シノハラ
2024-11-24 19:19:19
62419文字
Public スクシオ♀
 

in afterglow

1月の新刊のスクシオ♀のweb版です。本にはここからもう一度見直ししたものが収録されます。
通販ページは以下。
https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040031212327/


    7

 スクリューガムの手のひらにレイシオの体温が移ってしまい今度は手の甲を当てられて、それがぬるくなり始めた頃にはレイシオの体調も随分と落ち着いてきていた。この様子であれば車に乗り込むまでの道のりを歩いた後に多少揺られたからといって酔ってしまうようなことはないはずだと伝えれば、しばらく待っているようにと言いつけられてレイシオは一人部屋に残される。
 おそらく彼は車の手配と主催者への挨拶を済ませに行ったのだろう。個人的な思いではレイシオなど放って置いてあの場に留まって欲しかったが、その振る舞いがあそこに相応しくないことも理解していた。
 スクリューガムの温度がなくなって再び頬が火照り始めるのを感じながら、レイシオは少しうつらうつらとまどろんだのだと思う。そうでなければ説明できないくらいに、スクリューガムの戻りが早かったのだ。ぼんやりとした頭でスクリューガムの説明を聞きながら逐一相槌を打っていると、彼が再び頬に触れてくれて彼の体温に思考がクリアになるのを感じた。
「だから、そこまでしてもらわなくても構わないと言っただろう」
 外に出るときには付け直していた手袋をまた外して、レイシオの踵に手を添えたスクリューガムがレイシオの足先をハイヒールに差し入れる。脇に避けていた靴を足先の辺りに移してくれるだけで十分なのに、ろくに返事をしてくれないスクリューガムはそれで満足できなかったらしい。
 両の踵がハイヒールの内側に収まると、いつの間にか上半身が緊張してしまっていたのに気がついた。また汚れを気にしてか手袋を付け直したスクリューガムがドレスの留め具を丁寧に戻していく進捗を、レイシオは最後まで留めきれるか不安になりながら見守るしかない。
 最後に立ち上がるように指示されて、脇腹と胸のトップの辺りの布がやや引きつれている感覚にレイシオは思わず眉を顰めてしまう。コルセットを前提にした作りの衣装であるのは大前提にしても、こんなにも着心地に影響が出てしまうものなのか。となれば、シルエットにも変化があるのは間違いない。
 審美眼を磨いて日がな暮らしているはずの者達の前に姿を晒す事態にはならないと、湧き上がってくる不安を抑え込むようにレイシオはスクリューガムの腕に手を添えた。実態とは異なるが、縋り付くような心地になりながらレイシオはスクリューガムに連れられて部屋を出てすでに用意されている車に向かう。
 扉が開くまでの僅かな時間で振り返って自分達がいた場所を見上げれば、美しい音楽と華やかな照明が放つ欠片がレイシオの元まで届いていた。幼き日の少女が抱いた憧れとときめきの名残を体現するようなそれに思わず魅入ってしまったのも仕方がなかったのかもしれない。
 レイシオの着けていたコルセットとスクリューガムが濡らしたポケットチーフを置き去りにしたと気がついたのは、車が動き出してからだった。スクリューガムに説明されるまでもなく片付けをしにきた者が処分してくれるものと想像できたが、下着を置き去りにしたのはさすがに恥ずかしい。
 忘れてしまおうとふるふると首を振っても遠心力に負けるような感覚はなかったので、酒は順調に抜けてくれているように思う。酔っ払っている人間の主観など、常に疑った方が良いのも事実ではあるのだが。
 さほど遠くもないホテルの降車口に辿り着いてから行きと同じように車から降ろされたものの、自分が酔っ払ってしまっている手前やや介助の印象を受けてしまう。なんとなく面白くなってしまいながら彼の手を借りて無事立ち上がったが、やはりスクリューガムはレイシオの手を手放すつもりはないらしい。
 観念して昼に使っていた客室まで連れていかれ、室内に立ち入った瞬間ここを出る直前に話していた内容を思い出してしまった。思わずリビングにあと一歩で入れるという所で足を止めると、客室の抑えられた光量の中でも刺繍が光を弾きながら翻るのが視界に入る。腕に抵抗を感じただろうスクリューガムが振り返ってレイシオを呼んで、その音に従うようにレイシオは顔を上げた。
