シノハラ
2024-11-24 19:19:19
62419文字
Public スクシオ♀
 

in afterglow

1月の新刊のスクシオ♀のweb版です。本にはここからもう一度見直ししたものが収録されます。
通販ページは以下。
https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040031212327/


    2

 アベンチュリンか、もしくは彼の上役と目付役を兼ねているジェイド辺りに意見を求めておけば良かったと今回ははっきりと後悔していた。気に入っているサンダルの代わりに少々高さのあるヒールのある靴を履いて、他所行きの印象を与える布地のワンピースを選んだ。やや開き気味の襟をごまかすように長さのあるネックレスも追加し、服とのバランスを意識して化粧も華やかさが出る色味を選んだつもりだった。
 所謂ちょっとしたパーティーの類よりももう少し上の雰囲気が出るのが良かろうと思ったが、上手くいったかは第三者の判断に頼るしかない。彼らであればそういう場数はいくらでも踏んでいるだろうし、適切なアドバイスがもらえたかもしれなかったのにとレイシオは少々後悔していた。カンパニーの仕事には関係のない事だから、なんて真っ当な気を働かせている場合ではなかったのだ。
 レイシオだって全くそういう機会がないとは言わないが、どちらかというとスーツ寄りの格好で済ませてしまうことが多いのだ。大体がそういう服装が許される程度の場にしか行かなかったと言ってしまってもいい。そうも言っていられない祭典の場合は生まれ故郷の典型的な礼服を選んでいたのだが、それはそれでピノコニーの夢にあるオートクチュールには相応しくなかろう。
 一般的な人間よりも幅広い階級の人間と交流をしてきた自覚はあるものの、貴族相手となると情報を集めようとして簡単に見つかるものでもないのでさすがに弱ってしまう。いい加減直接対面して話すのも片手の指の数では足りなくなりかけている相手に抱く感想でもあるまいが、その点は階級を一切気にしない振る舞いに徹するスクリューガムが悪いと責任を押しつけてしまうことにした。
 よくよく絶妙なバランスを保つ人だと思う。服装や振る舞いは常に優雅で上流階級に分類される存在であることを示しているのに、同時に親しみ深くもあるためいつの間にか彼が紳士である以上の認識ができなくなってしまうのだ。
 おそらく彼にそんな感想を抱くのはレイシオだけではないのだろう。たとえば、ヘルタの宇宙ステーションで彼と初めて対面した際、スクリューガムと話していた面々は礼節を保ってはいたが適切かと問われれば不足だったはずだ。階差宇宙に協力しているナナシビトなど、まるで時折会う親戚の叔父さんに懐いているのとさして変わらない様相になっている。
 それがスクリューガムの望みだったとして、望まれたように人々が簡単に振る舞えるものではない。そこには間違いなく、彼の気質や能力が関わっているはずだった。レイシオも彼の心証操作に良いようにされた一人であったということだ。
 自分の身なりが正解か分からないままに華やかな街に降り立って、ここがピノコニーである事実に少々安堵した。多少非日常めいた格好をしていても、街自体が非日常であるのだから誰もレイシオに気を払いはしないだろう。実際、自分よりもずっと着飾っている客も周囲を見渡せばちらほらと目に付いた。
 多忙な身の上である癖に、スクリューガムはレイシオよりも先に待ち合わせ場所に到着していたらしい。待ち人をすぐに見つけるためかホテルのロビーの入り口に近い場所に立っている彼の姿を見てレイシオははたと思い至る。
 夢の中にあるホテルは本来の目的では利用されず、もっぱら個室の利点が重視される。そのため、そもそも寝室の役割を果たせない部屋も少なくはないらしい。そこまで思いを巡らせて、ようやくレイシオは自身が思い込みに陥ってしまっていたと確信した。
 スクリュー星のスクリューガム。宇宙に轟く名声と才覚を持つせいでかえって印象として薄れてしまうが、レイシオが先ほどから強く意識している通り彼は生まれながらの貴族なのだ。それも星一つを支配する資格を持つほどの人が、わざわざ店に赴く必要があるのかと問えば答えは否だろう。
