mishiadd
2024-10-06 15:49:29
25632文字
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インプリンティング・ラヴァーズ

生前の伊織くんが死ぬ程好きだったけど伊織くんの意思を尊重して最後まで友情を貫いたヤマトタケルが記憶のないカルデアの伊織くんに「私たちは恋人同士だったんだよ」って嘘ついて始まる一度はやらなきゃならんやつ。いつもの感じの(ろくでもない)剣伊。ハッピーエンドです。


十二、

彼女がセイバーに「自分の願いが本当にわからないのか」と尋ねたとき、彼は「わからない」と笑った。――嘘だった。胸をちくりと刺すような、真っ赤な、真っ赤な嘘。

でも、言えなかった。言えるわけがなかった。セイバーは、がそれどころではないことを知っていた。口に出して――彼に伝えて。それで、自分の願いが彼の重荷になってしまうことが怖かったし――



彼の困惑する顔を見るのが、なによりも――これから迎えるかもしれない二度目の『死』よりも、遥かに怖かったのだ。







正雪の目を、伊織の視線を――振り切るように、ただ闇雲に廊下を走った。駆けて、駆けて、途中で人にぶつかりそうになりながら、ただひたすらに走り続けて――やがてどこかのシミュレーターの中に迷い込んだ。誰かが電源を切り忘れたのか、風景は直前に使用されていた設定のままのようだった。どこか、嬉の森に似ていた。

雨が、しとしとと降っている。霧雨のような小さな雨粒に打たれながら、タケルは灰色に透ける空を見上げていた。前髪が流れて露わになった額に雨があたって滑り落ちる。それで、少しずつ頭が冷えてくるのを感じた。



――ばれた。ばれてしまった。



いつか、この日が来ることはわかっていた。むしろ、自分は今日という日をずっと待ち侘びていたのかもしれない。だんだんと――真綿で首を絞められるように――追い詰められていくのを感じながら――自分は、本当はずっと断罪されたかったのだと――罰されたかったのだと、タケルは思う。

嘘に嘘を重ねて――夢に、夢を重ねた。それは、確かにあの日々の中でセイバーが夢見た夢で――今も、タケルがずっと胸に抱いていた、淡い、甘やかな夢だった。



目を閉じて想えば胸のあたたかくなるような、ただただ幸せなばかりだった筈の夢想を穢したのもまた、他ならぬ自分なのだと。

結局自分は――いつだって、大切なものの息の根をその手で止めてしまうのだ。



かさり、と葉を踏む音が背後でする。その音で、タケルには誰なのかがわかる。――いつも、この足音を追って回った。――あの日々。

「セイバー」

なんの感情も篭もっていない、平坦フラット――凛とした声が、タケルを呼ぶ。

……イオリ」

体に力が入る。振り返るのが怖くて、あの端正な顔を見るのが怖くて、一瞬躊躇う。それでも――タケルは体ごと振り向いて、己の罪と向き合う。これ以上、逃げ回るわけにはいかなかった。
なんの感情も読み取れない、タケルの見慣れた無感動な顔で、伊織が言った。それはもはや、問いではなかった。

「全部、嘘だったのだな」
――ああ」
「何故?」



何故――



何故だろう、とタケルは思う。最初は、ほんの小さな悪戯心だったように思う。「おまえには関係ない」などと伊織が言うから。――それでも、咄嗟にでた嘘がああだったということは――きっとそれは、悪戯心以上の願いだったのだろうと思う。

「おまえは――

伊織が、自分のかたちのいい顎に手を掛ける。少しだけ首を傾げて、深く考えるような仕草で尋ねた。

「不満だったのか? 俺の――生前の『宮本伊織』の、おまえへの態度が」

質問の意図がわからず、タケルが伊織を見た。白い頬に当たった雨粒が顎を伝って落ちる。
伊織が、真っ直ぐにタケルを見返した。月夜の色をした瞳が、ただ真実だけを見抜こうとするように、タケルの夕陽の色をした瞳を見つめている。

「おまえが言っていたことは全部嘘だった。俺達が恋人同士だった事実などないし――であれば、恋人としての俺が『好きだった』、とおまえが言っていたことは、すべて嘘だったのだろう。――俺が、おまえを常に抱き寄せていたという話も、」



