ことに対する偶然の一致の確率なんかを考えているのだろう。一番可能性の高い選択肢を最初に潰したのが自分なだけに、難しく考えないでくれよなどという軽口は間違っても口に出せない。その寂しげな表情に思わず伸びそうになる指はぐっと握り込み、意識をヌヴィレットから室内へと向けた。
 「あの時はすみませんでした、記憶が戻りました」などと言ってみたところでこのひとは信じないだろう(自分が同じ立場だったら信じない)。どこから「彼」の話を聞いたのかと詰問されるか、最悪叩き出されかねない。
 ではどのようにして自分が自分であると彼に信じてもらおうか。いくつか作戦を立てながら久しぶりに足を踏み入れ見回した執務室の風景に、うっかり作戦 それらは吹き飛んだ。
 変わっていない。己の記憶では約五年、けれど実際には二百年の時が過ぎて尚、この場所は、この場所の持つ雰囲気は変わっていない。飾ってある花も、茶棚の位置も。
懐かしいなぁ」
 呟いて、茶棚へ歩み寄る。ヌヴィレットが眉を顰める気配がしたが止められなかった。
 棚のレイアウトまで以前と同じだ。流石にひとつひとつの茶葉の位置までは覚えていないが。
 誇らしげにラベルを主張する缶たちと、それらを引き立てるための砂糖やジャム。それらの中に珍しいラベルを見つけてつい手に取った。
アカツキシロップじゃないか」
 モンドの老舗『アカツキワイナリー』がワイナリーに育つ林檎の木から作るシロップは、毎年決まった、ごく短い期間にしか流通しない。本当はそれも一緒に持ち込みたかったが時期が合わなくて手に入らなかったのだ。
「この茶葉にだけはこのシロップが一番合うと君が、?」
「切らさないようにしてくれてたんだな。ありがとう」
「あああ?」
 背後からそんな声が飛んできて、はっとしたように途切れて、それから戸惑ったように沈黙する。探られている。そう感じて、本来のプランとは異なるがこのまま進むことにした。
 不躾と知りつつ、つい開けてしまった引き出しに行儀良く並んだカトラリーはよく手入れされていて大事にされているのが分かる。金属達の色合いに年月の流れを感じて不思議な心持ちだ。
 それらのうちの一つ、白磁のティースプーンに気づいて思わず眉が寄った。他のものより丁重に、重ねた布の上にそっと置かれているそれの先は少し欠けている。
このティースプーンは欠けているから処分するって話だったよな? なんでまだここにあるんだ?」
 一度話し合いで「処分」の結論が出た物だ。まさか使ってはいないだろうが、何かの拍子にその指先を傷つけでもしたら困る。
「君が、節目に贈ってくれたものだったから。捨てられ、なくて」
 少しばかり低くなってしまった声に、許しを乞うような力無い答えが返った。カタリと筆記用具を置いたような音と、衣擦れ。
「気持ちは嬉しいが俺の贈ったものであんたに傷がついたら俺はこいつを粉砕しかねないぞ。新しいものはあらためて贈るとして、そういうことならこれは修復に出すか。陶器を扱える職人だめだな、前の記憶は役に立たない」
 あの時もそうすれば良かったな、なんて遅すぎる後悔などしつつ幾つか思い浮かべた看板は、現在まで残っていれば老舗中の老舗になっていることだろう。生憎「前」の趣味をここまでの生では引き継いでいない。その方向のアップデートが必要だなと脳内のリストに書き込んで、引き出しを閉めた。
 絨毯を踏む音が、静かな執務室の空気を揺らす。振り返った先に、そのひとが立っていた。
「リオ、セスリ、殿」
「ん?」
「リオセスリ殿」
 愛してやまない声が紡ぐ己の名はいつだって心を満たす。
「なんだい、ヌヴィレットさん」
 このひとには二百年ぶりになる。温かく響くように。柔らかく響くように。込められるだけの想いを込めてその名を空気へと乗せた。
……っ」
 信じる事を恐れるようにその足は数歩のところで止まる。躊躇いの色濃い指先が、二人の間でゆらゆらと揺れていた。
悪かった」
 びく、と痩身が跳ねる。見開かれた紫水晶に絶望の色が差したのを見てとって、そういう意味じゃないと慌てて言葉を重ねた。
「忘れてて、悪かった。ずっと待っててくれたんだよな? ありがとう、ヌヴィレットさん」
 ひゅ、と鋭く息を吸う音が室内に響く。震える唇は何も紡がない。幼子が親を求めるように、中途半端に伸ばされたまま静止した指先に己のそれで触れて、 こいねがう。
「来ないなら俺から行ってもいいか? あんたを抱きしめたい」
