井見
2020-02-12 04:19:14
32311文字
Public ロックマンX・ゼロ二次
 

【再録】さよならの星

ロクゼロの本にした小話集です
ゼロとエックスが話したり話さなかったりする小話集です。 ゼロがいないときはハルピュイアやファントム、あとなぜかダイナモがエックスとお話しします。


冥冥の裡

 つるりとした手触りが、ひどく懐かしいものに感じた。ずっと昔、水に浸かる前、何度も見つめ、何度も触れたものなのだろうと思った。それでも、この水晶がこんなに手のひらで包めるほどに小さかったことも 、こんなに透き通っていたことも知らなかった。
 水晶はもう、ただ周りの光を反射することしかしない。まるで見る者にその役目を終えたことを知らしめているようだ。身を包む青色に一つ、暗闇でもなお赤色に輝いていたそれは、今となっては月の光にただ照らされて、辛うじてきらめくだけだった。その向こう側の景色を、少し歪に映すだけだった。
 そうしてもう一度、壊れてしまいそうなほど、きらめきをそっと握りしめた。軋む音にふと、このまま手の中で壊れてしまえばいいとも思った。しかしそれよりずっと、願いを叶えてやりたかったから、できる限り大きく振りかぶってそれを手放した。水晶は皮肉なほど理想的な光の弧を描いて、視界から消えた。それから少し遅れて、ぽちゃり、と小さな水の音が聞こえた。

 暗闇に眠る青い海を、それは一瞬だけ揺り動かして、そして共に眠った。 


***


 轟音の鳴り響いていた戦いの跡には、今や何事もなかったかのように、日の光が静かに落ちていた。ここネオ・アルカディア最深部、ユグドラシルに通信は入らない。そして誰もが去ってしまった今、ゼロは久しぶりにひとりきりになった気がした。このわずかな孤独の中にゆるやかに木霊する、瓦礫のゆっくりと崩れゆく音が、彼には何故か懐かしく思えた。
 彼の友であるエックスのたった一つの身体は、その身を繋いでいた大きな装置と一緒に眩しいほどの爆発を起こして大破した。あの紛い物とやらも同じように爆ぜていたな、と、目の前の残骸から逃げるように、ゼロの思考は揺れる。守るべきものは壊され、追うべきものには逃げられた。この場所にはこれ以上彼にとって何も用などなかった。ならばすぐに帰還するべきだとわかっているはずなのだが、エックスが去り際に残した言葉が、その場から離れることを躊躇わせた。

『どうか、キミが眠らせてくれないか』

 果たして何を。ゼロにはわからなかった。彼は戦闘以外の思考は苦手だった。しかし何もしないわけにもいくまいと、どうすべきなのかはわからないまま、一歩、また一歩と、壊れた装置の空洞に向かって、ゼロはゆっくりと近づいた。そこは今しがたまで、エックスの身体が封印されていた場所だ。
 大きく壊れたそれは、まるで物語の中の朽ちた大樹の「うろ」のようでもあり、かつてゼロが眠っていた廃墟のようでもあった。ここにエックスが眠っていたということが、彼には信じられないような心地すらした。その「うろ」から溢れる、ねっとりと貼り付く液体でできた水溜まりを、ゼロは気にする素振りもなく踏みしめて進む。ばしゃりと響きわたるこの静寂に似つかわしくない騒音を、咎める者などいなかった。
 やがてゼロは、恐る恐る、いや、自分でも腑に落ちないといった様子で、その「うろ」を覗いた。空から降り注ぐ日光が、優しく「うろ」の中を照らしていた。そこに残っているものは、無残に千切られた配線だけであるはずだったが、「うろ」を満たすどろりと濁った液体の中に、きらりと光る何かを彼は見咎めた。
 そうして彼は迷わず、その液体の中に腕を沈めた。なぜかほんのりとぬるかった。それは彼が人間に触れたときに感じたぬるさのようで、その生温かさがここにあることが、ひどく異様で、気味悪くも思えた。彼の頭の中で、これは違う、と叫ぶ彼自身の声が聞こえる。何が違うのかはわからなかった。
 それからようやく液体から助け出されたものは、手のひらにちょうど収まるくらいの透明な破片だった。この大樹のものではないことは質感で理解した。それにどこか雫にも似た特徴的な形と、透き通る光に見覚えがあった。そうだ。遠い昔よく見ていたもので、そして最近も度々目にするものだ。「エックス」の額を彩る、赤い光。
 水晶のようなその部品は、爆発の衝撃か大きく亀裂が入っていて、強く握るだけで簡単に粉々にできそうなほどに脆かった。その脆さは、かつての彼とは似ても似つかないだろうと思った。それでも、この破片は友の残した身体の唯一の破片だった。他の全ては、光と塵になってしまったのだから。
ああ、これだ。
ゼロは直感した。眠らせるべきはこれだ。エックスの最後の身体。
傾き始めている日の光は、ゼロの身体に遮られ、かけらに影を落としていた。