「踊らないのか?」
「それはとても魅力的なお誘いですが、次の機会とさせてください」
 彼が望むなら一曲ぐらいはと思ったのだが、ドクターストップ染みたものがかかってしまったらしい。相応しい次の機会なんてものがあるのだろうかとは怪しんでしまったが、スクリューガムにその気がないのであればどうしようもない。ダンスとはそういうものだろうとレイシオも理解している。
「お帰りなさいませ。レイシオ様のお加減はいかがですか?」
「ただいま戻りました。どうやらご本人はダンスを踊れるくらいには回復しているつもりのようです」
「随分な物言いだな」
 以前レイシオの母星を尋ねてくれたオムニックの女性がレイシオとスクリューガムを出迎えて、すでに連絡を受けていたらしく真っ先にレイシオの体調を気にしてくれる。レイシオがそれに答えるよりも前にスクリューガムが少々レイシオをからかうように現状を告げるものだから、ぶすりとした声が出てしまった。次の機会とやらが巡ってきてもすげなく断ってやろうと腹に決める。
「ゆっくりと休めるようにお手伝いをお願いします。私は寝室を使います」
「承知いたしました。ではレイシオ様、こちらに」
 寝室に向かうらしいスクリューガムから手を放すと、彼に体温はないはずなのにすっと腕が冷える感覚があった。その温度差に気を取られながらも誘われるまま引かれた椅子に腰を下ろせば、再びふつふつとドレスの留め具が外されて完全に露わになった肩に昼間のように薄いバスローブが被せられた。
 上半身が完全に解放された感覚に緊張の糸が解けるのを感じながら、レイシオがバスローブに袖を通して前を留めた後にウィッグを一つ一つ丁寧に外してもらう。いつの間にか慣れてしまっていたが、自分の髪が軽くなるのが分かってこれも不調の一因だったのではなかろうかとちらりと思う。
 頭がさっぱりとしてから席を立って足下からもドレスを取り払うと、先に脱衣所で下着を脱ぐように指示された。言われるままに下着を脱いでバスローブを着直してから彼女を呼ぶと、バスルームで丁寧に化粧から始まり、髪のオイルやワックスを洗い流してもらう。
「湯船に浸からせてもらっても良いだろうか」
 そうなればずっと視界に入っているバスタブがどうしても気になってくる。これほど大きなものを使わないなんてもったいないではないかと囁く己の欲求を止められず問いかければ、レイシオの髪の水分を肉厚のタオルに移してくれていた老女の手が止まった。
「有機生命体の酩酊中の入浴は危険だと聞き及んだことがあります」
 再び動き出した手が毛先をゆっくりと圧迫し、タオルに雫を移しながら平静を保った声が告げる。その事実はもちろんレイシオも知っていたし、自分の欲求が単なるわがままでしかないことも理解していた。
「それを承知の上でしたら湯を張りますが、いかがいたしましょう?」
 彼女に窘められる覚悟をしながら瞼を落とすと、思いもしない言葉がもたらされてレイシオは身を捩って彼女を伺ってしまう。レイシオの初動を察知したのか、彼女はすでに手の力を緩めていたらしく髪が引っ張られることはなかった。
 彼女達は人の意見を優先するのが仕事なのだと痛感する。使う側の意向が正しくなかろうと、最終的にはその希望に寄り添う必要があるのだ。
……すまなかった。君が正しい」
 だからこそ、使う者が正しくなければならない。きっとスクリューガムは彼らに対して常に正しくあるのだろう。彼女がそういう主人と共にいると知っていて、レイシオだけが無理を通すつもりにはなれなかった。
「シャワーで軽く汗を流してもいいだろうか」
「承知いたしました。脱衣所でお待ちしていますので、何かあればお声がけください」
 老女がバスルームを出てから、レイシオは彼女が拭ってくれた髪を再び濡らしてしまわないように気をつけつつ湯で体を濡らしていく。心地良い水温に体が温もるに従って血圧が上がるような感覚があるので、やはり湯船には浸からないのが正解だったのだろう。
 ざっと体を洗ってから絞ったタオルで水滴を拭い、ドアに付近に退避させてあったバスローブを羽織って外に出れば、用意されていた椅子に腰掛けて基礎化粧品を塗られた後に髪を乾かししてもらった。
