mishiadd
2024-10-06 15:49:29
25632文字
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インプリンティング・ラヴァーズ

生前の伊織くんが死ぬ程好きだったけど伊織くんの意思を尊重して最後まで友情を貫いたヤマトタケルが記憶のないカルデアの伊織くんに「私たちは恋人同士だったんだよ」って嘘ついて始まる一度はやらなきゃならんやつ。いつもの感じの(ろくでもない)剣伊。ハッピーエンドです。


四、

宮本伊織との関係性を表す言葉を、セイバーは持たなかった。

あるいは、あの最期の瞬間――彼が、セイバーのことを『友』と呼んだから、そこから遡及的レトロスペクティブに彼とセイバーの関係性が確定したのかもしれない。
すべてが終わった後に振り返って、「ああ、あれは『友』というものであったのだ」と。

あるいは、あんなにも大好きで、大切で、まるでこの世の優しさと愛おしさのすべてのようだった彼が、セイバーを『友』と呼んでくれたから――



彼の願った『私』であろうと、セイバーはそう思ったのかもしれなかった。







彼と過ごした日々は常に揺らぎに満ちていたようにセイバーは思う。

善と悪、清と濁、真と偽――。そのすべての境界が曖昧で、その中にあってもなお彼は、より善い選択をするように、より善い自分になれるように、根気強くセイバーに教えてくれた気がする。
そうしていくうちに、嫌いだった自分を――「嫌いなのだ」と気付けてすらいなかった自分を――だんだんと、「嫌いではない」と思えるようになってきた。少しずつ、胸を張れるようになってきた。
もしかしたら、彼の隣に立つ自分のことは――少しだけ、誇らしいと思ってもいいのかもしれない、と思えるようになってきた。

自分のことを好きだと思える目で見る世界は、こんなにも眩いのだということを知った。

心を持たぬ傀儡だった自分に、かつて彼女が心をくれたように。

善為す者なりたいじぶん』でいられる方法を、彼はセイバーに教えてくれた。――自尊心というものを、セイバーは生まれて初めて知ることができた。



――だから、そう。



自分を好きになったついでに、いろんなものを好きになって――自分を好きになる方法を教えてくれた彼を好きになるのは、ごく自然なことのようでもあったし――ほんの少し、彼に向ける「好き」の方向性が逸脱してしまっただけのようにも思えたし――この眩く愛おしい、セイバーの新しい世界に満ち満ちている「好き」の感情のすべてが彼に起因しているのだとすれば――そのすべての「好き」のかたちにおいて、セイバーは彼を好きになるしかなかったのだ。

往ったり来たり。一線の、あちら側と、こちら側。

すべての境界が曖昧な中で、彼とセイバーの関係性も曖昧で、マスターとサーヴァントだと言えばその通りで、兄と弟のようだと言えばそれもそうで、『友』だと言えばきっとそれはもっとも美しいかたちで、そしてごくたまに――少しだけ、境界線に足がかかる。



その感情は――



セイバー自身、その正体などわからないでいた。彼女に抱いていた想いともまた違うように思えたし、それが『友情』とどう違うのかも、実のところセイバーにはよくわからなかった。なにしろ、セイバーが恐らくは『友情』と呼ばれるものを胸に抱いたのも、彼が生まれて初めての相手なので。
友情とも、愛情とも、恋情とも、慕情とも、もしかしたら憧憬とも知れぬ、『なにか』――もはや名前がつくのかもわからない、そのくせセイバーの胸中をいっぱいに占めている、ただひたすらに彼へと向かうもの。

セイバー自身にも得体の知れないその大きな感情を持て余しつつも、それを抱え込んでいる自分は嫌いではなかった。なんにせよ、それは彼を「好きだ」という想いであることには違いがなく、そしてセイバーが彼を「好きである」という気持ちは、彼がセイバーにとっての宝物であるのと同じように、なんだか嬉しくてくすぐったくて、とても大切なものであるように思えたのだ。

