シノハラ
2024-11-24 19:19:19
62419文字
Public スクシオ♀
 

in afterglow

1月の新刊のスクシオ♀のweb版です。本にはここからもう一度見直ししたものが収録されます。
通販ページは以下。
https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040031212327/


    3

 仕立屋達曰く、微調整のために二度ほどレイシオは時間を取られる必要があるらしい。ただ、これからは物理的にドレスを仕上げていく必要があるので、わざわざピノコニーまでレイシオが足を運ぶ必要はない。
 一ヶ月に一度ずつ都合の良い日取りを問われ、どちらも大学にいる日を選んだ。カンパニー絡みでどこかにいるときはなんだかんだで予定通りに仕事が収まらないことも少なくはないし、その後にアベンチュリンとふらりと食事に出ることもあったりする。
 一方で大学の、特に授業が詰まっている日であれば自分の都合で作業を切り上げやすかった。それではと大学と提携こそしていないが立地上御用達になっているホテルの上層階の一室とレイシオの時間をその場で押さえられ、その日はようやく解放された。
 再び慣れた服に着替えた後にせっかくだからとスクリューガムと二人で階差宇宙の様子を見に行き、彼が元々予約していたらしい店で軽い食事を取った。夢の中であるために普通の食事を摂っても食べきれないということはなかっただろうが、先ほど食べたケーキの甘さがレイシオの満腹中枢を満たしてしまったらしい。
 クラブサンドとスープを口にしながら、スクリューガムは今後の予定を説明してくれた。今後の二回の試着にスクリューガムが同席しない代わりに、彼の使いの者が取りなしをしてくれるとの事である。よっぽどの事がなければ微調整以上のことは行われず、レイシオは一時間と少しで解放してもらえるらしい。
「だから、君がいなくとも大丈夫だと?」
「肯定:少なくともレイシオさんが考えあぐねる状態には陥らないかと」
 本当だろうか、と半分以上冗談で彼に尋ねれば、信用を失ってしまったようで残念ですと肩でも竦めそうな調子でスクリューガムが応じる。それから少しもしないうちにレイシオのスマートフォンが鳴動したため、非礼を詫びながら通知を確認すれば目の前の人からのメッセージだった。
「緊急用の番号です。必要に感じたら使用してください。もちろん、階差宇宙ですぐに話したいアイデアが浮かんだときに繋いでいただいても結構です」
「君の緊急用となると、鳴るだけで生きた心地がしなくなるものだろうに」
「ええ。ですので、たまに使っていただけると私も慣れられて良いかもしれませんね」
 慣れるものでもあるまいにと思いながらも、レイシオは一応電話帳に情報を登録した。それを今日使うことにならないことを心の底からレイシオは願っている。主に彼ではなく自分のために。
 夢の中と同じように、今度は見知らぬオムニックに迎えられてレイシオはホテルのエレベーターに足を踏み入れた。事実上大学と癒着していることもあり、繁忙期などはレイシオも使うことがあるホテルではある。けれど、あくまで日常使いであるため、当然ながら最上位クラスの部屋に立ち入る機会は今までなかった。
 立ち入った部屋は夢境のそれとは幾分もグレードは落ちていたが、正直なところレイシオからすればこちらの方が幾分か気分が落ち着く。もちろん、リラックスするという点では寝室のみの客室で十分ではあるのだが。
 ドレス用の下着を着る際に直接肌に触れられるのは抵抗があると最初は控えめに主張したものの、そんな余裕はすぐに吹き飛んでしまった。胸と腹をぎゅうぎゅうに締め上げられて堪らず情けを乞うて妥協してもらったが、彼らは本当ならもう数センチ締めたかったらしい。食事会で食事をしないわけにも行くまいと彼らとしては随分な譲歩のつもりのようだったが、それでも慣れるまで相当息苦しかったのだ。
 圧迫感から不自由に感じられる体で仮止めなので気をつけてほしいと念を押された服の袖に腕を通す頃には、二の腕を触られようがその下の脇を押さえられようがどうでも良くなっていた。そう思ったのはコルセットのせいだけではなく、その生地から窺える繊細さも影響していたのだろうが。
