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シノハラ
2024-10-30 20:23:54
69821文字
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アルカヴェ♀
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不可視
2023/10/10初出 アルカヴェ♀
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カーヴェが即刻手放したサーチェンの遺産はセタレやラフマンの活動をはじめ、砂漠に多く注がれていると聞く。ただ、砂漠は途方もなく広く、成果が表れるまでは相応の時間が掛かるだろう。
つまるところ、以前旅人と行動していた際に偶然発見したキングデシェレトの霊廟の地下空間までの道のりの過酷さは、記憶とさほど大差なかった。この霊廟に地下空間が広がっていると教令院が知ったのはつい最近のことである。代理賢者の地位に忙殺されている間に報告してしまえば、自分が調査隊から外されかねないとアルハイゼンがしばらく口を噤んでいたのが原因だった。
辞任の時期が決まってから機を見計らって思い出したかのように報告したところ、随分と渋い顔をした面々に根掘り葉掘り聞き取り調査をされた。用意していた回答を二、三繰り返す羽目になったが、最終的に調査隊に加わる資格を無事得られたので問題にすらならない。
報告者の意向には可能な限り寄り添う。それはスメールにおける遺跡発見時の大原則であり、対象に研究価値が認められるほどその傾向は強まる。発見者の利益が守られなければ、長く個人が情報を抱え込んでしまいお互いに不幸な結末に至る可能性もあるからだ。
今回はその大前提をアルハイゼンが崩しているので渋い顔をされるのは当然ではあるが、だからといってその一人が融通のつきやすい職務に移るまで調査開始時期をずらすのはおよそ現実的ではない。なにせ、キングデシェレトの霊廟に地下があったのである。こんな発見を前にして、そこまで他人の都合に合わせようと思える者などスメールの学者の風上にもおけない。
よって、代理賢者などという多忙なアルハイゼンが最初の調査隊に編成されない可能性は大いにあった。即刻保護と保全が必要と判断されない遺跡の発見報告を遅らせた理由を他の賢者は正確に理解し、結局はアルハイゼンに少々の小言を漏らすのみで事態は収束したのである。
といった事情があり、第一期の調査隊の編成と出立が実現するまでにはそれなりの時間が掛かってしまった。前述の通り、おおむねアルハイゼンのわがままが原因である。
新たな、それも相当保存状態の良い遺跡を前に、皆静かに沸き立っていた。そこここからさざ波にように聞こえてくる声はどれも抑えられていながらも熱を帯びていて、アルハイゼンだって口を開けば似たような様相を呈したに違いない。初めて立ち入った時にある程度見てはいたが、道具があるのとないのでは調べられる範囲が全く異なる。
もしかしたら、砂で固められた石板から当時は見つけられなかった文様と文字を発見した時に、あれやこれやと独り言を口にしていたかもしれない。まあ、こんなことは学者の中では珍しくもなんともなかったが。
自分の本日分の担当区画を終わらせて他所に手を出せないかと目論んだが、誰も手柄を他人に渡したくないのか空振りに終わってしまった。当然といえば当然の結果で、元々あわよくば程度の気持ちでいたためこれといって気落ちはない。改めて自身に割り当てられた区画を確認しようと遺跡を進んでいると、見覚えのある赤い外套が通路の端に落ちているのが目に留まる。
それがカーヴェの持ち物であるとすぐ確信できたのは、彼女の自慢の工具箱が横に鎮座していたからだった。おそらくメラックの力を借りて計測を早々に終わらせてから、カーヴェは自身の興味の引かれる場所を探しに行ったに違いない。
「メラック、君のご主人様はどこへ?」
