今昔火群蝶

MHRウ教×ハ♀。相思相愛、婚約関係。
微妙に本編ネタバレあり。

お盆の時期を題材にしたお話。
ハンター♀母が故人設定(マイハンではありません)



楽しみなことがあればあるほど、今か今かと待ち望んでしまい、時の流れは遅く感じて。

太陽がその身を隠し、西の彼方へ沈んだ頃。

宇宙の一部を切り取ったような、澄んだ宵闇が空を染め始めた、まさに夜になろうとする時間帯。

ウツシはまるで脱兎だっとの如き勢いで「お疲れ様でしたあ!」と集会所を駆け出して行った。
ゴコクとミノトの、半分あきれたような視線を感じつつも、それは彼の足を止めるに至らず。

軽やかに慣れた手つきで翔蟲を用いて、ウツシは愛する人の住み暮らす、水車小屋へと向かった。

(愛弟子、寂しくしてないかな? 元気にしてるかな、早く会いたいなあ!)

心躍る移動の時間。
頭の中を巡るのは、ただひたすら愛する人のことばかり。

愛する人は毎年この時期になると、笑顔ながらもどこか寂しげな様子になることを、ウツシはよく知っていた。

過ぎた日々を、故人を思ってのことなのも、よく分かっていた。
自分にできることが少ないことも、分かってはいるのだが。
大切な愛弟子であり、今や彼女と愛し合う仲にもなることができた今、ウツシの中に何もしない選択肢など存在しない。

(俺は、少しでもキミの傍でキミの力になりたい。キミは、独りじゃないからね……)

自分が会いたいことも本音で、けれど。
ただ、傍にいるだけでも、力になれることがあろうと信じて。

水車小屋の前に到着したウツシが、慣れた様子で玄関の戸を叩こうとした時、その戸が開け放たれていることに気付く。

(今日は開けっ放しだな。愛弟子、閉め忘れてるのかな?)

ここは水車小屋。現在は娘が住み暮らしているが、そもそもは里の共有施設。
里の人々や茶屋のアイルーたちが、うさ団子作りに使う製粉の袋を持ち出す際に不自由がないよう、住み暮らしている彼女は戸を開けっ放しにしていることが多い。

夜になったら適宜てきぎ閉めているはずだが、今日は開けられたままだ。

ウツシが歩みを進めようとした時、ふと。
彼の目に、昨日の娘が玄関先に飾っていた精霊馬が見えて、彼は思わず足を止めた。

水車小屋の方を向いている、長い四足のキュウリの精霊馬。
それが、こてん、と横向きに倒れていた。

(あれ? 今日は別に、風もなかったはずだけど……誰か蹴っちゃったのかな?)

直しておこう、とウツシがその場に跪き、丁寧に両手でキュウリの精霊馬を立たせ、しっかり安定しているかも確認した。

キュウリの精霊馬は黄泉の御霊が現世に戻ってくる際に大切なものであり、愛する人が心を込めて作ったもの。
これ以上何かあれば、ウツシの胸も痛む。

「これで、よし……っと」

元に戻った精霊馬を見て、満足そうに笑みを浮かべた後、ウツシは静かに立ち上がる。
穏やかな様子で、開け放たれたままの玄関から小屋内の土間へと入って行った。

「愛弟子ー! お邪魔しまー、すぅっ……!?」

不自然に、ウツシが声を切って声量を絞る。

小屋の中に、娘は居た。

ルームサービスや彼女のオトモたちの姿はなく、今はここに一人のようだ。
畳の間にある飾り棚に、寄りかかった状態で畳に足を崩して座っているのだが。

彼女は目を閉じて、静かに寝息を立てていた。
表情は穏やかで、座った状態のままでも気持ち良さそうだ。

ゴトン、ゴトン、と変わらぬ水車の音が響く。
まるで家の鼓動のようなその音のおかげで、ウツシの声は消えたようだ。

今日彼女が置いたのであろうか、精霊棚の前には小さな漆器の霊具膳れいぐぜんが設置され、きちんと白米と料理が盛られている。
見るにまだ出来て間もなく、汁椀の中からは微かに湯気が立っていた。

(愛弟子、頑張ってたんだな……疲れが出ちゃったのかな?)

