シノハラ
2024-11-24 19:19:19
62419文字
Public スクシオ♀
 

in afterglow

1月の新刊のスクシオ♀のweb版です。本にはここからもう一度見直ししたものが収録されます。
通販ページは以下。
https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040031212327/


    5

 あれから彼女の旅行の話題に花を咲かせたせいで里心がついたのか、帰り道の途中で今年の帰省のための実家との調整を早々に済ませてしまった。両親曰く、今年は向こうの長期休暇期間の早いうちが都合が良いらしい。
 自宅に到着してソファに沈んでしまう前に、化粧を落とすついでに入浴することにした。どこか緊張の残る体を緩めるよう意識しながら肩まで湯に浸けると、温もった髪から品の良い香油の匂いが立ち上ったのが分かる。きっとそうなるだろうと思って匂いのある入浴剤を使わなくて正解だったともう一度嗅ぐことになるはずの匂いを意識しながら、レイシオは昼間の出来事を思い返した。
 彼女にレイシオの世話役に宛てて、あんな話をさせる意図がスクリューガムにあったのかを憶測するつもりはレイシオにはない。たとえそう水を向けられたものであったとしても、彼女の心には偽りがないのは間違いなかったからだ。
 レイシオにとっては目新しさも何もない交流が、彼らにとっては特別であった日があった。その事実をレイシオはしっかりと意識する。
 自身に責任がないと知りながらも、それでもこの瞬間に感謝し詫びるべきなのは自分達なのだと思うこともある。年若いオムニックはまだしも、あの二人はレイシオのような有機生命体が危害を加えた世代なのだ。彼らは有機生命体を無意味に害したことなどなかっただろうに。
 一方で彼女はもちろん、スクリューガムもレイシオの謝罪を求めていないだろうということも理解できた。きっと彼らはレイシオが頭を下げるくらいなら、一度取った手を放さないでほしいと願ってくれている。
 そうすることで互いの祖先が繋ごうとした鎖を断ち切れると信じて。レイシオが生まれるずっと前に彼らはそんな生き方を選び、自らの描く理想を形作りながら歩んできた人達なのだ。
 彼は。と、見知った姿を思い描きながらレイシオはぱしゃりと湯を波立たせた。スクリューガムは足跡がそのまま歴史として残る人物であり、常に自身が転換点となり得ると自覚している。
 そういう人の日常にレイシオは今関わっているのだ。スクリューガムはこの件を丁重に扱いたいらしい一方で、夕食会自体は特別重要視するものでもないと捉えているらしい。けれど、それを額面通りに受け取って多少の粗相をしても許されるなんてレイシオはもう思えなかった。
 背筋が伸びる思いとは、正にこのことを言うのだろう。

    *    *    *    *

 前日には目的の星に到着して顔を合わせて打ち合わせの一つでもしてと言いたかったが、双方の日程が合わず叶わなかった。前回とは違い今回はしっかりと規則を守り休暇取得の理由を尋ねなかったアベンチュリンが訳を知れば、そんなどたばたで良いものなのかと驚いたかもしれない。
 というより、数日後に髪をいつもの長さに戻したレイシオを見て休暇の事情を察してびっくりするのだろう。そんなちょっとした出張と変わらないノリで問題なかったのかと、いくらか好奇心も混じった彼の問いかけが脳裏に浮かぶ。レイシオだって正に今そう思っているのだが、スクリューガムは少しも気にした様子がなかった。
 彼曰く、初めて会う相手でもないので事前に挨拶をする必要もないとのことだった。代わりに翌日少し時間をもらう予定だけれど、夕食会で余程レイシオと彼が盛り上がり具体的な援助の話にでもならない限りは同行は不要だとか。
 夕食会の主催者との縁を作るのは当初の目的の一つではあったが、そこまで必死になる必要も今のレイシオにはない。故に拘束期間は前夜からの移動から始まり、夕食会を終えた翌朝までになるはずである。
 その日は目的地の太陽が頂点を超えて傾き出した頃になって、レイシオは首都にあるステーションへ到着した。惑星間での交流は疎ではない関係で、人は十分ごった返していると言える。
 初対面ではなかなか出会えなさそうな待ち合わせ場所ではあったものの、先々月にレイシオを迎えたオムニックはさして苦労もせずレイシオを見つけてくれた。
 ステーションの中であればともかく、外に出るとすれ違うのは有機生命体ばかりである。レイシオの横にいる彼には悪意こそないものの、少々不躾な視線が投げかけられることもあった。
 そういう眼差しを一切意に介さない様子の青年と歩いた距離はさして長くはない。具体的に記すのなら、ステーションを出てタクシー乗り場に辿り着き、スクリューガムが押さえている会場にほど近いホテルの入り口から客室に到着するまでである。