 ピノコニーとは違い、時間をかけて着せられたドレスはまだ制作途中であるのはレイシオにも分かったが、すでにスクリューガムが選んだときの輪郭は再現できているらしかった。学生時代から続けているトレーニングの成果としてしっかりとついた腕や背中の筋肉を目立たないような曲線を生み出しつつ、更にストールで輪郭を曖昧にしてしまう。一方で、筋力が生み出す安定した姿勢を損なっているようには思えなかった。
 化粧や髪型こそいつも通りだが、それでも自分ではないように思えてしまう。不思議な気分になりながら鏡を眺めていると軽く化粧を試したいのでと言われて、きっと自分の規準の軽くではなかろうと思いながらも許容する。
「ちょうど良い機会ですので、この後髪と肌の手入れ方法についてお伝えさせてください。肌質に合う化粧品もお渡しします」
……僕が喋りづらいのが分かっていてやっているな?」
 鈍い色の口紅を落としながら仕立屋がレイシオの美容に注文を付け始めて、ようやく唇を解放されてから眉を顰める。どうでしょう、とくすくすと笑う人は眉ももう少し整えますねなんて言い出した。
「エステもどうですか? 思った以上に変わることが多いのでなかなかに面白いですよ」
 代金はお気になさる必要はありません、と詐欺染みた発言が続くが、おそらくスクリューガムの懐から出るのだろう。いや、今回の場合はポケットマネーではなく、国家予算にあたるのだろうか。
 上客も上客のパートナーに対してそんな意図がないのは承知しているが、頬の産毛を剃りながら提案されてしまうとやや脅しめいたものを感じてしまう。面倒だとか、今更そんなことを始めたところでとレイシオが思うのを見透かすように仕立屋は二ヶ月だけですからとか今からでも十分間に合いますとか後押しの言葉を投げてくる。
 レイシオも大分渋ったつもりだったが、眉を整えられて不足分を一本一本書き入れられている間に受け入れてしまっていた。ここまでぐいぐいとレイシオに要求できるのはかの同僚と黄色の目をしたナナシビトくらいではなかろうか。
 それでも仕立屋達が強く出るのは、レイシオが直接の客ではなくある種の協力関係にあると認識しているところも大きいのだろう。彼らの仕事はレイシオにおべっかを使うことではなく、スクリューガムの前に最善の状態でレイシオを差し出すことなのだ。
 化粧が終わってから指示された通りにポーズや所作を作らされながら、何通りも写真と動画を記録される。ちらりとこれが大学にでも流出したらしばらく騒がしくなりそうだと万が一にも起きないだろうもしもをレイシオは案じながら彼らが納得するのを待つしかない。
 ようやく予定の工程が終わったらしく元の服に戻ることが許されて、レイシオは一人で使うには広すぎるリビングの席に座り込んでしまう。もう少ししたら立ち上がろうとぐずぐずしているうちに、レイシオを連れてきたオムニックがお詫びの品とばかりにお茶とケーキを用意してくれた。
 礼を述べてからチョコレートクリームを口にすると、ぎゅうぎゅうと押し込められて疲弊していた体が酷い目にあったものだと主張してくる。全くもってその通りと同意しながらゆっくりと胃に収めるうちに、仕立屋達も撤収の準備を終わらせたらしい。出された菓子を片付けてからオムニックに先導されて部屋を出ようとするレイシオにそれではまた、と爽やかに挨拶をしてきたせいでレイシオは思わず渋い顔をしてしまった。

    *    *    *    *

 自宅に送られてきたシャンプーとリンス、それにトリートメントと基礎化粧品一式。それを教えられた通りに使いながら生まれて初めてのエステの集中プランの二回目を終わらせた頃になると、レイシオの目にもはっきりと肌や髪に差が出てきたのが分かった。
「てっきり髪を切りそびれていたんだと思っていたけど、もしかして伸ばすつもりになった?」
 仕事中のランチを一通り食べ終えて食後のコーヒーを飲んでいたところ、その事実をアベンチュリンから指摘された。美容に興味がある生徒から言及されるのは想定済みだったが、この男から尋ねられるのは正直なところ想定外である。
