はりぼて自家発電所
2024-01-21 18:21:55
65045文字
Public カイオエ長編
 

軟派な彼と難攻不落 最終章








 両親に挨拶に行く話 






「次の休みはいつだ? デートに行きたい」

 突然の恋人の言葉に、オーエンはぼんやりと思考を巡らせた。

「次は明後日。その次は一週間後。どこに行くの?」
「ちょっと遠いから泊まりで行きたいんだけど」
「じゃあ来週かな。つまらないところなら行かないけど」
「つまらなくはないと思う。場所は着いてのお楽しみだ」
「へぇ、僕を満足させる自信があるの? 退屈にさせたら承知しないよ」



 ……なんて意地悪を言って遊んでやったのを思い出しながら、オーエンは既に帰りたくなっていた。その意地悪は、最近カインになんのダメージも与えられないどころか自分の首を絞めている、ということにオーエン自身気づいているのだろうか。オーエンは少し頭が弱い所があるので正直判断は出来ないとカインは思う。
 まあ、そんなところも愛おしいのだけれど。

 駅から歩いて、賑やかな商店街を突き抜け、少しだけバスに乗った先にあったのは、何の変哲もない住宅街の中にある、普通の一軒家だった。誰の家、なんて聞くまでもない。これでオーエンの知らない人間の家だと紹介されたり、家を買うつもりだなんて言い出したらカインの神経を疑うところである。

……どういうつもり?」
「言っただろ。おまえがいないと意味無い場所には、無理矢理連れていくって」
「無理矢理って言うか、詐欺じゃない? 騙したの?」
「騙してない。嘘は言ってないはずだぞ」

 つまらなくはない所、としか言ってないのだから嘘も何もない。最初から言えばオーエンが渋ると分かっていたのなら、それは騙したのと同義の筈だ。
 胡乱な目で睨みつけると、カインは笑った。

「どうせ帰り道わかんないだろ? 寄ってけよ」

 もしかして、と疑った時にはバスが住宅街に入ったところだったから、確かにオーエンは帰り方を覚えていない。
 だけど、でも、そんなことより。
 苛立ちではない、焦燥感のようなものがオーエンの心を揺らしていた。これは緊張だった。カインの両親に会う心の準備というものが、全くできていないのだ。そんなオーエンを安心させるように、カインは優しく肩を抱いてきた。オーエンは絆されてはたまらないというようにカインの手を振り払う。

「大丈夫だって。両親にはもうおまえのことは言っているし、今日来ることも知ってる」
「そういう問題じゃない」
「ごめんごめん。おまえの心の準備が整うのを待ってたら、爺さんになっちまうと思ったんだ」

 フィガロと会った時も、双子の力が働いて漸く、という感じだった。オーエンを待っていては話が一向に進まないと思うのは仕方のないことだろう。

……どう接したらいいか、分からないよ」

 オーエンは、ほとほと困り果てたように小さな弱音を吐いた。

「気にすんなって。俺の両親だぞ?」
「それ、自慢?」
「自慢っていうか、事実?」

 カインのような性格なのだろう、カインの両親は。けれどオーエンにイメージするのは難しかった。そもそも親ってなに。何をするの。カインを産んで、育てて。育てるってなに? 足に根が生えてしまったオーエンの手を、カインが掬いあげて、玄関に促す。

「ぁっ……

 ほんのり怯えた様子を見せるオーエンに、カインは眉を下げた。

「あー、やっぱりちょっと強引だったか? おーい、お袋!! 来たぞ!!」

 オーエンが引き止めるように手を握り締めて来たので、カインは作戦を変更した。会うのが怖くて動けないなら、向こうに外まで迎えに来て貰えばいいのである。

「はーい! 今行くよー」

 溌剌とした女性の、明るくて優しい声にさえ、オーエンはビクリと体を震わせた。逃げようとする前に玄関の扉が開く。

「おかえりカイン! あらまあ、その子が前言ってた恋人? えらいべっぴんさんだねぇ」
「ただいま! こいつがオーエンだ。オーエン、こっちは俺のお袋」
……っ」
「ごめんねぇ、あたしが無理言って連れて来いって頼んだの。来てくれてありがとうね」

