のま
2024-02-11 09:49:51
29550文字
Public CPなし
 

ストラグルなしじゃ終われない

2024.2.11.灼熱感謝祭合わせで発行した奥武高校オールキャラ短編集の全文です。過去のワンドロ4本(加筆修正済み)と書き下ろし3本をまとめています。



見送る背

 急に訪れた初夏の陽気のせいで、朝だというのに体育館はむせ返るように暑かった。
 キュ、とシューズがマットと擦れる音を皮切りに、港はレイダーである後輩の霞と対峙した。
 じりじりと詰まる距離。
 足首を掴んで引き倒すか、タッチされないよう避けるか──一瞬、気の迷いが生じた隙に、Tシャツの胸元を指先がかすった。
 やられた。
 そう思った時には既に遅い。慌ててタックルするが、レイダーの足元には届かない。
 そのまま素早く帰陣される。
「クソっ」
 港は立ち上がりながら、マットに向かって吐き捨てる。
 センターラインの向こうでは、得点をしたはずの後輩が肩をびくつかせた。
「おい! 港ォ!」
 キャプテンの怒号が朝の体育館に響き渡る。コートの外で腕を組んでラインを見ていた山田が、すぐに駆け寄ってきた。
「迷うなって! お前のパワーがあればいけんだからさ、さっきみたいなときはさ──」
 身振り手振りを交えた丁寧なアドバイスが始まる。迷うな、迷うんなら倒しに行け、誰かがフォローに入るから。
 その内容はどれも港自身が分かっているようなことばかりだった。アドバイスはなかなか途切れることがない。高校最後の試合が近づいているからだろうか。
 港はうつむいて、唇を噛み締める。
大会も近いのに──しかもあんなことがあったのに──初心者の頃から変わらないミスなんて。悔しさが胸いっぱいに渦巻いた。
 山田は眉を顰め、港の肩を叩く。
「おい、聞いてるか? 港」
 港はやや乱雑にその手を振り払った。
「言われなくても分かってるよ」驚くほど不機嫌な声が出てしまった。
 山田はほんの少し目を丸める。
「あー……」そして頭を掻いた。「スマン、分かってんならそんなに言う必要なかったよな」悪かったな、と言ってコート外に戻っていった。
 ──やってしまった。
 港がそう思ったときには遅かった。
 足取りも重く、守備位置に戻る。隣の橋本が、肘のあたりを軽く小突く。
「どうしたんだよ、港。イライラしてるのか?」
「いや」額ににじんだ汗を手の甲で乱暴に拭って答えた。「……自分に苛ついただけだ」
「ああ、よくあるよな。急に暑くなったし、なんかイライラすんのはわかるよ」
 橋本は、体育館の大きな窓に目をやる。昨日までのぐずついた天気とは一変し、体育館の窓から覗く空は真っ青で雲一つなかった。港の気持ちとは裏腹に。
……悪い」
 言葉少なに謝る。橋本は前を向き直して、ぎゅ、と港の手首を握る。再びチェーンを組む。「気にすんなって。それより後で霞に謝っとけよ」
ぶっきらぼうながら後輩思いの言葉に、港は二重に情けない気持ちになった。
 次のレイドに備えながら、コートの外で仁王立ちをした男に視線をやる。
 橋本の言う通り、急激な暑さは苛立ちの元にもなるが、いつも以上にミスが悔しく自分を制御できなかったのは、たぶんそのせいではない。
 ──あいつが辞める、とか言うからだ。
 その男、山田が笛を咥えてコートに鋭い視線を飛ばす姿はあまりに普段通りだった。

 その宣言がもたらされたのは、昨日の放課後のことだった。
 ホームルームを終えた港は、体育館の扉を開く。色褪せた落ち葉のような色をした体育館の床はつるつるとよく光っている。ちーす、と後輩の挨拶が勢いよく飛んできた。
「おー港、今日は早いな」
 床の上で柔軟をしていた矢島が、手を挙げて港を迎える。
「ん、今週は掃除当番ないからな」
 そうなんだ、と矢島はゆるく相槌を打つ。その隣に腰を下ろし、港も柔軟を始めた。
 足首、ふくらはぎ、股関節、ひとつひとつの部位を確実にほぐしていく。大会も近いのだし、怪我をするわけにはいかない。なにしろ、今年こそ、と意気込んでいる大会で、二番をもらっているのだ。
 柔軟を終えるとカバディマットを敷き、簡単なアップを始める。
 いつも通りの練習の始まりだった。
 キャプテンの山田は少し遅れて体育館に入ってきた。
「数学の再試、ギリギリ引っかかってさ」
 遅れた理由もよくあったものだったので、港は何の気にも留めずアップを続けた。
 ごく平凡な放課後の練習の始まり。
 山田が練習前に放った言葉は、まるで昨日の夕飯の話でもするかのようだった。
 俺、この大会でカバディ辞めるわ。
 昨日の夕飯のハンバーグがおいしかった、くらいの軽さだったから、港は耳を疑った。
 当人の横顔はすっきりと晴れやかにさえ見えたので、「なんでだよ」という言葉が港の口を突いた。誰よりも勝つことを目標にしてきて、プロを目指している、と語っていた山田がどうして競技を辞めるという決断をしたのか、港には分からなかった。
 お前らもそうだろ、と周りを見渡す。他の三年は港と同じように困惑していたが、ヴィハーンと霞だけは違った。ヴィハーンは分かった顔で俯いていたし、霞は「僕は続ける」と言って山田を止めようとしていた。
 理由を問うた港の言葉だけが、本人から返ることなく宙に浮いたままだった。でも、それ以上問い詰めることもできなかった。そこまで踏み込んで良いものか、という気持ちもあったし、踏み込む資格があるのかさえわからなかった。
 ただ、山田の横顔だけがいやに遠かった。
 その後の練習は、誰かが違う意志を持って港の体を機械的に動かしているようだった。じゃあな、と言って、横断歩道でチームメイトと別れる時まで、自分の身体が自分のものではないようかのような心地がした。
 帰宅して、風呂につかる。
 なんだか湯がぬるい気がして、濡れた指で追い炊きのボタンをつよく押す。しばらくしてから熱い湯が足裏にあたるのを感じた。
 足先から温まっていくのと同時に、ようやくじわじわと得体の知れない感情が体の奥底からこみあげてきた。
 港はその感情の正体を考える。そしてある一つの結論にたどり着いた。
 ──俺が〝分かってるやつら〟と違うからだ。
 カバディを辞める、と言った山田に対して、港は何もできなかった。ヴィハーンのように理解を示すこともできなければ、霞のような発破のかけ方ができるわけでもない。
 高校に入って始めたカバディという競技で、それなりの体格や筋力を活かしつつ、二番という背番号をもらうくらいには練習を積んできた。それでも、中学で世界大会を経験しプロを目指している山田や、同じ経歴の霞と比べたら全然実力も経験も足りていない。
 実力と経験の差があることはよく分かっていた。でも、港としてもできることをコツコツと積み上げて三年間やってきた自負はある。カバディのカの字も知らない状態だったのに、今では山田と部の話や、カバディの話を対等にできるようになったのだから。
 それでも、辞めると宣言した山田の横顔はあまりに遠かった。
 湯はすっかり熱くなっていて、額から垂れた汗が目に入り込む。目がひどく染みる。むしゃくしゃして汗を拭っていると、
「ごはんまだでしょ、早く降りてきなさい!」
 階下から母親の叫ぶ声がした。
「分かってるよ!」
 と返したが、港自身は〝分かってない〟のだとまた知らされることになって思わず唇を噛んだ。


