井見
2020-02-12 04:19:14
32311文字
Public ロックマンX・ゼロ二次
 

【再録】さよならの星

ロクゼロの本にした小話集です
ゼロとエックスが話したり話さなかったりする小話集です。 ゼロがいないときはハルピュイアやファントム、あとなぜかダイナモがエックスとお話しします。


夕闇に火傷

 血染めのように紅く、日の暮れる時がある。
 そしてそんな夕暮れには必ず、空がよく望めるバルコニーから何かが微かに聴こえてくる。
 それは簡単に言ってしまえば音。しかし耳を澄ませていると、意味のある言葉が繋がっていることに気づく。独り言を零しているような、それでいて誰かに話しかけているような不思議な配列は、今までに聴いたことのないものだった。
 空が燃えるたびに繰り返されるそれを誰が発しているのかは、確かめるまでもなくわかっていた。忠誠を捧げ、我が身を捧げると誓った方は唯一人であり、かのお声を聴きまごうはずもない。ないのだが、それでも何故か妙に気にかかった。あのまま外にいらっしゃってはお身体にも悪かろうしと、誰にするでもない言い訳を抱えて、ついにその戸を叩く。
 流れていた音が止んだ。ああやはり、思った通りだ。口は形を作るだけで、そこに音は伴わなかった。
「おや、ハルピュイアかい? お入り」
 名乗るまでもなく気づかれていたことに驚きつつも、失礼しますとようやく答え、かの私室に足を踏み入れた。この部屋に入るのもいつぶりだろうか。
 バルコニーの外から吹き込むぬるい風が、エックスが身に纏っている法衣のような青いローブをはためかせた。ネオ・アルカディアは、天候調整によりどんな時も程よい温度の空気に包まれている。
「休憩中のところ、お邪魔して申し訳ありません」
「構わないさ、最近はいつだって休憩中のようなものだもの。キミたちのおかげだね」
 事実だった。エックスの遺伝子を元に作られた四機、いわゆる四天王が起動して少ししてから、エックスは実質的な業務をほとんど彼らに一任していた。彼がすることと言えば、まれに人間向けの会議の代表を務め、祝祭に捧ぐ言葉を述べるくらいだ。それを知るのは四天王をはじめとする一部の幹部だけだった。
 表向きな理由としては、いつエックスが完全に故障しても行政に影響が出ないようにするためである。しかし、『本当はちょっと疲れてしまったんだ』と主が一度だけ小さく呟いていたのを、ハルピュイアは忘れたことがない。
 そのことを思い出して、ハルピュイアはまた胸の詰まるような心地で言葉を返した。
有り難う、ございます。
 それにしても何故、わたしとお分かりになったのですか」
「自分の子のことくらい、わかるさ」
 声の主は、夕陽に照らされながら、得意げにふふっと笑う。久しぶりにこの方が微笑むのを間近で見たと、子は眩しそうに目を細めた。
 誰かが四天王を「エックスのこどもたち」と表現してから、エックスは稀に彼らをそう呼ぶことがあった。例え同じDNA を使っているとはいえ、生き物とは違ってレプリロイドには明確な親子関係は無いため、エックスのちょっとした冗談じみたものであることは彼ら自身理解していた。
それでも子と言われることは、どこか恥ずかしくも、じんわりと嬉しかった。ただ仕えているということ以上の、歓びのようなものを感じた。それが例え、形だけの言葉だとしても。
「さて……キミはボクに何か用があったのだろう?何でも言ってごらんよ。
 ここにはボクとキミだけだ。いつ以来かな。せっかくだし、二人だけでゆっくり話そう」
 そう言って、バルコニーのベンチに腰掛けたエックスは、ぽんぽんと隣を叩いた。ここに座れというサインなのだろう、ハルピュイアはおずおずと従った。