 言い終えた直後、身体全体に温もりと衝撃。背に回った腕の力はどう考えても本気のそれで息が詰まるがそんなのは瑣末ごとだ。こちらも全身でその存在を感じるべくその身体を抱きしめる。少し痩せたかな、とは思ったけれど、少々低めの体温も、鼻をくすぐる すがしい水の匂いも記憶のまま変わらない。髪から香るのが以前贈ったオイルの香りだと気づいて愛おしさが溢れた。
「リオセスリ殿」
「うん」
「リオセスリ殿」
「うん、ヌヴィレットさん」
「待って、いたんだ。君を。ずっと」
 くぐもる声は震えている。伏せられたままの銀色の頭を撫でながら長年の癖で目をやった空は青い。けれど窓は濡れていた。天気雨、と、胸中で呟く。ヌヴィレットの感情に変換するならば嬉し涙というやつだろうか。だったら嬉しいな、などと浮かれたことをつい考える。こうして待っていたと言ってもらえただけで今生分の幸せは貰い尽くしたと感謝しなければならないくらいなのに。
 君に、と、肩口で声がする。顔を上げてくれないところを見るに、彼曰く「見られたくない顔」とやらをしているのだろう。覗き込みたいのを堪えて、髪を撫でる手は止めずに先を促す。
「君に誰何されたとき、心のどこかで安堵していた」
 ぽつりと落ちた声は雨の最初の一粒のようだ。
「我々のような存在の強い想いは、その正負にかかわらず呪いと同じだ。君の魂を縛ってしまったのではないかと不安だった。だからこれで良かったのだとすら思った」
 ぽつりぽつりと降る言葉に差し掛ける ことばが咄嗟に見つけられなくて、せめてと回した腕に力を込める。よく回る自負のある口は、こういう時に限って仕事をしないのだ。
 込められた力に気づいたらしいヌヴィレットが、返礼のように指先に力を込めて小さく笑う。
「だがこの部屋に立つ君の姿を見てそれが間違いだったとわかった。私は君をリオセスリという男を諦めたくない」
 すまないが今生も私に付き合ってくれ。
 上げたかんばせをどこか晴れやかな笑みで彩ってそんな事を言う愛しいひとの頬を堪らず撫でる。胸を占める想いが直接伝わってくれたらいいのにと。
 だけどそんなことは不可能で、だから人には言葉があるのだ。
気づいてくれて良かった。あんたは寂しがりのくせに諦めるのは上手いからな。言ったろ? 俺を諦めてくれるなって」
「ふふ、そういえば確かに何度も叱られた」
 懐かしいとヌヴィレットは笑うが本当に苦労したのだ。自分がこんなに惚れ込んでいるのに考え直せだの軌道修正するなら今だの。しかもそれを泣きそうな顔で言うのだから思ってもいない事を口にしているのが探らなくてもわかった。冗談ではなく死ぬほど惚れているひとに泣きそうな顔でそんな事を言われる立場になって欲しい。軌道修正云々の前に心臓が潰れる。
 このひとならその辺り、本気になればいくらでも取り繕えそうなのにそうしなかったのかできなかったのか、まあどちらにせよその時点で悪い意味で必死だったのは見え見えで、そんなところも含めて愛しくて、その度懇切丁寧に口説いたものだった。二百年越しに報われたらしい苦労に、過去の自分へそっと労いを贈る。
「まあ例えあんたが諦めてても、俺があんたを口説きに行っただろうけどな」
 一度できた事だ。今生の自分は『公爵』でもなんでもないただの一般企業勤めだが、このひとだって『最高審判官』ではない。少なくとも身分に阻まれないのなら、「前」とやる事は変わらない。このひとの隣を得るために、どれほど時間をかけてでももう一度イチから口説き落とすだけだ。今度は、飛び込んでくる前に。
「私を忘れていたのに?」
あんたが俺に気づくのが早すぎたんだよ」
「ではそういうことにしておこう」
 結果的に軽口となった決意表明を、ヌヴィレットが楽しげに揶揄ってくる。のに、自己嫌悪と申し訳なさという苦すぎる感情を噛み潰してそう答えれば、彼はくすくすと肩を揺らした。
 話したいことが沢山あるのだと、雨上がりの声音が言う。何から話そうか。まずは君に紅茶を淹れてもらわなければ。まるで青空の下でステップを踏むように声を弾ませるヌヴィレットがひたすらに愛おしい。締まりのない顔になっていなければいいけれどと微かな不安を抱きつつ心地良い唄に耳を澄ませていると、その唄が不意に止み。
「ああ、一番大切なことを言い忘れていた。お帰り、リオセスリ殿」
 きっとこの二百年で一番の笑みが花開く。
ああ。ただいま。ヌヴィレットさん」
 今この瞬間テイワットで一番幸せな人間は間違いなく自分だ。絶対の確信を溢れる想いに代えて、花笑むひとへ唇を寄せた。