のま
2024-02-11 09:49:51
29550文字
Public CPなし
 

ストラグルなしじゃ終われない

2024.2.11.灼熱感謝祭合わせで発行した奥武高校オールキャラ短編集の全文です。過去のワンドロ4本(加筆修正済み)と書き下ろし3本をまとめています。




脇役だって

 私はこの世界の脇役だ。
 トイレから出て鄙びた雑居ビルの薄汚れた床を踏みしめると、その考えがひしひしと心に迫った。
 私は主役、っていうガラじゃない。集団の中心で周りからの注目を集めるような主役ではないし、その主役の横で面白いことを言って場を盛り上げるような取り巻きでさえない。そんなこと、この十七年やそこらの人生で身に染みて分かっているし、それを嘆くことさえ今ではありきたりでダサいことだと思っている。
 でもこの頃、やけによくそのことを思い知らされる。
 パンプスのヒールで汚れたタイルを踏むたびに、こつ、こつ、という耳障りな音が鳴る。
「大学に入るんだし、私服がたくさん必要でしょ」
と言って、親が買ってくれたベージュのパンプスの先っぽは、まだピカピカとしていた。この真新しいパンプスで、今からあの綺麗とは言い難い居酒屋の床を踏んで人の輪に戻るのだと思うと、なんだかげっそりしてしまう。
居酒屋の扉は年月を感じさせる重たい茶色をしていた。無遠慮にたくさんのポスターがべたべたと張られている。
 扉の向こうは喧騒に満ちていた。
 すう、と息を吸うと、油っぽい雑多な匂いが鼻につく。思わず、扉に伸ばした手を引っ込めた。
入って右奥の小さな座敷では、サークルの新入生歓迎会、とは名ばかりの騒ぎたいだけの宴会が開かれている。
 あの宴会に戻ったって、きっと誰も私に構いはしない。先輩、と呼ばれる人たちが酔っ払っているのとか、美人だと騒がれている同級生がちやほやされているのとかを横目で見ながら、隅っこでオレンジジュースを啜るだけ。それかウーロン茶をストローでちびちびと吸う。
 所詮、脇役なんだから。
 そう考えると、あの宴席に戻る意味なんてひとつもないような気がしてくる。
 私は人気のない廊下にしゃがみ込んだ。
 天井を見上げる。むきだしの配管は今にも塗装がはげそうで、余計に気が滅入った。
 思えば、四月に入学してからずっとこんな感じだ。
「第一志望じゃなくてもいいじゃない、ここまで頑張ってきたことがいちばん大事だよ」
 滑り止めの大学に入ることになった私に、担任の先生もお母さんも、そう言ってくれた。
 けれども、私がこの大学にしか受からなかったという結果は覆しようもない。思い描いていたキャンパスライフとは異なる生活に、失望は日に日に深まるばかりだった。
 少しばかり興味のあるバンドサークルに見学に行った時も、気持ちはちっとも晴れやかにならなかった。一緒に見学に行った同じ学科の太田さんなんかは、「ギターボーカルがやりたいんだよね」と目をキラキラさせていたから、そうなんだね、と相槌を打ちながらも、彼女は主役寄りの人間なんだなあとぼんやりと思った。
 サークルの先輩とか同期と仲良くなったら、きっと楽しくなるよ!