カーヴェの上着を持ち上げると、まるで番犬のようにメラックがぴ、と高めの警告を発する。きっと、カーヴェにここで荷物を見張っておいて欲しいと頼まれたのだろう。メラックの感情表現において重要な要素である眉をきりりと上げつつ、それはアルハイゼンを見つめている。メラックは人間の個体識別を行っているはずだが、どうやら同居人の肩書きだけでは彼女のオーダーを突破できないらしい。
「君の主人の元に届けに行くだけだよ。そうすれば君もここで待っている必要はなくなる」
説明しながら服の下に隠すように置いてあった鞄も拾うと、ふわりとメラックが浮き上がる。アルハイゼンの言葉を処理していたのかしばらく思案するように黙り込んでいたが、最後にぴぽ、と先ほどとは異なる音をメラックは鳴らした。ついでに、光で示す表情が快に切り替わり、全身で肯定を示す。
カーヴェによって永い眠りから醒めた機械生命と呼ぶべきかもしれないそれは、それはもうカーヴェに懐いていた。きっと今も、カーヴェの願いだから応じたものの、できることならば彼女について回りたかったのだろう。
ぷかりと浮き上がったメラックはちかちかと瞬きながら、カーヴェが向かっただろう方角にアルハイゼンを導いてくれる。この機械が言うのであれば間違いはないだろうと後を追ううちに、調査の手を止めてメラックに興味深そうな眼差しを向ける者がいるのに気がついた。
メラックを起動させるまでの過程でアルハイゼンが手を貸していなければ、似たような興味を工具箱に向けていたに違いない。自宅でふわふわと浮かぶメラックを見ながら、分解の手順を考える羽目にならなくてよかったと今更ながらに安堵する。
元は扉があっただろう形跡のある通路を抜けると、女性が一人入り口に背を向けているのが見えた。女性の中では背が高く、特徴的な色合いの毛先をしている。何よりも肩甲骨の間に鋭い切れ込みの入るシャツを着こなす者など、この隊には一人しかいない。
ぴ、とメラックが微かな音を鳴らしたのは主人の集中を乱したくなかったからだろう。その気遣いに応えて、アルハイゼンはほんの少しだけ喉を鳴らしてメラックに報いることにした。入り口の脇に外套と荷物を置くとアルハイゼンは強度を確認してから、この部屋の壁に背はつけない方がいいと判断する。
あの夜以降、カーヴェはアルハイゼンの入れ知恵について特に言及もしなかった。だが、しっかりと覚えていた上に、一週間の余裕を作る価値がある何かがあると判断していたらしい。
教令院から出された募集要項を早々に受け取って帰ってきたカーヴェはアルハイゼンの前に資料を差し出して、追加の情報はないかと尋ねてきた。おおよそ、これがアルハイゼンが伏せていた要件だと察したのだろう。
一応教令院は発見者を伏せてはいるが、知られたところで権利問題に発展するわけでもなし。自身が第一発見者に含まれると伝えてやると、カーヴェが露骨に微妙な顔をした。わざわざ指摘はしてこなかったものの、最近のアルハイゼンの状況を思えばそこそこの間報告を意図的に怠っていた事に気がついたのだろう。アルハイゼンの目論みまで把握したらしいカーヴェが一度口を開こうとして、結局何も言わないまま口を閉じた。
自分で見つけた物は自分で調査したい。研究者であった者としてはなんら不思議のない欲求がカーヴェの口をねじ伏せたようだった。
そんなちょっとした胸のつかえも、今のカーヴェの胸中からは綺麗さっぱり取り払われているのだろう。彼女は携帯用のイーゼルを用意した癖に、それを使わず片手を支柱にしてスケッチブックを固定しつつ、崩れかけた装飾をじっと見つめていた。
しゃんと伸びる背は他者が生み出した美と向き合うために必要な最低限の礼儀だと、いつかのカーヴェは言っていた。本人が設計図を引くときは全くの真逆の様相になるのが、アルハイゼンには少し興味深く思えている。
耳を澄ませば鉛筆が紙を擦る音が聞こえるので、彼女は壁の文様を書き写しているのだろう。ほとんど手元に意識は寄せられておらず、手元を覗いていないアルハイゼンにはスケッチの出来は全く分からない。ただ、時折思い出したように俯いたかと思うとページを捲らずにまた書き始めるので、きっと彼女の求める水準から逸脱はしていないのだろう。