 カインの母親がにこりと笑う。どうしていいか分からずに、それでもオーエンは俯くように小さく会釈をした。

……こんにちは」
「うふふ。こんにちは。さあ、上がって、長旅で疲れたでしょう。甘いのが好きだって聞いたから、ケーキを買っておいたんだよ。お茶にしましょう」
……ケーキがあるの?」

 ケーキの存在であっさりと心を開いた様子に、カインはどこか複雑な気持ちになりながら苦笑した。けれど心配も余所に、オーエンは借りてきた猫のように大人しかった。ソファにちょこんと座って、ケーキの箱をひたすら眺めている姿は他人の家に来た子供のようだ。
 その、珍しく静かにしているオーエンは、初めての感覚に苛まれていた。
 嫌われたくない。という感情に。
 カインに嫌われるより、彼の両親に嫌われることが、何よりも恐ろしかった。彼らに自分たちを否定されたらどうしよう。あんなにも誇らしそうに両親のことや、オーエンとのことを語ってくれていたカインが、オーエンのせいで、両親に冷たい視線を向けられたら。
 そんなこと、カインの両親に実際に会うまで、考えたこともなかった。自分がどう行動するべきなのか、なんて考える必要なんてなかった。だってオーエンの世界にはオーエンしかいなかった。カインが自分の心に入って来る時も恐ろしいとは思った。具体的に何かが起こるわけじゃない、と安心した矢先にこれだ。

「紅茶とコーヒーならどっちがいい?」
……紅茶」
「砂糖とミルクはどれくらい?」
……たくさん」
「じゃあ容器ごと置いときましょうね」
「俺も手伝う。オーエンは座ってろよ」

 カインが台所に行ってしまった。カインの母親はニコニコしながらテーブルの上にお茶の用意をしていく。オーエンは、綺麗なカップに琥珀色の液体が流れ込むのを飽きもせず眺めていた。

「どうぞ」
……

 はく、とオーエンは唇を動かした。動いただけで言葉も、声も、出なかった。何が言いたかったかも忘れてしまった。そもそも、何を言おうとしたかも分からない。

「どうしたの? 大丈夫?」

 カインの母親は、オーエンにゆったりと尋ねた。急かすような気配は一切ない。

「なん、でもない……。いただきます」

 なんとかそれだけを言って、カップの中に溢れるくらいのミルクと砂糖を入れた。「あらあらあら」と声が聞こえるが構いはしなかった。

「お袋、ケーキの皿はこれでいいか?」
「またあんた、そんな地味なやつ選んで……
「あ、じゃあこれ? 綺麗な模様の。初めて見るやつだ」
「引越してったお隣さんから頂いたの。色も素敵でしょ」
「すごくいいな。オーエンもこういうの好きだろ?」
……悪くないんじゃない」

 カインが持ってきたケーキが乗った皿には、ホイップクリームがこんもりと盛られていた。それを見て、オーエンの瞳が輝いた。

「本当に甘いものが好きなんだね、作ってた時は半信半疑だったけど。作った甲斐があったよ」
「わざわざ作ったの?」
「そうよぉ。トッピングにクリームを山ほど乗せるって聞いたからさ」
「僕はあなたになにもしてあげないのに?」
「いいのよそんなの気にしなくても! あたしがおもてなししたいだけなんだから」
「へんなの……

 言いながら、彼女もオーエンの食べ方を見て目を丸くしていた。美しい顔面にある控えめな口に、クリームたっぷりのケーキをあーん、と容赦なく突っ込んでいるのだから。しかも頬にべったりとクリームを着けて。

「あっはっはっは!!」

 びくぅっ! とオーエンの肩が跳ねた。豪快な笑い声に驚いて、フォークを取り落とす。カインの母親はそれを見てまた笑う。オーエンはオーエンで、笑う彼女を頭が可笑しくなったんじゃないか、という顔で見ている。その様子が可笑しくて、カインも笑った。オーエンだけが状況を理解出来ていなかった。

