ツキシキ
2023-07-01 22:24:00
38840文字
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★悠遠物語まとめ

3作品。二次創作。原作ネタバレ前提。


空席のロンド 3/5


 それでも、私の理解が及ばないところへ行ってしまったとしても、やはりエルは友人である。
 自分の生活もあり日毎通い詰めるような真似はできなかったが、それでも週ごとにちらりと顔を見に行くことはできた。その度、エルは私の来訪を喜び、私には見えない愛弟子へ話を振りながら、流暢に不自然な会話を続けた。

 エルの言うことを全面的に信じるのであれば、ピア嬢は王都からずっと離れたメモリルという場所の生まれらしい。どうやら彼女は元々薬剤の方に関心が高かったそうで、みなと病なる流行病を治しに故郷を出た際、エルと出会ったとのことだった。
 話を聞く限り、そのピア嬢の経歴全てが架空とも断じにくかった。どうにも話が具体的過ぎるのだ。同じ思い出を語ることがあっても揺らぎや矛盾は一切なく、即興話とはとても思い難い出来だった。


 とはいえ当然、エルとて自分の日常を全て記憶しているわけではない。言葉に淀む時もあれば、覚えてないと返されることもある。それだけなら救いもあるが、何より恐ろしいのは、そんな時にエルがふと視線を横へ移すことだった。


 ────なあ、ピアは覚えてるか。ああ、そうそう。はは、そうだったそうだった。


 一人芝居にしては上手すぎるその間といったら!
 そしてエルはそんな空会話を終えると胡乱だったはずの記憶を鮮明にして、私に応えるのだった。まるで、誰かから思い出させてもらったかのように。私は表向きに柔和な笑みを取り繕いながら、底冷えする身体を抑え込むのに必死だった。


 ここで、私はひとまずの仮定を打ち込むことにした。


 ピア嬢は、居た。
 実在の人物として存在し、エルの愛弟子として過ごした時は確かにあった。
 しかし。
 彼女はいなくなった。それは行方不明や家出といった理由ではなく、より決定的な、エルが自身の認知を歪めなければならないほどに言い訳しようのない形で。



「まったくピアは危なっかしいんだよ。なんてったって、スライム一匹倒せもしないのに魔物の巣窟に入り込むような奴なんだ」

 エル曰く、ピア嬢は魔法の素養こそあるものの魔物に対しては無知であり、時には無鉄砲な真似もしていたそうだ。エルも初めはピア嬢に戦闘訓練をしていたらしいが、ある時をきっかけにその一切を辞めたらしい。

「あー、駄目だ駄目だ、ピアは致命的に戦闘センスがねーんだ。俺のおかげで危機一髪、なんてことが片手で数えきれないくらいあるんだぜ?」

 本人は実に軽い口調で言ってのけたものだが。
 ……これがエルの引き金だったのではないかと私は睨んでいる。



 あくまで私が知りうるエルの話だが、彼は人の世話を見ると言っておいて半端に投げ出すような人柄ではない。子ども好きで世話好きなのもその証拠、まして愛弟子とくれば、どれだけ不得手であろうと最低限の訓練はやり遂げるだろう。そのうえピア嬢は自身を顧みないほどの行動力を持つと言う。それならなおさら、自分の身は自分で守れるようになるまでしごきあげるはずだ。

 それが、投げ出されたということは。
 危機一髪が手遅れになった事態が起こったのではないだろうか。


 エルはピア嬢という愛弟子を喪った。
 ゆえに、精神を病んでしまった。


 できの悪い小説か、はたまたありがちな悲劇か? 
 これらはあくまで仮定でしかない。だが、それを直接エルに確かめる勇気は無かった。それを尋ねればきっとエルはまた木偶人形になり変わってしまう。あの、途方もなく虚ろなエルと再び相見えたとして、私は彼の友人だと胸を張って言える自信は、情けないことにそう大きくなかった。それほどまでにあの時の彼の変わりようは他者を拒絶するものだった。



