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シノハラ
2024-11-24 19:19:19
62419文字
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スクシオ♀
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in afterglow
1月の新刊のスクシオ♀のweb版です。本にはここからもう一度見直ししたものが収録されます。
通販ページは以下。
https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040031212327/
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6
部屋を出て通ってきた道のりを遡りホテルを出ると、レイシオが来た時に使ったものとは規格からして違う車が待ち受けていた。あまりの大仰さに唖然としてから、すれ違おうとする家族連れのようやく就学した年頃だろう少女の陶酔した眼差しを受けてどちらかというと自分のためなのだと理解する。この格好で普通の規格の車に乗り込むのはなかなか厳しいところがあるだろう。
とうとう立ち止まってしまった少女の腕を引きながら小さく叱責する母親に、気分を害していないと伝えるためにもレイシオは少女に手を振ってやる。上手に笑みを作れていたか分からないが、ぱっと表情を明るくした少女がきゃいきゃいと声を上げてお姫様みたいだと母親に主張していたところを見るに及第点だったのではなかろうか。
子供であれば当然出てくるだろう表現にむず痒さを感じながら、レイシオは少しだけ前を歩くスクリューガムの後ろに続く。靴の先まで隠してしまいそうなドレスの裾が地面に擦れてしまわないかひやひやしつつ、レイシオはスクリューガムの伝手で入手した手引書に記載されていた足取りを崩さないよう注意を払った。
スクリューガムが道路側のドアから車に乗り込むまで待たされてから、後部座席に腰を下ろした後にドレスの生地をたくし上げつつレイシオは座席に乗り込んだ。スクリューガムに背を支えられる感触に少しばかり体を跳ねさせてしまったが、それ以上の反応を示さずに済んだのは事前学習のおかげである。
「ありがとう」
「いいえ、冷たくはありませんでしたか?」
ゆるゆると首を振って否定してから、スクリューガムが生地の薄くない場所を選んでレイシオを支えようとしてくれていたことに気がついた。それが彼の気遣いであると理解しつつも、気にするほどのものでもなかろうにと思ってしまう。
「僕に対して今まで君が相手をしてきたお嬢様方のような繊細さを持ち合わせていると思わなくていい
……
とはこの状況ではなかなかいかないか?」
公的な場でパートナーの扱いを変えるのは外聞上あまり良くないのかもしれないので、一応彼のための逃げ道は用意しておく。それでも彼の気遣いがなかったところで、レイシオは気分を害することはないのだと彼に伝えておきたかった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、一部補足させてください。私にそうさせているのはレイシオさんですよ」
「
……
褒め過ぎだ」
自身の行いは今まで相手をしてきたパートナーと遜色のない仕上がり故だと褒められてしまうと、レイシオは視線を泳がせるしかなかった。あの三人に随分と高さのある下駄を履かせてもらった自覚はあるが、だからと言ってそんな賛辞を受け取って良いものとも思えない。
「そうでしょうか」
「君がそう思うなら、彼らの報酬を弾んでやったらいい」
だというのにスクリューガムは納得が行かないらしく、疑問符を帯びない問いかけをしてくる始末である。再び仕立屋達に助けを求める最中にゆっくりと扉が閉められて、車が動き出したのが慣性の力で理解できた。そちらも検討しましょうとスクリューガムが応じるのを聞きながらも、レイシオは窓の外に気を取られた振りをする。