それがいつものカーヴェのやり方だった。記憶の中にある彼女も時折そういう姿をアルハイゼンに見せた。まるで自分とその対象以外には何もないとでも言いたげな集中力を長々と練り上げながら迷いなく指先を操り、絵画でも充分食べていけそうな精度で精密に写し取っていく。
自らの指先に対象が持つ形や息遣いを覚えさせると一枚ページを捲って、今度は欠けてしまった場所を補うためのデッサンを始める。今まで溜め込んできた膨大な知識と目の前の遺物が教えてくれる情報を総動員し、かつてそうあったかもしれない姿をカーヴェは紙面に展開させる。このスケッチは今後立ち上げられる長期的な調査チームに連携され、妥当性が検討された後に修繕の方針の基礎とされる一枚になるだろう。
途中に妙論派の学生と思しき者がふらりと部屋に迷い込んできたので、アルハイゼンは一時間後にまた来るようにと一時的に追い払った。同門の学生からすればカーヴェの作業風景など垂涎ものだろうが、うっかり後輩に気がついたカーヴェの集中が途切れてしまうのはよろしくない。間に休憩を挟んだところで、彼女の仕事に影響などないのは承知の上で。つまるところ、学生を帰らせたのはアルハイゼンの都合でしかない。
それからいくらかして、彼女はもう一枚紙を捲ってからようやく細いイーゼルにスケッチブックを立てかけた。思い出したかのように鉛筆の先を削って、白い紙面に黒鉛と粘土でできたそれを滑らせる。多少位置が移動したところでカーヴェの手元は彼女の体に遮られて見えないが、紙面の上では過去とカーヴェのその先が混ざりあっているのは想像に難くなかった。
一度は断絶したに等しい太古からの美を受け継ぎ、生来彼女が持ち育んできたそれと融合させてカーヴェは新たな作品を作り上げる。伝統と革新。そのどちらも軽視しない彼女の仕事は高く評価されてきた。今まさにその一つを生み出そうとする彼女の背は少し丸まっていて、その丸みに獣の跳躍の予兆を思わせる美しさを微かに感じる。
これこそが、カーヴェのあるべき姿だった。初めてアルハイゼンがカーヴェに見惚れた姿で、もう見られないものの一つだと思っていた。それは憶測などではなく、あの夜彼女と再会しなければ夢で思い描くのが関の山だっただろう。
今だけは彼女が俗世のしがらみなど、一つも思い出さずにいればいいと思う。今の彼女は必要最低限の物すら持たぬ手負いの獣で、アルハイゼンの庇護下にある限りはずっと傷を癒やせないままだ。
虚勢ばかりで振る舞って、体のそこここが酷く膿んでいることを多くの人間に悟らせまいと彼女は気力と体力を浪費している。一晩で全てを詳らかにした相手であるはずのアルハイゼンにすら、なかなかその傷の様子を見せようとはしない。
どこかで羽根を休めるなんて器用なこともできず、じくじくと痛む心身で煌めきを追いまた自身をも輝かせようとする。彼女以上に厄介な相手はいなかったし、彼女以上に魅力的な女性もアルハイゼンは知らなかった。
ぽん、と組んでいた腕に衝撃があってそちらを見ると、彼女の工具箱がアルハイゼンを見上げていた。数少ない表情パターンしか持たないはずなのに、アルハイゼンを探るような雰囲気が察せられて思わず口元を歪めてしまう。メラックですら分かるくらいの眼差しを彼女に注いでしまっていたのかもしれない。
一度ゆっくりと瞼を落としてから、彼女と自身の最善に思いを巡らせる。その観点であれば、なすべきことは明白だった。
自分は彼女の申し出通り、自分達は共同研究をするべきだ。そうすればアルハイゼンはこの姿を間近で見られるだろう。一時でもいい。彼女を煩わす世間から彼女を引き剥がし、営利主義の顔色を窺う必要もない場所に彼女を置いてやりたかった。
「
――
あれ? メラック? 荷物は? 置いてきちゃった?」
アルハイゼンから離れてカーヴェに近寄ったメラックに彼女が気づいたのは、スケッチに区切りがついて集中を切らしたからだったのだろう。こてんと首を傾げて問いかけるカーヴェに、メラックが否定したいらしく高くて短い電子音を出した。ふわりと移動するメラックに誘導されて荷物を見つけてから、アルハイゼンの姿を認めたカーヴェが小さく声を上げる。
「なるほど、君のせいか」
「道端で待たされていて可哀想だったから連れて来ただけだ」
「あー、それはそうだ。メラック、ごめん」