 会場に向かう準備をしていた時も心地よく思ったのだから、出かけて帰ってきた今はそれ以上である。ふわりとあくびが出てしまうのを抑えきれずにいると、小さく老女が笑うのが聞こえて少々恥ずかしい。
 ちょうど髪を乾かし終えた頃になって、こつこつと戸が叩かれて老女が脱衣所の外に出る。すぐに戻ってきた彼女が持っていたのは夜間でも着けていられているタイプの化粧品だった。
「おつけになられますか?」
「ありがとう、助かった」
 提案されるまで気がつかなかったが、先ほどまでの隙のない化粧をしていたのだ。彼は気にしないかもしれないが、素顔をスクリューガムに晒した瞬間レイシオはすこぶる後悔してしまったに違いない。
 さすがに自分でした方が良いかと思ったのだが、彼女は有機生命体の化粧も心得ているらしい。レイシオよりも余程肝要を知っているかもしれないと思わせられるナチュラルメイクを施してもらってから、自分の荷物から下着を入れたポーチを持ってきてもらいホテルの寝巻きに着替えてしまう。
 居間を通り過ぎて寝室に連れられると、すでに普段の服装に戻っていたスクリューガムがレイシオを出迎えた。部屋の脇にあるソファから立ち上がり、ほかほかになっているはずのレイシオをベッドまで誘導する。どうやら酔っ払いはさっさと寝てしまえと言うことらしい。
 化粧品を用意してくれたらしい従者が水まで持ってきてくれたので、レイシオは礼を述べて一息に飲み込んだ。清涼な水が喉を通り胃の中に落ち込む感覚が心地良い。
「レイシオさん、彼女らを下げても宜しいでしょうか」
「ん? ああ、構わない。何から何までありがとう」
 コップを従者に返すと、彼女はすでに老女が立っている入り口の脇に移動する。そうすれば壁際で待機している彼女らを退室させる許可を求められ、レイシオは首を傾げてしまいながらも承諾した。オムニックであれば立ちっぱなしでも身体的苦痛はないだろうが、他所の部屋で自由にしてもらっていた方が良いに決まっている。
「ありがとうございます。貴方達は下がりなさい。待機の必要もありません」
 レイシオの謝意とスクリューガムの指示を受けた二人が一礼をしてから寝室を出るのを見送ると、見知った顔のみの空間になったからかじわりと瞼が重くなるのを感じた。あくびを噛み殺すのに失敗して小さく間の抜けた声を出してしまうと、スクリューガムがレイシオに視線を向けるのが気恥ずかしい。
「さあ、今日はこちらで眠ってください。明日になれば酔いも抜けてすっきりしている事でしょうから」
「君はどうするんだ?」
 寝室には大きなベッドが一つあるだけで、一人で占有してしまうのは気が引けた。おそらくレイシオのために用意された別の客室か部屋があるはずなので、本来であればそちらを使うのが適切なのだろうが。
「私は再起動の日は随分と先ですからお気遣いは不要です」
「なるほど。ならありがたく使わせていただこう」
 そもそも寝るつもりはなかったと主張するスクリューガムに食い下がる気力はもうなくなりかけていて、レイシオは彼の不眠を受け入れてベッドに足を上げた。ふんわりと沈み込むマットレスに体を預けると、なんとか堪えていたはずの疲労感がどっとレイシオに襲いかかる。
 ぴんと張られた羽布団を引き上げようとすると、スクリューガムが足下のマットレスに引き込まれたシーツを引き抜いてくれて足回りが自由になる。一つの星の王様がすることとは思えなくて少し笑ってしまうと、意図が読めなかったらしいスクリューガムが問いかけてきた。
「君が余りに甲斐甲斐しいから彼らを退室させておいて良かったと思っただけだ」
「肯定:やはり従者がいると振る舞いにも気を遣ってしまいます」
 少し悪戯めいた答えに口元を緩めてしまいながら、レイシオはそれを隠すようにふんわりした布団を被る。そうすれば瞼だけを重くしていただけだった眠気が思考を急速に浸食するのと共に、じんわりと不安が広がってついに無視できなくなってしまう。
「今日の僕は君に相応しくあれただろうか」
「もちろんです」
 漏れ出してしまったレイシオの不安を受けて、話題の内容にしては視線が高すぎると考えたらしいスクリューガムが身を屈めながらレイシオを安心させようと答えてくれる。自分の重量を気にしたのかスクリューガムはベッドには腰を下ろさず、床に片膝をついたらしかった。