 レイシオより早く待ち合わせ場所に着いたというのは間違いではないが、ややニュアンスが相応しくない表現なのではないだろうか。おそらく彼は準備のためにずっと前からこのホテルにいて、レイシオを迎えるために環境を整えた客室からロビーまで降りてきたに過ぎない。のかもしれない。
「本日はご足労痛み入ります、レイシオさん。大変助かりました」
「いや、僕が自分の意思で受けたんだ。君が気にすることではない」
 ほとんど確信に近い予感に淀みそうになる足取りを何とか進めながら、レイシオは彼の元に辿り着いて彼の謝辞から始まる挨拶を受ける。その後ほんの少しの間を置いて、事前に概要を伝えた方がよかったとスクリューガムはレイシオの取り越し苦労を肯定した。
「気を遣わせてしまいましたね。申し訳ありません」
 いつもと同じ穏やかな音程と変わらないように思うのに、そこには着飾ったレイシオを労うような響きがあるような気がした。触れはしないものの背に手のひらを近づけられて、もう一方の腕で進む先を示される。
「よくお似合いです」
……ありがとう」
 レイシオが抗わずにエレベーターホールに続くはずの方向に足を向けると、これまた極々自然に身なりを褒められてしまった。返答が遅れに遅れたのは、単純にどう答えるべきか悩ましかったからだ。
 君の不手際のせいで無駄に気を揉んだと、目を眇めながら文句を言っても良かったのかもしれない。けれど結局、レイシオはスクリューガムに簡単な礼を述べただけだった。スクリューガムは全て自分で手配するつもりだったので何も告げなかったのだろうが、レイシオだって何も尋ねなかったのだ。自分ばかりが被害を主張し続けるのも違うだろう。
「今後の事は君に一任させてくれ。君の研究はともかく、君の住む世界の事は僕にはよく分からない」
 エレベーターホールに辿り着くとすでに開いていたエレベーターに乗り込んで、ドアが閉まってからレイシオは降参を表明した。観念してしまうと、いつの間にか緊張していたらしい気持ちが緩むのが自分でも分かる。
「分かりました。基本的にレイシオさんには足を運んでいただくだけで全て済むようにしたいと考えています。ただ、用意をする者から何かしら要望が出る可能性はあります。そちらについてはできる範囲でご協力いただければ助かります」
……体を今以上に絞ることと筋肉を落とすこと以外なら」
 ドレスを着こなす上で一定の筋肉は必要だろうが、おそらくレイシオのそれはむしろ過剰な可能性が高い。実際にドレスのような格好で腕を出すと目立ってしまうので、今日のレイシオも長袖を選んで二の腕を隠している。
 きっと仕立屋からすれば邪魔なものに当たるのだろうが、レイシオにとっては今の体重と筋肉量が理想なのだ。単純に何をするにも体作りから育まれる体力は必要だし、装置を動かすのもある程度のラインまでであれば自分でできた方が楽である。それにこれはなければないに越したことはないが、有事に直面した際に頼りになるのは結局己の肉体なのだ。それを損ねるつもりにはなれない。
「承知しました。伝えます」
 おそらく彼の体の一部は常にネットワークと接続しているのだろう。その部位から自分達が向かっている場所に連絡をしているはずなので、レイシオは頷いた後に彼の邪魔はしなかった。もちろん、話し続けたとしてもその程度で彼の処理に問題が起きることもなかっただろうが。
 エレベーターから降りて、ヒールが深い絨毯の毛を潰す感触を意識しながらレイシオは落ち着いた優美さを感じる廊下をスクリューガムと歩く。限られた人物しか立ち入れないだろう場所の廊下はさして長くもなく、一つの扉の前にスクリューガムが立つやいなや音もなく室内への道が開いた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
 スクリューガムとレイシオを待っていたらしいスーツの男が恭しく一礼した後、部屋の奥へと案内される。借りてきた猫にでもなったような気分になりながらレイシオを先導する二人に続くと、大きなリビングらしき部屋に仕立て用の生地がずらりと並んでいるのが目に入った。