 彼がレイシオの変化に気づかないほどの愚鈍だと言いたいわけではなく、気づいたところで言及は避けると思い込んでいたのだ。現代社会の特にビジネスにおいて、容姿への言及は基本的にタブー視されている。彼だってそんなことも知らずに高級幹部にまで上り詰めたはずもないだろうに。
「それになんだかいつもと違う方向に自分磨きをしているみたいだ。ああ、ちょっと待って。今当てるから」
 そう指摘しようと口を開けようとした途端、まだ自分のターンなのだとばかりにアベンチュリンがレイシオを黙らせてくる。なるほど、容姿については話題の本題ではないと言うことらしい。であればぎりぎりセーフにしてやっても良いだろうと考えて、アベンチュリンもそう判断したのだろうかとちらりと考える。
 アベンチュリンは時に強引で有無も言わせぬ振る舞いをすることがあるが、それがある程度受け入れられる状況であると理解しての言動の節がある。命知らずのギャンブラーとレイシオだって彼を誹ることはあるが、それが全くの保険なしに行われている事ではないことくらい承知していた。彼の最大の武器は地母神からの寵愛ではなく、用意周到さと正確な環境の解析能力なのだ。
 そういうものを使って、彼はうまく自分の立ち回りを選択している。たとえばこの手のどうでもいい雑談においでても。
「人をギャンブルの餌にするんじゃない」
「ご家族や親戚の結婚式が近いとか?」
「外れだ」
 レイシオの苦言を無視して軽く首を傾けながら問いかけてくるアベンチュリンに、レイシオは微かに首を振って否定する。実のところ、そろそろそういう報告が来るのではないかという従弟はいるのだけれど、そのためにやっているわけではもちろんない。
「ええ、じゃあなんだろ……
 君の事だから恋人ができたからってそんなことにはならないだろうし、とレイシオ相手でないと許されないような見解をアベンチュリンがぼやくように口にする。恋をしたとか晴れて誰かと付き合うようになったので、今以上に見目を整えようとする者は決して少なくはないだろう。ただし、アベンチュリンが言うように自分はそういう手合いではなかろうと思う。
「ところで」
「なんだい?」
「今のは何か賭けてあったのか?」
 彼が当てるというのだから、例えば事の次第であるとかの見返りを求めていたのではないかと思う。それに失敗したのなら、レイシオが何かしらをもらって然るべきであろう。
 ひょっとしたら何かをレイシオに提示するための話の枕の可能性も考えたのだが、緩く傾いていたアベンチュリンの首は更に傾いただけだった。どうやらレイシオの考えすぎだったらしい。
「うーんそうだな……この辺りなら君の関心を引けると思うんだけど」
 そんなことを言いながらアベンチュリンがポケットから取り出してきたスマートフォンを覗き込めば、メッセージアプリが起動している。博識学会やカンパニーの仕事関連の話題かと思いきや、意外にも表示されていたのはとあるナナシビトのアイコンだった。
 お互い情報交換を目的にした会話ではなかったようで、中身があるようなないようなの会話が続いている。最後までスクロールした位置にくると、最高プロトコルの対策を練るためにしばらく階差宇宙に籠もるから返事ができないとあってアベンチュリンが返した了解のスタンプには既読がついていなかった。投稿日時を確認すると、どうやら数時間前の事らしい。
 あの子が最高プロトコルに手を出すのは前回こっぴどく敗退してからしばらくぶりのことである。環境が明確に異なる設定での試行錯誤のデータは階差宇宙では一番価値があるため、次回スクリューガムから送られてくる解析結果報告はさぞかし充実するだろう。実に良い知らせに満足していると、アベンチュリンがレイシオからスマートフォンを取り上げた。
「それとうちの子達は最近こんな感じだよ」
 それでおしまいかと思いきや、今度は自宅にいる創造物達をアベンチュリンは見せびらかしてくる。ひょんなことから外の世界を目指した創造物達がアベンチュリンの自宅で暮らし始めて、そこそこ時間が経っていた。