それから思い出したようにスクリューガムからレイシオの最近の研究についての話題を振られ、さっと車内の雰囲気が変わるのを感じた。実験結果への見解を告げられて、一度検討して答えるまでの間に思考の使い方がいつもの自分に戻っていると理解できる。
つまるところ、今までの自分は常の自分とは違っていたのだ。今更ながらの気づきに少し笑ってしまったせいで、スクリューガムがレイシオを気にしたのが分かった。
「慣れないことをしていると思っただけだ」
その言葉に不快感が混ざらないのは語調はもちろん、スクリューガムであればレイシオの目尻の具合からも読み取れただろう。自らが美しく飾り立てられることも、その先でその身なりに相応しい振る舞いをすることもレイシオは気負いこそすれどもはや億劫には思っていないのだ。
先ほどの少女のまなこを思い出す。そういう少女性が自分の中にもあるということなのだろう。そんな、まるで少女のような自身の心の動きをレイシオは少しばかり面白く感じていた。
「このまま最後まで楽しんでいただけると良いのですが」
自身の気持ちを正確に読み取ってくれたらしいスクリューガムの返答を瞬き一つで受け止めて、レイシオは中途半端になっていた質問の回答を再開する。そうすれば少しもしないうちに、自分の中で失われず長らく眠っていたらしい寝ぼけまなこの女の子がふわりとあくびをするのが分かった。きっと彼女には小難しすぎたのだろうと、語尾が柔らかくなってしまうのも仕方がない事だったのだろう。
そんな学問を紡ぐには少々違和感のあるちぐはぐな音にスクリューガムは移動中ずっと耳を傾けてくれていた。そう長い時間ではなかったとはいえ、彼も議論が好きな方なのでいつもであれば二回は相槌以上の反応を示していたはずである。レイシオが一方的に話すだけのこの時間がレイシオの調子を整えるために必要だとスクリューガムが考えているのは明らかだった。
目的地に到着すれば、名残惜しさは感じるものの議論未満のそれを切り上げるしかない。先にスクリューガムの席の方のドアが開いて、少し待つようにレイシオに指示をすると彼は先に車から降りる。それから開けられたレイシオ側のドアの前に彼がいて、また手を支えにして立ち上がれるように誘導してくれた。
そのまま引こうとした手を取られたと思うと、スクリューガムの肘の内側辺りに誘導される。見知らぬ上流階級層から与えられた知識を思い出しながら片手を彼の腕に沿わせると、途端に緊張してしまう自分がいた。彼が痛みを感じないのを良いことに指先に力を入れれば、スクリューガムがレイシオに視線を向ける。
「席に着くまでは私に任せていてください。そこから後はご苦労をかけてしまうことが多いと思います」
了解する自分の声が強ばっていたら余計に緊張してしまうような気がして、レイシオはスクリューガムに頷くだけで答える。パートナーが歩く速度に合わせてくれているのかゆっくりと歩み始めたスクリューガムに着いて歩きながら、レイシオは足許で泳ぐ布地に意識を集中させた。そうでもしていないと、視界から入ってくる情報で気を紛らわせようとあちこちへ視線を泳がせてしまいそうだったからだ。
会場に入れば自分達に視線が集まるのが分かった。まずは機械の体を有し、一つの星の政治的な決定権も持っているスクリューガムに。それから、その男の隣にいる偏屈学者のレイシオに。
興味本位のそれは日頃からそれなりに感じているものではあったが、それよりももっと天真爛漫な雰囲気を感じさせたかもしれない。少なくとも場違いな客というよりも、あえて表現するなら好意的に珍しい来訪者として捉えられていると考える方が確かだっただろう。ここまではスクリューガムが考えていた通りである。
スクリューガムを案内する要員はすでに決まっていたのか、引っかかりのある対応もされず席にまで通される。それからすぐに用意された度の低くそうな口当たりのいいアルコールを礼節の受容を意図して口にしていると、早速スクリューガムに挨拶をしにきた男がいた。顔見知りらしい二人が挨拶を交わした後に一つ二つ雑談めいた言葉を交わしてから、露骨にレイシオを気にしたように視線を向けてくる。
「失礼、Dr.レイシオでしょうか?」
「ああ、君が思う通りだ」
そっと彼が持っていたグラスを差し出されてレイシオも卓上にあったそれを手に持つと、微かに合わせられる音が響く。それから男が一口飲んだのを確認した後、レイシオも普段の半口ほどの量を飲み込んだ。