 そういう仕草も会場で見た彼の姿とはほど遠く、レイシオにとっての普段のスクリューガムを想起させた。すなわち、ただの機械紳士兼天才としてのスクリューガムである。
「レイシオさんは私に気合いを入れすぎだったと仰いましたが、実を言うとここまで貴女に協力してもらえるとは思っていませんでした。その姿勢が周囲の関心をより引いたのでしょう。これは私の誤算です」
「そうか」
 返答の素っ気なさとは相反して、彼の言葉にレイシオの心中は存分に擽られていた。内容はともかく、彼に多少の番狂わせを巻き起こせたとなると、正直なところ気分が良い。
「君は明日また主催の彼に会いに行くんだったか」
「はい、その予定です」
「最後に挨拶もできなかった非礼を詫びていたと伝えておいてくれないか?」
「承りました。必ずお伝えしましょう」
 レイシオの依頼を受け入れたスクリューガムがレイシオの髪を退けるようにしてさらりと額を撫でてくる。その感触に最後に触れられた側の目を細めてから、レイシオはそのままうまく目を開けられないことに気がついた。
「眠りますか?」
 彼に問いかけられて、はっきりと相槌を打てたかレイシオはよく覚えていなかった。ただ、自分としては少なくとも頷きはしたつもりで、それに合わせて指が遠ざかったはずである。
 それから意識を手放す直前に彼がもう一度レイシオに触れて、他には許さないようにと告げたのが聞こえた気がした。許すも何も、何ヶ月もかけて人の見目を整えた上にあそこまで飾り立てて社交界につれていくなんて、レイシオのさほど広くもない交流関係の中ではスクリューガムくらいにしかできないのだけれど。

    *    *    *    *

 幸い二日酔いはないらしい、と目覚めた瞬間理解した。その自覚に続いて、覚醒するに従い自身の状況を思い出していく。最後に浮かび上がった醜態を振り払うついでに勢いよく起き上がると、寝室に残っていたらしいスクリューガムがレイシオに水を差し出してくれた。
「おはようございます、レイシオさん。お加減はいかがですか?」
「おはよう、スクリューガム。おかげさまで随分良い」
 妙な寝言を言っていなかったかが気になるが、下手に探りを入れてやぶ蛇になるのもいただけない。寝ている間の出来事については封印することにして、レイシオはスクリューガムからコップを受け取って数口飲み込む。そうすれば、刺激を受けた胃がくう、と小さく音を立てた。
……失礼した」
「昨晩はあまり食べている余裕がありませんでしたから。もう少しすれば朝食が来るので、その間に準備をお願いします」
「分かった」
 ベッドから下りると念のため足取りが怪しくないことを確認してから寝室を出れば、朝の訪れに合わせて居間で待機していたらしい老女と挨拶を交わした。それからレイシオが事前に送りつけていた荷物から着替えと化粧品を取り出し脱衣所に持ち込んで、顔を洗い、結局しっかりとした化粧はせずにリビングに戻る。
「食事の後浴室を使わせてもらっても?」
「もちろんです。明日の午前まではこの部屋を押さえているので、ご自由にご利用ください」
「ありがとう」
 思わずにんまりと笑ってしまいながら、すでに食卓として整えられつつあるテーブルにレイシオは腰を下ろす。体は洗っているので清潔の面では全く問題はないと理解してはいるものの、風呂に入れる環境にいながら入らないのは習慣に反しているせいで据わりが悪く感じてしまうのだ。
 オムレツを中心としたプレートとパンが入った籠が届けられ、果物とヨーグルト、オレンジに近い味わいのフレッシュジュースと目覚めのコーヒーが机に並ぶ。その一つ一つを胃に収めきった頃にスクリューガムが何かを受信したらしくおや、と小さな声を上げた。
「我らが友人がついに階差宇宙の最高プロトコルを突破したようです」
「ああ、それはめでたいな。以前対策を練ると聞いてはいたんだが」
 横に座っていたスクリューガムの前に展開されたホログラムのデータを見るために身を寄せようとすると、画面がレイシオの方に移される。そこにはゲームの連続プレイ時間であれば保護者に怒られても仕方がないような稼働時間と、それに見合った件数のリトライデータが表示されていた。