 相変わらず雲一つない青空を、港は教室の窓から眺める。
 夏がそろそろ始まるんだな。ぼんやりと考える。
 つい一時間ほど前の朝練での山田の横顔と、昨日の山田の横顔を頭の中で重ね合わせてみたりしたが、何も答えが出ることはない。
 段々と思考がゆるやかになり、とろとろとまぶたが落ちていく。
「それじゃあ、今日はここまで」
 英語の教師がパタリと教科書を閉じる音で、慌ててまぶたをこじ開けた。
 起立、礼、の号令に合わせて、ありがとうございました、と唇が形だけ動く。
 やけに身体が重たく、頭はぼうっとしている。港は何も書き込みのない教科書のページを閉じ、大きなため息を吐いた。
「次、生物の実験だろ、移動しようぜ」
 隣の席の河合が声をかけてきた。クラスにはカバディ部員がいないので、港はこのクラスメイトとよく一緒に行動している。ああ、と曖昧に答えると、河合は「どした、腹でも痛いのか?」と聞いてきたので黙って首を振った。
 床のエナメルバッグから教科書とノートを取り出し、移動の準備を始める。気もそぞろに、河合と連れ立って廊下に出ると、隣のクラスの男子集団と鉢合った。
 その中に、すべての原因となる男がいた。
 よう、と手を挙げるその男に対して、
「駿」
 港が男の名を呟くと、山田は
「なんか暗い顔してんな、朝練キツかったか?」と港の顔を覗き込んだ。
 普段であれば、朝練くらいじゃバテはしないな、とか、すぐに返せるのだが、今日は答えに窮した。
 山田は眉をひそめる。
そこから、ああ、と合点がいったかのように手をぽんと叩いた。
「お前、朝のことまだ気にしてんのか」
 別に俺は気にしちゃいねーよ。山田は笑って、励ますように港の肩を叩く。
 朝のことを気にしていないわけではないが、根本の原因はこの男そのものだ。
 だからといってそれを本人に直接伝えることも憚られたので、港は「まあ、そうだな。大会近いからな」と歯切れ悪く返した。
 山田は、周りに聞こえないよう小声で耳打ちした。
「港はパワーじゃうちじゃ誰にも負けねーんだからさ。自信持てよ。お前の武器だろ? ただ迷ってちゃあもったいないってだけで」
 そして胸元に、ぽん、と軽く拳が突き付けた。
「大会、期待してんぜ。頼むよ」
 山田は唇の片端を上げて不敵に笑った。
その顔は紛れもなくキャプテンとしての山田の顔だったから、港はぐっと言葉を詰まらせる。絞り出すように「……おう」とだけ答えた。
「おーい、駿、そろそろ行くぞ! 遅刻するとせんせーうるせーからな!」
 隣のクラスの集団に声をかけられた山田は、
「じゃあまた今日の部活でな」と言うと、足早に去っていた。
 まだ高い午前の日差しに照らされて、その背中が小さくなっていく。
 俺らも行くぞ、と河合が港を呼ぶ。
 しかし、港は、小さくなっていく男の背中から目を離すことはできなかった。さっき山田が触れた胸のあたりがずっしりと重たくなっていく。
 カバディ以外じゃからっきし適当で面倒くさがりの男のくせに、こういうところで山田は港には絶対できないような励まし方をやってのける。だから適当でも、港も、みんなも付いていく。
 ──でも、プレイヤーとしての駿はそれでいいんだろうか。
 廊下の曲がり角に消えていく白いシャツの背中を眺めて、こんなにもこの男のことを遠く感じたのは初めてだな、と思った。
 港は胸のあたりで拳をぎゅ、と握りしめる。固く、きつく。
 山田から頼むよ、と言われた力だけが頼りだった。それしかできることはないのだから。