「いつかご挨拶できればと思っていたのですが、まさかこのようなところでお目にかかれるとは思いませんでした。ミスターの研究にご協力しているとは存じておりましたが、そちらの縁で?」
「ええ、私が無理を言って同行していただきました」
「そうだな。あえて付け加える事情もない」
ピノコニーの公の場に拠点を置いているだけあって、スクリューガムに階差宇宙の存在を隠すつもりは少しもない。故に彼の最新情報をきっちりと探ろうとすれば、レイシオの名前が目に留まることもあるだろう。少し溜め息を混ぜ込んで答えると、男は少し興味深そうに相槌を打った。
「門外漢の私には分からない部分が大半ですが、さぞや実りの多い研究なのでしょう。そうでなければさしもの架け橋にも貴女を連れ出すのは難しかったに違いない」
「それは否定できないな。彼がつまらない方針転換をしていれば、とっくの昔にあれからは手を引いていただろう」
そもそも最初はそのつもりだったのだ、とレイシオはスクリューガムとのやりとりを思い出す。レイシオの手酷い批判から着想を得た計画を出してはきたものの、彼が天才の肩書きを持つことを考えれば研究内容がそちら寄りに戻る可能性は否めなかった。そうなってしまえば話が違うと文句を言って助力を打ち切れば良いと考えながら、彼の誘いを受けたのだ。
そんな後ろ向きな判断で始まった学術交流の中で、彼はレイシオの意見を熱心に聞き取り自らの研究の糧として階差宇宙を発展させてきた。レイシオが彼の帝王たる素養を見出し、少々度を超した協力をしても良いと考えてしまう程度にはその柔軟さに驚かされている。
それから重ねて二、三話題をこなし、自分に力添えできる機会があれば是非と彼はスクリューガムに申し出をした。それからレイシオにも似たような挨拶をして、別の相手に挨拶に向かったらしかった。彼を見送ってから今度はスクリューガムが席を立ち、レイシオを置いてどこぞに行ってしまう。
少なくともレイシオの顔見知りがいないことを確認するためにざっと会場を見渡すと、ぱちんと視線の合う相手がいた。スクリューガムが資料として寄越してきた中にあった、主催者その人である。
会が始まる前から主催者がふらふらしていて良いものなのかと内心首を傾げたが、この星ではそういう手法が普通であるらしいのは周囲の様子を見ても明らかだった。すれ違いざまに会釈程度の挨拶を人々と交わしながら、彼はどんどんレイシオの方に近づいてくる。
スクリューガムを招待した相手であるならばさすがに席を立つべきかと思ったが、腰を上げる前に手で制止されてしまって足に入れていた力を緩めざるを得ない。いっそスクリューガムが空けた席に座ってもらった方が気が楽だったのだけれど、どうやらマナーに反するらしく彼が席に腰を下ろすことはなかった。
初めましての挨拶から始まって、レイシオの来訪を喜ぶ言葉が続く。それからかちりとガラスを合わせて、中のアルコールを一口。ここまではある程度想像していた通りの会話の流れだった。
「スクリューガム様が貴女をお連れするとご連絡をくださった際は非常に驚きました。今宵は彼も注目を集めるでしょうが、もしかしたら貴女に関心を寄せる方の方が多いのではないでしょうか。今日は大変かもしれませんね」
「それが予言にならないと良いのですが」
予言というよりも予測でしょうと彼が軽く肩を竦めたが、レイシオは強い言葉で否定はできなかった。普段は石膏の頭で素顔を隠す事の多い女が、一生に一度であろうというくらいに着飾って上がるとも思われなかっただろう舞台に現れたのだ。
その上、レイシオはスクリューガムに侍っているわけである。元々スクリューガムと懇意にしている者であれば、先ほどのようにレイシオが彼の研究に僅かながら助力している事を知っている可能性はある。ただ、そういう人間の方がずっと少ないのは間違いなかった。
レイシオが天才に無条件で反目しているはずだという思い込みを持つ者も少なくないことも考えれば、何の因果でここにいるのかとレイシオの方に好奇心を向けられるのは当然だった。そもそもそれこそが自分達の目論見だったとも言えるのだけれど。