「なに、突然……
「ごめんごめん、あんまり可愛くて」
「オーエン、ついてる」
「うるさい」

 カインが笑いながら手を伸ばしてくるので、オーエンは不機嫌そうにその手を払い落として頬についたクリームを拭い、口に運んだ。
 それから、カインの母親が夕飯の支度をしている間カインとゆっくり過ごし、帰ってきた父親と初対面を果たす。警戒する猫みたいな反応をするオーエンに、夫婦は声を揃えて笑った。笑顔が溢れる空間に慣れていないのだろう、居心地悪そうにしているその肩をカインが抱き寄せる。
 この中に、おまえも含まれているのだと教えるように。





 夕飯を食べ終わるのはオーエンが一番遅かった。その間一家にじっと見られていたのだが、面倒なので気にしないことにした。「ごちそうさま」とスプーンを置くと、カインの母親が口を開いた。

「おそまつさま。ねぇオーエンちゃん、部屋はカインと同じで良いでしょ?」
……なに……その呼び方……
「あ、嫌だった? オーちゃんにする?」
……別に、なんでもいい」
「そう? オーエンちゃんもあたし達のことパパ、ママって呼んでもいいんだよ」
……

 オーエンの歳の割に幼い雰囲気に母性をくすぐられているのか、そんなことを言う彼女にオーエンは理解不能とでも言うように眉を寄せる。だけど、呼び方でごちゃごちゃ言うのもなんだか面倒そうだ。ふと見ると、父親の方もそわそわとこちらを見ている。なんだかわけが分からなくて、オーエンはその単語をそっと声に乗せた。

……パパ、ママ?」
「きゃあ! オーエンちゃんは本当に可愛いねぇ。聞いたかい、あんた!」
「ああ、カインに呼ばれたら鳥肌が立つが、オーエンくんにそう呼ばれたらなんでもしたくなっちまうな!」
「おい、鳥肌はないだろ!! 俺だって呼びたくない!」
……

 母親にぎゅうぎゅう抱きつかれ、父親に頭をぐしゃぐしゃに撫でられ、されるがまま揉みくちゃにされるオーエンを見ながら、カインはまた笑っていた。
 なにもしていないのに散々褒められたあと、もみくちゃにされた後遺症でフラフラになりながらオーエンは言われるままに風呂に入った。カインの服を着て、カインの部屋に案内されて漸くほっと息を吐く。
 見覚えのない部屋に、見覚えのないものが沢山ある。だけど、ここがカインの部屋であることは分かる。雰囲気とか、匂いとか。ベッドに勝手に座って、そのままころりと横になって、部屋の主が帰ってくるのを待つ。
 カインが戻ってくる頃には、オーエンはピクリとも動かないインテリアと化していた。

「疲れたか?」
「少し」
「ごめんな。でも、慣れて欲しいな」
「この家の雰囲気は覚えたよ」
「そっか」

 むくり、とベッドから起き上がったオーエンの隣に座って、カインは唇を近づけた。当然のように受け入れられた唇は、体温の低いオーエンにしては、少し熱かった。

「体調悪いのか?」
「どうして?」
「なんかいつもより熱い」
「疲れてるだけだよ」

 ぎゅ、と抱きしめると、力なく体を預けてくる。腕を回して背中を撫でてやると、薄い体はピクリと震えた。

……しないよ」
「あはは。オーエンの声、良く通るもんな」
「殺されたいの? なら、いつもと逆でやる?」
……出来るのか?」
「出来ないけど」

 拗ねたように尖った唇にまたキスをして、二人でベッドに横になる。オーエンはすぐに寝息を立て始めた。よっぽど疲れたのだろう。少し申し訳なく思いながらも、カインと出会った当初、全く心を許してくれなかったのを思うと、その寝顔が愛おしくて仕方がなくなってしまう。

「おやすみ、オーエン。いい夢を」

 額に口付けを落として、カインも目を閉じる。腕の中の温もりは、違和感のないものだった。










 いつものように、オーエンは小鳥の鳴き声で目が覚めた。カインの腕から抜け出して、カーテンと窓を開け放つ。身を乗り出して空を仰ぐと、オーエンに気づいた小鳥が集まってきた。手を差し出すと、指に止まる。