 今日の新入生歓迎会に参加するよう、熱心に誘ってくれたのも彼女だった。
 ──仲良くなったら、ねえ。
 数日前の彼女の言葉を反芻して、ポケットからスマホを取り出す。別にやることなんてない。席に戻りたくないからとりあえずここでソシャゲでもして、気を紛らわせようかなっていう、ただそれだけ。
 膝を抱えて、親指を画面に伸ばした時、
「どうしたの? きみ、一年生だよね」
 低い声が聞こえた。
 見上げると、目の前に背が高いとも低いとも言いがたい男の人がそこにいた。黒髪で、顔はあまり特徴がなく、スポーツブランドの大きめのパーカーを身につけた、よくいる大学生といった出立ちの男の人だった。
「具合悪いの? 大丈夫?」
 その人は視線を合わせるためにしゃがみこんでくれた。顔がぐっと近寄る。私はすこし驚きながら「いえ、別に」と答えた。
「それならいいけど」
 その人は更に私の顔を覗き込む。心配げな顔をして見つめられる。
 見ず知らずの人間とは思えぬ距離に、思わずぎょっとして後ずさる。
「あの」本当に大丈夫なんで、とやんわり断ろうとすると、その人は慌てて私と距離を空けてくれた。
「あ! ごめんごめん、俺のこと知らないよね。君、さっきの新歓ライブ、来てくれてた子だな、と思って」
 覚えてる? とその人は、首を傾げた。長めの前髪がさらりと揺れたのを見て、私はふと思い出す。
「あ」
 ここに来る前、サークル棟で行われた新歓ライブを見に行った。薄暗いステージの端っこで、今と同じ角度で俯きながら前髪を揺らしていたのはたぶん、この人だ。
「もしかして……なんですけど、ベースやってました?」
 恐る恐る聞くと、彼は「そう!」と声を弾ませた。
 それから彼は簡単に自己紹介してくれた。三年生。化学科。サークルでは邦ロックのカバーバンドをやっている。
 話し過ぎでも話さなさすぎでもない、適度な情報量。私も自分の名前と学科を教えた。先輩には礼儀正しくしておこう、と思う程度の気持ちは持ち合わせていたから。つまらない自己紹介だったけど、先輩はやわらかに相槌を打ってくれた。いい人そうだな、と思った。
 でも、先輩の首筋がアルコールのためか赤く染まっていたのを発見して、ほんの少しがっかりする。私みたいな宴会を抜け出すようなひねくれた女に親切にしてくれているけれども、所詮この先輩も宴会をきちんと楽しめる、主役寄りの人なんだ、と思った。
 たぶん彼は、今日この歓迎会に私を熱心に誘ってくれた太田さんと同じ種類の人間だ。私とは違う側の人間。
 勝手に小さな失望にも似た気持ちを味わう。
 だから会話の中で、
「歓迎会、楽しめてる? 俺の机んとこ来る?」
 と聞かれた時に感じたのは、嬉しさよりも苛立ちだった。
 こういう人はみんなそうだ。いかにも親切って顔をしているけれど、その親切さが人を窮屈にさせることを知らない。
 私は、首を振って、つっけんどんに返した。
……私はあの中に入ってもしょせん脇役、っていうか目立たないし意味ないなって」
 ああいうのは主役の人たちが集まって楽しむものですよね。
 そう言うと先輩は呆気に取られた顔をした。
 さすがに失礼だったかもな、と思ったあたりで、先輩は「ああ、君、そういうタイプなんだ」と言って意外にも笑い出した。
「脇役だから楽しめないの?」
「そういうわけじゃ、ないですけど」
「でも世界は主役だけで回ってるわけじゃないよ」
「それはわかってるんですけど」
 先輩の言っていることは正しい。だからこそほんのりと頬が熱くなった。
先輩はそれ以上指摘をすることはしなかった。ただ、私の隣に座り込んで、口角をニッと上げてみせた。
「君は自分のこと脇役っていうけどさ。俺はさ、たぶん少なくとも君より二年分は脇役人生が長いよ」
 どういう意味だろうか、と考え込んでいると、先輩は、
 カバディ、ってスポーツ、知ってる?