 布地の検品をしていたらしい男女の内の一人が手首に巻き付けるのだろう装置を手にレイシオの元にやってくる。その人曰く、これを腕に着けることで服装のシミュレートを行う仕組みになっているとのことだった。
 言われるがままに腕を差し出すと、巻かれた瞬間に身長やウエスト辺りの個々の採寸情報に加え、骨格がどうであるとかパーソナルカラーの中でもどの色合いが合うかなどの情報が目の前にぱっと映し出された。その場にいたドレスの用意のために呼ばれているだろう面々が確認し終えると、個人情報の断片はふわりと消えてしまう。
「先ほどいただいたご要望以外にも、何かお気づきのところがあればすぐにお伝えください」
「ああ、分かった」
 設備の中心に招かれながら、サンプルとして用意されている布地の金額を考えようとしてすぐに諦める。おそらくアベンチュリン辺りあればそれなりに近しい値を選び出せると思うが、トパーズはどうなのだろうとちらりと考えた。彼女も十分な給与を得ている立場ではあるものの、どうしても動物好きの印象が先行してしまう。
 どちらにせよアベンチュリンでも外商が来る程には稼いでいないと言っていたはずだから、彼女にとってもまだ縁遠いものかもしれなかった。ただ、アベンチュリンもトパーズも自分の足で見て回るのを好む手合いだろうとレイシオは判断している。
 そんな現実逃避染みた考えを巡らせているうちに、早速とばかりにいくつか布を体に当てられている。髪質がとか目の色がとか密やかな声で三人の仕立屋が話をしているのを聞いていると、なんとなく居心地の悪さが湧き上がってきた。心細さに似た感情を持て余しながら、レイシオは少し距離を置いて全貌を視界に収めているらしいスクリューガムに視線を寄せる。
 いつもとさして変わらない様子の彼は派手さはないものの、一つ一つを見ればその作りの良さがすぐに分かる衣装を今日も選んでいた。どこにいても浮かない衣装を好んでいるらしい彼は自分の足で店を訪ねることも、店を丸々呼び寄せることもできる立場をうまく作り上げている。
 自分で良かったのだろうか。そう、今更ながらに思ってしまう。一応自分も中流階級とは言えない立場なのだろうが、従来のパートナー役を務めてきたはずの相手は相応の身分を持っているはずである。自分達が訪ねる星の上流階級がそういう身分の相手を連れていることをどう評価するか、レイシオには分からなかった。
 レイシオが視線を投げかけていることくらい気がついているだろうに、彼は何かを言うつもりはないらしい。ざわつきそうになる心を抑えて、彼がレイシオの地位であれば問題ないと判断しているのなら構わないのだろうと自身に言い聞かせる。実際、そんな計算誤りをするような人物がこの宇宙の偏見や弾圧と長々と渡り合えるはずもないのだ。
 彼が正しくて、レイシオの不安が間違っている。もちろん、理性ではそう判断できた。
「どちらのお色がお好みでしょうか」
 だから、おそらく仕立屋が似たような傾向の色をした布地をレイシオの前に差し出して意見を求めてくるのも、彼が事前に認めていることなのだろう。それでも、あくまでも彼に連れ立つだけの自分が決めてよいものなのかとたじろいでしまった。
 思わずスクリューガムに再び視線を戻したが、彼がレイシオに助言をくれる様子はやはりない。一任するとレイシオが告げて彼だって了承したではないか。早速裏切られた気持ちになりながら、レイシオは濃淡の差がある布に視線を落とす。
……こちらを」
「かしこまりました」
 彼の鈍色を思い起こしながら、そのトーンに似合いそうな方をレイシオは選んだ。きっと彼の衣装はすでに決まっていて、その服と並べた時にどちらか一方が浮いてしまうなんてことはないのだろうと分かっていて。
「でしたら御髪はこのまま伸ばしていただいてよろしいですか? もう少し長い方がウィッグが着けやすいので」
「分かった」
 質感を確かめたかったのか、非礼を詫びた後に女性の指先がレイシオの髪を一度梳く。そろそろ切ろうと思った毛先を撫でられながら、もっと短ければ全てをウィッグにしてもらえたのかもしれないと少し後悔した。これから少し伸びたときが一番髪の癖が出やすいので、朝の支度に余計な手間がかかってしまうようになる。