 ピノコニー振りの規模の客室に最早顔馴染みと言っても差し支えのない仕立屋達がいて、ほんの少し肩の力が抜けた心地がする。他にも手配を進めているらしいオムニックが数人いるが、レイシオを気にかける余裕はなさそうだった。
 お昼は軽食で済ましましたか? お腹が空いていてもこれからは食べない方が良いかもしれませんね、なんて恐ろしいことを言われながらレイシオが案内された先はバスルームだった。よくよく見ると薄いバスローブのようなものを二つ仕立屋の女性は持っていて、全部脱いだらまずは一枚着てほしいと言われる。
 言われるがままに彼女に従うと、まずは風呂場で丁寧に化粧を落とされた。それから今度は体を自分で洗ったらもう一枚のバスローブを着て、時間をかけて丁寧に髪を洗われる。元々栄養バランスが良く、体力もあるから肌も髪も思った以上に良く仕上がって嬉しい、なんて話を彼女はしていたはずだった。
 一晩シャトルに乗っていた関係か少々精神的な疲労を感じていたところに丁寧な刺激があったせいでやや聞き流した部分もあるが、着付けが終わったら写真を撮ろうとも彼女は言った。実家に突然送りつけたらびっくりしますよ、とか言っていた気がする。さもありなん。
 泡を全て洗い流してからバスローブを着込み浴室を出ると、即座に化粧水の類を塗りたくられた。それからドレスから出るはずの肌全体にクリームが滑っていく。それからようやく髪を丁寧に乾かして、先月も香ったヘアオイルを毛先に付けられた。
 それからほとんどがレースでできたショーツとフレアパンツだけを渡されて、少しばかり抵抗したが結局ブラジャーはもらえなかった。諦めて下半身だけ何とかするとバスルームから外に連れ出されて、バスローブを剥がされたかと思うと問答無用でブラジャーを着けられる。
 それから脇に流れた肉をこの後潰すと言うのに手を差し入れられて集められるので、今月末が締め切りの資料の額面を思い浮かべて感触から気を逸らした。おそらく脇のラインに影響があるのだろうとは思うのだが、後ろからこうもぎゅうぎゅうとやられるとどうしていいか分からなくなる。そんなことを言えばどうもしなくて良いですよと言われてしまいそうなので、口は噤んだままだったが。
 執念深く肉を集めて胸に変えられた後、前々回も前回もレイシオを苦しめたコルセットが取り出された。胴回りに巻かれたそれを忌々しく思いながら睨んでいると、女の力で締められるのだからそんなにきつい物でもないと恐ろしい事を言ってくる。骨格そのものを歪めて、健康を損ねる程の物はとっくの昔に駆逐されて博物館に飾られるだけだと思っていたのだが違うのだろうか。
「はい、息をゆっくり吐いてください。良いですね、そのまま……
 レントゲンを撮る時の真逆の指示を受けながら胸と脇腹が押さえつけられる感覚に眉を顰めていると、背後でホックが留まっていく感触がする。本当にしっかりと食事を摂った後でなくてよかった安堵してから、自分がこれからどこに行くのかを思い出してげんなりしてしまう。出てくる料理の量は少ないとは聞いているが、淑女規準に合わせた表現であればよいのだけれど。
 下着の類の用意が終わってざっくりとドレスを被せられると、残りの二人が部屋に呼び寄せられた。後はレイシオが立っているだけで、目まぐるしく準備が進んでいく。
 ドレスの最後の調整が行われる傍らでウィッグが丁寧に取り付けられて、普段レイシオが使う物とは比較するつもりも起きない髪留めで結い上げた髪をまとめられる。レイシオの髪に合わせた色の繊細なピンが後れ毛を押さえつける冷ややかさはいっそ新鮮に感じられた。
 嫋やかな女達とは違うだろう背中はドレスの生地には守られていなかったが、空気を纏ったストールでやや曖昧にされた。そのストールを二の腕に引っかけることで筋肉が与える無骨さは隠しながらも体のラインの印象を残すように仕上げられている。手袋とストールと合わせる判断はできなかったらしく、二の腕から下は空気に晒されていた。
 ドレスの生地を損なわない椅子の座り方を教えてもらって腰を下ろした席で、最後の仕上げとばかりにレイシオは化粧を施される。アイラインを引くために落とした瞼を持ち上げて目の前に差し出された鏡を覗き込めば、先月とも少し違う自分の顔がこちらを覗いていた。
 衣装やアクセサリーに負けない仕上がりになりつつも、普段のレイシオから遠く離れているようにも思えないのが不思議だった。ほとんど好みは尋ねられなかったはずだが、レイシオの反応からうまく汲み取った結果なのかもしれない。
