氷紀
2024-12-31 00:43:33
13064文字
Public
 

今はおやすみ、蛇沢くん

『蛇沢ちゃんの話/10000字くらい』というリクのはずだったんだ……
世界観は5期軸想定、CP的には一応高沢……の、つもり……たぶん、そうじゃないかな……



 紅葉の中を、すり抜けるように駆けていく。
 あまり足元はよくないけど、蛇沢くんの住む横穴までの最短距離をたどる。辺りの空気は秋の気配にしんと澄み渡っていて、そこかしこに鳥の声が響き、小動物の気配が動いている。やっぱり、いつもの秋より明らかに多い。おそらくは天敵がいなくなったから――その、いなくなった天敵とは『誰』なのか。
 最悪の可能性が心に浮かぶ。

 もし、彼が『食べること』を拒んで死んでしまったなら。
 それは僕が関わった所為だ。

 彼の暮らす横穴までもう少し、というところで、木々の向こうにきらりと光るものを見た。金色の、濡れたような光――見間違えるはずがない、蛇沢くんのうろこの色合い。
 生きてた。
 最悪の想像が外れてくれて、まずは安堵する。
 だけど、木々の向こうから聞こえてきた声は、ひどく悲痛だった。
「だめ、こないで!」
 一旦足を止めて、声をかける。
「僕だよ、蛇沢くん。……久しぶりだね、無事でよかった」
「どうして、……こないでって、言った、のに」
「心配だったんだ、きみが食べてないんじゃないか、って……
 一歩、距離を詰める。
 足元に手頃な枯れ枝が転がっていたので、僕はそれを拾い上げた。
「いやだ、……だめ、きたらだめ、」
「僕のこと、好きだって言ってくれたよね。それできみが苦しんでるって思ったら、いてもたっても居られなくて」
 もう一歩、二歩。
 きたらだめ、と繰り返す声は、回数が重なるにつれて震えが強くなる。
「元はといえば、僕の身勝手だ。きみに近づいて、何度も言葉を交わして、……それできみの半分の、『蛇』の部分を苦しめることになってしまったんだろう、って」
 更に数歩近づいて、もう一度足を止める。
「その様子だとやっぱり、食べてないね。餓えてる獣の気配がするよ」
「いや、いやだ、……あなただけは、……絶対たべちゃ、だめ……なのに、」
 手近な木の幹に体を巻き付けて、腕でもしがみついて、僕にがら空きの背中を向けて――蛇の尾の先が、虚しく枯葉の地面を掻いている。逃げたいのとその逆と、荒れ狂っている心がそのまま映し出されている気がした。
 今、手元の枯れ枝を彼の背に突き刺させば、僕は簡単に彼を殺せるだろう。野生の生き物だったらまず有り得ない行動に、少しだけ悲しい気持ちが湧いてくる。
 ……やっぱり僕の所為だ。
 僕に関わって、彼の有りようは歪んでしまったんだ。
「ごめんね、蛇沢くん」
 僕は服の袖をまくり上げて、自分の腕に枯れ枝を突き立てた。
 手の甲側、手首と腕の境目あたりに鋭い痛みが走るけど、最初から覚悟の上だ。
 血の匂いがぶわりと広がる。
 蛇沢くんの尾の先と大きく跳ねて、どん、と鈍い音がした。
 蛇の体が幹から解けて、やっと、顔が見える。
「う……あ、」
 絶望と、本能的な喜びが半々の――そして、彼の視線から理性が抜け落ちて、僕の腕に飛びついてくる一瞬が、まるでコマ送りのように記憶に焼き付いた。
 引きずられるように、座り込む。足元でがさりと鳴る音が聞こえて、枯葉と土の匂いが鼻先を掠めた。
 彼の牙に傷口を押し広げられて、また痛みが走る。
――っ、」
 痛みと共に、血を啜られている感覚が走って、背筋がぞくりと震えた。
「ぁ、……っ、ん、おい、し、……だめ、……なの、に、」
 うわごとのような声が、切れ切れに聞こえてくる。
 きっと、彼の中でこなごなになった理性の欠片が、言葉になっているんだろう。僕は黙ったまま、もう片方の手で彼の頭を撫でた。うろこと同じ色合いの髪。近くで見てみれば、髪からはすっかり艶が抜けていて、人の上半身も鱗も、どこかしなびた印象を受ける。……本当に、食べてなかったんだ。
「あつ……い、もっと、……や、だ、……こんな、……っ、ん」
 ぴちゃぴちゃと、音がする。うわごとと一緒に牙が動いて、そのたびに痛みが走る。最初は僕より冷たかった彼の息が、だんだん、熱を帯びたものになっていく。
「お、いし、……だめ、……だ、め……、たべ、ちゃ、」
 腕に走る痛みで、理解する。揺れる牙の半端さは、蛇沢くんが肉か骨を食いちぎりたいのを、必死に自制している動きだ。僕に余計な痛みを負わせまいとする、理性の必死の抵抗。
「ごめん、ね」
 僕がつぶやいた言葉は、届いているのかいないのか。僕の血肉を貪り食いたい本能と、最後の一線だけは譲りたくないと抵抗する理性が、彼の栗色の髪の下でせめぎ合ってるんだと思うと――今まで知らなかった何かが、僕の中にはっきりと根を張るのを感じる。
 これは、何なんだろう。
 考えてみようとしたけど、気がついたら頭が回らなくなっていた。
 幽霊族の力の源泉である血をダイレクトに抜かれてるんだから、相応のことになって当然だ。ご先祖様の霊毛があれば、うっかり死ぬようなことにはならないだろうけど――地獄の鍵が暴れ出す前に、蛇沢くんが満足してくれるかどうか。それだけが、唯一の心配事だった。
 視界がだんだん暗くなってくる。
 ぴちゃぴちゃと粘る水音が、だんだん、砂嵐のような音に掻き消されていく。
 蛇沢くんのうわごともよく聞こえなくなって、重力の方向も怪しくなって――