「それと、後ほど御髪を一筋いただけますでしょうか。そちらを元にウィッグの素材を培養します」
 被るタイプのウィッグにできないだろうかと提案しようとした矢先に、明らかに地毛の使用に拘りを持っているらしい依頼が増える。培養された髪とレイシオの細胞が一から作り上げた髪におそらくレイシオは有意差を見いだせないはずだが、どうやら彼らはすでにあるものを隠すのが気に食わないらしい。
……分かった」
 少々の億劫さを堪えながら許容すると、後ほどホテルの部屋に受け取りに行くと彼女は告げる。そうしている間にリーダーとおぼしき男と部下と思われる男が見繕ったらしいサンプルの画像をいくつか持ってきた。
 言われるままに端末の角に手首の器具を当てると、瞬く間に肩が涼しくなる。その次に知覚したのは頭の重たさだった。
 それからすぐに目の前に現れた鏡に丁寧に結い上げられた髪と、先ほど選んだ色を基調としたドレスに身を包んでいる自身が映る。美しく広がるスカートの裾に気を取られているうちに、次の候補を纏わされた。今度は体のラインを強く出すラインのシルエットに、大きく開いた背中を隠すように髪を下ろされている。
 それを見た三人はまたああでもないこうでもないと言いながら、細かいところを調整しつつあれこれとレイシオを着せ替え人形にした。腕は隠したいとか背中はある程度見せたいとか言いながら、時折レースでできたストールの類を羽織らされたりもしたはずである。
 レイシオは立って己の姿を見ていただけだったのだけれど、三十分もそんなことをしていてはいい加減精神的な消耗を感じ始めていた。ようやくしばらくお待ちください、と隣室に放り出されたレイシオはもう元の格好に戻るつもりにもなれずいつものサンダルに足を通す。
 きっとこの後また同じ目に遭うのだろうと思いながらソファに沈み込んでいたら、ホテルの従業員とおぼしきオムニックがやってきて目の前で紅茶とケーキを二人分用意して去っていった。それと入れ違いにスクリューガムが部屋に入ってくると、レイシオの隣に腰を下ろす。
 疲れ果てたレイシオの体を柔らかく受け止めるソファに彼の体は重すぎるのではないかと案じてしまったが、夢境のおかげかレイシオの体が傾くような事はなかった。
「お疲れ様です。とはいえ、まだ道半ばではありますが」
「覚悟はしていたが大分気疲れするな……
 この手のイベントに大はしゃぎするだろう大学の教え子の顔を思い浮かべながら、そういう素養を持つ子達が羨ましくなる。レイシオだって装いを気にしない訳ではないが、ここまで気にしたことはいまだかつてない。
 紅茶で唇を濡らした後に白いクリームとスポンジを口に入れてから、レイシオは鈍く痺れる神経の緊張を緩めるためにもゆるゆると息を吐き出した。それから肺が広がるのを意識しながら息を取り込んで、随分と呼吸が浅くなっていたことに今更気がつく。
 じわじわと思考に糖分が浸透するに従って、鏡に映っていた自分が馬子にも衣装の類であったのではないかと思い始めてしまう。いつもと違う長さの髪と、ドレスに馴染む普段と比べれば派手な化粧。それがプロの手による加工なのだから、女性として普段よりも質が上がっているのは間違いなかった。けれどそれが今までスクリューガムの隣に並んだ女性と並ぶものかと言えば、甚だ思い上がりであるのだろう。
 自分の見目が周囲からどう見られ、評価されているかは知っている。それを否定するつもりもないが、今までその美とやらを取り立てて磨いてきたわけでもないのだ。一方で、彼と社交界で並ぶような娘達は立場上その手の努力を求められて生きてきたはずである。見た目はもちろん相応の立ち居振る舞いを習得し、武器として舞台に上がる者達だ。
 それらは当然ながら、学者として生きるレイシオには全く必要のないスキルなのだ。レイシオを知る者であれば、場違いだと端から否定する者以外はレイシオの仕上がりを肩書きを前提に評価してくれるだろう。その評価の下であればレイシオが本来の役割を果たすことはできるはずだったが、思考に余裕が生まれるに従ってどうにも不安が込み上げてきてしまう。
「君の目に僕は滑稽に映っているんじゃないか。間に合うのであれば他の誰かを用意しても構わない」
