天体の公転周期とそれに追いつく方法

2023年5月4日発行の太乙×普賢アンソロジー『OVER DUB』用に書いた乙普です。1年経ったのでこちらでも公開します。せっかくだからいろんな乙普がほしいと思って「仲良くない乙普」を書きました。文末に、イベントの無配ペーパーに書いた、普賢視点の掌編も再録しています。

「とにかく、普賢だけは絶対嫌」



事の顛末をつまびらかに聞いた太公望は腹を抱えて笑い、太乙は「他人事だと思って」と愚痴をこぼした。笑いすぎてうっかり桃を取り落としてしまっても、まだ笑いが止まらない弟弟子に、それでも笑いごとですんでよかったと思い直したらしい。
「ま、すべて計画通り、めでたしめでたしというところだよ」
玉虚宮からすこし離れた桃の木の下で、太公望が惰眠を貪っていると、太乙もひょっこり顔を出した。二人並んで座り、風に乗って聞こえてくる歓声にしばし聞き入る。
普賢真人の崑崙十二仙昇格を祝う式典に集まった仙道の数は、先だっての「対決」の比ではないという。
「それで? ちゃんと話はついたのか」
ごろんと寝転がったまま、太公望が訊ねた。
「いや……おそらく何度話したって平行線だ」
「だったら普賢になんぞ頼まねばよかったのに」
「いくら考えても普賢しかいなかったからさ。悔しいけど」
「なんだ。結局認めているではないか」
「仕方ないだろう。あの子の宝貝が役に立ちそうだったんだから」
両足を投げ出し、ぼんやり空を眺めたまま、太乙は答えた。どこか投げやりな口ぶりだった。
漏洩データの把握に協力してほしいと頼んだとき、普賢は「十二仙昇格を認めてくれるなら」と即答し、その場で件の作戦を提案した。ここまでいけしゃあしゃあと便乗する胆力に感心しつつ、しぶしぶ交換条件を飲んだのだ。
「本人が願っているならそれでよいのでは」
「願っているからこそだよ。星はそれぞれ、公転周期が異なる。私とあの子もね」
「追いつく方法はない、と」
「追いつく必要がないのさ」