 耳慣れない言葉を口にした。
私はさらに少し面食らった。
「名前だけ?」と小さく答えると、先輩は「そうだよね」と凪いだ声で答えた
「俺ね、高校の時カバディ部だったんだ」
 へえ、と私は答えた。それ以外、何を聞いたらいいのか分からなかったし、どうしてカバディの話が始まるのかも分からなかった。
 先輩は丁寧に教えてくれた。どんなスポーツなのか、ルールはどんなものか。話を聞いてもあまりイメージができずに時折曖昧に頷いていると、先輩はポケットに突っ込んでいたスマホを取り出して簡単な動画まで見せてくれた。どうしてこんなところで動画を見ているのか、と思わないこともないけれども、なんだかいやに熱心だったので見入ってしまった。
 画面の中では筋骨隆々とした男たちが激しくぶつかり、足を引っ張り合っていた。ほとんど格闘技みたいだ。と驚き、視線を先輩に戻す。この競技を先輩がしていた、という事実は、にわかに信じがたかった。
 こわごわと聞いてみる。
「どうしてカバディ部に入ったんですか」
「うーん、そうだな……
 先輩は動画を止めて、遠くをぼんやりと見た。
「カバディだったら、脇役じゃなくって、せめて名前のある役になれると思ったんだよ」
あんまりこの話したことないんだけどね、と前置きして、先輩は少し笑った。
 懐かしそうで、それでいて少し寂しさを含んだ笑いとともに、その話は始まった。


 ──俺はさ、元々サッカーやってたんだよね。小学生ぐらいの時から。
 地元じゃ割と強いチームで、ユースチームに入った友達とかもいてさ。小さい頃の夢はサッカー選手だったよ。
 でも、結構早くに気づいたんだよな。俺はサッカー選手には多分なれない、って。
仲いい友達が試合にスタメンで出てる中で、俺はいつもベンチだった。たまに試合も出てたけど、今思えば大体練習試合とか、勝ちが八割がた決まってる試合とか、それくらいだった。さすがに五、六年生くらいになると気づくんだよ。これって監督のお情けで出してもらってるだけだよなって。高学年になると、そろそろチームも卒業だから出してあげようみたいな空気がね、結構あるんだよ。だから試合に出してもらえてもなんだか悔しい気持ちがしてた。上手い下級生が出てる試合をベンチから見守るよりも、それを差し置いて自分が試合に出る方が情けないなってずっと思ってた。
それなのに、やっぱりスポーツはやめられなくてさ、中学もサッカー部だったよ。
まあ強いやつらは部活に入らなくてユースに流れるから、自分でもスタメン入れるんじゃないかと思った、みたいな理由もあったけどね。
でも俺、三年間ベンチだったんだよ。
それなりに頑張ったよ。ポジション変更してみたり、海外選手のプレイ見て研究してみたりさ。でも、中三の最後の大会もベンチだった。
さすがに高校は違うことを始めようと思ったよ。
カバディなんて知らなかったけど、俺をカバディ部に誘ったやつが言ってたんだ。
「競技人口も少ないんだし、日本一だって夢じゃないぜ」
「しかも初心者も多い。スタメン入りだって全然狙える。俺も教えるからさ!」
 そいつは中学からカバディを始めたらしいんだけど、選抜にも入ってて海外遠征とかもしたことあるやつでさ。夢のある話だなって思ったよ。すぐに入部を決めたし、実際初心者も多くてさ、みんなで一緒にうまくなっていけるのがすごく楽しかった。
 俺はさ、結構頑張ったよ。練習もキツかったし。二年の冬にはようやくスタメン入りもできたし、関東大会の決勝も行った。そんなデカい舞台、サッカーじゃ夢のまた夢だったからさ、なんか感動したよなあ。優勝はできなかったけど、次は絶対優勝しような、ってチームの奴らと対等に、コートの中で言える日が来るなんて思わなかった。
 でもさ、やっぱり優勝するには、初心者が多いチームじゃ無理があったんだよな。守備は連携でうまくなれる。でも、攻撃はセンスも向き不向きもある。俺達には圧倒的に攻撃力が欠けてたんだよ。
 それでキャプテンのヤツが――俺を誘ってくれたヤツがさ、三年になった時にインドからすげえ選手を呼んだんだよ。留学生として。そいつはインドでMVPを取ったこともあってさ、ほんとうに格が違うんだ。同じ人間じゃないと思ったよ。
 それで俺はスタメンから落ちたんだ。
