佐藤
Public Fate
 
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Fate



2日目

夢を見た。
二人の男が目の前で躍る。
片やファー付きの黒いコートを身に纏った男。片やバーテン服とサングラスを身につけた男。
まるで冗談のような光景だ。バーテン服の男は腕に道路標識を携え、あたかも槍か薙刀かといったふうにそれを振り回している。筋骨隆々とした体躯ならばともかく――いや、それにしても無理があるが――どちらかと言えば細身の彼は、荒々しい手捌きと修羅の如き表情でもって、もう一人の男に飛びかかる。
一方黒コートの男はというと、これもまた冗談のようにひらりひらりと軽い身のこなしで、己の命を獲らんと迫る一撃一撃を紙一重で交わしていく。ただしバーテン服とは対照的に、顔には相手を小馬鹿にするような薄笑いが浮かんでいた。

男達の声は聞こえない。自分に読唇術の心得はなく、何やらいがみ合っていることだけは一目瞭然であるがそれ以上のことは何もわからない。然るにただ淡々と、特別何か思うこともなしにその物騒な無声映画を見つめた。
不意に黒コートが翻り、こちらを向いた赤褐色の瞳と目が合うまでは。

――――愛してるよ、――――

愛しげに細められる双眸。標識が地面に叩きつけられる轟音すら無かった筈なのに、確かに届いた愛の告白。
どろりとした底無し沼を思わせるほどの熱情をおぞましいと感ずるよりも早く、男の姿は白く霞む。

――否。
…………これは、夢ではない。



三琴が籍を置く高等学校、来良学園の屋上テラスは普段から自由に出入りできるよう開放されている。天気の良い昼休みなどは特に生徒たちが昼食を持ち寄り賑わう人気のスポットだ。尤も肌寒くなってきた秋空の下ではその活気も些か衰えており、足を向ける者は稀となっている。放課後ともなれば尚の事、実際に今は人っ子一人いない。
彼らはそんな場所の中でも、更に目につきにくい茂みの陰――ひっそりと設置された古いベンチに陣取ってフェンスの向こうの景色を眺めていた。

「特にこれと言って怪しげなモノは見当たらんな」
「んー、やっぱり……?」

苦笑する三琴の隣でアンデルセンはやれやれと肩を竦めた。探索結果の芳しくないことに加えて、少女の振る舞いに違和感があったために。
家を出る前に学校へ付いてくるよう言いつけたのも、自分が授業を受けている間に校内を巡ってみてほしいと言ったのも良い。もとよりアンデルセンもそうするつもりであった。
すぐ家に帰らずこの場所で話をしようと言い出したことも、まあ、百歩譲って良しとする。人気ひとけのないことは確かであるし、仮に何か近づく気配があればすぐ霊体に移行することはできる。
勿論疑問はあったが、三琴が危険性を視野に入れていないほど浅はかにも思えない。それよりも昨夜の彼女が零した希望には――大方気が緩んだ挙げ句によんどころなく吐露してしまっただけで、ひとたび難を示されればそれきり後は見えないところに引っ込めてしまうだろうという予感があったので――できるだけ応えておきたかった。
けれど。アンデルセンの頭にはそれらの他に、どうしても引っかかることがあった。

「一応私も調べてみてはいるんだけど、どうにもそれっぽい話が出てこないんだよねえ」

三琴は物憂げに瞼を伏せつつスマホを弄んでいる。そんな彼女を腕組みしつつ横目で捉え、幼い少年の姿をした男は遠慮なく口を開く。

「取り敢えず、今日は帰ろっか」
「ひとつ訊くが」
「うん?」
「お前には友達がいないのか?」

突如飛んできた速球に、少女は一瞬で目を丸くして振り返った。それからすぐにじとりとした半眼で男を見つめる。

…………失礼だな?」
「は、否定はしないか。やはり真っ赤な嘘を吐くのは不得手と見える」
「それはまあ、そうだけどさぁ……
いや、いなくはないよ。……いなくはない、けど」
「けど?」
…………あんまり学校の外でも付き合うような子って、いない気がするな」

不満げに口を尖らせても鼻で笑い飛ばされ、釈然としない気持ちで肩を落として。
おまけにそのまま口元に手をやりながら神妙な顔つきで改めて思案してみれば、今度はなんとも憐れだと言いたげな視線。
三琴は再びアンデルセンを睨んだ。

「そこ、可哀想なものを見る目で見ないでくれないか」
「ああ、こいつは失敬。華の青春時代を送るにしてはあまりに侘しいものだと思って、ついな」
「全然失敬だと思ってないだろ……。別にいいけどさ」