「昨日随分と試行錯誤していらっしゃったようです。現段階で興味深いデータもいくつか累積できています。確認:少々貴女のお時間をいただいても?」
「もちろん」
「お風呂に入っていただいて、遠隔でのお話でも問題ありません」
「それだと僕に問題がある。僕にとっての風呂は思考の整理であって、新規情報のインプット時間ではないんだ」
「それは失礼しました。ではこちらのお話の後に入浴が相応しいですね」
 その通り、と頷くと空間に広がっていたディスプレイが拡張される。その下では空っぽになった皿が片付けられていって、気づけば新しく紅茶が用意されていた。
 紅茶に時折口をつけながら、このデータはこう使った方が良いだの一次解析の方針はどうだのと話を続けた。階差宇宙では実際の作業をするのはスクリューガムに任せたまま、レイシオは言いたい放題のスタンスを保ち続けている。それでも彼から不満を漏らされることは今まで一度もなかった。
 それこそが自分がレイシオに求めたものなのだと彼は言う。模擬宇宙への参加を願ったときはプロジェクトヘの新風として期待していたが、今はそれが個人に向けられている。その感覚が酷く新鮮で代えがたい刺激に繋がるのだと、何でも簡単に受け入れられるせいで不安を覚えたレイシオに彼は告げたのだったか。
 一通り方針を決めてしまうと、スクリューガムがそろそろ今日の予定の準備をしなければならないと言い出した。それを引き留める理由もなかったので、レイシオは風呂場を借りることにする。
 脱衣所にはレイシオが来なければ使われなかっただろう使い切りの入浴剤がいくつか置いてあり、スタンダードな香りのものからこの星固有の香料を使ったものも並んでいた。バスタブに湯を張りながらせっかくなのでこの星ならではの選択をして浴室を花の香りで満たしてから、簡単に体の汚れを落とすとレイシオは湯に身を沈める。
 うっかり漏れ出してしまった長い長い溜め息は疲労というより陶然を思わせるものであったと認めるしかない。当然ながら、昨夜と比べて髪はずっと短くなってしまったし、肩を覆い隠していたストールを羽織る機会はもうないだろう。酔っていたのを加味しながら振り返っても、良くも悪くも夢のような一夜であったと表現するしかない時間だったのは否定できない。
 それから自身の体を見下ろしてから、湯の中に浸けていた片手を持ち上げて昨夜の煌めきを思い出そうと照明にかざす。一つ一つ丁寧に記憶を拾い上げていく最中に、レイシオは最後の瞬間の記憶に行き当たって目を丸めてしまった。
 あの夜自分は生まれて初めておとこのひとと二人きりで朝を迎える選択をしてしまったのだ。そう考えると、スクリューガムが従者を下げる前にわざわざレイシオの許可を得たがった理由にも納得がいった。
 つまり、他の有機生命体と同じく彼は自分がレイシオに危害や不名誉を与える存在になり得ると、しっかりと自覚していたのである。もちろん、何があった訳でもないのは悪酔いした翌日とは思えない体調の良さと違和感のなさが証明しているのだが。
 そこまで考えた刹那に、自身の熱を冷ました指先と手のひらの温度をレイシオははっきりと思い出してしまった。それから眠りに落ちる直前にレイシオの額に触れた指先と、今までレイシオに向けたことのない口調の戒めまでが鮮明に蘇る。
 従者に面倒を全て任せる事もできたはずなのに、スクリューガムは一晩中レイシオに寄り添う選択をした。レイシオを昨夜のような境遇にさせることを、他の誰かに許さないためにも。あの、スクリューガムが。
 果たして、自分達は本当に何もなかったと言えるのだろうか。そう、言い切ってしまっていいのだろうか。
 呆然と持ち上げていた手を湯に戻しながら、浮かび上がった波紋が静まるまでレイシオは息を潜めていた。それだけの時間をかけても、結論の出ない残光を抱いた問いがぐるりとレイシオの思考に留まって平静をかき乱す。落ち着こうと思う程に焦ってしまって、すでに温まっていたはずの体にじわりと熱が灯っていく。
 これから湯船から上がって、どんな顔をして彼を送り出せば良いのだろうか。この当惑を自分一人の勘違いだと片付けてしまって良いのかすら、今のレイシオには分からないというのに。