何にでも才能、ってやっぱりあると思うんだよな。サッカーやってた時から分かってた。俺には才能なんてないって。所詮、外から見ているだけの人生なんだなって。だからスタメンから落ちて思ったのは、やっぱりな、ってことだけだった。
キャプテンはすげえ気にかけてくれたよ。チームの奴らも。でも別に俺はこんなの慣れっこだし、チームが勝てるなら別に本当によかったんだ。絶対勝とうな、って冬大会にコートでみんなと言い合えてたから、もうそれで十分だった。そこに俺がいようといまいと、どっちでもよかったんだ。勝てれば。
 だけど、最後の大会、決勝リーグは全負けだった。
 スポーツなんて結果がすべてだよ。スポーツじゃなくても、全部がそう。
 だから全負けしたのなら、俺が出ても多分、結果は一緒だった。勝ち負けがすべてじゃない。積み重ねてきた時間の方が尊い、なんてよく言うけど、俺はそうじゃないと思ってるよ。
結果が出なかった。あの舞台で主役になったあいつらだって負けた。俺がインドから来たエースに席を譲ったことにも、一個も意味がなかった。俺は結局最後まで脇役で、三年間にはなんの意味もなかった。これが全てだよ。
でも俺は思うんだよね。
たとえ負けたとしても、意味がなかったとしても、脇役だったとしても、その中で誰かが、チームの奴らが気にかけてくれてたのなら、一度でも一緒に夢が見られたのなら、そのことだけは大事にしてもいいんじゃないかって。
脇役だって不貞腐れるのは簡単だよ。でもそれで何かを見失うものがあるんだとしたら、俺はそっちの方が勝ち負けよりもよっぼど意味がないことだと思うけどね──


「まあ、勝ち負け自体は存在するからつらいよな。その点、音楽はいいよね。俺、ベースもやっぱりへたっぴだけどさ、それでも勝ちとか負けとかはないから気楽だよ」
 先輩は最後にそう言うと、宙を見つめてぼんやりと笑った。
そして、照れたような顔で頭を搔いた。
「ごめん、俺だけ話しすぎたね。飲み過ぎたのかも」
 私は首をぶんぶんと横に振った。
 初対面の人にしては随分踏み込んだ話をされたはずなのに、不思議と不快感はなかった。
 膝の上に無造作に置かれた、今はベースを弾く先輩の腕をじっと見つめる。
 まくった袖口から覗く腕に浮かび上がる葉脈のような血管と、筋張った手首と、節の目立つ、でもきれいな指を見ていると、なんだか心臓が引っかかれる気持ちがした。私が不貞腐れている間にも、ずっとずっと時を重ねてきただろうその腕を見ると、無性に恥ずかしいような気持ちになってきた。
 水でも飲みたいな、中に戻ろうか、と聞かれたので、私は素直に頷いた。
 居酒屋の扉を再び開けてくれた先輩の背中は、なんだか大きく見えた。さっきまで嫌悪していた中の喧騒も、今では大したことのないようなものに思えた。
 先輩は、そういえば、と言って、振り返った。
「さっきの話、内緒ね」
 そして、唇の前で人差し指を立てた。しーっという音付きで。その仕草はいかにもといった感じで古臭くて面白かったけれど、内緒、という言葉にほんの少し心臓が飛び跳ねる。
 私は胸を抑えて、
「どうしてですか?」
 と聞く。
どうして私にそんな話をしてくれたのか、という意味も込めて。
 先輩は少し眉をしかめた。
「あんまり高校の部活の話、したことないんだよね。だってカッコ悪いじゃん、マイナーな部活でスタメン落ちてるってさ」
 初対面の後輩に曝け出しておいて、いまだに「カッコ悪い」という価値観を持っていることがどうにもおかしくて、私は笑う。
「そっちの方がカッコ悪いですよ」
 そして、先輩の仕草を真似して、唇の前で人差し指を立てた。
彼は少し嬉しそうにして、「絶対言うなよ」とまた顔をしかめてみせてくれた。
狭い通路を抜けてゆく傾いた背中を見て、ふと思った。
 そういえば、まだ先輩の名前も聞いていなかった。
席に戻ったら、私はちゃんと後輩らしい笑みを浮かべて、先輩の名前を聞けると思う。
それから周りに聞こえないように声を顰める。そして私だけが知っているというカバディの話を聞く。練習はどんなことをするのか、とか、楽しかったのか、とか、同級生とは最近会っているのか、とか。
その時の先輩の顔を想像して、足取りが軽くなった。かつ、かつ、とヒールが軽快に居酒屋の床を打った。