「こんにちは。いい朝だね。ここは空気が澄んでる」

 そうでしょう、と小鳥が自慢げに羽を広げた。至近距離でピチチと騒いでいたからか、カインが唸りながら起き上がってきた。

「なんだ……? 鳥……?」
「おはよう。よく眠ってたね」

 オーエンが鳥から意識を逸らした途端、小鳥たちは羽ばたいていった。

「オーエンこそ、よく眠れたのか?」
「さあ、どうだと思う?」

 悪戯っぽく笑うオーエンは、陽の光を浴びてキラキラと輝いているように見えた。機嫌は良さそうだ。
 そのまま顔を洗いにいったオーエンを見送って、カインは二度寝を決め込んだ。今朝は母親がホットケーキを作ると言っていたから、匂いに釣られてオーエンはキッチンを覗くだろう。カインは、両親とオーエンに仲良くなって欲しいと思っている。だから、少し様子を見ることにしたのだ。

 カインの思惑通り、オーエンはリビングを覗いていた。

「甘い匂いがする」
「あら、おはようオーエンちゃん。早起きだね」
「おはよう。何を作ってるの?」
「ホットケーキだよ。好きだって聞いたから」
「うん。好き」

 手元を興味深そうに覗き込んでくるオーエンに、彼女は微笑んだ。

「焼いてみる?」
「え?」
「作ってるとこ、興味あるのかなって思って」

 オーエンは瞬きをした。そんなこと、考えたこともなかった。だけど彼女の手元や、姿や、空気が、気になって。

「オーエンちゃんの分はあたしが作りたいから、オーエンちゃんはカインの分を焼いてくれる?」
……どうして?」
「作ったものを好きな人に食べてもらうのって、とっても楽しくて、嬉しいから」
「あなたは僕のこと好きなの?」
「ええ。だってカインの好きな人だもの」

 彼女の柔らかい微笑みから、つい目線を逸らしてしまう。心がそわそわと落ち着かない。だけど、オーエンがどうするか悩んでいる間に、彼女は生地の入ったボールとレードルを差し出してきた。
 やりたいのかやりたくないのかさえ分からなかったのに、オーエンは、それを受け取ることを迷わなかった。










 カインがリビングに顔を出すと、テーブルの上には二つのホットケーキがあった。大量の生クリームが乗っている方は明らかにオーエンのである。

「おはよう。こっちはオーエンのだろ? これ食べてもいいか?」
「おはようカイン。オーエンちゃん、こっちはいいから、一緒に食べておいで」
「ん」

 オーエンはマグカップを二つ持ってキッチンから出てくると、カインとテーブルについた。

「これ、カインの」
「ありがとう。オーエンが淹れてくれたのか?」
「そうだよ。零すなよな」
「あはは! 零さないさ」

 コーヒーを一口飲んで、「うまいな!」と絶賛するカインに「おおげさ」と冷たく言い放ちつつ、オーエンはホットケーキにナイフを入れるカインの手元をじっと見ていた。

「おいしい?」

 心做しか、オーエンの目が期待するようにキラキラしているような気がした。

「ああ、美味しいよ」
「ママ。カイン、おいしいって」
「ふふ、良かったわねぇ」

 もしかしなくとも、このホットケーキはオーエンが焼いたらしい。嬉しそうにリビングとキッチンで会話する二人は、随分仲良くなったようだった。
 カインの一言に満足したのか、オーエンも自分のホットケーキに手をつける。いつものように、ほっぺたにクリームを着けながら、いつもよりにこにこしている。かわいい。

「ママのホットケーキも美味しい」
「あら、嬉しいわ~!」

 連れてきて良かった、とカインは思った。両親のことは心配してなかったが、オーエンが両親を受け入れられるかは分からなかった。たぶん、オーエン自身もそう思っていたと思う。だから、オーエンがどんな風に生きてきたか、両親には少し話をした。その上で、今までカインを愛してくれたように、どうか彼のことを愛して欲しい、と。
 両親はカインの願いに応えてくれた。本当に感謝しかないし、流石だとも思った。こんなに簡単に、オーエンが心を開いているのなんて見たことがない。少し嫉妬してしまうくらいだ。