そうっと、ウツシは畳の間の方の上がり框に歩を進める。
彼にとって、動作音と気配を消すことは朝飯前。

足装備を外して畳の間に上がったウツシは、綺麗に畳まれて隅に置かれている布団の山から薄手の毛布を取ると、それを彼女が起きないように、そっと、肩から掛けてあげた。

(……可愛い寝顔だね……)

思わずウツシは娘の正面に気配を消して両膝をつき、その表情をまじまじと見つめた。
すう、すう、と寝息を立てる愛する人の無防備な寝顔の愛らしさが、彼には愛おしくてたまらない。

(……愛弟子。俺の大切な……愛する人)

ウツシはそっと片手で口元を覆っていた帷子を下ろし、娘の額に、そっと唇を寄せた。

触れたか触れていないか、本人にしか分からないほど優しく、曖昧に、起きないように。
けれど、独りではないということを、彼女に伝えるように。

……愛してるよ……

ぽつりとウツシが、微かに囁く。
その声が届いたのかは定かではないが、彼には娘の口角がほんの少しだけ、ニコリと上がったように見えた。

体中に、じんわりと広がるような、愛する人への愛おしさが込み上げる。
このままもう少し寝かせてあげようと、ウツシは音もなく立ち上がり、精霊棚の方へと体を向けた。

正確には精霊棚の前に置かれた、娘が用意したであろう霊具膳の様子を、気配も足音も消したままそっと見に向かう。

(立派な盆膳だなあ。えらいなあ、愛弟子)

まだ温かそうな白米の山に、味噌汁。
煮物に酢の物、香の物も揃って、綺麗に整然と並べられていた。
この料理たちを見るだけでも、娘がこの時期に、どれほどの誠意と想いを持って向き合っているかが手に取るように分かるだろう。

目を細めて納得したように頷きながら、ウツシが霊具膳から、精霊棚の方へと何となく視線を滑らせる。

お供えものの中に饅頭や大福といった和菓子が数点増えており、豪華になった以外は変わっていないようだ。

そのままウツシの視線が、石竹色の菊が飾られている花立の方に向けられた時。

花立に寄り添うように飾られた、彼のお手製タマミツネのお面の上。

……!!」

声には出さず、彼は目を見開く。

一匹の、艶やかな蝶が、そこにいた。

石竹色と薄紅色の狭間のような。
美しき幻想の色は、あの時に見たものと全く同じ。
黄泉から戻ってきたのではと感じる、蝶。

…………!」

驚きと衝撃のあまり、思わずいつもの感覚で声をあげそうになったウツシだが、ハッと片手で口元を覆った。

蝶が、逃げてしまうかもしれない。

同時に、彼は迷っていた。

愛する人を、起こすべきか否か。

この美しい蝶は、彼女の大切な母親の御霊の化身であるかもしれないし、そうでないかもしれない。
どんなに考えても、その正解を知るものは目の前にいる蝶以外にいない。

その時に、ふと、ウツシは思った。
迷いの元となっていることに、気付いた、とでも言うべきだろうか。

(……彼女を、起こす……。俺が……?)

我に返った様な心地だった。

それは自分がしても良いことなのか。
彼女がそれを望んでいるのか。

想像するしかない素性すじょうのこの蝶と、愛する人を引き会わせ、彼女は何を想うのだろう。
軽率な行動は彼女を傷つけ、寂寥を煽るだけかもしれない。

今この時に彼女が眠っているのは、そうであるべきなのだという、さながら天啓てんけいのような気もしてきてならなかった。

ミノトのくれた「縁」という言葉が、頭を巡る。

蝶は微動だにせず、ウツシの作ったタマミツネの面に止まっていた。

ウツシの目には、蝶は、眠っている娘の方を向いているように見えて。
声を上げることなく、ウツシは蝶を見守った。

(あなたは……『誰』だ……?)