 それでも。
 それでも、ピア嬢の不在という一点さえ除けば、彼は私のよく知る彼なのだ。それがいっそう不気味さを際立たせていた。


◇◇◇


 間接的ながら様々なことを試してみた。気休めと知りながら精神安定のハーブを用意し半ば無理やりエルに握らせたり、ピア嬢から引き剥がそうと私とエルの二人で外に出たり。
 意外にもエルは彼女と離れること自体は異論がないらしい。
 ピアだけ仲間はずれするのは悪い等々の至極常識的なことは言われたが、女性にみっともない話は聞かれたくない、などとそれなりの理由をつければすんなりと話を聞いてもらえた。もちろん相談などは口実で、本業の錬金術について少しばかり零すだけだったが、その際の反応もエルらしい快活なものだった。親身な態度を取りながらも私の重みを取り払おうと笑いかけてくれるエルを見ると、胸が罪悪感で軋むようだった。

 私とて。
 私とて、友人に対して不審の眼差しを向けたくはない。裏でこそこそと毒にも薬にもならないことをして自己満足に浸り、彼に精神を病んだなどという不名誉なレッテルを貼りたくは無い。


 いっそ、私がピア嬢の存在を受け入れさえすれば。
 子どものごっこ遊びに付き合うように、あるいは、種がわかっている手品を黙して観賞するように、ピアという少女の存在についてのみ暗黙の了解を示すことができれば。私は拭いきれない不気味さを抱くことがなくなるのだ。素直に、エルを私の友だと、心からの旧友だとてらいなく言えるはずなのだ。

 もはやこの頃には、エルの大切な一線を踏み荒らさないようピア嬢がいるという前提で話すことに、すっかり慣れてしまっていた。だからこその心境の変化だったのかもしれない。



 しかしその理想に甘んじれないのにもまた理由があった。
 エルの世界が、見えぬ愛弟子と私だけで成り立っているならこんな夢も見れるだろう。けれどもそうはいかない。いつ誰がエルの編み上げた理想を崩すとも知れないのだから。
 ここにきて私はようやく、外でのエルを確かめようと決意した。
 エルは私以外にもピア嬢の話をするのか、一人で喋り続ける狂人だと思われていやしないか。失礼すぎるこの発想がまんざらあり得るのも恐ろしい話だった。
 それでも、この発想が出るまでにずいぶんと時間はかかった。ひょっとすると私は無意識にその部分だけを閉じて、自分への言い訳を増やしていたのかもしれない。もしそうであるならば私だって、エルのことをどうとは言えないのだった。


◇◇◇


 その日、私はあえてエルの店ではなく例の菓子屋を訪れていた。
 王都内とはいえそれほど足しげく通うような店ではないものの、一見の私にも店員のお嬢さんは愛想よく接してくれた。世間話がてらエルバークの特徴を言えば、すぐにピンときたようだった。午後の常連客として数日おきに顔を覗かせるらしい。

 親しそうに語るその笑顔の裏には少しばかりの陰りも見えた。何かを言いだそうとしているようであり、彼女の立場がそれを躊躇わせているようでもあった。
 そこに確かな予感を感じ、私は、変わったことを頼むがと前置きして珈琲を一杯分の料金を払った。


 案内されたのは観葉植物のちょうど影に当たる席だった。これでは視界も悪いかと思いきや、葉の影から店内は十分に見渡せる。相手からしても注意深く見れば、私がここに座っているとすぐにわかってしまうだろうが、すでに座っている客をじろじろと無遠慮に眺めやる者はそういないだろうと判断した。何よりばれたところで奇遇を装えば済む話だった。

 注文した珈琲が生ぬるくなった頃、目的の、エルがやって来た。
 私はカップを揺らしながらそっと視線を外し、風景に溶け込む努力をした。



「いらっしゃいませー」

 エルは店員といくつかのやりとりをしてから、通路を挟んで斜め向こう側の席に案内された。私がよほど注視しない限り彼と目が合うことはないだろうと思える、ちょうど良い席だった。店員の彼女に頼んだ通りだった。