小さな溜息と呆れた声音が零れる。ところが不思議とそこに嫌悪の色はない。

「付かず離れず的な、学校生活を円滑に送るのに足りる程度の交流はできてるからいいんだよ。……たぶん。一応」
「ふ。言っている側から相手に自信の無さを露呈させるくらいのあざとさがあるなら、世間話のひとつくらい容易いだろうに」
「あざと……、失礼な。狙って言ったつもりはないですけども」
「ほう? なら話は違ってくるな。ともすればコミュ障の言い訳のようにも聞こえたが、なんてことはない。つまりお前は自ら一人になることを選んでいるわけだ」
「え、」

物憂げな眼差しながらもあっさりとした台詞だった。それは決して虚勢などではなかった。
しかし呼吸をするように差し込まれた皮肉を何気なく諌めた瞬間。返す刀に彼女は思いがけず言葉を失う。

……いや、ちょっと待って。今の話から、何が」
「何だ、違ったか? 俺の見る限りお前は確かに人見知りのきらいはあれど、対人行動に特別問題があるようには見受けられん。他者の話に耳を傾け応え、打算でなく自身の汚点を認める。少なくとも人好きのしないタイプではなかろうよ。
にも関わらず校外へ出れば一人であるというのなら、お前自身が周囲にそのような距離を置いているに他ならない」

当惑する三琴を置いてけぼりに、淡々と織り出される推論。
さながら幾重にも重なった柔らかな花弁のひとつひとつを丁寧に剥がすように。
聡明な童話作家は少女の奥底に沈み固着したものを確かに捉えて掬い上げる。

「カリサワだったか、あれにしてもそうだ。無自覚なのかは知らんが、人がお前に触れたがらないのではなく、お前が必要以上に踏み込まれることを好まないのだろう。
しかし、単なる人間嫌いでもないな。興味が無いのか、はたまた過敏なのか」

そこにあるものが少なくとも絶対の拒絶ではないと彼は見た。言うなれば、ちょうど指先だけを伸ばして触れているようなものだと。
何とでもくっ付ける。いつでも離れられる。どこにでも、誰とでも。そんな具合にふらふらと漂って。
一歩違えば居ても居なくても変わらない、どっちつかずで煮え切らない――絶妙に危ういバランスの上に彼女は立っている。
それは染み付いた悪癖か。生来の性さがか。自身の望んだ姿であるのか。必要に迫られただけのものなのか。
先程の口ぶりからすれば、どうあれ在り方そのものを甘んじて受け入れてはいるのだろう。しかし未だどこか引っかかるものがある。
では、何故そのように至ったのか?
思考を更に先へと及ばせる。がちり、固く錆びついた歯車が無理やり動き出すように、ふと脳裏で今朝見たものと同じ情景イメージが再生される。
では、――――それでは。
何故そのように在りながら、何処か足を取られているのか?

……あるいは、」
「ちょっと、あの、ちょっとストップ。なんかめちゃくちゃ恥ずかしい。勘弁して」

アンデルセンが再び口を開いたまさにその時。あまりに必死な制止を受けて彼はぴたりと弁舌を止めた。
代わりに不機嫌な顔で声の主を見やれば、そこには片手の平をアンデルセンに向けてもう片方の手で自身の顔を覆い、項垂れている三琴の姿がある。
アンデルセンは眉根を寄せつつ殊更に大きく溜息を吐いた。

「つまらん。もうギブアップか」
「突然自己分析され始めた私の身にもなってくれるかな!?」
「悪いな、生憎と人間観察が得意でね。しかし何ら詮索せず綴りもしない作家など燃えないゴミも同然だぞ?
第一、それを言うなら主人の素性もろくに明かされないまま使役されるこちらの身にもなって貰いたいものだ」
「ぐ、…………それは、そうだな、ごめん」

悪びれる様子のない彼に対し噛み付いてみせるも、倍以上になって返ってきた文句に三琴は言葉を詰まらせ罰の悪そうな顔をする。

「わかった、わかったから帰ろう。帰ったら今日こそはお話する。いいね?」
「ああ是非とも、楽しみにしておくとしよう。何しろ二日もお預けにされているからな」
「ハードルを上げないでほしい頼むから……

わざとらしい挑発めいた揶揄をげんなりと弱気に非難して腰を上げると、アンデルセンの姿はふっと光の粒子に消えた。
けれど居なくなってしまったわけではないのだろうな、と三琴は横目で虚空となったその場を眺めてぼんやり考える。

