シノハラ
2024-11-24 19:19:19
62419文字
Public スクシオ♀
 

in afterglow

1月の新刊のスクシオ♀のweb版です。本にはここからもう一度見直ししたものが収録されます。
通販ページは以下。
https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040031212327/


    4

 二度目にレイシオをホテルで迎えたオムニックは女性型だった。光を反射しない銀の機体は市井で散見する彼らの最近の流行とは異なり、よく言えば落ち着いた姿をしていた。
 あえて悪い使い方をするのであれば、古くさいが当てはまるだろう。長い歳月を歩んで来たことを示す体が静かに会釈をしてきて、レイシオも一度足を止めてその迎えに似つかわしい挨拶を返した。
 前回と同じ部屋に通されると、顔を合わせた時間は短い癖に最早顔馴染みに思えてくる三人組がレイシオを出迎えた。以前とは少々趣の違う化粧を施されてから、レイシオの髪を素にして作ったはずのウィッグを取り付けられる。それを器用にまとめてピノコニーで見た形に収めてから、またもコルセットに胴体を詰め込まれて深々と息ができない状態で生地の増えたドレスをされるがままに着せられた。
 素人目で見ただけでは、もうそれが完成品なのかまだ修正が必要なものなのかもはや判断がつかない。前回と同じようにいくつかポーズを要求されてから、今度はアクセサリーをぎっしりと詰めた箱を手にレイシオの首回りや髪、胸元にあれやこれやと当てていく。
 彼らがあれこれ相談しているのを尻目に姿鏡を見ると、品の良い女性がやや所在なさげにレイシオを見返していた。その少し後ろに事の一部始終を見守っているらしい自身を迎えた老婆が見えて、レイシオは思わず姿勢を正して肺を守るように丸まりがちだった肩を元の位置に戻す。
 自分が仕える人物のパートナー役を務めるとかいう人間がこんな頼りない印象であれば、彼女は不安を感じてしまうだろう。お年寄りには優しくとレイシオに教えたのは両親と道徳の授業だったが、幼い頃の教えは今になっても意外に効力を発揮しているものだ。
「良いですね。私が前でごそごそしているのが気になるのかもしれませんが、顔を上げておいていただけますか? 別の高さからは二人が確認するので」
 そんなレイシオの意向も知らぬまま、首の周りにネックレスを当てる仕立屋がレイシオを褒めた。首の後ろにひんやりとする感触を覚えながら、指摘されてようやく自分が目の前の彼女を視線で追っていたのに気がつく。やることがない上に余所事に集中できるような状態でもないので、目の前の事に気を取られてしてしまうのは仕方のないことではあるだろう。
 視界のすぐ外で何やら人が動く気配を気にしながらも、レイシオはやはり言われるままに視線を上げて遠くを見るしかない。そうすれば外界から得られる情報が減ったせいか、コルセットに押さえつけられている胸元の苦しさを思い出してしまった。
 そもそも体の厚みがある骨格のせいで、カップ以上に大きく見える胸がこんなところでも邪魔になっているらしい。生涯でトップクラスに忌々しく思える膨らみを少なくともこの瞬間においては毟り取ってどこぞに融通してやりたくなる。
 その無視しきれない苦痛が麻痺した頃になってようやく、仕立屋達は満足してくれたらしい。一番にレイシオに着けていたアクセサリーを外して、これを使うことにすると見せてきた。どれを取っても文句を付けるようなものではなかったので、レイシオは一つ頷くだけで了解する。
 彼らは一貫してレイシオに身につけさせた物の価値を説明しなかったが、それがレイシオにはありがたかった。一つの星の支配者のパートナーが身につけるべき装飾の金額など、正直のところ考えたくもない。
「最後にこちらを履いていただいて宜しいでしょうか」
 ようやく服を脱げるだろうと気が緩んでいたところで高さのあるハイヒールを差し出されたものだから、思わず表情に出てしまったのだと思う。後もう少しですからなんて笑われてしまいながら、ドレスの裾を上げてもらってレイシオは細身の靴に足を入れる。
「少々きついと思いますが、当日までに調整したものをご用意しますので」
 ぐっと足の付け根が押さえつけられる感覚に外反母趾の四文字を浮かばせたところで、靴の表面から足の具合を確認する仕立屋が説明してくれる。どことどこがきつくてこちらは緩いなんてまるで歯科検診の呪文のような言葉を紡ぐ横で、その記録を事細かに記入しているらしかった。
 ついでにとでも言いたげにいくらかレイシオを歩かせた仕立屋は現状の仕上がりに満足したのか、一つ頷いて見せる。レイシオからすればさっさと靴を脱がせてほしくて堪らなかったのだが。
 それからようやくドレスと下着を脱ぎ、最後にウィッグを外して普段の格好に戻ってしまうとさすがに化粧が浮いて見える。自分で化粧をし直そうかと思ったが、手伝わせてほしいと申し出られてきたときと同じ化粧をしてもらう運びになった。