優しくて愛おしい彼を好きでいられる自分のことも、セイバーは好きになれた。彼を好きだと思うこと自体に幸せを感じた。



――だから、たとえこの想いが決して彼に届くことなどなくとも――






セイバーは、ずっと幸せだったのだ。






五、

人目のないところでは常にくっついていた、というタケルの言葉に忠実であろうとするように、長屋風の自室でふたりで過ごす間、伊織は常に体のどこかでタケルに触れていた。
畳の縁に腰かけて本を読んでいても、伊織の体はすぐ隣に座っているタケルにぴったりと寄せられていたし――あるいは、畳の上で胡坐をかいて、タケルを膝の上に乗せていたり――もしくは、ただ単に枕かクッションかのように抱き寄せて、タケルの頭に顎を乗せたまま、やっぱり本を読んでいたりなどした。

抱き寄せられている間タケルはといえば手持ち無沙汰といえばそうなのだが、正直なところタケルの内心にはわずかの余裕もない。とくとくと早まる鼓動と、そのせいでやや高くなっている体温が伊織にとっては心地いいようで、抱き寄せているのがタケルであることも忘れて、ただ単純に暖をとる目的で、本を持っていない方の腕でよりしっかりと抱き留める。結果、タケルの体温が更に上がってしまう。

ぱらり、と伊織が頁をめくる音と、タケルの鼓膜にばかり響く彼自身の鼓動だけが、静寂の中に響く。

……イオリ」

ぽそ、と消え入りそうな声でタケルが名を呼ぶと、文字を追う目線をあげることもないまま、「ん」と伊織が生返事をする。無意識なのか、タケルの体をしっかりと抱え直して、タケルの頭の上に乗せた顎のちょうどいい位置取りを探すようにもぞもぞと体を動かした。
びくりと体が硬直するのを自覚しながら、ぎこちない動きでタケルが頭をわずかに動かす。軽く下から顎を突き上げられたかたちになった伊織が、ようやく紙面から目線をはずして、「どうした?」とタケルの顔を覗き込んだ。

「その……少し、離してくれないか。……落ち着かぬ」
「うん? ……ああ、すまん。『昔はこうだった』とおまえが言うので、てっきりこちらの方がおまえには自然なのかと」

自然なことがあるものか、と一向に慣れることなくどきどきと早鐘を打ち続ける心臓のあたりを片手でさすりながら、タケルは何も言えずに目を逸らす。――そんな自分の体たらくとはまるで対照的に、まるでリラックスした様子の――むしろタケルという愛玩動物を胸に抱くことでより一層くつろいだ様子の――伊織が、けろりとした顔で再びその目で文字を追い始めてしまうのを見て、自分と彼との『差』をまざまざと思い知らされてしまう。――意識しているのは自分こちらばかりか、と。

――ふと、悪戯心が胸に湧く。かつてこの男が、タケルの物事の考え方や受け取り方、あまつさえ感情の在り方さえをも変えてしまったように――



この男の、その感情の在り方を、自分好みに教え込むことができるだろうか、と思う。



「イオリ。――私の恋人だった頃のきみはな、私の顔をこうして見つめるのが好きだった」

伊織の膝の上に乗ったまま、タケルが伊織の白い頬に手を伸ばす。くい、と顔をやや引っ張られたかたちになった伊織が、不可抗力的に本から目を離してタケルを見る。伊織の頬に手を触れたまま、タケルがじっとその月夜の色をした瞳を見つめる。「うん?」と、伊織の無防備な眼差しが、ただ求められるままにタケルの夕陽の色の瞳を見返す。その、夜空のような透き通った瞳に、自分の姿が反射しているのを、タケルが見る。

「きみは、私のことをよく『可愛い』と言っていた。私のことを『美しい』と――この顔が『可愛い』のだと言っていた。……思い出したか?」

半分は嘘ではない。――が、しかして半分しか合っていない。
タケル自身が思い出す限り、伊織が彼を「可愛い」と称したのは彼の『可愛らしい意趣返し』を笑ったときくらいのことだったし、彼を『美しい』と褒めたのは――なんだかまあ、だいぶニュアンスが違った気がする。