 場違いだと嗤う者には嗤わせておけば良い。そういう人物とはそもそも交流の時間を割く必要も価値もなく、最初から計算に含めてすらいない。スクリューガムは少なくとも今回はそういうやり方をするつもりなのだろうと理解しているのに、後ろ向きな言葉を吐いてしまう自分がほとほと嫌になる。
 引き受けておきながら何を今更。そう、冷静さを保っている部分がレイシオを真っ当になじった。
「否定:どれもお似合いでした。貴女が他の誰かに見劣りするとも思えません。しかし、この言葉が貴女の心を慰められないのも理解しています」
 聡明な貴女が告げる不安が、このような本心一つで解消されるのであれば良かったのですが。そう、スクリューガムは少々身をレイシオに傾けながら口にした。
「このような食事会は初めてですか?」
「そうだな。これほどのものは初めてだ」
 そうですか、と打たれる相槌は普段よりも幾分か柔らかく感じる。彼の声はいつも穏やかで揺らぎがないが故に、今だっていつもと何ら変わらないはずだ。それなのにどこか違って聞こえるのは、他ならぬ自分がそう聞こえてきてほしいと望んでいるからなのだろう。
「今回の夕食会はレイシオさんに前に出ていただく機会が多くなるでしょう。しかし、矢面に立たせるつもりはありません。あまり気負わないで、物見遊山程度の気持ちでいてください」
「額面通りに受け取るつもりにはなれないな」
 スクリューガムの言葉に気持ちが少し緩むのを感じながらも、彼の言うままにしていても良くはないだろうと思う。多少の失態程度であればきっとスクリューガムがフォローしてくれるのだろうが、彼が周囲にそういう女を連れてきたと思わせるのは好ましくない。
「提案:手引書などがあれば気が休まるでしょうか」
……ああ、そうかもしれない。運用できるかはともかくとして、分からないことが怖いんだ」
 知識を求めるのは学者の性でもあるのだが、この感情はそんな属性に当て嵌めるまでもないだろう。恐怖や不安の正体は無知であり、漠然としたものにレイシオは怯えてしまっている。そう素直に認めただけで少し気分が楽になった。
「一般的に流通はしていないでしょうが、その手の物は現代まで改版され続けたものが存在します。評判の良い教本を伺っていくらか手配しましょう」
「そうしてくれると助かる」
 ようやく頼りを見つけられて息を吐きながら礼を言えば、本来はこちらが謝罪しなければならないところだとスクリューガムが告げた。まるで時間を求めるように彼が紅茶を一口飲み、水分が通り過ぎたはずの口の内側にある機構が声を紡ごうとする。
「誤解を恐れずに申し上げるのであれば、私は今回の夕食会をさして重要視していませんでした。私にとってはこのような会は特別珍しいものでもなく、いつも通りこなせば望ましい成果が得られるものだったのです。そしてレイシオさん、貴女はおそらく今後所謂社交界に身を投じる人生を歩みはしないでしょう。であれば奇遇な来訪者として扱われ、あの世界の振る舞いを完璧に求められることもありません。であれば、そのような知識は不要だと考えてしまっていました」
「その考えは理解できる。僕は学者としてやってきた立場を崩さなければいいんだろう。だが、どうも形を用意されてしまえばそうもいかないと思ってしまうらしい」
「お気になさらないでくださいと申し上げてしまいたいのですが」
 無茶を言うなと苦々しく告げながら軽い口当たりのクリームのケーキを掬って口に入れれば、スクリューガムが微かに笑う気配がした。レイシオからすれば笑っている場合ではないのだけれど、深く通じた者からすれば初心者が右往左往する姿はどこか懐かしさを感じるものでもあるのだろう。
 あからさまに溜め息を吐いて不満を表明すると、スクリューガムはへこたれずにどことなく楽しそうな雰囲気を見せる。無機生命体である彼に表情はないし、今は言葉で感情の表現をしているわけでもない。それでも不思議と、彼が面白がっていると感じることがあるのだ。
 これがレイシオの思い込みなのか、彼特有の技巧なのかはレイシオにはまだ判断がついていなかった。ただ、それを指摘すると概ね肯定されるので彼がレイシオに合わせているのでないとすると、何かしらの表現技法が仕事をしているのだろうと思う。
