mishiadd
2024-10-06 15:49:29
25632文字
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インプリンティング・ラヴァーズ

生前の伊織くんが死ぬ程好きだったけど伊織くんの意思を尊重して最後まで友情を貫いたヤマトタケルが記憶のないカルデアの伊織くんに「私たちは恋人同士だったんだよ」って嘘ついて始まる一度はやらなきゃならんやつ。いつもの感じの(ろくでもない)剣伊。ハッピーエンドです。


十、

あの江戸の町で、あの浅草の大通りで、伊織が先を歩いている。慌てて駆け寄っていって追いついて、伊織の隣に並ぶ。伊織は、いつものすらりと背筋を伸ばした涼やかな立ち姿のまま、真っ直ぐに前を見ている。「イオリ、」とタケルが呼ぶ。それで初めて、伊織がタケルを見る。

「セイバー」と伊織が、凛とした落ち着いた声でタケルを呼ぶ。「うん、」とタケルが胸を張って、伊織を見上げる。

柔らかな――責めてもいない、怒ってもいない、ただいつものように淡々と事実のみを述べる無表情のまま――伊織が言う。




「俺に嘘をついたのか。セイバー」










ひどい寝汗と共に飛び起きた。――サーヴァントは夢を見ないというのなら、これは一体なんなのだろう。タケルの恐怖心が生み出した妄想か。
すぐ隣で横になっていた伊織が驚いた様子で身を起こす。「セイバー? どうした?」と気遣わしげな、ひどく優しい声で問う。

「調子が悪いのか? 震えている」
――なんでもない。なんでもないのだ、イオリ」

無理に笑おうとしたセイバーの顎を優しい指先で軽く持ち上げられ、ひどく心配そうな――不安げに揺れる月夜の瞳と目が合う。

「大丈夫か? ――俺は、おまえにどうしてやればいい」
「イオリ……

――結局、彼は優しいのだ。かつての彼は、それを必死に否定し続けていたけれど。

おろおろと周囲を一通り見まわしたあと、ふと思い至ったように伊織がタケルの手を掴む。その手を、自分の胸元に押し付けた。
伊織の意図がわからず、タケルが訝しげに伊織の顔を見る。愁いを帯びた表情で眉尻を下げたまま、伊織が――タケルの手を、そっと自分の着物の合わせ目へと誘導する。
何事かと、タケルが思わず目を見開く。驚いて手を引くが完全に伊織の手を振り払うこともできず、膠着してお互いの手が宙に浮いたまま、互いの顔を見ていた。

タケルが、上擦った声で訊いた。

「なんの――つもりだ?」
「おまえが――たまに、俺の口を吸っているときに、ここに手を掛けるから。――触れたいのかと」
「そ、れで」

触れさせようとしたのか――泣く子タケルをあやすために。

「私が――思い留まっているのをきみは知っているのだよな? いつも――そこに手を掛けてしまった私が慌てて手を引くのを」
触れればおまえが喜ぶかと。そう思っただけだ。……俺達は恋人同士だろう? なにも遠慮することはない。口吸いも、それ以上――。それで、おまえの気が少しでも晴れるなら」
「晴れるものか!」

思わず悲鳴のような叫び声が出た。はっとして我にかえり、タケルが伊織を見る。驚いた様子の伊織が、目をまるく瞠って呆然とタケルを見ていた。
ひどい自己嫌悪がタケルを襲う。まるでミルフィーユのような何重もの自己嫌悪。――そのばかばかしい己の浅はかさに、また一枚、薄絹のような自己嫌悪が折り重なる。

――いや、違う。違うのだ。きみのせいではない……
「すまん。――あまりにも短絡的で、下品な発想だった。こんなことでおまえを慰められるなどと思った俺が恥ずかしいよ。……でも」

タケルの手を掴んでいない方の手で、伊織が己の顔を覆う。タケルから、不安に揺れる月夜の瞳をふっと逸らした。

「俺は――他に方法を知らない。どうすればおまえを喜ばせることができるのかわからない。
おまえがつらそうな顔をしていないのは、俺とこうしているときだけだ。それ以外は、おまえはいつも苦しそうな顔をしているから。俺の隣にいるときは、いつも」



――ああ、最悪だ。最低だとも。



そうか、と今更になってタケルは思い至る。そう思われていたのか。そう思わせていたのか
もはやどこまで自分を見下げ果てられたものか見ものだった。――伊織と一緒にいて、己が自分勝手で傲慢な自己嫌悪に苛まれた顔をしていないのは、彼の噎せ返るような色香に我を忘れているときだけ。どちらが下品なのかは明白だ。

