「ショウメイのヒ」

エガキナマキナ
/ 見上深雪・見上透夏・ヒガン
/ Event:自戒予告



02-「衝命の火」



「創作程度?」
 男の赤い瞳が、薄暗く定まった。
 今の今までどこか怯えたように彷徨っていた視線は、僕の目を見据えて動かない。炎が見える。
「あんた今、たかだか創作程度って、そう言ったな」
 それが気に障ったのか。なんとはなしに口から飛び出した言葉だったが、確かに棘があったかもしれない。
「ああ、言ったとも。抵抗すればその分だけ罪が増えることになるのはわかっているだろ? 子供じゃないんだから」
……それでも構わねえから、ここに立ってんだろうが」
 唸るような声は、なぜかパレードの騒音に掻き消されることもなく、重く、胃に落ちるように響いた。真っ直ぐな眼差しが、その火が、なにもかもが神経を逆撫でしていく。
 頭のどこかで流れていたのは、いつかの海の映像だ。果てが見えぬほどの巨大な怪物が横たわっているような、黒々とした海。それが強風に煽られて、大きな波を生んでいく。
「罪だの罰だの知ったことかよ、それで縛られていられたんなら、俺だってまともになってたよ」
 男の、噛み締められた歯の隙間から、恨みがましい息を吐く音が聞こえた。
 無免の人間を逃がすまいと掴んでいた僕の手を、むしろ男はもう一方の手で力任せにひっつかむ。原稿用紙が地に落ちそうになって、けれどもすぐに風に拐われて、人の足元を縫うようにしながらどこかへと飛び去っていった。


 男は俺の足元をじいっと見ていた。それが許せなかった。
 あんな、あんな物言いをしておいて、よく目を逸らせたものだ。よくよそ見なんぞできたものだ。
 そんなふうにして踏みにじっていいものだと思っているのだろうか。
「あんたらみてえなエリートには、一切わかんねえだろ」
「ああ」
 何かを追いかけるようについと動いていた視線は、その後また、何事もなかったかのようにこちらへと戻ってきた。
「離してくれ。 これは注意勧告だ」
 余裕ぶった声だった。こちらを見下している声だ。見下されるのはまだいい、それには慣れている。
 しかし、こいつが馬鹿にしているのは、創作そのものだ。
 元来、人と人は分かり合えやしない。それでも。それでもーー


 突然、呼吸ができなくなった。
 瞬きをした次の瞬間、ぐらりと視界が揺らめいた。気づけば空を見て、男を見て、それから背中と後頭部が痺れるくらいに痛かった。
「ッ、けほっ……!」
 溜まっていた酸素を思い切り吐き出す。
 壁に叩きつけられたのだと気づいたのは少しの間を置いてからだ。
 身体中を駆け抜けていく痛みと、じんじんと熱を持ち始めた頭とは反比例するように、心の奥は冷えていく。
 大通りからは少し離れ、僕らは路地に足を突っ込んでいた。太陽の光が遮られて薄暗いばかりの場所で、彼の瞳だけが爛々と、暗い輝きを放っていた。
「は、……君、こんなことをするということは……
 男はこちらの胸ぐらを掴んで動こうとしない。隈のできた目元がこちらを睨みつけながら、それでも不恰好に、その口角は上げてみせた。
「ああそうだよ、わかってるよ、手ェ出したらよくねえんだろ。知ってる。先に殴ったら負けって小学校でも言うもんな。我慢しろって。でも俺はどうせ初めっから負けてるようなモンだからさ、だってこのまんまでも捕まるんだろ、なあ!!」


「そうだ。君たちの行為は間違いだ、だから……
「だからどうしろって言うんだよ。やめろって? それでやめられてたら苦労しねえんだよ」
 ぎり、と首元を捉えた指先に力が入る。
 ペンが足元に転がっていることには気づいていたけれど、それを拾う暇はなかった。
 どくどくとこめかみの辺りに血が走り続ける。熱い。脳が、心が焼けるように熱い。
 微かに鉄の匂いがした。男の血だろう。それでももう、ここで止まるわけにはいかなかった。
 喉が渇いてずっとからからだ。小説を書くときにも似た焦燥が、心臓を焦がしている。


「この苦労だって、あんたみてえなエリートにはわかんねえだろうなあ!!」
 その言葉と同時に、もう一度体が思い切り背中から壁に叩きつけられる。
 今度はわかっていたから、それほどダメージはない。
 出血を感じた。それだけだ。それ以上の感想はなかった。


「図書館に並んでる本に共感できて、良書だって薦められた本に救われて、それが素晴らしいって思えるような人間にはさあ、」
 人と人は分かり合えないと、それはごく当然のことだと、心の底から知っていて、それを信じている。
 俺の世界は俺で閉じている。誰に否定されても関係がない。
 関係がないはずだった。
 俺は、返答もないこの男にだけ叫んでいるのだろうか。


「そんな出来た人間様にどうしたってなれなかったような、俺みてえなさ、」
 赤い目がとうに、俺を見ていないことに気づいていた。いや、正確には僕のことも見ているのだろうが。
 その眼差しは遠い。感傷に浸る者の目。感情に揺り動かされる人間の目。
 自身の心に鋭敏であれ。なるほど彼は芸術家らしい。
 俺は芸術家が嫌いだ。


「俺みてえなーーあんたら曰くの誰も救えねえ作品じゃなきゃ息ができないようなさ、そんなダメ人間のことなんざ、1mm足りともわかるわけがねえんだよ!!」
 理解されたいわけではない。ただ、ただーー
 ここにいていいと、自分自身がそう思いたかっただけだ。


 肩で息をする姿が視界に入る。哀れだと思う。だから芸術なんてものはやめた方がいいのだ。
 芸術に、誰かを傷つけるリスクは大きすぎる。
「わかるはずもない。 僕と君は別人だ」


「そうだろうな、そりゃそうだ、わかったところで見逃してもくれねえんだろうしな」
 居場所をくれるのは創作だけだった。それ自体を奪われるわけにはいかなかった。
 奪おうとする全てが怖かった。嫌だった。だからこんなふうにして、デモ活動までしている。


「これが仕事で、ーーこれが正義らしいからね」
 どんな芸術にも、正義も救いもあるものか。そう思いながらも誰にも言わなかった。


 握りしめた拳が痛かった。
「ああそうかよ、それなら俺は、やっぱりずっと、間違えてんだろうな」