 そのはずが、単純に使っている物が良いからか腕が良いからかは定かではないものの、普段とは少し違う仕上がりになっているように思える。きっと、どちらも要因となっているのだろう。
――これは」
 おそらく精神的な疲れがそうさせたのだろう。少々込み入った話をするからと寝室に引っ込もうとする三人を見送った後に、オムニックの女性に出されたハーブティーと茶請けの菓子を見て微かに声を上げてしまった。
 宇宙は広大な一方で甘味を好む種族は多く、宇宙には意外と似たような菓子がそこここにある。そのせいで、最初は故郷でよく見かける菓子に似ていると思った程度だった。ハーブティーに至ってはそこら辺に生えている草や木の葉を引っこ抜いて使うわけだから、それはもうそこら中にあると表現するしかない。
「ありがとう」
 仕立屋達にようやく解放された実感と共に、レイシオは菓子とハーブティーが載っている机の前の席に腰を下ろす。脇に立ってくれている女性が落ち着いた声音でレイシオの謝意を受け入れた。それを聞き遂げてからガラスのカップを手に取ると、懐かしい香りが鼻腔を擽る。
 特に家では母がよく好んだものだと一口飲んで確信が持てた。それから皿にフォークと共に置かれている菓子を少しばかり観察する。
 多層の生地がパイ生地のような密度ではなく、ふんわりと重ねられて一つ一つの層が一目ではっきりと分かる。その層を崩しながらフォークで切り取り、カスタード生地ごと口に含めばレモンの爽やかな芳香とシナモンがシロップの甘みの中で主張していた。
 マウンテンティーとガラクトブレコ。レイシオが少年時代の途中までを過ごし、今も折に触れて帰省する母星の菓子に違いなかった。
「これは君が選んだのか? 随分と懐かしい味だ」
「ええ。貴女のお話を伺って、初めて月桂冠系を訪ねました」
「わざわざありがとう。菓子選びは大変だったんじゃないか? どれもこれも甘くてびっくりさせたかもしれない」
 子供の頃は菓子とはそういうものだと思っていたが、第一真理大学に通うために別の星系に出て思い込みだったのだと驚いたのを思い出す。レイシオにとっては夏の暑さに抗うために飲んだ冷えたハーブティーも、その爽やかさとは正反対の濃密な菓子も幼き日の遠い情景を思い起こさせる材料であった。
「そうですね。趣味が高じてそれなりにあちこちに足を伸ばしてきたつもりだったのですが、あそこまで甘い物ばかりなのは初めてだったかもしれません」
 ガラクトブレコはさして日持ちする菓子ではない。旅先であれやこれやを食べた後、レイシオに出したい菓子として後日調達してくれたのだろう。彼女が続けて喋る様子がなかったので、もう少し年齢を重ねると辛くなるのではないかと思う甘味を再び口に含む。それでも生まれ故郷の味は、これからも時折味わいたくなるはずだった。
「先々で何か不便することはなかっただろうか」
 レイシオの母星を初めとして、あの星系には高齢のオムニックは余りいない。きっと彼女はちょっとした珍客として見られたのではないだろうか。好奇の目に晒されていたのなら少々申し訳なく思えて、レイシオは探るような調子で尋ねてしまう。
「いいえ、どこに行っても良くしていただけました……本当に、驚いてしまうくらい」
 その声音に、ようやく彼女の意図をレイシオは理解した。きっと、彼女が月桂冠系を今の今まで訪れなかったのは単なる偶然ではなく、星系の歴史と彼女の種族が起因している。レイシオからすれば暗澹たる歴史でしかないその出来事をおそらく彼女はもっと重い意味合いで捉えていた。
「今回の準備を貴女はどうお考えですか? 少々やり過ぎだと?」
……正直なところ」
 老女からの問いかけに取り繕うのも自分のためにならない気がして、レイシオはいくつか浮かんだ感想の中から結局素直な回答を選ぶことにした。スクリューガムの身分を考えれば順当であるかもしれないが、ただの学者に施すには余りに大仰だと思う。そこの足し引きをした結果、レイシオの感想は大がかりの方に傾いている。
「そうですね、貴女にとっては交流のある人物が困っていたから少し手を貸してやろうと思った程度でしたでしょうに」
 彼女からすれば若い有機生命体だろうレイシオの直截な返事に微かに笑ってから、レイシオの実情を老女は言い当てる。少なくとも、スクリューガムの申し出を受けた頃のレイシオはそういうことを考えていた。
「だが、それは僕の思い違いだった。君達の王の片手を借りる者の身なりが半端であって良いはずもないと理解している」
 いいえ、と。当然の事だったと未だに後悔を捨てきれないままに答えたレイシオに、老女は否定を述べた。まさかその判断が否定されるとは思わず目を丸くしてしまうと、老女は同じ言葉で再び否定を重ねる。
「私達は今回、一つも失敗をしたくないと気を張っているのです。私達――私達の王は貴女がそうやってちょっとした善意を理由に承諾してくださった事実に大きな意味を見出してしまっています」