「片付けは俺がやるから、オーエンは部屋に戻ってろよ。服、適当にタンスから出して着ていいぞ」
「わかった」

 オーエンがリビングから出ていって、食器をキッチンに持っていくと、母親がありがとう、と笑った。

「聞いてたより全然いい子じゃない。あんたのこと話したら楽しそうにしていたよ」
「そう思って貰えたら、良かったよ。流石だな、お袋は。俺はあいつの信頼を得るのに凄く時間がかかったからさ」
「あたしは何にもしてないよ。あんたがちゃんと教えてあげたんだろ? ここは大丈夫って。カインの成長した姿が見れて、あたし達も嬉しいんだからね」

 じわり、と胸が熱くなった。少しだけ抱いていた嫉妬も、すべてどうでもよくなるほど、それは暖かくて、優しい言葉だった。










「オーエンちゃん、これ、貰ってくれない?」

 帰り際、カインの母親のあまりにも優しい顔にたじろぎながら、オーエンは差し出されたそれを受けとった。それは、カインの右目のような、カナリアの羽みたいな、日を浴びた柑橘類の皮みたいな色の、綺麗な石が嵌った指輪だった。

……
「これね、あたしが嫁いできた時に、お義母さんに貰った指輪なのよ。ここにいていいって、言われたみたいで、とっても嬉しくてね。だから、これは貴方にあげる」
……カインとずっと一緒にいる保証はないのに?」
「カインが居なくても、ここに帰ってきていいの」

 思っても見なかった言葉に、オーエンも、カインすらも驚いた。

「そりゃ、カインとずっと一緒にいてくれたら嬉しいけど……。この先何が起こるか分からないでしょう? だからせめて、貴方にこの出会いを忘れて欲しくないの」
……どうして? カインがいなかったら、僕は貴方たちとは赤の他人だよ。こんなの貰っても……困る」
「この先カインと別れるようなことがあって、それでも要らないと思ったら返しに来てくれたらいいわ。だけどね、貴方はあたし達に、息子が成長したことを教えてくれたから、とっても感謝してるの」
……成長」
「そうよ。それからね、貴方の今よりもっと成長した姿も見てみたいと思ったの。だから、またいつでもここに来て。楽しみにしているから」
……へんなの。昨日会ったばかりなのに」
「そうだね。不思議ね。でも、仕方がないわ。あなたのことが好きになってしまったんだもの。帰る家は、いくつあったっていいでしょう?」

 はく、とオーエンの唇が震えた。
 今までも、たまにこんな風に、言葉が詰まることがあった。言いたいのに、何が言いたいのか、分からなかったのだけれど、この家に来て、オーエンは学んだ。
 嬉しいことをして貰った時。嬉しい言葉を貰った時に、言う呪文。昨日と今日だけで、たくさん聞いて、漸く覚えた。

…………り、がと」

 自分には、似合わない台詞だ。必要もない台詞だと、思っていた。裏切られるのが当たり前だった。心のどこかで、カインと別れて、独りに戻る覚悟をしていた。
 ポロリ。オーエンの瞳から、涙が。唇から、嗚咽が、こぼれ落ちる。オーエンは悔しくて、涙を止めたくて、唇を噛み締めた。覚悟を粉々に砕かれて、安心したなんて、口が裂けても言えやしない。けれど、次から次へと溢れる涙は止まらない。

「あら、あらあら」

 気づいたら、オーエンは優しく抱きしめられていた。
 知らなかった、初めて知った。
 母親の、ぬくもりだった。



 夢だったんじゃないか。
 それくらい、自分にとって、異常な出来事だった。胸が変な感じがする。

「帰ろう、オーエン」

 カインがオーエンの手を強く握った。反対の手は、貰った指輪を失くすまいと無意識に拳を握りこんでいる。

 帰っておいで。

 その言葉を反芻しながら、存在を確かめるように手のひらをそっと開く。サンライトイエローの宝石が、こちらを見つめている。オーエンはカインの手を握り返した。

「ねぇ、カイン」
「なんだ?」
……ありがとう」

 カインは、太陽にも宝石にも負けないくらい、眩しい笑顔をくれた。

「どういたしまして!!」