 共感性ビーコンに何かしら手を加えているのかもしれないとちらりと考えて、彼であれば法的によろしくない手法は取らないだろうと考え直す。けれど、彼の才能を思えばできない話でもないだろう。
 もう一口ケーキを口にするのとほとんど同時に扉がノックされて、スクリューガムが数分で出ると向こう側に伝える。どうやら仕立屋の三人組が作戦会議を終えたらしい。ちょうど崩れそうになった大きな苺を一口で食べてしまって、口の中に甘酸っぱさを感じながらスポンジとクリームを胃に収めると最後に紅茶で口の中をさっぱりさせた。
「さあレイシオさん、行きましょう」
 同じようにケーキを食べ終えて先に席を立ったスクリューガムが手を差し出してきて、レイシオは思わず目を丸くしてしまった。一瞬より少し長い時間を浪費して、すでに予行演習が始まっているのだと気がつく。レイシオが社交界に赴くスクリューガムのパートナーであるのであれば、その手を取って立ち上がるべきなのだ。
……ありがとう」
 意を決するためにも一呼吸置いてから、レイシオは礼を述べながらスクリューガムの手を取った。それから手袋越しの彼の手に体重をいくらか乗せて、レイシオは深く沈みこんでいたソファから腰を上げる。彼に支えられながら立ち上がって、手のひらがレイシオの指から離れてから先導されるままにレイシオはスクリューガムの後に続く。
 彼に開けてもらった扉を先に潜れば、二人を待っていたらしい仕立屋がレイシオの進むべき場所を示してくれた。至りつくせりをむず痒く感じながらも、レイシオは大きな姿見の前に立つ。
「三種まで絞り込ませていただきました。この中からご希望の物をお選びいただければと思います」
 自分の両脇に浮かび上がったドレスを見て、いずれも自分の好みの範疇にあったのに驚いた。レイシオから明確に趣味を伝えたわけではなかったが、試着の際の細かな反応から傾向を読み取られていたのだろう。
 二つは同じ傾向の形で、最後の一つは大きく異なっている。そのいずれも試着させてもらって、肌への色の馴染みや体のラインとの相性を見ていく。そのたびにこの生地は方向転換した際の生地の動きが美しいだの、このドレスはレイシオの姿勢の良さと相性がいいだのとこまごまと情報を追加された。
 一通りの説明を受けて、どれがお好みでしたでしょうか、なんて尋ねられてレイシオは本格的に分からなくなってしまっていた。スクリューガムが手配した仕立屋なのだから、宇宙規模で見ても最上級の腕前とセンスを持つに違いない。そんな彼らが選んだものなのだから、どれを選んでも間違いなんてものは存在しないのだ。
 だからこそ、決め手があるようには思えなかった。レイシオの好みに合わせてきていることもあって、いずれも甲乙つけがたい仕上がりになっている。どれでもいいと思えてしまえばまだ選びようもあったのだろうが、どれも良いと思わせてくるのが良くない。
 思わず難しい顔をしてしまってからレイシオがふと顔を上げると、仕立屋達の傍にスクリューガムが立っていた。なんだか涼しい顔をして、まるで他人事とでも言いたげにしているように見えてしまって途端にレイシオの虫の居所が刺激される。今日の自分の精神の不安定さには正直自分でも嫌気が差してきてはいるが、どうにもコントロールができないのだ。
「スクリューガム、君の意見はどうなんだ? さっきからずっと黙りっぱなしだろう」
「どれもお似合いだと思っていますよ。どれも普段の貴女を思い出させる衣装が施されているがために、非日常をより際立たせる仕組みになっているのが興味深くもあります。誰もが二度とその日の貴方に邂逅できないと思わせるような趣もあり、一瞬一瞬の貴重さを思わずにはいられません」
 思いもしない問いかけだったのか、スクリューガムがほんの少し首の角度を変えてからレイシオを見た。それからこの場ではお決まりの押し付けがましくもない褒め言葉に続いて、決して定型文を選んではいないと主張したいらしい感想が続く。けれど、レイシオが望んでいたのはそういうものではないのである。
「君の好みを訊いているんだ。君が僕をパートナーに選んだのだから、思い描いた理想の姿くらいあるんじゃないか」
「疑問:男性がこのような事にあれこれと口出しをするものではないと思っているのですが」
