佐藤
Public Fate
 
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Fate



0日目

その日、少女は憔悴していた。
――否。その表現は厳密には正しくない。
別段その日に限定された話ではなく、少女はこのところ常に陰鬱な気持ちで日々を送っていた。

うだるような夏の暑さも次第に影を潜めだし、新学期が始まってからもう幾日も経っている。
長い休みが明けた後というのはとかく気力を奪われるもの。
しかし、彼女が気力を喪っていたのはそんな一過性の事柄のせいではなかった。

どうかしている、と思った。
もはや頭がまともな判断能力をもって機能しているとは思えない。
そうでなければ――いくらこの街が特殊であるからといって――こんないかにも芝居がかったまじないにまで縋るなど、馬鹿げているにも程がある。
床に敷いた大きな模造紙、その上に描いたばかりの大きな魔法陣を前に、少女は正座し瞼を伏せる。
まじないを終えた後のこれを片付ける自分を想像し間抜けさに額を押さえた。
けれど仕方ない。ここまで来たらやらずに終わるほうが恥ずかしい。
……別に誰にとも見られているわけではないのだが、そうすべきだという頭があった。

ふ、とひとつ息を吐く。さながらスイッチを切り替えるように。とめどなく渦巻く思考の濁りを、このひと時だけでも掃き出さんために。
そして彼女は傍らに置いておいた手帳を手に取り、栞を挟んでおいた頁を開いた。

――……『素に銀と鉄。礎に石と契約の大公』……――

メモに書き記した呪文を目でなぞり、ゆっくりと唱える。
唱えながら、どこかその声が自分ではないような――唇が自分の思いとは別に、勝手に動いているような感覚がしていた。
意識はどこか冷めていて、滑稽な自分を俯瞰しているような気分になった。
こんなことをしてもあの人は返ってこない。
そう思っているくせに、こんな痛々しい手すさびをしないでは気を紛らわせない。
背反する思考はいつまでも管を巻いていて、どこにも行き場がないようだった。

「『――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に』」

ベランダから差し込む月明かりは穏やかで、ひどく静かな夜だった。
今この場だけが世界から切り離されたかのように。一人きりで取り残されたかのように。
ぼんやりと自分の知覚から現実味が薄められていくさなか、少女はただただ詠唱を続けた。

――『抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ』――

そうして最後の一節を詠み上げた後。
じわじわと疼き灼けるような熱を孕みだした右手の甲を見下ろすより先に、彼女は”それ”に目を奪われる。

やけに淡く青白い光の粒子。
きらきらとホタルのように輝くそれの中心に佇んだ、小さな人影。
――まるで人形のように繊細なつくりをした顔立ち、その双眸から美しい澄んだ水色が覗いた。

「サーヴァント、キャスター。ハンス・クリスチャン・アンデルセンだ」

率直に言って、彼の声と姿は不自然だった。
鼓膜を渋く震わせるバリトンボイス。見目はまさしく少年でしかないのに、成熟した大人の男のように落ち着いた響き。

「まったく、俺のようなしがないただの物書きを呼び出すとは、一体どんな奇特な輩かと思ったが。
まさかこんな小娘だとはな」

肩をすくめて皮肉めいた言葉を吐き捨て、片眉を下げてニヒルに笑う。
やがて少年は寸時瞑目し、言葉を失ったままただただ彼を見上げる少女のことを、呆れ混じりの眼差しで見下ろした。

……ふん。まあ召喚に応えた以上、こちらも一応形式には則ってやるか」

透き通った光を宿していながら、どこか憂いをも含んだ瞳に射抜かれるが如くして。

――その日、少女は運命に出会う。

「問おう。 お前が、俺のマスターか」



「ま、ますたーって」
「あん?」

開口一番、思わずひるんだ。
愛想を添える気のない応答を投げてきた少年は、怪訝な顔で小首を傾げこちらを見下ろしている。
その視線に私は息を飲み、ただただ圧倒され少年を見つめ返すばかりだった。
体躯こそ小さいものの、白くきめ細かな肌、さらりとして指通りの良さそうな髪、そして整った顔立ち。
あまりに完成された姿かたちに、以前インターネットの海を当てどなく巡っていた最中見かけた、あるいはサブカル系の友人から話し聞かされた「ドール」なる着せ替え人形を思い出す。
自分は生憎その手の話題に明るくないので実際のところは正直よくわからないのだが、ものによっては一体「お迎え」するのに数万円でははした金に過ぎないらしい。
しかし真に恐るるべきはこの「お迎え」に要る金額ではなく付帯費用。
むしろその後の追加パーツやら服やら小物やらメンテナンス用品、挙句の果てには撮影器具だとかそういったもののほうが高く付き、あまつさえ際限なく累積していくとか――
……いや、違う。今現在、そんなことに考えを及ばせている場合ではない。
閑話休題。
ともかく――見れば見るほど、まごうことなき美少年だ。
いや、だから違う、そうじゃない。そうじゃないこともないんだけどそうじゃない。何が閑話休題だ、何も進んでないじゃないか。