 とはいえ、もちろんレイシオの普段の化粧とはかけられた時間も仕上がりの品質にも雲泥の差があった。自分であることを度外視して鏡に映る女を評価するのであれば、美しいと表現するしかなかっただろう。よくもまあそこらの女をここまで仕上げられたものだと、素直に感心してしまう。
 最後にいくつかアクセサリーを着けられて、体温が金属に馴染んでから先月も履いたはずのハイヒールを足元に寄せられた。これでようやく準備が済むらしいと内心で息を吐きながら時計を探したが、生憎視界に入る場所にそれらしいものは見当たらない。
 時間の感覚はとうに麻痺してしまっていて、準備にどれだけ時間がかかったか皆目見当がつかなかった。仕立屋達の気が急いている様子もなかったので、おそらく予定通りの進捗の範囲内なのだろう。
 靴に足を通して一度立ち上がると、前回とは異なりしっくりと足に馴染んでくれた。促されるまま数歩歩いて、クッション性も良好で多少歩いても靴ずれや痛みはないだろうと確信する。
 完成です、とリーダーが宣言すると、もう一人の男がリビングルームに続く扉を開けてくれる。リビングルームを気にしたレイシオを引き留めて、風呂場で提案した通り写真を数枚取ってくれた。データの調整をしたら送りますねと笑ってから先導してくれる彼女について行くと、すでに準備を済ませていたスクリューガムがレイシオを待っていた。
 夕食会に相応しい格式のタキシードは自分が着ている衣装と揃いの物である事が一目で分かって、レイシオは目を丸めてしまう。最初はレイシオのドレスが彼の服に合わせられたのだと思ったが、ラペルの色合いがレイシオが選んだ色に寄せてあるのは間違いなかった。そのラペルの色に合わせてコージラインが調整されているように思えて、手持ちの色を少々弄った程度の代物でないのが見て取れた。
「ご足労とご準備ありがとうございます。お似合いです。よもや、夢の中よりお綺麗になられるとは思いもしませんでした」
「それはありがとう。君がそう思うなら、それはきっと彼らの努力の賜物だろう」
 夢とはそういうものだとかつて有機生命体の友から聞いた事があったのですが、なんて大仰に褒められてしまったせいで彼の服装に抱いた衝撃を吐露する機会を失ってしまった。代わりに必要になった適切な答えが咄嗟に浮かばずに外野に助けを求めると、仕立屋のリーダがスクリューガムにピノコニー時点からの変更点について説明してくれた。
「それにレイシオ様にも日常的にご協力を賜りました」
……なかなかに大変だった」
 大変というよりも億劫の方が表現としては正しかろうが、大きな変わりはないだろう。どちらにせよ嘘がなかったからか真に迫って響いたそれに、スクリューガムが微かに笑う。
「お話は伺っています。正直なところ彼らの腕には疑いを持っていないので、試着から更に良い物を用意してくるだろうと予測できていました。ですので、私を驚かせたのはレイシオさんが継続してくださった腐心の結果の部分なのでしょう。私は貴女の内の磨かれた美に初めてまみえたのです」
「そういう話であれば、きっと僕も似たような状況だな。こんな機会でもなければこんな形で自分の体をメンテナンスしようとは思わなかった」
 緩く肩を竦めて見せようとすると、ドレスの生地がするりと動く気配がした。その感触に気を取られると、柔らかな沈黙が自分達の間に降りたのが分かる。彼が上手に作る静寂をレイシオは元々嫌っていないが、これ以上世辞だか本心を拡張したかした賛辞を聞き続けるのはいささか厳しく感じていた手前か稀有なものに思えてしまった。
「それで、スクリューガムさん。この後の予定は?」
「簡単に今後の流れを確認し直してから移動しましょう。それでちょうどいい時間になるはずです」
 レイシオに回答する前に仕立屋達を下げさせて、スクリューガムはレイシオを椅子に案内しながら説明をする。言われるままにすでに紅茶が用意されていた席に着席してから、隣や正面の席に着こうとしないスクリューガムが気になってレイシオは顔を上げた。
「スクリューガムさん?」
「確認:怒っていらっしゃいますか?」
 急に何を言い出すのかと思ってレイシオは本格的に首を傾げてしまう。この一連の出来事で困惑することは多かったが、怒るようなことは一つもなかった。ベリタス・レイシオが理不尽な不満があって黙っているような人間ではないことくらい、彼には伝わっていると思っていたのだけれど。ああいや。
「そういうつもりはなく、君に敬意を表したくなっただけだった。君が不快に思うのであれば戻す」
 ここ短期間の変化というと見てくれと敬称くらいしか思いつかない。そのうちの一方は褒めてくれたのだから、気にしているのはもう一方のことなのだろう。
 敬称なんて儀礼的なものではあるのだけれど、だからこそ分かりやすくあると思ったのだ。しかしどうやら、スクリューガムは距離を取られているように感じてしまったらしい。レイシオがどんな意図を呼び方に込めていたとしても、肝心の本人に伝わらなければ何の意味もない。