メラックとカーヴェの関連性を知らない者からすれば、荷物と工具箱なんてただの忘れ物に過ぎず随分危なっかしい行為と言える。どうせ、めぼしい場所を見つけたら帰ってくるつもりが、そのまま留まってしまって荷物諸共メラックを放置したのだろう。後ろめたいところがあったのか、ズボンで手のひらを拭ってからカーヴェがメラックの取っ手辺りを撫でる。
「カーヴェ」
「ん? 集合の指示でもあったのか?」
「君の仕事の区切りが付く頃に合わせて休職しようと思う」
「なんで⁉」
メラックからアルハイゼンに意識を移すように仕向けてから、アルハイゼンはカーヴェに今後の予定を伝えた。目を丸めるのと同時にきん、と耳を鳴らすような高い声を上げられて、アルハイゼンは微かに眉間に力を込める。
「煩い」
「ああちょっと、こら、遮音しようとしないでくれ。話始めたのは君だろう」
そう広くもない空間で再び同じ声量を食らいたくなかったのでヘッドホンに手を伸ばすと、カーヴェがイーゼルに鉛筆を残してアルハイゼンの元に文句を言いながら寄ってくる。彼女が気がつかないように極端な高音だけは相殺する設定で起動して、先ほどまでの沈黙を補うようにつらつらと喋るカーヴェの反応を待った。
「そんなに代理賢者が嫌だったとか? そのせいで働くのほとほと嫌になったのかい?」
「代理賢者に限らず元々働きたいわけではないが」
身も蓋もない、とカーヴェが呆れてから、他の理由を探し出そうと腕を組んだ。黒鉛で汚れた指先を口元に当てて、しばらく考えからあ、とカーヴェが喉を鳴らす。
「共同研究」
「うん」
「悪かった、断られたと思ってたんだ。それにしても休職? 有給休暇でどうにかならないか?」
今更職歴やキャリアを気にする男ではあるまいが、と漏らしながらも他のデメリットがないのかは気になるらしい。独立前の他の事務所に在籍していた時の事を思い出そうと眉根を寄せて唸るカーヴェに、それを調べるのはアルハイゼンの仕事だろうにと内心で指摘する。勝手に他人の役目にまで手を伸ばして気を回そうとするのは、彼女を追い詰める悪い癖の一つであった。
「計画的に仕事を進める上で休暇を設けるのは健全な勤労スタイルだと君は思ってもいないんだろうが」
「たしかに君、結構平日も家にいるような
……
まあ君が休職で良いならそれで構わないよ。ネタは一応用意してあるんだ。君も気に入ると思う」
カーヴェが手でアルハイゼンとメラックを招いて、イーゼルの前に移動する。彼女について行くと、イーゼルに立てかけられていたスケッチブックが捲られた。
「
……
すでに手垢が付いたものをなぞるだけになるだけでは?」
メラックの投影を最たる資料にしつつカーヴェが説明した内容は、アルハイゼンもすでに目を通したことのある文献を元にしているようだった。良書と呼ぶに相応しいそれはすでに他者からもほどほどに批評や引用がされており、あえて改めて自分達がやるべきこともないように思う。
「どうも検討しきれてない部分がありそうなんだ。近々で一日君の休みをくれないか? そこでそれが僕の思い違いでないか確認して、現実的な日程でこなせるかも検討したい」
多分二か月くらいあれば充分だとは思うけど、と挑むような視線と共にカーヴェが告げて、はやりそうになる心を押さえ込む。彼女がここまで言うのなら、きっと相当に自信があるのだろう。
「三か月だ。その期間で君の想定より手法を増やしてアプローチする」
「ふふ、欲張りだな。今度はスケジュールを詰めすぎないようにしないと。ああ、大丈夫だよ、そういうのはあの頃と比べれば随分うまくなったから」
合意を得られて満足したのか、カーヴェがメラックに照射を止めるように指示をする。それから走り書きのメモをしていたスケッチブックを閉じて、慣れた手つきでイーゼルを畳んだ。
「期待しておきます。先輩」
「はは、昔の君のまねをするつもりなら、もうちょっと可愛げのある言い回しをした方が良いかな」
今の君の生意気な感じも悪くないけど、と語尾を上げて笑って見せるカーヴェはどこか野心的で、まるで学生の頃に自分に見せた瑕のない煌めきを帯びているように思えた。
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