「以前学会で発表なさっていた研究ですが、スクリューガム様から更にお話を伺っています。もし、実用化を見越した研究を続けるのであれば、お声がけいただけましたら幸いです。金銭はもちろんですが、我が星からも人材を派遣したいと思っています。我々の星の技術と経験があれば、円滑に実験を進められると保証しましょう」
「初心を取り戻していただけたようで安心しました」
「いやはや、危ないところでした。この歳になるとゴシップに興味が湧いてしまっていけません」
言葉の内容に反して品の良い笑顔で告げる主催者に苦笑してから、その辺りについては明日のスクリューガムに任せてしまえばいいと考える。その前にある程度彼に話させる内容は決めておかなければならないかもしれないが。
それから良い夜をと優雅に告げた彼はレイシオからの挨拶を待ってから、背を向けた瞬間に他の招待客に捕まって席から離れていく。それを見越していたように、扇を手にした妙齢の女性がスクリューガムのパートナー役がベリタス・レイシオであることを確認しに訪ねてきた。
またグラスで挨拶を交わし、中の酒をほとんど空にしてしまう。それからこの星を訪ねた理由を当たり障りなく説明すれば、ここの方は少しシャイだからと女性がやや苦さを織り交ぜた笑みを浮かべた。レイシオは星の交流方針の話をしなかったが、そこまでしっかりと認識されていたらしい。
それにしても貴女のパートナーさんが随分楽しそうに見えたから思わず窺いにきてしまったの、と今度は明るい笑みを作って淑女が続ける。レイシオの視線を巻き込んでちらりと投げた視線の先には何やら話し込んでいるスクリューガムの姿があった。
相手の男性がぱっと快活な笑みを浮かべるのに合わせて、彼が少々肩を揺らしているのが分かる。そういう彼の姿を見るのが初めてだったせいで、レイシオは淑女のようにすぐに視線を戻すことができなかった。
遅れて視線を彼女に戻すと、また微笑みの種類が変わっているのが分かる。きっと研究の際に貴女にお話しする時の彼と、ここでの彼は違って見えるでしょう。後でからかってあげたら良いわ、なんて続ける彼女にどう返事をすれば良いか迷っているうちに、彼女は良い夜をと告げてくるりと背を向けてしまった。その背に挨拶を投げかけると、ひらりと扇が揺らぐ。
持ったままだったグラスを机に戻すと、たっぷりと酒が注がれた物に取り換えられる。レイシオが使っていたグラスを持ち帰ろうとする使用人に礼を告げれば、彼は杓子定規なお辞儀をして去っていった。それと入れ違いにスクリューガムが空になったグラスを手に帰ってきて、テーブルにグラスを置いた瞬間にやはり新しい物と取り換えられる。
「お疲れ様です。何か困った事はありませんでしたか?」
「
……
君との関係をからかわれた」
先ほどの女性を思い出しながら文句を言うと、おや、とスクリューガムが意外そうな相槌を打つ。それくらい想定のうちだったのではないかと続けて苦言を続けつつアルコールが満たされたグラスに唇をつけて、結局飲み込まずにテーブルに戻してしまった。自発的に飲まずとも、この後いくらでも飲まされるのは確実だったからだ。
「肯定:色々と話題に事欠きそうになく感謝しています」
「まったく
……
」
少しくらい飲まないとやっていられないのではないかと思い直そうとしているうちにスクリューガム目当てらしい男性客がやってきて、ついでとばかりにレイシオのグラスにかちりと合わせてくる。こうされると飲まないわけには行かなくて、レイシオは当初の自身の望みもあって少々辛さの感じる酒をたっぷり一口分飲み下した。
レイシオに振られた話題に一つ二つと返していると、着席の時間がやってきたらしい。残念そうに振る舞う男が席に戻るのに合わせるように、そこここに響いていたざわめきが長く続くテーブルに収束する。それからしばらくもしないうちに料理が提供され始めた。
丁寧に仕上げられていることが一目で分かる料理を口にしていると、隣の席から声をかけられる。やはりその男も隣にいる女がレイシオであると確信を持ち切れずに、スクリューガムとの会話で声音を聞けるまで声かけを躊躇っていたらしい。
美しい方であるのは存じていましたが、と顔を向けていた方の真逆から聞こえて来てレイシオは背筋を緊張させてしまった。とはいえ、窘めるようにスクリューガムの名を呼んだのは事前に打ち合わせをした通りである。話しかけてきた者が紳士であるならば自然レイシオの助けに回るはずで、紳士は正しく二人が思った通りにレイシオの味方についてくれた。