「平和島、まだ残ってたのか。もう下校のチャイム鳴る時間だぞ」

不意に鼓膜を震わせた呼びかけにどきりと心臓が跳ねた。扉の開く金属音があっても良かったはずなのに、聞き漏らしたらしい。
振り返ると数メートル遠く、数時間前の授業でも顔を合わせた男性教師が立っている。

「あー、はは、先生。すみません、丁度いま帰るところで」
「ん、そうか、それは悪かった。君のことだから変な心配はしてないが、あまり遅くならないうちに帰りなさい。
暗くなるのも早くなったし、何かあったら大変だ」
「はい、……そうですね。さようなら」

頬を掻いて、へらりと笑ってみせて。ごく普通の、日常にありふれた会話を交わして。少女は緩やかに歩き出す。
――そのぎこちなさ、不自然さにそっと目を側めて。




何をどこから話せばいいのだろう。
始めれば長くなるような、やっぱりそうでもないような。
そもそも考えてみれば取るに足りない、誰だって似たような経験のひとつやふたつ覚えがあるだろう、至極つまらない日常の話。
それを紐解く意味はあるのだろうか。
わざわざそんな事をしなくても、きっと他のところに楽しい話はいくらでもある。
私にそれは用意できなくても、邪魔をしないように、雑音を混ぜないように、ただ閉口していることはできる。
それでよいのではないだろうか。そう思い続けた。
なんの悪戯か差し伸ばされた手に、応えてみてからもそれは変わらなかった。

私のすることで何かが変わるとも、変わらないとも言うことはできない。
けれど/だからこそ、それでよい。
私は私のしたいようにすればそれでよい。
いずれであろうとただ私は、――目まぐるしく流転する街にしがみつくより、他にないのだ。



「そうだな。ではまずお前にとって、カリサワがどういう存在かを聞かせてもらおうか」

コースターを二枚敷いた上に、中身の入ったガラスコップをそれぞれ置いて。椅子を引いて、席に着いて、少し姿勢を整えて。
よし、と前に向き直るなり見計らったようにアンデルセンから声がかかった。というか、実際に見計らっていたのだろう。

「どういう存在か」
「ああ、取材のようなものだと思えばいい。うっかり地雷をずけずけ踏み抜くやもしれんが、インタビュアーは図太くなければな」

さらりと雲行きの怪しげな事を宣ってきて思わずどきり……ぎくり? としたけれど、ともかくテーマを提供してもらえるのは率直に言って大変助かる。
ましてインタビューなら対話形式。あまり興味のないことを話して退屈させたりするのは避けたかったし、そういう点からすればこちらが一方的に説明するより適したかたちだ。
まあ無論、できれば地雷を踏まれるのも避けたいのだが――なんて不安と安心がまぜこぜの気持ちになったところに、インタビュアーは早速釘を差してきた。

「言っておくが、俺が聞こうとしているのはお前の話だぞ。くれぐれも他人の紹介だけして逃げおおせると思うな」
「私の、話」
「当然だろう、何をすっとぼけた顔してる。それとも昼間の続きを聞かせてほしいと?」

俺はそれでも一向に構わんぞ、と揶揄が続く。……いいや、結構です。
私は両掌を向けて遠慮の意を示し、首を小さく横に振った。二言三言余計に喋っただけでずるずると内奥を暴かれていくかの如きあの感覚がむず痒くてたまらないのもそうだが、そもそもそれは誠実ではない。話すと言ったのだから、話さねば筋が通らないというものだ。

「狩沢さんは、……そうだな。関係的には兄の高校時代の友人の、さらに友人なんだけど」

まだシャワーとドライヤーで火照ったままの顔を冷ましたくて、コップに手を伸ばした。冷蔵庫から出したばかり、氷も入れたアイスティー。
ペットボトルのものだけど口に含めばきちんとそれなりにアールグレイの香りがして、手軽だしこれも悪くない。ただ、少し渋みが強い気がする。

「たまに昨日みたいに街で会うことがあって、普段は兄の友人と他にもう二人、四人組でいるってことが多いかな。
兄の友人が私のことを知っていたものだから、そこから仲良くなって……友達っていうよりは近所のお姉さん、みたいな……
話してて楽しいと思えるひとだよ。良い人だと思う」

今はそういう気分ではないけど、ミルクティーにして飲んだほうがいいだろうか。いや、そうすると今度は風味が薄まってしまうか。
無関係なことを思案しながらコップを置いてへらりと笑ってみせれば、いくらか肩の力が抜けた。
……しまった、と思った。これではいつもと同じだ。良くない意味で。
けれど同時に、きっとこの一息も所詮は束の間のものにしかならないだろうと予感した。