「おい。いつまで間抜け面を晒しているつもりだ。
お前が俺を喚んだのか、と聞いているんだが?」

ほんの少し尖った声音が飛び込んできて咄嗟に「は、はい」と答えた。どもった上に声は裏返った。死にたい。恥ずかしさでいたたまれない。穴があったら入りたい。
頭の中は更にぐちゃぐちゃになってしまい、ぐるぐると目が回るような錯覚をする。
これからどうする。いったいどうしたら。
出口が見つからないまま同じ場所を延々と行き来すれば、徐々に息苦しさが脳髄を支配していく。

……はあ。何をテンパっているのか知らんが、この通り俺は脆弱な丸腰のガキだ。さしたる脅威でもなかろうに」

嘆息一つ。少年が呆れ返った調子で零したそれがなければ、私はどうしていただろう。
そんなことを思ってしまうくらい、歪んだ世界から意識が一気に引き戻された。
彼の落とした独り言のような言葉は別段こちらを慮る類の内容ではなかった(どころか若干揶揄している気配すらした)が、そのくせ――否、だからこそ――不思議と落ち着いた。
……そうして冷静になってみれば、脆弱な丸腰のガキなどと言いつつほぼ間違いなく「人間ではないと思われるもの」のことを、どう考えてもそうとは思えないのだけれども。
だけれども、少なくとも現時点で彼にこちらへの敵意や害意は無いらしいと察することはできた。

「ええと、その。……ああ、えっと、……ええと、」
「フン、誤魔化しきれんのなら無理に平静を保とうとするな、馬鹿者。別に誰も取って食いはしない。
まあさしずめ『何をどうすればいいかもわからない』とでも言ったところか」

いつまでも黙っている訳にはいかない。そう思ってなんとか話せる言葉を見繕おうとするも思考がもつれて上手くまとまらず、手間取っているうちに少年は無愛想な顔のまま二の句を紡ぎ出した。
堂々としてあけすけな物言いが鈍重な頭にずばりと刺さって痛い。ただし、決して苦痛ではない。
何故こうも的確に言い当てるのだろうかと繁々見つめると、彼はその疑問すらも見透かしているようだった。

「そんなモノ、見れば分かる。魔術師見習いですらない一般人め。
大方遊び半分、いや、ほとんど信じていないで召喚を行なったな」

まったくいい迷惑だ、と少年は肩をすくめた。
表情こそ笑ってはいるが、それは唇にうっすらと乗っているだけのもので、こちらを揶揄するものである。
どうやらこの毒のある態度が彼のデフォルトらしい。

「とは言えお前のようなズブの素人にはお似合いの結果だろうよ。俺とてそもそも魔術師ではないからな」

意地の悪い語調で飛び出した台詞に疑問符が浮かび小首を傾げたが、少年はそれも想定内だったのか特別リアクションもなく話を続ける。

「さっき言ったろう、しがないただの物書きだと。期待されても無い袖は振れんぞ。
悔やむなら魔力の感知に長けた者なり、あるいは捜し物に関する逸話のある者なり、そういう連中を喚べばよかったものを。
――だいたい、聖杯なんていう胡散臭い代物、仮に見つけたとしてもマトモな働きをするのかあやしい。
物語のセオリーから言ってもそうだ。何であれ担い手が過ぎたものを扱おうとすると往々にしてろくなことには――
……いや、止しておくか。邪推のし過ぎは興が醒める」

「何か胸躍るようなネタが無いものかとわざわざ応じたのに、その意味がなくなっては本末転倒だ」少年はそう言ってかぶりを振り、こんこんと溢れ出す批判にひとまず切りをつけたようだった。
内容は否定的な一方でどこか納得してしまう上、やたらとテンポがよく無意識に聞き入ってしまっていたが――そこへ見る間に再び怪訝な色が覗きだして、ぎくりと肩が強張る。

……もしやお前、聖杯やサーヴァントの何たるかも知らんとは……
ああスマン、そうか、今しがた俺が自分で言ったばかりだったな。
魔術師見習いですらない一般人、できると信じられないくせに召喚を行なった大馬鹿者のド素人よ」
…………ハイ…………