 声音は先ほどと変わらなかったように思う。それでも微かに、体の前で組まれていた手の指先に力が籠もったのが見て取れた。有機生命体よりも余程上手に体の制御をしているはずの彼らが押さえ込めないほどの思いがそこにあるのだと、レイシオは信じずにはいられない。
 いくら高齢に見えるとは言え、きっとその手が遠い遠い日に生きたレイシオの同胞の血に塗れたことはないはずだ。かの戦争はそれほどに遠い過去の出来事である。けれど、レイシオの種族と機械生命体に割り振られた時間は異なる上に、情報の伝達方法にも大きな差があった。
 それらが影響しているのか、そこにはレイシオには分からない生々しい思いが彼女の内にあるように感じる。まるで、自分がいつもよりずっと薄情な生き物になってしまったかのようでもあった。ただ、それが悪いことだともレイシオには思えない。
「僕の生まれた星系の旅はどうだっただろうか」
……たくさん、考えることがありました。私のような者が考えたところで答えなど見つかるはずもない問いを今も考えてしまっています」
 今までレイシオに向けられていたはずの視線がほんの少し逸れたのが、瞳孔のない彼女のまなこからでも理解できた。迷いを感じる所作に相応しい言葉を聞いて、レイシオは一つ相槌を打つ。 
「あの出来事は僕らにとってはもう余りに遠い歴史でしかなく、貴女のその悔恨と懺悔を純然たる意味で受け止めきれる者はもはやあの星にはいないだろう。もちろん、僕もその中に含まれる一人でしかない」
 あの星系で何が起きたかをレイシオが知らないはずがない。月桂冠系で生まれた子供達は自らの足跡を辿るために星の歴史を学び、必ず月桂冠系が夥しい血に塗れた時代を知ることになるのだ。
 いまだに過去を理由に無機生命体を憎む者がいるのは確かだが、一方で自分の先祖の末路を証明できる者はほとんどいない。それこそ、初等教育の歴史書にも名を残すような人物の直系の子孫でもない限り大っぴらに直接の被害を主張などできないだろう。
 神話染みた物語こそあれど、当時はいただろう語り部の継承も途絶えている。散逸した出来事の数すら自分達はもはや分かってはいないのだ。
 レイシオ達はすでに血の滲んだ事実に触れる手段を失い、どうにか残った伝聞を得る他に手立てがない。理性でもってその悲惨さを理解して心を痛めることは叶ったとしても、そこに生々しい感情を乗せるのは簡単ではない。
 ほとんどの有機生命体は常に情報を劣化させながら生きていく。与えられた情報が十全であれば何一つ欠けずに受け取ってしまうはずの彼らとは違い、忘れてしまう生き物なのだ。
「僕らは互いに多くを殺めた過去がある。そこに数えきれぬほどの悲嘆と苦痛があった事実を否定するつもりは毛頭ない。けれど、それを僕らの世代のほとんどが歴史の一幕としか捉えられていないだろう。それが貴女にとって幸か不幸かは問うつもりもないが、少なくとも僕は喜ばしいことだと考えている」
 レイシオはそこでようやく席を立ち、傍にいてくれていた人と向き合った。老女の機体がどちらかと言うと大柄なレイシオよりも幾分か小さいと、彼女のレイシオを見上げる頭の角度で理解する。
 たとえばかつての戦争がレイシオにとって身近なものであり、肉親を失っていたなんてことがあればきっとレイシオは彼女の手を取ろうとは思いもしなかっただろう。同じだけ時が流れていたとしても、幼少期の級友に無機生命体が当然のようにいる世界でなかったらどうだっただろうか。たとえばスクリューガムのような者が立ち上がり、彼らと自分達を結び付けようと身を粉にして活動を続けていなければ。
「そうでなければ得られないもの、そうでなければ失ってしまっただろうものがいくらでもある。貴女の王の成果……いや積み上げてきた努力とこれからの道行きに、敬意を表させてほしい」
 強く握り絞められていたはずの彼女の指先の力が緩んで、レイシオの手を壊れ物を扱うように包もうとしてくれる。自分達の力と有機生命体の脆さを知る彼らの手つきはいつだって優しいと、レイシオはとうに知っていた。
 それを教えてくれたきっかけの、その始点にいるのはスクリューガムその人に他ならない。この世界を一つのありかたをレイシオはすでに彼から受け取っているのだ。
「貴女に感謝を。そして、そのようなことを言わせてしまったことを謝罪させてください。貴女と私達の王の交流が、ただ貴女個人として素晴らしいと感じられるものになりますように」
 彼女から与えられたのは、乞うような祈るような言葉だった。きっとそうなるだろうと言葉にするのは簡単だったのに、レイシオはその一言を音にして彼女に伝えるつもりにはどうしてもなれない。そう答えてしまえば、今を軽んじることになっただろうから。
 この瞬間こそが、と。レイシオは信じていたかった。その思いを自身の指先の温度が伝えてくれると信じて、レイシオは彼女の手をそっと握り返す。