「なるほど。その場限りのくだらない雑談ならいくらでもしていられるが、込み入った事情を明かせるほどの相手ではないと」
「言い方」
「はっ、否定しない時点でほとんど図星だろうに。
だが確かに少し語弊があったな。友人と称せるかどうかと、何でも明け透けに話せるかどうかは必ずしも相関しない。
ついでに言えば『むしろ、距離が近い相手だからこそ』というケースもある」

案の定、と言う暇もない。私の素性を知らないと彼は言ったが、その割にやたらと的確なところを突付いてくる。
なんてこと無く、ついでに言ったふうな口ぶりで。語る前から読めているんじゃないのかと、勘ぐらずには居られない聡さで。

「さて。それでは、あのバーテン服の男は?」

――それは細やかな息苦しさを感じるほど透明な誘導で。

…………私の、兄。平和島静雄、っていうひと」
「ほう」
……その、誤解してほしくはないんだけど。兄との仲は別に悪くないよ。悪くないと思ってる。少なくとも私は」
「ああ」
「兄のことは嫌いどころか好きな方だし……兄も何かと気遣ってくれるし」
「ああ」
「顔見た瞬間あんな反応しといてなんだけど、あれは」
「あれは?」
……………………言いにくいな」
「ああ、そうだろうな。顔に書いてある」

言いしな、アンデルセンもようやく目の前のコップを手に取った。中身は同じアイスティーだが、涼し気な眼差しが渋味に歪む気配はない。
形の良い唇はむしろ意地悪く挑発的な笑みを乗せている。けれどそれを嫌だとは思わなかった。

「マスター、俺はお前に話を聞かせろと言ったが、別に誠実であれとは言っていない。煙に巻くも真に語るも好きにするといい。なんなら語らないのも選択肢の一つだ。
もっとも俺がこう言った以上、お前がどこに転ぶかはわかりきったようなものだが」
「本当、きみ、ずるい言い方するよね」
「そうか? ありがとう」
……ああ、もう。話すよ、ちゃんと話す。
元々そのつもりだったし、ついでに聖杯の――私の願いごとも」

批判を軽くいなした彼に白旗を挙げて、――……その一言を捻り出した瞬間。
俄に胸の奥が焦げるような感覚を覚えた。泥の渦巻くような心地もした。
しかし話さなくてはならないし、そうすべきだ。できる気もする。
そう、今ならなんとか――この街に居る他の誰でもなく、この人が相手ならば、とも思えた。
逡巡を振り切って渇いた口をもう一度開く。私が逃げてしまわぬように、テーブルの下で強く拳を握る。

「まず、私が兄に対してああなるのは、そんなに前からって話じゃなくて。
私の、…………たぶん大事だった人が、兄といざこざ起こしてる最中に消えてからのこと。です」
「たぶん?」
……たぶん。で、わたしの願いはそのひとの居場所、……生きてるかどうかを、知りたい……ってだけ、なんだけど」

舌に乗せた言葉から滲み出す苦みは、つまり後ろめたさである。
それだけならまだ良かったが、言い方を考えなかったばかりに露骨な拒絶反応まで、途切れ途切れに掠れ震える呼吸として顕れる。
思いの外声を出すのが不自由に感じて私は早くも瞼を伏せたが、ひとまずこれだけ言ってしまえば、あとはなんとか押し通せる気でいた。

「生きてるかどうか、と来たか。お前の兄とそいつは殺し合いでもしていたのか?」
「ん、まあ、……そうね。そうだなあ。
元々そのひとと兄とは最初から反りが合わなかったらしくて――ああ、そのひとも兄の高校時代の同級生なんだけどね。
その頃からずっと何やかんやあって、私も旧い付き合いで」

できるだけ単純に、平坦に。口にしやすい言い回しに。だましだまし、終わるまでは。
頭の中で言い聞かせつつ、浮かぶ像に霞をかけて”そのひと”を語る。
決して良い人ではなかった。因縁のある人間はきっと兄の他にも山程いるだろうし、たぶん何があっても概ね全部自業自得だ。
だけどむしろ、『それで良い。今まで積み重ねてきたことが実を結んだ』くらいに思っていそうで――そういうところが尚更厄介で。

「だから正直、もしかしたらこのまま居るも居ないも有耶無耶にしといたほうが幸せなのかも知れないっていうか……
ぶっちゃけ人々の健全な暮らしにはおそらく居ないほうが有益な気もするっていうか……