別に、伊織に可愛いと思ってほしいわけではない。美しいと思ってほしいわけでもない。
ただ、少しでも――わずかにでも、伊織が彼を意識さえしてくれればなんでもよかった。客観的な事実として、自分の顔が『可愛』くて『美しい』らしいことはタケル自身も知っていた。であれば、使える武器はなんだって使うまでだ。
己の容姿が、伊織がタケルを意識してくれるほんの小さなとっかかりにでもなってくれるのなら――ただ、そう思っただけだった。

「思い出したか? きみは、私のこの顔が――好き、だったのだぞ」

「好き」という言葉を発する際に、わずかに声が裏返る。喉の奥に引っかかる。それを、伊織に気取られていなければいいと、思う。

伊織が、まじまじとタケルの顔を見ている。その視線に思わず負けそうになってタケルが目を逸らそうとするが、ここで負けては元も子もないと思い直し、ぐっと堪えて伊織を見つめ返す。
やがて、なんの感情も読み取れないまったき真顔のまま、伊織がさらりと言った。

「そうか。――おまえが可愛い顔をしているのはわかるが、だからといってこのようにずっとおまえの顔を見つめていたいとは別段思わないが」
――うん?」

たった一文の中に一言言ってやりたい箇所が多過ぎた気がする。ぱくぱくと一度口を開閉させてから、言いたいことをなんとか一つに絞ってタケルが大きく息を吸った。――いくらなんでも失礼じゃなかろうか、仮にも恋人に向かってその言い草は。
今まさに抗議しようとして口を開けた瞬間に、なんでもない口調で伊織が続けた。

「もし俺がよくおまえの顔を見ていたのだとしたら、おまえのが可愛いからではなく、おまえが可愛いからだったのだろうと思うよ。――俺は、おまえに『可愛い』と言ったのか?」
……えっ、あっ、うん、ふぇ?」

口を大きく開けたまま、タケルが動揺して返事にならない返事をする。「ふうん」と伊織が訝しげに目を眇めてタケルを見たあと、つん、とタケルの額を人差し指でつついた。

「『可愛い』、か。――どちらでも構わないが、どちらかというともし俺がおまえを褒めるのなら『かっこいい』と言う方がしっくりくる。――おまえは、俺にはよくわからない突拍子のない言動をすることもよくあるが、うん、そちらの方が俺の気持ちには合っている。
以前の俺とは意見が合わないようだな、俺は」
「え? ――うん」

タケルが言葉を失う。ぽかんとして目の前の伊織を見つめていると、ややあって、「ああ、でも」と伊織が付け足した。

「そうだな。――以前の俺がずっとおまえを見ていたというのなら、それは少し――気持ちがわかるかもしれないな。……『可愛い』か。ふむ」

ふ、と伊織が目を細める。――タケルの呼吸が止まる。

「そういう『可愛い』もあるのかもしれん。――『可愛い』セイバー、俺の恋人



――そのはにかんだような微笑みに、タケルの呼吸も、目も、心臓の鼓動さえも――何もかもが、奪われる。



タケルの指先までもが、真っ赤に燃えて硬直する。まるであのライダーメドゥーサの魔眼で焼かれでもしたように、伊織の瞳に見られたまま、わずかの身動きもとれないでいる。
伊織が、長い睫毛で縁取られた瞼をゆっくりと閉じるのが至近距離で見える。高い鼻梁が視界に迫って、白い頬にふわふわと生えている桃の皮のような産毛までもが見える。咄嗟に顔を伏せると、額に、しっとりと濡れたような、少し冷たいような、ひどく柔らかい感触を受ける。――タケルの鼓膜に、ばくばくと高鳴るうるさいような鼓動が、ただそれだけが響いている。キィーーン……と耳鳴りがした。

タケルが顔をあげられない中で、「ふ、」と伊織が小さく鼻にかかった笑い声を漏らすのが聞こえた。

「なるほど。『恋人』とはこのような心持ちなのだな、セイバー。相分かった」



――なにひとつわからないまま、何ひとつ口にすることもできず、タケルはただただ、その場に縮こまって硬直しているしかなかった。