半眼でこちらを見る彼に反論する余地はない。彼の言い分はどこも間違っていない。
然るに私は情けなくもひたすらに縮こまり、彼の視線から逃れるためにこうべを垂れ、意味もなく床板を見つめることしかできずにいた。
いっそ『おっしゃる通りでございます』と平伏したくなるくらい、重苦しいなにかが頭にずしりと伸し掛かる。
――次なる糾弾が、弾劾が、早く来ないだろうか。
そんなふうに思って瞼を伏せ、ひたすらに閉口したままそれらを待った。

ところが降ってきたのは長々とした大きなため息ひとつ、そして、柔らかな月明かり。

……影が動いている。
先程まで外からの光をちょうど遮るように、私を頭から覆うように伸びていた暗がりが、すとんと落ちて床に広がっている。

おそるおそる顔をあげると、少年はあぐらをかいて腕を組み、変わらず冴え渡った湖のような瞳で真っ直ぐに私を見ていた。

「仕方あるまい。いっときとは言え仕える主人がこのザマでは俺としても手に余る。
心底面倒だがこの際だ、お前のしでかしたコトがいかに愚かであるか、存分に教え聞かせてやろう」

覚悟は良いな? そう言いたげな目配せを受け、自然と首が縦に動いた。



「聖杯というのは『あらゆる願いを叶える』とされる器だ。手に入れればそれを使う権利が与えられる。サーヴァントは使い魔のようなものだと思えばいい」

聖杯はそれ自身が相応しいと見込んだ者にマスターの資格を与え、マスターが召喚儀式を行うことでサーヴァントは喚び出される。以降、マスターとサーヴァントは共に聖杯を手に入れるため協力し合うことになる。
魔術は読んで字の如く『魔力を使った術』、魔力はだいたい生命力がそれにあたる。魔術師は魔術を扱う者。召喚儀式なんてのは典型的な魔術だ。

「即ち当然それを行う者は魔術師であろうと思ったが、どうやら魔術師でなくともマスターにはなれるらしいな」

そう言った瞬間、少女の顔にやや曇りが見えた。ほんの少し揶揄するつもりで放った皮肉が存外手厳しかったらしい。
まったく神経過敏な手間のかかる女で恐れ入る。「まあ正直そのあたりの詳しい事情は俺の知るところではない。俺が把握しているのはあくまで基本的な知識のみだ」と付け足した。

「これが聖杯戦争ならば、俺以外にもサーヴァントが召喚されているはずだが――どうしたことか、そんな気配はまったくない。随分と平和主義な聖杯もあったものだ」
「と、言いますと」
「此度のルールはバトルロイヤル形式ではないらしい」

聖杯は万人に触れることが許されているわけではなく、手に入れた者にしか使う権利は与えられない。そして所有者と認められるのはたった一人と一騎だけ。つまり選ばれたマスターとサーヴァントの組が複数存在すれば当然に奪い合いとなる。ましてや聖杯戦争そのものが聖杯の顕現と起動を促す儀式である、なんてこともあるのだ。
しかし今回の聖杯から俺に与えられているルールは『ただ見つけ出す』こと。競合する相手は一切存在しない。

「ふ、命拾いしたな。何せ万能の願望器を巡る争いだ、文字通り血で血を洗うのが定番だぞ?
そんな過酷な状況下でただの一般人がよりにもよって戦闘力皆無の、物語ることしか能のない男を喚び出してみろ。いよいよ結果が見えている。最初からクライマックスというやつだ」
「ああ、それは確かに……いや、……いや、おっしゃる通りで」

もしもの悲劇を笑いながら語ってみせると少女は小さく頷きつつ相槌を打った。肩の力は幾分抜けているように見えるが、表情は依然として苦々しく恐縮したものである。不自然に否定を重ねたのはおそらく俺の台詞を謙遜として条件反射で異を唱えようとしたのと――しかしそれで話の腰を折るのは適切ではない、と即座に考え直したからだろう。ややこしい性分をしている。……俺が【人間観察】に長けていなければ、作家なんていう酔狂な存在でいなければ、その異様にへりくだった態度すら悪手になっていたかもしれぬというのに。

「まあ、『戦う相手もいないのにサーヴァントが必要なのか?』というのは些か疑問だが――
いずれにせよ、わざわざこんな大仰な手続きを踏ませるくらいだ。ともかく聖杯は『使われたがっている』んだろうさ」

よぎった憂いはすぐさま頭の外へ放り投げた。これはうっかり口を滑らせないうちに誤魔化すのが得策だ。
「使われたがっている」という言葉に首を傾げそれを復唱した少女に、重ねて言葉を掛けてやる。

「サーヴァントは英霊――概ね英雄だとか偉人だとか言われているもの、それのいわゆる劣化コピーで、あくまでも英霊そのものではない。が、だからといってそうホイホイと気軽に喚ばれるようなものでもない。
『いち人間の眷属としてそんなものを召喚せしめる程度の奇蹟を起こせる』という聖杯からの顕示でもあるのだろうな。
もっとも、俺からすれば『あらゆる願いを叶えるモノ』が『自らを使われたがっている』などと、怪しいにも程があるが」