心の内の声は、帰り着いた御霊たちに。
その化身の如き蝶に、届くのだろうか。

静かに、今のこの瞬間を、とても縁深く、不思議に感じているウツシの視線を浴びながら、蝶が、ふわりと浮き上がる。

ゆらゆらと、蝶はいつかのように宙を漂う。

蝶は眠れる娘に近寄ると、静かに、彼女の頭に止まった。

「!」

ウツシが小さく目を見開く。
屋内の行灯の光の中にも、神々しく射し込む様が映える、白い月明かり。

むにゃ、と眠る娘の口が動く。

………………か、あ………………!」

おかあさん。
幼子のようなその呼びかけに、答える声はなく。

代わりのように、彼女を愛する男が唇を噛み締め、今にも泣きそうな顔で見つめていた。
蝶が、ふわりと娘の頭から飛び立つ。

囲炉裏のある板の間の、外へ続く格子窓こうしまどから、月明かりの空へと舞い上がって行った。

言葉を発することができないまま、ウツシはただ、その様子を見送る。

ほどなくしてから「んん」と愛らしい赤子のような唸り声。
同時に、もぞ、と毛布が擦れる音。

……あ、れ……?」

ぽやんと掠れて、現世と夢の、あるいは黄泉の狭間に揺蕩う声。

格子窓からゆっくりと視線を移動させながら、ウツシが愛する人の方へ振り返る。

目覚めたばかりの彼女の近くへゆっくり歩み寄り、その前でまた両膝を折り畳みながら、金色の瞳に光を湛えて優しく微笑んだ。

「おはよう。……おかえり、愛弟子」
……ウ、ツシ、教官?」

ウツシの優しい声音に、娘がゆっくりと目を開くと、彼の温かな笑顔があって。
包み込んでくれるような安心感に、ふにゃりと、彼女は蕩けたように微笑む。

……おかあさんの、夢、見ました……
「うん……楽しかったかい?」
……すごく」
「それなら、良かった。おかあさんも、きっと同じ気持ちだよ」
……いなく、なっちゃった……
「そんなことない、ちゃんといるよ」

微笑みながら、言葉は簡潔に。
そんなウツシの金色の双眸の優しい煌めきを受けながら、娘が毛布ごとゆらりと動いて、ぎゅう、と正面から、まるで彼の存在を確かめるように抱きついた。

……大丈夫。一緒にいるよ……!」

優しく娘を抱き返しながら、柔らかな最愛の人の香りに包まれつつ、ウツシが彼女の背中を、頭を、何度も撫でる。

そのあまりにも穏やかな、どうか心安らかであれと願う彼の手つきが。
ただただ、温かくて、嬉しくて、幸せで。
甘えるようにウツシの首筋に頭を寄せながら「ふふふ」と嬉しそうに、娘が声を漏らす。

……毛布。ありがとうございました」
「どういたしまして。ごめんね、起こしそうだから迷ったんだけど……
「嬉しいです。……一緒にごはん食べようと思ってお待ちしてたら、寝ちゃってて……すみません……!」
「謝らないで。遅くなってごめんよ」

互いに、手は互いの肩や背中に回したまま。

ゆっくりとウツシの首筋から顔を離し、正面から向き合った娘は、彼の言葉に首を横に振って、微笑んだ。

「ごはん、まだですよね?」
「うん、仕事が終わってすぐ来たんだ。正直なところ、お腹と背中がくっつきそうだよ」

まさにタイミングを計ったように、ぐうぅ、と間の抜けた音がウツシの腹から元気に鳴り響く。
確かな生命の音は、娘の顔に更なる笑顔を灯す。

「ふふ、ほんとだ、良かった。もうお料理はできてますから! 一緒に食べましょう!」
「オトモたちは?」
「イオリくんのところで、他のオトモたちと一緒にお泊まり中です。ご遠慮なく!」
「そっか。じゃあ、お言葉に甘えて!」

ありがとう、とウツシが微笑むと、娘は心底嬉しそうに、寂寥など彼方へ霧散むさんした様子で、微笑んだ。

囲炉裏を囲んで向き合い、他愛のない話に花を咲かせる。
普遍的で、刺激的ではなく。
日常として繰り返されるような時間。

今、こうして同じ時間を、同じ食卓を囲んでいることの幸せを、娘もウツシも、笑い合いながら噛み締める。

そんな二人を眺めるように、格子窓の向こう、月明かりの夜空に蝶が舞っていた。

@acadine