そう言いながら、纏わりつくじめじめした陰鬱さに、はたと気がついた。
綴り続けようとすることに終始して、ぐるぐると不透明な思考を捏ね回した話の出来は当然ながらひどいもの。
行き着いたのはともすれば、ひょうしたばかりの願いを覆しかねない結論だ。
どこまでも煮え切らず、格好も覚悟もからきしついていない。聞くに堪えない代物だったろう。情けないことに。
自分で自分にほとほと呆れつつふと視線を上げると、アンデルセンは殊の外神妙な顔つきで何やら考え込んでいた。
……何か気になることでもあっただろうか。

……一応訊くぞ。そいつは男か」
「ん? うん、そうだけど」
「ああ、やはりな。――否、わかりきっていたとも。
良いじゃないか、小娘らしい、実にいたいけな悩みだ」

私は首を傾げつつ答えた。そう問われれば確かに、話の流れで要るものではなかったし言わなかったか、とだけ思って。
すると質問してきた彼がかぶりを振って、ひどくうんざりとした顔をしたものだから。
なんだか無性に可笑しい気持ちになって、つい、へらりとわらってしまった。

……やだな、そういうつもりじゃないんだけど。別に恋人同士だったわけでもないし」

可笑しさの所以をゆるゆる編んで形にしながら、それでは、と改めて考える。
それでは、どうして望むのか。きっとそうしないほうが良いと十分理解わかっていることを、なぜ認められないのか。
考えて、どろどろと頭の中であらゆる事項が乖離する。あるいはすべてが癒着する。
それから間もなく。自然とまろび出た答えに、あ、やっぱりどうしようもないなと悟り自嘲した。

「私はたぶん、あのひとがいないと――この街に居られないから」



突如、けたたましい電子音となにか硬質のものが小刻みにぶつかり合うひどい騒音が鳴った。

「っび、びっくりしたぁ……! ごめん、電話!」

大きく肩を跳ねさせた後に胸元を抑え、すっかり狼狽えた様子で三琴が慌てて机上のスマートフォンを掴む。発信者の名前は手の陰に隠れて見えなかった。
すっと画面に指を滑らせすぐさまそれを耳元に当てると、彼女は電話の向こうにむかって腰の低い態度で応対し始めた。

「もしもし? ――はい、……あー。
…………あー…………、いや、それは…………はい、いや、すいません。ごめんなさい」

しどろもどろな平謝りの姿勢。どうやら一片の言い訳すら封殺されるらしい。何やら相手にとってよほどまずいことでもしでかしたのか。
とは言っても頬を掻きながら会話ができる程度には、兄と違って恐縮する対象ではないのだろうか――
そうして暇を持て余し黙々と眺めているうち、不意にぱちりと視線が噛み合う。

「ごめん、先休んでて。コップそのままでいいから」

音声マイクの部分を押さえ、声を落としてそれだけ言うと返事も待たず三琴は席を立った。
やけに申し訳なさげに眉を下げたその表情が一昨日の晩に見たものとダブって見える。
ここが自分の家だというのに、どこか所在無げにへりくだっている顔。

「え、欲しいもの? いや、特には……
……あ、そうだ。ちょっと調べてみてほしいことがあるんですけど……ええ、はい。
…………はい。あの、それはホントすみませんて……

会話を続けながら徐に寝室へと足を運ぶ少女の後ろ姿を見送り、俺は飲みかけのアイスティーを持ち上げる。
魔力カロリーの足しにはならない、渇いた口を潤すためだけの液体。
それをわざわざ用意したということは、即ち多少なりと会話する気があったということだ。

「少し、尚早だったか」

パタン、と扉の閉まる音を聞いた後。舌打ちとともに独り言をぼやく。
――サーヴァントは夢を見ない。
より正確には、基本的に魔力さえ足りていればよいサーヴァントには飲食と同様、就寝する必要もない。よって夢を見るはずもない。
にも関わらず、視えた。ならばそれは間違いなくマスターたる彼女に刻まれた記憶だ。
少女の頼りない魔力を不用意に切り崩してはやるまいと、どうにか消費のレベルを最低限に抑えることができまいかと、馬鹿馬鹿しくも大真面目に思案していたがためか。もしくは、よほど彼女と繋がったパスが自分に馴染むというのか。
今のところ原因は皆目検討つかない。が、確かに視てしまった。

……ふん。物書きが、目の前へこれ見よがしに放り出されたネタを拾わずにおけるものかよ」

ともあれ、どうやら今回はこれでお開きとするしかないようだ。俺は長々と嘆息した。


<了>