推測の域を出ない話、といえばその通り。実際に聖杯が意思持つモノであるかは定かでない。けれども仕組みからして、使われるために鋳造され存在を得たモノであるのは確かだ。でなければ聖杯がルールを規定したり、マスター資格者といった枠組みを用意したりする意味はない。おそらく偶発的に発生した魔力炉心の類である可能性は低い――というのが現時点で俺の考えうる話の道筋ストーリーである。

……ええと、それを言うなら、なんであなたは召喚に応じた……ん、です、か?」
「それはお前、言っただろう。俺は聖杯が欲しくて召喚されたんじゃない。単なるネタ探しだ、ネタ探し」

少女は口元に手をやりながら傾げたままの首を更に反対側に傾げ、怪訝な表情で俺を見つめ問うた。ぎこちない敬語は距離感を測りかねている証だ。
……かと思えば、俺がなんの捻りもなくさらりと告げた目的は「なるほど」と拍子抜けするほどあっさりと受け入れる。
…………これには思わず『むずむずと背筋が痒くなるのを抑えて発言しているこっちの身にもなれ』と言ってやりたくなった。
なったが、俺も鬼ではない。

「ところでお前、その辛気臭いツラは元からか?」
「、え」
「まさか全く自覚がないというわけでもあるまい。覇気どころか生気すら感じられんぞ」

唐突かつ率直な質問に、見事不意を突かれたらしい少女の瞳は丸く揺れた。堅く張り付いたくだらない上辺の皮を剥がされた、俺が喚ばれてから今の今まで見た中で最も年相応のあどけない顔だ。良いぞ、それでこそいくらか見応えがある――とまでは一応言わないでおいてやる自分の温情に、またもむず痒さを覚えた。

「俺も喚ばれて早々だらだらと講釈を垂れるのには飽きてきた、ひとまずこの辺で終いだ。さっさと寝ろ」
「え、いや、でも」
「勘違いするな。魔力切れやマスターの行動不能で現界を維持できずに退去、なんて間抜けにも程があろう。
サーヴァントが現世に留まるには魔力とマスターの存在が不可欠なんだ、従ってお前には俺のために自分の身を案じてもらわねば困る」

まったく煩わしいシステムだ、と愚痴を零して肩を竦める。嘘偽りは無かった。少女に対する遠慮会釈も無くただ事実としてそう定められている事、それに対する自己の所感をそのまま語ったのみ。
そうしてゆっくり腰を上げ、ぐるりと室内を見渡す。すぐ左手の一角にはソファと背の低いテーブル、おまけにテレビで構成されたスペース。右斜め前、ちょうど少女の座っている位置から横にずれたところの壁に扉がひとつ。奥にはダイニングテーブルに椅子二脚、それからそこそこ上等そうなキッチンと二つ目の扉が、電球色の常夜灯に照らされてぼんやりと浮かび上がっている。
目の前の少女の他に人の気配はないが、一人暮らしにしては広いリビングダイニング。静かではあるが、心が落ち着くと言うよりは薄ら寒さがあった。
改めて少女を見下ろしながら、俺はほとほと呆れ返る。パッと見て小娘のわりに良い暮らしをしていそうなものを、なんだってこうも本人は縮こまり萎れかかっているのか――……否、どう見てもワケありなのだろうが。

「お前の話は明日にでも聞かせてもらうさ、名も知らぬお嬢さん。
あぁ、それとも、眠れないのなら童話の読み聞かせでもしてやろうか?」

言いながら少女の前を横切ってソファに腰掛け背を預け、腕組みしつつ少女の方に顔を向ける。少女はなにか言おうか言うまいかというふうに口をまごつかせたが、俺が目を細めるとばつが悪そうに瞼を伏せた。しかしこのままでは俺の視線が外れないと見たか、そろりと様子を伺うようにこちらを見返してくる。
胸のあたりで拳まで作って、まるでひどく大事なことを伝えるかのような仕草。しかしてその実、少女が口にしたのは他愛のない日常の挨拶だ。

「おやすみなさい、……アンデルセン、」

戸惑いを含んだ声音だが、響きは存外悪くなかった。つい吹き出そうな笑いを噛み殺しながら、「ああ、」と短く返事をする。
どうせ小娘の悩みなど、顔、身体、異性のどれかに分類されるのだ。眉唾物のまじないに縋るくらい気の弱っている女が、無理を押してまで取り組むべき火急の大事ではない。すっくと立ち上がり傍らの扉に向かう背を見送りながら、俺は眠りにつく振りをした。


<了>