 この前里帰りをした彼らに出くわしたナナシビト曰く、家主が長期の出張から帰って来た時が一番楽しいのだとか。外界に興味を持ち、ステーションで創造主の帰りを待たない選択をした個体なのだからそういう感想になるのも当然なのかもしれない。三匹だけは少し寂しいけれど、知らない星の話を聞けるのが楽しいので許していると彼らは語ったらしい。
 すいすいとアベンチュリンがスワイプさせていく写真の中にはどうもペットカメラの類もあるようだった。知能が高い彼らなので自分達の姿がアベンチュリンの元に届いていると当然理解しているらしく、何事かを訴えかける様子も散見された。
……ちゃんと帰ってやれ」
「ピアポイントにいるときは絶対帰ってるよ」
 何を当然な事をと言いたげな様子で液晶に視線を落としていたアベンチュリンがレイシオを見てから、まあまっすぐ帰れない事も少なくはないのだけれどと小さくぼやく。
 彼の仕事内容と身分がペットの飼育と相性が悪いのは火を見るも明らかだが、それでも互いに十分な利益を得ているのだろうとその姿を見てレイシオは結論づけた。
「これが君の掛け金か?」
「そういう事にしてくれると助かるかな」
 思い出したかのようにこっちもいる? なんて言い出した瞬間に自分のスマートフォンが振動したものの、何が届いたかは考えるまでもないので後で拒否しておこうと思う。何回拒否されてもめげない気質は商売人には必須なのだろうが、同僚であるレイシオにまで発揮する必要はなかろうに。
「それで、本当のところは? 良ければ教えてくれないかい? もちろん、君が伏せておきたいことなら無理には聞かないけど、もしもこっそり教えてくれるならあちこちに吹聴しないって約束する」
 机の上に肘をついて手の甲に頬を乗せながらレイシオを見上げるようにして覗き込んでくるアベンチュリンに、レイシオは思わず眉間に皺を寄せてしまう。不愉快だと表現されつつも、それがまだ致命的な状況を示していないと彼は判断しているらしい。
 あるいは、レイシオの中にある揺らぎにとっくの昔に気づいている可能性だってあるかもしれない。結局のところ、こうも突かれてしまえばレイシオだって沈黙を貫いてはいられないのだ。
 秘匿するべき情報であればともかく誰に知られてもさしたる問題もない話であるのに加え、今まで生きてきて味わったことのない困惑の数々を吐き出していい場があるのなら話したくなって当然である。その相手がぴーちくぱーちくと方々に情報を拡散する手合いであればレイシオの口だって重たくなっただろうが、幸か不幸かレイシオの目の前にいる男はアベンチュリンなのだ。
 どこぞに報告をする必要があると判断すれば、もちろん情報は明け渡されるはずである。ただし、それは公とは局地に位置する場所に留められるはずなので日常生活においては特に問題が起きるとも思えない。
 観念して一つ息を吐くと、アベンチュリンがぱっと表情を明るくして姿勢を正す。腕も膝の上とまではいかないが、机の上で緩く組まれて人の話を聞く形になった。
「とある人物が出席する食事会にパートナーとして出ることになった。それで気がつけばこの有様だ」
「へえ、君が?」
 珍しいどころの話ではないとアベンチュリンが目を丸くしてから、改めてレイシオの艶の出ているだろう髪と化粧のりの良いはずの頬を見つめる。それから今度は彼の方が難しそうな表情を作って、思い当たる顔を思い浮かべているのか左手の指を数えるように動かした。
「学者先生の君が当日だけちゃんとしてるだけじゃだめなレベルって相当な相手だと思うけど。もしかして僕の知ってる人?」
 最後に人差し指だけを立てた手を持ち上げて、こてんと首を傾げてくる。知っているかどうかで言えば、知らないはずがないだろう。カンパニーの新人研修で自社の歴史を学ぶ時間があるのなら、かなりの確率で名前が出てくるような転換期に位置する人物である。であれば、高級幹部であるアベンチュリンが知らぬはずもない。
「スクリューガムだ」
 ほんの少しだけ躊躇った後に、レイシオはアベンチュリンに伏せていた名前を開示した。懸案はあるにはあるが、どうとでもなるだろう。
「ははあ……随分厄介なことになってるみたいだ」
「そのせいで生まれて初めてエステに行く羽目になった」