 彼は、隣に座るエックスの透きとおるような瞳を見つめた。海のような色をしたそれは、同じようにハルピュイアの春色の瞳を見つめ返した。そうしていると、いつ壊れてもおかしくないお身体で無理はしないでほしいとか、何か我々に至らない点はないだろうかとか、ハルピュイアの心の中にあった言葉は吹き飛んでしまった。どの代わりなのか、彼が今しがたまでずっと考えていた一つの疑問が口からついと零れた。
「エックス様は、今日のような日の入りに、いつもどなたとお会いしているのですか?
 階下にいると、エックス様がお話しになっているようなお声が聴こえてきます。微かですが……
 尋ねるつもりは、なかったはずなのに。
「ああ、聴こえていたのか。キミは耳がいいなぁ。少し恥ずかしいね」
 照れ臭そうに、エックスは緑碧の瞳を揺らす。
「誰かと会っていたわけじゃないんだ。あれはね、『歌』を歌っていたんだよ」
「『ウタ』、ですか?初めて伺う言葉です」
「音に言葉をのせて、紡ぐ。それが『歌』さ。
 といっても、不必要だとかで昔からレプリロイドたちにその機能は搭載されていないらしいけれどね。最近は公の場では人間もめっきり歌を歌わないようだし……
……エックス様も、レプリロイドですよね?」
 困ったように、それでも楽しそうに、青い機体は顔を綻ばせる。悪戯の見つかった、小さな子供のような表情だった。
「ボクを作った人はなかなか物好きだったようでね、どうやらできてしまうんだ。戦うためのレプリロイドなのにね?
 せっかくだから、ありがたく使わせてもらっているというわけさ」
 戦うためのレプリロイド。もちろん今のネオ・アルカディアにも戦士はいるし、四天王たちも戦うことを想定している。しかしそれは皆護衛のための力であり、戦闘が予測されてから武器を持つ。しかしエックスの腕はいつ何時も、誰かを支える腕であり、誰かを屠る銃器だった。どんな時でも戦うことができるのだ。遠い昔はそのようなレプリロイドが多かったというが、ネオ・アルカディアの治める今となってはもう、それはエックスだけだった。その彼だけが、歌を歌うことができる。人間のように。
 敵を殲滅することを強いられながら、人間らしい心を持たされている。ひどい皮肉だとハルピュイアは感じた。だがその一言で片付けてしまうには、あまりにも何かが足りない。しかしそれが何なのか、ハルピュイアにはまだわからなかった。
 ただ思った。せめて、もう一度──。
「え……?」
 驚いたようなエックスの声を聞いて、瞬く間にハルピュイアは青ざめ、すぐさま彼の電子の頭脳は状況を理解した。
 どうやらまた零れてしまったようだ。気がつくや否や反射的に口を手で塞ぐも、放ってしまった言葉は仕舞えなかった。普段であれば言わない、言えないはずのことが、ここでは蝶のように唇から羽ばたいていく。
 この方の隣では、そしてこうして照らされていると、なぜだか自分に誤魔化しはできないようだった。
 ハルピュイアは急いで取り消しの言葉を続けた。
「申し訳ありません、失言でした。我が儘を……。どうかお忘れください……!」
 きっと困らせてしまったに違いないと、彼は恐る恐るエックスの方を窺う。しかし当のエックスは、微笑みを輝かせていた。
「わがまま! キミのわがままをきくなんて、これこそいつ以来かな?」
 ハルピュイアの翡翠の瞳を、エックスの海の瞳が覗き込む。
「キミもボクもひとりきりしかいないのだから、もっと言ってくれていいんだよ。キミは特に、一人で抱え込みがちだものね。そんなところまでボクに似てしまって……
 そのままじっと見つめながら、エックスは彼の揺らぐ瞳の縁を優しくなぞった。
 この方は、どこまでも優しい。その優しさに、今日だけは、甘えても許されるだろうか。