――かつての想い人いおりを裏切り、かつての自分セイバーを裏切り、今ここにいる目の前の伊織の好意すら裏切って。



「私は一体、なんなのだろうな」



ぽつりと呟いたタケルの言葉に、伊織がタケルを見る。心細そうに揺れている月夜の瞳に、かつての伊織ならば絶対にしなかっただろうその表情に、自分が壊してしまったものを直視する。――嘘の上に嘘を積み重ね、嘘で塗り固めて嘘で塗装し嘘で修飾した夢物語を食べさせて育て上げた、この美しい虚構こいびと。この愛おしい人形ドール

……イオリ、」とタケルが伊織に手を伸ばす。少しだけ緩んでいた着物の合わせ目を引っ張って整え、伊織の顔を見て優しく微笑んだ。

我らは恋人同士だが、私の機嫌をとるためにそのように自分を安売りしてはいけない。恋人同士の間では恋の駆け引きというものも大切だし――きみが私のために仕方なく体を許すのではなく、きみが望んで、きみのために私を欲してほしいのだ」
「そういうものか……?」
「そうだとも。だからそれまでは――私はきみの誘いを甘んじて受けよう」

伊織の顎を軽く掴んでその端正な顔を覗き込む。タケルの目線に彼の意図を汲み取った伊織が、タケルの唇に己の唇でそっと触れた。いつものタケルの真似をして、伊織がタケルの舌先を軽く吸う。赤い舌先で丹念にタケルの唇を愛撫する。

くく、とタケルの喉が鳴る。それは、情欲にまみれたようにも、――己の滑稽さを嘲笑う、絶望のようにも聞こえた。






十一、

なんらかのたががはずれてしまったらしい――とはカルデア内でもっぱらの噂だった。あの宮本伊織とヤマトタケルのことだ。
「いつの間にか恋仲になってるらしい」という話を正雪が人伝いに聞いたのは噂が出始めてからそこそこ後のことで、どうしてそういう話になったのかといえば、目撃情報があったからだった。

こそこそと、一応隠れてはいるものの―― 人目が完全にないとは言い切れないような通路の裏や物陰で、愛らしさよりも艶っぽさが先立つような煽情的な口づけを交わしているのを見た、という話が複数あったのだ。

正直――まあ、正雪とてショックでないと言えば嘘になる。――が、今となってみれば自分があの宮本伊織に抱いていた感情の正体などわからずじまいだし――あの夜のあの純白の望月の記憶は、今の自分の霊基にもしっかりと刻み込まれている。宮本伊織に特別な感情を今でも抱いていない、といえばこれもまた真っ赤な嘘になるが、だからといってあのふたりが恋仲になったからといって「まったく祝福できない」という自分でもないことに、正雪自身安堵したりなどもしていた。

――まあ、人前でそういうことをするのは、本当にどうかと思うのだが。



だから、そう――たまたま廊下で伊織とすれ違ったときにかけた言葉は、ちょっとした祝福と、ちょっとした苦言と、――ほんの少しの、おもちゃの針の先でちくりといたずらに突つくような、後腐れのない、これっきりの、ほんの他愛のない可愛らしい意趣返し、のつもりだった。

「貴殿ら、恋仲になったそうだな。私の方まで漏れ聞こえてきた。――まずは『おめでとう』、と言わせてもらおう」

にこやかに言い、礼儀として軽く頭を下げる。それから、やや目を逸らしながらもぼそりと早口で、友人として告げねばならぬことを告げた。

「とはいえ――あまりその……人目のあるところではそういうのはよくないとは思うぞ、私は」
「ああ、かたじけない」

苦言は耳に届いていなかったのかなんなのか、けろりとあっけなく礼だけを述べた伊織が言った。

「だが、『恋仲になった』というよりは『元に戻った』という方が正しい。俺とセイバーは以前から――かつての江戸においても恋仲だった。その関係が元に戻っただけだ」
「? ――うん?」

きょとん、と正雪が伊織を見る。やがて、「それは――誰かが貴殿にそう言ったのか?」と、純粋な疑問を口にした。

「貴殿らが恋仲だった――とは。それは――それは、そんな筈はない……と、思う。私の知る限り――いや」

記憶を必死に手繰り寄せるように正雪が真剣な顔で宙を見つめる。そして、眉根を寄せたまま、ひどく胸を痛めた口調で言った。

「やはり――思い返してみても、そんな筈はないと思う。私だけでなく、当時を知る者誰に訊いたとしても、皆同じように答えるだろう。
――記憶のない貴殿に、誰かがそう言ったのか? 貴殿の弱みにつけこんで利用したようで、あまり趣味のよい所業とは言えぬ――

カタン、と伊織の背後で音がする。伊織の肩越しに、正雪が見遣る。



――まるで亡霊のように蒼褪めたタケルが、そこに立っていた。



伊織が、ゆっくりと体ごと振り返る。タケルを見据えたまま、「なんだ、」と平坦な口調で言った。






「なんだ。――全部嘘だったのか」