タケルのことを愛おしげな目で見つめるのが好きだったという話も、



タケルを「可愛い」と呼んでいた話も、



――タケルが、「きみのことが好きだ」と震える声で告げて――






――伊織が、「俺もおまえのことが好きだ」と――






……――そうだ」

タケルが嗤う。自嘲するように、雨降る天を仰ぐ。ぱたぱたと、雨粒がタケルの目尻に落ちて、こめかみを伝った。

全部嘘だ。そんな事実はどこにもなかった。きみは私のことが好きだなんて言ったことは一度たりともなかったし、私のことなんてろくに見てもいなかったよ。きみの瞳はいつも、どこか遠くの遥かなる場所つきを夢見ていた。
私を抱き寄せるのが好きだったなどと――ああでも、そう――

手を握るのだけは、彼は嫌いではなかった、と思う。――今でもはっきりとこの手に残る、彼の手のひらの大きさ。剣だこのごつごつとした、温かい手。



――あの夜、タケルを『友』と呼んで、手を繋ごうとしてくれて――最期の力で手を伸ばしてくれて、それでも力尽きた、彼。



まるで昨晩のことのように鮮明に蘇る――タケルの座に、タケルの霊基に、深く、深く刻まれた、あの夜の光景。目を開けたままでも目の前にまざまざと映し出されるあの時の彼の姿に、タケルの意識が――あの夜に立ち戻りそうになる。

そこに、今目の前にいる伊織の凛とした声がかかる。

「おまえは、俺のことが――嫌いだったのか? おまえを見なかった俺が。おまえのことを――『好きだ』、と言わなかった俺が」



――だから、あの頃の彼とは違う彼を、育てようとしたのか?



タケルは目を閉じる。それから、ゆっくりと目を開けた。自然な微笑みが、口許に浮かんだ。

「いいや。――好きだった。大好きだったよ。『こうなったら素敵だ』とは夢見たけれど――でも、やっぱり私は、彼が好きだったよ。たとえ私のことを見てくれなくても。……そうだったとしても、私はちっとも構わなかったんだ。
私は彼のことが好きで、彼の見せてくれた新しい世界はすべてが眩くて、そんな世界の中にいる彼のことを好きでいられる私自身のことを、私は好きでいられた。彼のことを好きだと思う瞬間は、毎秒毎秒がとても眩くてあたたかくて、とても幸せだった。
だから――彼が私を見てくれなくても、私は幸せだった。彼がそこにいてくれるだけで、私の隣に立っていてくれるだけで、私は充分幸せだった。これ以上は望めぬくらいに」

目頭が熱い。目を細めた拍子に、目尻から流れ落ちた涙が雨粒と交じり合って頬を滑り落ちた。

伊織が、タケルを見ている。やがて、「そうか」と短く告げた。それから、やはりなんの感情も読み取れない、中立ニュートラル平坦フラットな、まるで初期化されたAIのような口調で、問うた。

「セイバー。俺は、何も覚えていない。おまえが今言ったことが、嘘であったのか本当であったのか、俺には確かめる術がない。――だから」

伊織の月夜の瞳が、タケルを見透かすように射抜く。

おまえが一言そう言えばすべては本当だったことになる。そうすることが、おまえにはできる。――俺は、どちらでもいい。どうする?」
「イオリ」

はは、と笑った拍子にまた熱い涙がタケルの頬を伝い、雨粒と交じり合う。――結局きみは優しいのだと、笑う。

「だめだよ。全部嘘だ。全部全部、私の真っ赤な嘘だった。――ああ、幸せな夢だった



朝、目覚めて。



――「なんて素敵な夢だったのだろう」、と――



「そうか」と伊織が言った。そして、言った。

「では、最初からやり直そう
おまえがかつて夢見たことが、きっと今なら――ここでなら、おまえ次第で『本当』にすることができるということなのだろうから。夢の続きを、見たいのならば見ればいい」
「イオリ……?」
「桜の樹の下、だったか」

伊織が踵を返して森の中へと姿を消す。やがて、雨が上がる。驚いてタケルが周囲を見渡すと、生い茂っていた緑の木々が、桜の樹々に変わっていた。
青空は春先の柔らかな日差しで明るく白っぽくけぶり、風が枝を揺らして桜色の花びらが舞う。

やがてタケルの許へと戻ってきた伊織が、タケルに手を差し出した。促されるままに手を握り返し、ふたりで手を繋いで、一番近くで咲き誇っていた大きな桜の樹の下へと歩いていく。

向かい合い、伊織がタケルの顔をじっと見つめる。やがて、言った。

「おまえは、ここで俺に何と言う?」

タケルが目を瞠る。やがて、くしゃりと泣き笑いの表情を浮かべて、言った。








「イオリ。――私は、きみのことが好きだ」








『インプリンティング・ラヴァーズ』・了