あとはスクリューガムと男性客を中心に穏やかな会話が続き、最後の食事を平らげようとして喉の奥に引っかかったような心地になって無理やりアルコールで押し流す。それから主催による本人曰く少々お堅い挨拶があったのちに、招待客が一斉に席を立った。
スクリューガムが席を立ってから手を差し伸べてくるのを待って立ち上がった瞬間、違和感を覚えてはいたのだ。グラスを用いた挨拶が一般的であることを考えれば、飲み口の通りさして強い酒ではないはずだった。普段のレイシオであればそれこそ、顔の一つも赤くできない程度の酒量だったのは間違いない。
立食パーティー形式のための広間に移動すれば、スクリューガムは明らかな目的を持って室内を進んでいく。彼のゆったりとした足取りに合わせて組んだ腕がほどけない様に進むうちに、スクリューガムが何を目指しているのか気がついた。というより、元々そういう手筈だったとようやく思い出す。
今度は来客に見せる目的で、スクリューガムがこの施設の主を呼び止めてレイシオに改めて紹介する。元々レイシオに関心が集中していたところに、スクリューガムと王族の一人の縁をはっきりと示した意義は大きかったはずだ。最初の会話とは違って彼もスクリューガムについての話題を選んでいたようなので、下手に会話の焦点をずらさないように話してやった。
それがきっかけだったのだろう。主催者が下がった後には、多くの来客がグラスを片手にスクリューガムへ挨拶に来た。
その内のいくらかはこの星の有力者で、どちらかと言うとレイシオへの関心をきっかけにしたらしい者も少なくはなかった。これだけで、レイシオはスクリューガムが求めた働きをしたと言えるだろう。
二人が相手をした者の持つ好奇心は実に様々だったと思う。スクリューガムという機械生命体に興味を持つ者や、スクリューガムの功績や研究に興味を持つ者、はたまたレイシオに同様の好奇心を抱く者。果ては二人の関係を気にして根掘り葉掘り尋ねようとする者までいた。
極端にスクリューガムに忌避感がある者はそもそも寄って来る理由がなかったこともあって、懸念に反して大半はスクリューガムが会話を受け持ってくれていた。それでも招待客達は機械紳士の隣にいる者を無視するつもりにはならなかったらしく、レイシオにもグラスをカチリと寄せてくる。
その音色が増えるにつれ、段々焦りに似たものは感じ始めていたのだ。どこかで断れば良かったのかもしれない。もしくは唇を湿らせる程度でも実のところ許されたのではないか。なんて、今となっては反省が滲むが、後悔は雫となってすでに胃をたゆたって血液に滲み出してしまっている。
何が悪かったのだろうと一度長めに瞼を落として、レイシオは自らを取り巻く環境を改めて検分する。一つは寄せられる好奇の視線。スクリューガムの同伴者としての振る舞いを意識しなければならなかったため、ある程度取り繕わなければと思ってしまった点も加えてもいいだろう。
一つはレイシオを締め付ける忌々しい補正下着。この下着のせいで普段よりどうしても息が浅くなりがちで、圧迫感から本調子でない自覚もあった。その他には立て続けに移動した後だったとか、自分のペースで飲めていないとか、ホルモンバランスの関係だとか他に上げようとすればいくらでも理由は見つかるだろう。
そういう要因が積み重なって、レイシオは明らかに酔っていた。それも体調を崩す方向の少しも良くない酔い方で。
「大丈夫
……
ではありませんね」
「
……
すまない」
スクリューガムが壁際に寄ろうとするのを察して気が抜けたのか、普段よりもずっと高いヒールをうまく操れずによろけてしまった体をスクリューガムが支えてくれた。腰に手を当てられて安定したせいで、余計に気持ちが緩んだらしく一気に酔いが回って視界がくらりと揺らぐ。
周囲の客がレイシオの様子に気がついたらしく、さざ波立つように声が広がったのが分かった。その声に気がついた使用人が自分達の様子を窺いにきて、スクリューガムが自分達を個室に通すよう依頼する。
「歩けそうですか?」