「君に一任すると僕は言ったんだが」
 思わず低くなってしまった声に、真っ先に反応したのは仕立屋の女性だった。ころころと鈴を転がすように少しだけ笑った彼女はすぐにとんだ失礼をと客に非礼を詫びる。
「スクリューガム様、レイシオ様はあなたに選んでいただきたいと仰っているのです。であれば、お断りするのも失礼な事では?」
「いや、その」
「それはその通りです。では、少々お時間をいただけますか?」
 判断に迷って決定権を他者に預けたいという意味合いではその通りであるのだが、字面だけをなぞられるとたじろいでしまう。それなのに些か表現が恣意的だと指摘しようとした最中に、まるでレイシオの口を塞ぐようにスクリューガムが彼女に同意する。
 彼のモノクルの奥にあるレンズの絞りが微かに音を立てたような気がした。それが幻聴だったとしても、彼が外界を視覚情報として取り込むためのレンズの焦点を合わせて見せたのは間違いない。
 他のオムニック達を見れば、瞳の大きさを有機生命体のそれに合わせるのは決して難しいことではないのは知識の浅い子供にも分かることだ。スクリューガムが昔ながらの姿を重要視していたとしても、レンズの絞り込みの動きなど簡単に隠せるはずだった。
 それなのに今、スクリューガムはわざわざレイシオに分かるように視界の中心を操作して見せた。まるでこれから他ならぬレイシオを注視するのだと示すかのように。
 いつもの穏やかな調子のままスクリューガムは仕立屋に指示をし、レイシオの衣服を切り替えていく。夢境だからこその手法の部分的な切り替えなんて芸当も使いながら、時に目まぐるしく、時にじれったさを感じる程に時間をかけてスクリューガムはレイシオを見た。それから時折仕立屋と話し、髪型や化粧、アクセサリーの類まで取り替えられる。
「それではこちらにしましょう」
 納得を示すために頷いたスクリューガムがようやくレイシオから視線を外して、自分の体がいやに緊張していたことに気がついた。しばしば受ける羽目になる品定めの類とは様相が異なるそれには不快感こそなかったが、だからと言って何も感じないでいられるわけではなかったらしい。
 慣れぬ衣装にも不満を訴える背筋を宥めながら、レイシオは大きな姿見に映る自分の姿に視線を投げかける。そこにいる女性に宿る美しさはレイシオ自身にも否定できなかった。
 自身のパブリックイメージになっているだろう青を主体としながらも深い緑を混ぜ込んでいる生地を重ねるようにして、そのドレスはスカートの広がりを表現していた。重なる生地が与える落ち着きを残しつつ、重さを抜くように控えめでありながらも瞬くような印象を与える白に近い銀糸だけで刺繍が施されている。胸元まで伸びるそれはレイシオの故郷を象徴する樹木の花や葉を形作っていた。
 胸元より上に刺繍がないのはレースのストールをかけているからだろう。晒すには少々筋肉が付きすぎている感のある腕を程度隠しながらも、仕立屋達が評価していた背筋を隠しきらないように腐心されている。
 今まで一度たりともここまで伸ばしたことがなかったくらいに伸ばされただろう髪は、器用に編み込まれた上でうなじの少し上辺りにまとめられているらしかった。ここでは一瞬の所業であるが現実世界であればどれほど時間をかけて施されるのか、レイシオにはさっぱり想像も付かない。
「レイシオさん、こちらへいらしてください」
 自身の姿に気を取られていたレイシオをスクリューガムが呼んだ。ヒールが隠れるくらいの長さの裾を巻き込んでしまわないように気にしながら、レイシオはスクリューガムの下に歩み寄る。
 肌触りの良い生地がさらさらと足を撫でながら、優雅に踊ろうとしているのが感触だけで分かった。きっと周囲の視線を奪うのもさして難しいとも思えなくなる程の芸術を一瞬一瞬に呼び起こしているのだろう。
 ああやはり、貴女は篝火を焚いて海原を行く人です。その姿を一等美しく感じます、なんて。ここまでされては夢見心地になってしまいそうになるレイシオを見て、スクリューガムがそんな歯の浮く事を言うものだから。
 君の歯が取り替えの利く部品で良かった、なんてあんまりにも切れ味の悪い感想をレイシオは無理やり飲み込むしかなかったのである。