「そこまで?」
 声もなく頷いてから、一応本人からの要望ではない旨をスクリューガムの名誉のためにも伝えておく。本人が何をさせるつもりがなかったとしても君を飾り立てるように依頼を受けた方が良いと思うはずがないだろう、とアベンチュリンが肩を竦めて理解を示してくれた。
 受けた仕事の最善を尽くすべきなのは当然の話である上、彼らがスクリューガムから依頼されるだけの腕と矜恃のある集団であるのは想像に難くない。であれば、博識学会の学者なんていつもであれば目にも留めないだろう相手を適当に布でくるんで送り出すなんて、生ぬるい仕事を冗談でもできないのはレイシオにだって理解できるのだ。
 自ら選択してあの場に踏み入ってしまったのだから、非協力的な態度を示すのは些か問題があるとレイシオが思ってしまっているのも良くないのだろう。そのせいでやや強引な要求に否を唱えられずに、結局細々とした日々のメンテナンスに少々時間を割く羽目になってしまっている。いや、エステの時間はさすがに少々と言うわけにもいかないが、大学付近の例のホテルにまで出張されているので本来のそれより随分と負担は少なくはあるのだろう。
「それにしてもスクリューガムか……君が彼と仲良くしているのは知っていたけど」
「仲良くはしていない」
「へえ、仲良くもなくてパートナー役を務めるってことは、政治的な意図があるってことかな」
 ほんの少しだけ、アベンチュリンのまなこが細くなった気がしてレイシオは言葉を紡ごうとした唇を一度噤んだ。とんとんと何かを計算するように、アベンチュリンの指先が耳障りにならない程度に机の表面を叩く。それから少しだけ下げられていた瞼が落とされて、その気になれば簡単に剣呑さをまぶせられる虹彩を一度奥に隠した。
「まあ、君の立場が色々と微妙なのは僕も理解しているけど」
 レイシオが政治的な意図が欠片でもあると宣言すれば、アベンチュリンはスターピースカンパニーの人間として然るべき部門に報告せざるを得ないだろう。高級幹部と仕事をするレベルの顧問が持つ横の繋がりとして、無機生命体のアイコンでもあるスクリューガムを持つのはやや危ういところがあると言われてしまえばレイシオだって否定できない。
 だというのに、社交界なんて外交の花形である場所にレイシオが行こうと言うのだ。アベンチュリンの表情や声音は今は普段とさして変わらないように思うが、まだ彼が事を荒立て過ぎたくない気持ちが反映されているに過ぎないのだろう。
 レイシオがあるかもしれない有事に備えるのであれば、その手の伝手があるに越したことはない。けれど少なくとも、十の石心のアベンチュリンとしては穏やかでいられないのが実情ではないだろうか。ある程度予測していた反応に、レイシオは呆れた調子が良く出るように意識しながら溜め息交じりにアベンチュリンに視線を投げかける。
「政治的な意図は少しもない。僕がスクリューガムと大変仲が良いだけだ。だから彼の『個人的な』興味関心による研究に口を挟むこともあるし、彼が諸要因からパートナーの用意に難儀していた食事会にも付き合おうとしているに過ぎない。何か問題が?」
「そんな詮無しみたいな」
「まったく、君が言わせたんだろう」
 レイシオの喉を震わせるつっけんどんな音とは正反対の印象を持たせる言葉の数々に、アベンチュリンが少々呆れたふうに口元を緩める。それ以外にどんな答えを望んでいたのかと思いながら続ければ、ごもっともと言いながらもやはり彼は楽しそうにしている。
「じゃあそういうことにさせてもらおうかな」
 レイシオとスクリューガムは既知の通り個人的な関心の合致で研究を行っており、そのよしみから他所の星の食事会に出るらしい。何かがあったらそう報告しておこうとアベンチュリンの指先が軽快にテーブルを叩いたのを最後に行儀良く天板に添えられた。細々としたところに注文を付けたくはなるが、大筋は間違っていないので黙っておくことにする。
「それにしても、思っていたよりも大がかりになっているんだろう? 見解の相違があったって断らないんだ? それとも大がかりすぎて断りづらくなっちゃったかな」