気づかわしげに囁く彼に頷くと、今度はレイシオの手をスクリューガムが取った。先ほど入ってきた入り口にほど近い場所に移動していたこともあり、一応は心配も混ざっているらしい好奇に長時間晒されずに済みそうなのは幸いだった。
スクリューガムに手を引かれて大きな出入り口を抜けると、警備員と気忙しそうな使用人がいるばかりで閑散とした雰囲気がある。温度も少し落ち着いているように思えて、レイシオは思わず安堵の息を漏らしてしまった。
「こちらにお座りください」
「いや、そこまでは」
大人数で酒を飲む手前、レイシオのような状態になるものはそれなりにいるのだろう。手慣れた様子で車椅子が運ばれてきて、反射的にレイシオは首を横に振ってしまった。実際足元は少々怪しいし、気分の悪さも出てきてしまっているが、歩けないほどでもなかったのだ。
「では私が抱き上げましょう」
「すまない、やはり座らせてもらっていいだろうか」
ぐずろうとした矢先にスクリューガムが脅しをかけてきて、レイシオは早々に意見を翻した。そうすれば白々しく残念とばかりの反応をされて、車椅子に腰を下ろしながらスクリューガムを睨みつけてしまう。彼ならばレイシオの体重など気にするほどのものでもない上に、振動もうまく殺して運んでくれるだろうがそういう問題ではないのだ。
車椅子で送り届けられた部屋は休憩用に用意された個室であるらしい。この星の特産の茶と菓子が据えられたローテーブルを挟んで人が寝転べる大きさの奥行きのあるカウチと二人掛けのソファが並んでいる。
車椅子と共に部屋を出るスタッフを見送った後にスクリューガムにカウチを勧められたが、レイシオは彼の提案を固辞した。
「髪が崩れてしまっては、君のパートナーとしてここを出られなくなってしまう」
これから会場に戻らなかったとしても、今回の勤めは果たし切りたかったのだ。眩暈に繋がらないよう注意しながら頭を振って意見を述べると、このまま立たせてしまうのもよくないと思ったのかスクリューガムが折れてソファに座らせてくれた。
「このままでは辛いでしょう。失礼します」
スクリューガムが手袋を外してからソファの脇に跪いたと思ったら、レイシオの靴に手を添えた。その感触に呆けたような声を上げてしまったのにつられて、頬に熱が集まるのが分かる。そもそも酒に煽られて色が変わった後であったなら良いのだけれど。
高いヒールの靴を脱がされると、途端に解放感があってレイシオはほっと息を吐いてしまった。遅れてストッキング越しに伝わってくる外気の温度が心地よい。
レイシオが足先の感覚に夢中になっているうちに、スクリューガムが手袋を再び手に戻す。手首を返して指先を緩やかに上に向けながら、きゅっと手袋の口を引くのはおそらく彼の癖のようなものなのだろう。
靴に触れた指先を上等な布で覆い隠してから、スクリューガムは今度はレイシオの腕と肩を隠す薄衣に触れた。まだソファの背にもたれていなかったためにするりと剥がされてしまってから、座る角度をずらして背中を見せるように指示される。その後に何があるかくらい普段よりも数段鈍っているであろうレイシオにも予想がついたが、不思議と従うつもりになりかかってしまっていた。
「君にそんなこと」
「私が酔わせてしまったようなものですから。責任を取らせてください」
自分の中に残った抵抗感を外に出してしまうつもりで吐露すると、気遣うようでありながらもどこか抵抗を許さない響きがレイシオの耳を擽った。彼にそう言われてしまえば、虚栄心や自立心が役立たずになってしまって身を預けた方が良かろうと思ってしまう。
小さく頷いてソファに座り直すと、非礼を詫びる囁きと共にドレスの留め具を外される。それから露になっただろうコルセットに指が触れるのが分かって、彼がレイシオを会場に戻すつもりがないのを理解してしまった。ふつりふつりと留め金を外されていって、胸元が緩む感覚にレイシオは深く息を吐いて肺が欲しがるだけ空気を取り込んでやる。
急に体が楽になってうっとりと瞼を落として解放を味わっていると、ついに胴からコルセットが引きずり出される。この戒めがなくなってしまっては再びドレスを着られるかが少々不安に思ったが、どうしても抵抗するつもりにはなれなかった。
「吐き気はありませんか?」
「今引いた」
「それはよかった」