「なるほど、それは悩ましいですね」
「悩ましい?」
「ええ。レイシオさんがそう呼びたいと考えてくださるのであれば優先したいですが、私自身いつもの呼び方も好ましく思っていますので」
 スクリューガムの身分を思えば、礼節を欠くどころの話ではないと糾弾されてもおかしくもないそれを彼は快く感じてくれているらしい。レイシオの意図はあるにはあるが、結局は彼が望む呼び方が一番だろうから黙って彼の検討結果を待つことにする。彼の事だから本心はもう定まっていて、コミュニケーション上の問題で間を作っているだけかもしれないが。
「提案:少なくとも今日はそう呼んでいただけないでしょうか。その呼び方に相応しい振る舞いをお約束できればと思います」
「いつもの君で十分だと思うんだが」
 そうでしょうか、と想定のパターン内に収まっただろうレイシオの返答に落ち着いた調子で問い返してくるので、そうだともと返事をしてやる。少なくともレイシオは彼が紳士らしからぬ言動をした瞬間に立ち会ったことはまだなかった。
「これからもそうあれればよいのですが」
 レイシオの隣の席に腰を下ろしたスクリューガムが投影型のスクリーンを表示して、一度レイシオが目を通した内容を再度提示してくる。もちろん要点は把握しているつもりだったが、スクリューガムがかいつまんで読み上げてくれる内容に素直に耳を傾けることにした。
 惑星の外から客を呼ぶ際、基本的なマナーは国際儀礼に則るのが慣例である。しかし、今回は国際儀礼で定められている晩餐会という言葉をあえて使わないことで、少々遊びを設けている部分があるとのことだった。つまり、基本的には国際儀礼に沿っても問題はないが、会の流れはその星の慣例に合わせる方針になるらしい。
 特筆すべきルールとしては、席に通された後に食事が出てくるまでの時間は離席が自由となる点がある。誰が挨拶に行くべきかなどの所謂身分のルールの意識はほとんどなく、隙を見て席を立ち声をかけに行くのが普通なのだとか。なお、その際のパートナーは同行してもいいが、顔の広い者だと誰かに捕まっているのも珍しい話でもないらしい。
 用意された席で食べるのは軽食程度で、以降は別室で立食のスタイルに移行する。なおその際もお喋りが基本になることが多く、主催者が好まない限りは舞踏会の要素は入らない。
「事前にお伝えした通り、今回は誰も踊らないでしょう」
「その要素があればさすがに断っていたかもしれないな。受ける前に訊いておくべきだった」
 冷えてしまわないうちに紅茶に口を付けてから、喉に滞留した香りを鼻に移動させるついでに溜め息を一つ吐いた。さすがにダンスを要求されるのであれば国際儀礼に乗っ取ったスタイルになっただろうが、最後に踊ったのがいつだったのかすぐには思い出せないくらいにはレイシオから縁遠い存在である。
「おや、第一真理大学にはプロムナードはありませんでしたか?」
「ノーコメントだ、スクリューガムさん」
 早速敬意云々とは違うニュアンスを敬称に込めてしまいながらも、きっとこのドレスでくるりと回ればさぞかし美しくひらめくのだろうと思ってしまう。仕立屋がレイシオに踵を返すように指示することもあったので、ダンスも想定した作りになっている可能性が高いのだ。そう思うと少しもったいないかもしれない。
「よろしければ戻ってから一曲だけいかがでしょう。誰の目にも留まるものでもありませんから、思い出しながらでも構いません」
……戻ってきた時にまだ僕にその気があればお付き合いしよう」
 ほとんど断ったつもりだったし、スクリューガムにもそう伝わっているはずだった。それでもうまくそのビジョンが描けないのは、スクリューガムの不屈の精神を階差宇宙の件で見せつけられているからだろうか。
 模擬宇宙への誘いにあそこまでけんもほろろの回答を受けた状態で、当然のように別案を寄越してくるような男が気が変わったから程度の回答で引き下がるとも思えないのが正直なところだった。余力があればこのドレスのために彼の要求に応えてやってもいいかもしれない、くらいには思えているところが幸いだろうか。
 それからいくつか注意点を二人で確認して、頃合いになったらしくスクリューガムが席を立つ。それに倣う前に手のひらを差し出され、足に入れていた力が緩んでしまった。
 どんな服装をしていたところで、人の手を借りなければ立ち上がれないなんてことはない。けれど、とレイシオは自身に言い聞かせる。自分が行くところはあえてそういうことをする必要がある場所なのだからと瞼を落として、レイシオはゆっくりと息を吐く。
 それから同じくらい時間をかけて息を吸って瞼を持ち上げると、レイシオを待ってくれていた手のひらに自身のそれを沿えて立ち上がった。