 ほんの少し気遣わしげな、レイシオの煩わしげな溜め息一つで吹き飛ばせてしまいそうなくらいの控えめな問いかけだった。アベンチュリンの疑問も当然だろう。実際レイシオだって一度は辞退を申し出ようとしたくらいには、見積もりの甘さがあったのだ。
 それでもスクリューガムの説得とも言えない程度の回答を受けて、レイシオはパートナー役を果たそうとしてしまっている。もちろん、面倒だと思う部分は依然として面倒なままではあるが、結局ろくな抵抗もしないままに応じてしまえるくらいにしか思っていないのだ。
「もちろん君がちょっと文句を言えば済むくらいで、我慢ならないくらいに嫌だと思っていないなら別に構わないんだ」
 そう、アベンチュリンが続けた言葉にレイシオは曖昧に頷いた。アベンチュリンの言葉を受容しただけのようにも、現状を肯定しているだけとも彼には受け取れただろう。
……やっぱりさ、仲良いんじゃないかい?」
「だから『そう』だと言っただろう」
 言わせておいて何を今更と睨む視線をアベンチュリンは臆さず見つめ返してくる。周囲の――たとえば自分達より遅れて入ってきて隣のテーブルで悠々とランチメニューを食べているサラリーマンがこちらに気がつけば、何事かと思いはしないだろうかと少々案じ始めた頃にアベンチュリンがまあ、と少々明るく響くように意識したらしい声を上げた。
「君の交流関係が広がるに越したことはないと思うよ。ビジネスだってそうだけど、研究も伝手があってなんぼのものだろう?」
 食事会でも君に興味を持ってくれる地位の高い人に会えるといいね、と飲みかけのコーヒーが入ったカップを手に取りながらアベンチュリンが話をまとめにかかろうとする。彼の言う通り研究をするには資金は必要不可欠で、学会以外の相手から予算を引き出す必要が出てくることは珍しくも何ともない。元々予定している件の王族以外にもそういう相手と出会えるなら願ってもない事ではある。
「でもさ、できれば僕と仕事ができなくなるくらいに忙しくならないでほしいな」
「は?」
 真っ黒なままのコーヒーに口を付けようとする寸前にそんなことを言われて、何を言い出したのかと険のある声を出してしまう。
「僕はできればそうなりたいんだが」
「嘘」
「君と仕事をしたくないというより、その時間で研究をしていたい、がより正確だが」
 びゃっと跳ね上がった肩に少々苦笑しながら真意を告げてやれば、また良くないことを考えているとアベンチュリンにぼやかれる。有史以来どこの星系のどの星の知的生命体も労働からは逃れられていないんだよ、と生っちょろい論を展開し始めるので、つまらないディベートであればお断りだと撥ね除けた。
「あと――いやこの話の流れで言うのは無駄な気がするけど、彼と君の『仲の良さ』を念頭に置いたら、僕もお願いしたらパーティーの一つついてきてもらっても大丈夫だよね? 次の半期の終わりくらいにお得意様のところの懇親会に誘われているからどうかなって思ってるんだけど」
 つまるところ、さほど深い縁があるわけでもない相手の要望を叶えるのであれば、自分だって構ってもらってもいいだろうと彼は言いたいらしい。実際、スクリューガムの誘いを受けて、アベンチュリンの誘いを断るとなったときに説得力を持った確たる理由をレイシオは用意できなかった。
 レイシオが断ったとしても、アベンチュリンの相手は社内でうまく調整するだろうとは思う。けれど、それはスクリューガムも同じだっただろうし、むしろアベンチュリンの方はレイシオが同行する方が自然なくらいであるわけで。
……ドレスを着るためにコルセットを締められないで済むのなら検討しても良い」
 アベンチュリンの申し出を一旦受け入れたというより、彼の誘いのせいで体を締め付ける不快感を思い出してしまった不満を表明したい気持ちの方が強かった。自分の誘いを不満の捌け口にされてしまったアベンチュリンはそうと気づいているだろうが、レイシオがコルセットにぎゅうぎゅう締め上げられた一件の方が余程気を引いたらしい。
 へえ、と興味深そうにアベンチュリンが声を上げる視界の隅で時計の長針が頂点を指している。自分達の時間に縛られる仕事は午前のうちにもう終わってしまっていたから、さして気にする必要などなかったのだけれど。