……もう一度、聴かせてはいただけないでしょうか。エックス様の、うたを」
 ハルピュイアは、どうにか声を絞り出した。とても小さな声だった。
「ふふ……もちろん、いいとも。でも人に聴かせるなんて滅多にないから、多分あまりよくはないと思うけど……ごめんね」
すっくとエックスは立ち上がって、夕焼けを背にハルピュイアと向かい合った。

 それじゃあ、数節だけ────。

 息を吸う音が静寂を破る。此処ではない遠くを見つめながら、エックスは歌い始めた。目の前から響く透明な青の声が、彼を照らす紅と金の光に溶けていく。
 今日はいつもより、風が強い。

 あなたは どこまでゆくの
 ふりかえることもせずに
 かぜをわたり そらをこえて
 かがやく ほしになる
 音がすっかり辺りに響き渡ったのを確かめるようにして、エックスは口を閉じた。
「はい、おしまい。ふふ、やっぱり恥ずかしいね」
 緑の視線から逃げるように、エックスはそそくさとハルピュイアの隣に戻る。悩ましげに黙りこくる子の姿が心配になった。
「ちゃんとしたものが知りたかったら、きっと中央のライブラリとかで検索すればいろいろ……
 エックスを珍しく遮って、ハルピュイアは思いを口にした。
……これが、『歌』なのですね。とても、とっても貴方らしい
 何かを飲み込むように、ぎゅっと目をつむって、彼は続ける。
……ありがとうございます。この歌は、エックス様ご自身がお作りになったものなのですか?」
「いや、いつだったかな……ずっと昔に、どこかで覚えたような……長く生きているからね、いろいろおぼろげになってきて困るよ。
 なんだか忘れられないから、誰もいないかと思うとつい口ずさんでしまうんだ。なかなか耳に残るだろう?」
「誰もいない、夕暮れ時……その度エックス様はいつも、バルコニーにお見えになっていますね」
「うん。黄昏時はボクの一番好きな時間なんだ。よく空が見えるように、わざわざここも西向きにしてもらったくらいさ。
 朝でも夜でもない、わずかだけど永い一瞬。この時だけは、なんだかありえないことも起きてしまいそうな、不思議な時間……
 今日はとりわけ、赤く眩しいね」
 そう言ってエックスは、瞳が光に焼かれるのも気にせずに、日が落ちていくのを見つめていた。
 ハルピュイアは理解した。彼の欲しい答えは、エックスの口から得られることはないと。その本当の心の内を垣間見るには、百年以上の距離がある。例え直接問うたとしても、エックスは笑って誤魔化すのだろう。主の心は夕陽とともに、それが沈む場所へ向かっているのだとも。
 夕陽の沈む、ネオ ・アルカディアから遠い西の果て……エックスと対の英雄が今なお眠る、古の研究所に。

 早くここから、立ち去りたいと思った。

「エックス様、いくら適温とは言いましてもやはり夜は冷えますから、あまり長居はなさらないでください。寒暖の差は思うよりお体に響きます」
「そうだね、そろそろ戻ろう。久しぶりにキミと話せてよかったよ。またいつでもおいで。他のみんなも連れてくるといい。ひとりでうたた寝しているだけというのも、存外に退屈だからね」
「はい、また機会があればぜひ……今日は貴重なお時間を割いてくださって、有り難うございました。わたしも久しぶりにエックス様のお声を拝聴できて、嬉しかったです」
 にこにこと微笑んで、エックスはハルピュイアの若草色の頭をゆっくりと撫でた。
「それじゃあおやすみ、ハルピュイア。あまり無理をしてはいけないよ?」
「肝に命じておきましょう。おやすみなさい、エックス様。貴方もどうか、ご無理なさらぬよう」
 深々と礼をして、どうにかハルピュイアは退出した。時の止まったような、主の私室から。
 初めてそこに足を踏み入れた時から何も変わっていなかったのが、急に恐ろしく思えた。何もかもあの日のままだ。普段この人はここで何をしているのだろう? そんな疑問は思考の端の端へと押し込んだ。
手頃な部屋に入り、窓を開いて背中のジェットを噴射する。その風で、埃がぶわりと舞い上がる。しかし振り返ることもなく、ハルピュイアは空高くへと飛び立った。空は他の兄弟にはない、自分だけの世界。今誰かに会うわけにはいかなかった。きっとひどい顔をしているだろう。このままではレヴィアタンあたりに大笑いされてしまうなと、どこか冷めた様子の自分が見下ろしているのを他人事のように感じた。
 起動したばかりの頃、エックスに連れられて向かった研究所にて一度だけ目にした、かの英雄の姿をメモリから呼び起こす。決して目を覚ますことのない機体と、それを見つめるエックスの間には永い時間が横たわっていた。どうあがいても自分ではそれに追いつくことはできないのが、何故かたまらなく悲しく、悔しかったことまで記憶に蘇る。
 あの時のエックスの表情は二度と見ることはないだろうと思っていた。いつも優しく痛ましく微笑んでばかりだったエックスが、唯一見せた表情。怒りや憎しみ、寂しさや悲しさといった感情はとうに枯れ果て、ただひたすらに『待っている』としか形容できない表情。
 その表情で、エックスは歌っていた。
 そしてあの方がそう歌を歌うのは、誰もいない、赤々と燃える夕焼けの中で。
 何故気がつかなかったのだろう? あるいは気がつきたくなかったのか。

──あの赤い空は、真紅のボディ。
──射し込む金色の光線は、靡く黄金の髪。
──日毎に沈む夕陽が照らすのは、彼の待ち人の居場所。

 何もかも一人の男を示していた。あの人は、あのバルコニーで、あの男に会っていたのだ。記憶と幻想の中の、ゼロに。

それでも貴方は、きっとお気づきではないのでしょうね。
 
あの方は自分でも知らぬまま、彼処でひとりきりの逢瀬を続けるのだろう。例え身体が朽ちようとも、いつかあの男が目を覚ますまで。
 いつの間にか風は止み、赤かったはずの夕空には青い夜が滲み始めていた。
 空を、オレの世界のはずのこの空を、こんなにも忌々しいと思ったのは、初めてだった。

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