空には無数の星があり、それぞれの速さで自転しながら、恒星を中心に公転している。あるものは小鳥の羽ばたきのようにせわしなく、あるものは鯨の呼吸のようにゆったりと。見えざる何かに従って描かれる軌道は、どこかから下されたようにゆるぎない。それこそが自然の摂理であり、例外なくわれわれもその一部である。
そう話したとき、普賢はすこし考え込み「不公平だと思う」と言った。まだ道士の頃だ。
「不公平?」
「はい」
普賢は目の前の紙に絵を描いてみせた。中心の大きな星を、大きさの違う楕円がいくつも横切っていく。
「この星の公転周期三百六十五日を一とすると、火星は一.八倍、木星は十一.八倍、土星は二十九.四倍。これが太乙さまで、こっちが僕だとして、これが不変であるなら太乙さまみたいに千年以上も前から周り続けている星には、後から来た僕は永遠に追いつけないことになりませんか」
「追いつかなくてもいいんじゃない? 会合するタイミングもあるし」
「いつまでも差が縮まらないのは嫌です」
学びたいことが山のようにあるのに、学べることには限界があり、修行途上の道士という立場にジレンマを抱いていたのかもしれない。確かに彼が語るテーマは、この世界の平和と生きとし生けるものの相互理解なんていう、気宇壮大なものではあったけれど。
「焦らなくても大丈夫だよ」と励ましたのを覚えている。
「きみが好きなのは物理学だろう。あれは世の中のすべてのもののあり方、根本を見つめる学問だ。きっといくら時間があっても足りない。きみは決して急がず、じっくり進んでいけばいい。何たって世界は広いんだし、われわれ仙道の寿命はとても長いんだから」
不服そうにきゅっと唇を結んだのだって、幼いなりの自尊心の表れだと思っていた。修行に打ち込む姿勢は前向きだし、勉学に対しても貪欲で、この調子ならすぐに仙人になれるだろうと、ほかの仲間とも話したものだ。
ほどなく、仙人になったと報告にきた普賢の第一声は「追いつく方法を考えているんです」だった。すぐに、あのときのことだとわかった。夏の日差しの中、涼しげなまなざしで見上げる普賢は、不公平だと口にした道士の頃と同じだった。
「どうして?」
「太乙さまみたいになりたいから」
「宝貝に詳しくなりたいのかい」
「そういう意味じゃありません」
「なんだ。じゃあ十二仙に?」
「そんなところです」
へえ、そんな野心があるんだ。日がな一日自分の好きな研究に没頭できればいいタイプだと思っていたけれど。
「きみは真面目だから今まで通り、研鑽を積めばそんなに遠くはないんじゃないかな。いまちょうどひとつ席が空いているし」
普賢はぱっと目を輝かせた。
「十二仙になったら、自分で選べるんですよね。勉強したいことも」
「そうだね。基本、崑崙山と元始天尊さまの指示下にはあるけれど、何を研究するか、何を作るかは自由だよ。予算も他の仙人より多く与えられる。もちろん責任は伴う。その上で、だれを弟子にして、何を与えるか、どんな宝貝を作り、どうやって使うか——
言いかけて、ふと気づいた。まっすぐそらさない瞳の奥に、隠そうともしない——(ああ、もしかして、)
……普賢、きみは、崑崙十二仙になりたいわけじゃないんだね?」
普賢は答えず、曖昧に微笑んだ。
頑固で、人の話を聞かず、主張を曲げないこの子は、地位に興味があるわけでも、そこでもてはやされたいわけでもない。高みでのみ得られる自由がほしいのだ。
学ぶ自由。授ける自由。だれにもじゃまされず、やりたいことを全力で貫ける自由。守りたいものを守れる自由。逆らう自由。生きる自由。——もしかしたら、手放す自由さえ。
「あーあ。こっちに来させたくなかったなあ」
ため息交じりに言って、太乙も草の上に仰向けになった。
「普賢は本当は、思う存分自分のためだけに学べる場所にいるほうがいいんだ。もっとゆっくり生きればいい」
名もなき一介の仙人として生きて、何のしがらみもなく、好きなだけ物理を学ぶ。そして歴史に残らないごく普通の人々のちいさな幸せを祈りつつ、争いごとなんかに関係ないものを生み出して、だれかの役に立つのだ。何百年、何千年かけて花や雨や虹を喜びながら歩く遠回りこそ、彼が見たい理想への近道かもしれないのに。
「まるで説得力がないのう」と太公望は苦笑した。
「普賢がそう考えるようになったのは、おぬしの影響では? どんだけ止められても作りたいものを作るおぬしの好き勝手が、さぞかし魅力的に見えたのであろう」
「だから嫌なんだよ。私にだって覚えがある、でもこの山のてっぺんは、あの子が思ってるほど自由じゃない。軌道を外れたいなら、こっちには来ない方がいい。——ねえ、太公望」
隣で空を見上げている道士に、太乙は呟いた。
「普賢はきみには話していたんだろう? だったらさ、見ていてあげておくれよ」
「何を」
「あの子が走りすぎないように」
二人の頭上をいくつも雲がわたっていく。目指した場所に立つ日が、こんなにも鮮烈な輝きにあふれた季節であることが、どこまでも普賢らしいと、太乙は思う。水たまりを飛び越えるように、かろやかに、でもふいに夏の光を投げかけるのだ。
「あやつはわしに何も言わぬが」
くつくつと笑って、太公望は眩しそうに目を閉じた。
「そんなことは普賢も百も承知であろう。それでもあやつがそう望むのであれば、案外本当に見つけたのやもしれんぞ。——追いつく方法とやらを」
「わかってるよ」
吐き出すように言って、太乙は体を起こした。まだやわらかい夏草が風にあおられて、ざわざわとさざ波のような音を奏でる。
「どうせ私ひとり反対してたって、遅かれ早かれ自力でここまで来ただろう。せめてきみから言ってやって。私の話はてんで聞かないから」
……言っとくが、わしの話もそんなには聞かんからな?」
遠くでひときわ大きく拍手が上がった。どうやらお披露目が終わったようだ。
「さて、そろそろ戻ることにするよ。きみは?」
「わしは別におらんくてもよかろう」
「ええー、友人代表挨拶とかしないのかい。十二仙みんな泣くやつ」
「しないっつーの」

立ち上がり、ふらりと手を振って、太乙は背を向けた。
澄んだ空を青嵐が吹き抜けて、歓迎と祝福の声を遠くへ運んでいく。