ストールを再び被せられてから、レイシオは一度ソファに背中を預けた。途端にすっきりした胃の状況を伝えれば、テーブルに置かれていた透明度の高いピッチャーから注いだ水が寄越される。
レイシオはコップを受け取るつもりだったものの、酔っ払いには任せられないと判断されたのか彼の手は添えられたままだった。観念してゆっくりと時間をかけて全て飲み切るまで、レイシオの視界に彼の指先が入り込むのを意識してしまう。
それから隣に座ったスクリューガムがレイシオが少しでも体を支えなくて良いようにしたかったのか、レイシオの体を引き寄せてくる。抵抗せずに体を少しばかり彼に預けると、生地越しに彼の体の冷たさが伝わってきた。それが今は酷く心地よい。
「もう少し落ち着いたらホテルに戻りましょう」
本当であれば最後まであの場にいるべきなのだが、今の状況ではいない方がベターだとスクリューガムは判断しているのだ。彼の求めに応じておきながら、最後まで勤めを全うできなかったことに不甲斐なさを感じてしまう。
「
……
すまない」
「否定:謝罪するべきは私の方です。あんなことを言っておきながら浮かれてしまい、必要以上に貴女を見世物にしてしまいました」
彼に表情が作れたなら、しゅんとしてしまっていただろう謝罪を受けてレイシオは少しばかり笑ってしまう。元々ある程度話題の種になり、この星におけるスクリューガムの異物感をごまかすためにレイシオは来たのだ。それを考えれば彼の言う通り見世物扱いになる覚悟は当然していたわけだけれど。
多分彼はやり過ぎたのだ。スクリューガムとレイシオの服は寄り添えば自然に馴染む仕上がりになっていて、対になるために拵えられたのだと分かってしまう。
ゴシップを好む者達からすれば、こんなもの格好の獲物以外の何物でもないだろう。しばらくはそういう噂を立てられる覚悟をしなければならないだろうとほんの少し苦々しく思ってしまう。
「僕如きに気合いを入れ過ぎなんだ君は」
一晩限りの相手だろうにと口走ってから、言葉の選択がよろしくなかったと少々反省する。字面だけを追えば間違ってはいないのだが、聞こえがあんまりにも悪かった。思わず視線を外して大分前から火照っていたはずの頬に自分の手の甲を押し当てると、手の冷やっこさが抜けないうちにスクリューガムに手をそっと剥がされて、代わりに彼の指先が添えられた。
「先ほど靴に触りました」
「構わない」
鈍く伝わる金属の温度を求めてレイシオが手袋の指先を引くと、窘める響きが落ちてくる。普段であれば躊躇って当然だった情報が、今は些細なものに思えてしかたがなかった。更に手袋を引いて脱がそうとすると、仕方がないとばかりにスクリューガムの指先が一度頬から離れる。
それから彼が手袋を取るとポケットチーフを抜いてピッチャーの水を滲ませて手を拭ってから、レイシオの頬を包んでくれた。金属の関節に髪や皮膚が挟まらないように気を使った仕草に目を細めながら、レイシオは彼の気遣いを無下にするように彼の手のひらに擦り寄る。
頬の熱を奪うそれに夢中になるうちに、喉元もじんわりと熱い事に気がついてレイシオはスクリューガムの袖を引いて一度手を離させる。そのまま引っ込んでしまいそうになったそれを押し留めてゆるゆると首を振って否定すると、手を掴んで首筋に彼の掌底を押し当てて顎骨の下に沿うようにして手を這わさせた。
「君の手は気持ちいいな
……
」
耳の後ろ辺りにあるリンパ腺辺りを彼の指先がそっと押さえるのが心地よく、レイシオの緩んだ口元から同じくらいに解けた呼気が溢れ出す。ふと顔を上げればレイシオを見下ろしていたらしいスクリューガムと視線が合って、思わず目尻まで緩めて謝意を込めた感想を口にした。たしか、スクリューガムは少し言葉を探した後に、この体ならではなんて事を言ったはずだった。
レイシオにとってプラスの感想だったとはいえ、人の身体特徴に言及するのは良くなかったかもしれない。そう案じて伏せかかっていた瞼を持ち上げると、やっぱりスクリューガムはレイシオを見下ろしてくれている。その眼差しが酷く優しいものに感じられて、レイシオは結局何も言わないまま瞼を落としきって彼の温度に気を取られることにした。
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