***

 失ってしまった記憶を、取り戻したい。
 そういう思いが無い、と言えば、嘘になるだろう。
たびたびゼロは既視感のようなものを感じることがあった。それはベース内を歩いている時であったり、武器の確認をしている時であったり、ふとした瞬間のことだった。その既視感めいたものが、ただの既視感なのか、本当にあった記憶の発露なのかはわからない。しかしその度、何か思い出せるのではないかとほんの少しだけ期待しては、いつも同じだけ落胆した。
 特に海だ。海を見ると、彼の記憶は強く揺さぶられるようだった。そのため任務の間などにわずかな余暇が与えられると、決まって彼は海を眺めた。新しいレジスタンスベースは海が近い。少し歩けば、彼を待つ海にすぐ会えるのだ。しかし何度見つめても、彼が感じられるのは、泡を掴もうとするような、波を掬おうとするような、そんなもどかしさだけだった。
 海が日の光にきらきらと照らされている、その様子には確かに覚えがある。かつての自分は本当にただ海を眺めていただけなのだろうかと、ゼロは自問する。いや、それだけではない。それだけではないとはわかるのに、思い出せることは何もなかった。きっと、何かが足りないのだ。だからきっと、何度一人でこうしても意味はないのだろうと、心のどこかでわかっていた。それでも彼は、海を眺めた。
 その癖が抜けず、ゼロはエックスの額のクリスタルのかけらを手にしたまま、また海を訪れていた。他のどこに行くべきなのかも、彼はわからなかった。ゼロが知るのは、レジスタンスベースと、戦場と、そしてこの海だけだった。ベースには戻れない。エックスから託されたものは、まだ終わっていないからだ。戦場には行けない。戦場は、眠る場所ではないからだ。だから、ここへ来た。
 そんなゼロの考えなど知ることもなく、海はいつもと変わらず、打ち寄せては返しを繰り返していた。それにゼロは安堵を覚えた。目覚めてからというもの、目まぐるしく変わっていく世界の中で、空と海はいつだって同じような表情をしている。その不変が、失ってしまったという過去の延長にこの世界があるのだということを、肯定してくれているように思えるのだ。
 目覚めてからずっと、どこか夢心地な、ふわふわとした感覚がどうしようもなく付き纏っていた。

 エックスが隣からいなくなってしまった世界を、ゼロは知らなかった。 


 そうして訪れた海は、沈んでしまった日の光の代わりに、欠けた月の光にゆっくりと照らされていた。岸から海へと吹く風が髪を逆撫で、濡れた砂の上につけられた足跡を、波は少しずつ消していく。
そういえば、とゼロは気づく。夜にここへ来たことはなかった。またわずかな期待を込めて、意識の奥に思考を集中させる。それでも、いや、やはり、思い出せることは何もなかった。月の光はきっと優しすぎるのだ。何故か、それを知っていた。
 諦めて、視線を目の前に広がるそれへと向ければ、底など元から存在しないとでも言うように、終わりの見えない深い青色が揺れているのがわかる。その青色に向かって、ゼロは手の中のものを放り投げた。こうするべきだと、最初からわかっていたかのように。
 投げられた破片は、するすると弧を描いて、青色と一つになった。衝撃で飛び上がった水の粒は、少し離れた水面に着地して、何事も無かったかのようにまた海の一部になる。それからもう、どこにそれがとけてしまったのか、夜の海は教えてはくれなかった。
「エックス……
 これでいいのか? と問おうにも、ここにその友はいない。
 これでいいのだと、信じるしかなかった。

 時折現れる電子の身体を纏った「エックス」は、彼にとってエックスに違いなかった。物質の身体を持っているか否かなど、彼にとって些細な問題でしかない。記憶が零れてしまっていても、残った彼の心がそうだと思ったのなら、あの「エックス」はエックスだった。
しかしエックスは、これで今確かに、完全に身体を失ったのだ。揺るがしようのないその事実は、自分が記憶を失っていることよりも重くのしかかるようだった。夢想しないはずの「もしかしたら」が、今完全に失われたのだから。

 目を瞑った。月の光すら眩しく思えた。するとどこか遠くから、眠る人には挨拶するのよ、と少女の声が聞こえた気がした。
 だから言うべきだと思った。エックスに。エックスの身体に。

「────おやすみ、エックス」 


***


『どうか、キミが眠らせてくれないか』
 意味がわからないといった顔をするキミを見て、何もかも変わってしまったけれど、やっぱり変わらないなと思った。
 わからなくていいんだ。だって、ボクもわからない。
『ゼロ』
 引き留めようとするキミの手を、声を、置いてきぼりにして、電脳の中へと沈む。
そうさ。ボクも、わからないんだ。
 キミの時間を、ほんの少しだけ。ボクにくれたら、それでいい。

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