 次に目を覚ましたとき、僕は濡れた枯葉に埋もれていた。
 空気の当たる感触で、どうやら顔だけは出しているらしいけど、と把握する。

 体が猛烈にだるい。それでも地獄の鍵は、いつも通り静かな熱をたたえて体の奥に埋まっていたから、取りあえず、僕は賭けに勝ったらしい。……その引き換えに、ずきずき痛む腕を持ち上げることすら、できそうにないけど。
 意外と温かい枯葉に体を埋めたまま、重い瞼を持ち上げる。
 真っ暗だ。でも、気配がひとつ、隣にあるのは分かる。
……蛇沢、くん? そこに、いるの……?」
 何とか押し出した声は、ぎりぎり言葉に聞こえる程度に掠れきっていた。
「あ、」
 蛇沢くんの声と近づく気配。唇に何か触れて、冷たいものが流れ込んできた。
 水だけどただの水じゃない、……穏やかで柔らかい気配を持った、霊水だ。気がつけば、体が勝手に呑みこんでいる。
 同じものが三度、四度、唇の上にやってきて――やっと、視界が戻った。
 ぽかりと青い灯火が浮かぶのが見えて、その明かりで浮かび上がるのは、前にも何度か来たことのある、蛇沢くんの暮らす横穴だった。僕が立って普通に歩けるくらい、このねぐらは広い。本来明るくする必要はないらしいけど、彼は僕の為にと、陰火の明かりをひとつ用意してくれた。
 ……僕も夜目は利くから、実はそんなに明かりは要らないけど、僕の為にと明かりを用意してくれた蛇沢くんの心が嬉しくて、何も言わずにおいたんだっけ。
 目の前に沢城くんの顔があって、僕は回らない頭で問いかけた。
「この水、……ええと」
……この横穴の奥に湧いてる、泉の霊水です。ぼくにはそこまで効かないけど、あなたになら、って……
 ぽたり、ぽたり――頬の上に水の感触が落ちてくるのを感じる。
 僕を見下ろす蛇沢くんの片目から、涙がこぼれていた。
……どうして……どうして、あんなこと、したんですか……きたらだめって、言ったのに」
「僕が来なかったら……きみ、そのまま冬に眠って、死ぬ気だったんだろう?」
「ぼくは、……ぼくは、それでよかったのに……!」
「僕は良くないよ」
 痛む方の腕はまだ動かしたくなかったから、代わりに、無傷の片手を持ち上げる。涙を拭いたかったから、というのもあるけど――それ以上に、流れてくる涙があまりにもきれいで、つい触れたくなってしまったから。
 初めて彼のうろこに触れたときのことを、思い出す。しっとりと濡れたように光る、彼の色。
「だってそれじゃ、僕がきみを殺すようなものじゃないか。そんなの、僕は嫌だ」
「ばかなんですか、……ぼくは、名前をもらって、うれしくて、……だけど、ぼくはそばには行けないから、……しあわせな思い出でこの命が終わるなら、……それで、よかったのに……本当に、それでよかったのに……!」
……僕は、嫌だよ」
 触れた頬はほんのりと熱い。
 僕の血の熱が、彼に宿っているのが分かる。
 また、心の奥で名前を知らない感情が騒いだ。
「だとしても、ぼく、……あなたを食い殺してたかも、しれないんですよ。関わった相手全員にこんなことしてたら、命がいくつあったって、足りないでしょう……
「でも、きみは僕を殺さなかったじゃないか。……まあ、一応、勝算はあったんだよ。幽霊族の血はそれなりに強烈だから、死ぬ手前できみの腹を満たすことくらい、できるだろうなって」
 何とか、声に力を込める。
……だから、きみが気にすることじゃないんだ。差し出したのは僕の意志だし、それできみの命がつながるなら、それでいいよ。むしろ、きみの体の方が心配かな……
 頬に触れた手を、彼の首から肩へ、腕へ、静かに滑らせる。……その体は、やっぱり熱い。
「きみが飲んだのは、人間にも妖怪にも劇薬になるくらいの、幽霊族の血だよ。ほら、もう、体が蛇の温度じゃなくなってる……
 そこからまた彼の涙を拭おうとしたけど、腕を持ち上げているのが辛くなって耐えきれなくて、結局枯葉の上に投げ出す。一緒に瞼も降りてしまった。
「わかって……ます……おいしくて、……あつくて。止まらなかった……
「ごめんね、蛇沢くん。僕がきみを苦しめたんだ。でも、生きていて欲しくて、……こうする以外に、何も思いつかなかったんだ」
 返答はなかった。代わりに彼の顔がぐっと近づく気配がして、額の上にひとつ、柔らかな感触が落ちる。
「寝てて、ください。霊水、もう少しくんできますから……
 その声を最後に、僕の意識はまた、眠りの中に沈んでいった。
 足音は当然ながら、聞こえない。

 ――正体を探らなくては、と強く思ったのがこのときだった。
 僕を昏倒させるくらいの量、幽霊族の血を飲んでおいて、それでも体が熱い程度で済んでしまう、彼の異様な頑丈さ。それと、僕の心に根を張りはじめた、知らない感情。