 ────私はそのエルバークという男の知り合いで、少しばかり心配事があってここに来た。様子を見たいので、もしも彼がこの店に来たら離れた席に案内して欲しい。

 言い様によっては不審者とも取られかねない変わった注文だったが、彼女はきちんとこなしてくれた。思うところが彼女にあったおかげかもしれなかった。



 エルは柔らかい眼差しで、宙を眺めていた。彼の前は空席だった。この時点で嫌な予感はしていたが、それは少しして確信に変わった。
 店員が注文の品をテーブルに置く。エルの席にはティーカップを。そして、彼の向かい側、空席のそこに小さな苺のケーキを。
 一拍の戸惑いすらなかった。その一連の流れが彼らの間で日常と化しているのだと悟らされた。
 エルは微笑んで店員に二言三言を告げ、再び宙を見据えた。

 宙を。いいや、彼にとってはきっと。
 目の前に、例のピア嬢が座っていたのだろう。

 ケーキはちっとも減らず、フォークは皿に添えられたまま動かなかったが、それすらもエルは構っていなかった。時々ティーカップを口に近付けたり、頬杖をついたりはしていたが、ただ黙って向かい側を見続けていた。その口元が時々、ふにゃりと力の抜けたような笑みに変わるのが、いっそ残酷なまでに痛々しかった。

 彼にはピア嬢の声が聞こえているのだろうか。
 一切声を発さず、たった一人にだけ通じる言葉をもって、談笑しているのだろうか。そんなことを思わされて、しまいに私は目を背けてしまった。後はただ、自分のテーブルに置かれたティーカップの、底に溜まる黒い液体を眺めるばかりだった。


◇◇◇


 エルが店を去り、不意に戻ってくることがないよう少しばかりの間を開けてから、私も立ち上がった。ピークを過ぎたのか、私の他に客は一人もいなかった。ちょうど店員のお嬢さんがエルの居た席を片付けようとしていたので、声をかけた。

「エルは、この店だといつもあんな調子なのだろうか」

 率直な質問に対し彼女は言葉を探すように視線をさまよわせたが、結局選べる言葉がなかったようで、ただ頷いて返した。私のほうも言葉を失い、テーブルの上を眺めるしかなかった。
 テーブルの上には手つかずのケーキが残っていた。粉雪のように砂糖のふりかけられた苺、きめ細かく真っ白なクリーム、洒落た模様の入った皿と、店内の明かりに反射して光る銀のフォーク。綺麗な形を保ったそのケーキは虚しさの象徴だった。

「もしご迷惑でなければ、」

 お召し上がりになりませんか。彼女はそう言った。私の心に棘となって刺さる感傷を見抜いてくれたのかもしれなかった。

……ありがとう。頂くよ」

 私はそう答えて椅子の背に手をかけた。が、ほんの一拍分だけ逡巡した。


 ここに座っていたはずの、私には見えない彼女は、今どこにいるのか。
 エルと一緒に行ってしまったのか。実はまだここに座って、私が椅子を動かした瞬間、空席のはずのそこに妙な重みを感じるなんてことは。


 そこまで考えたところで首を振り、椅子を引いた。勿論抵抗は無く、私はすんなりとそこに腰かけることができた。それができない可能性を考えてしまう時点で、私もエルと同じ世界を見つつあるのかもしれないと思った。
 私のぎこちない動作を見守っていた店員のお嬢さんは、まるで独り言のようにぽつりと呟いた。

「幸せそうだなと、思うんです」

 え、と私が視線をやれば、彼女は慌てて口元に手をやった。どうやら口に出している自覚はなかったようだった。聞いていないふりをして見せるのが紳士的だろうかとも思ったが、好奇心もあり、続きを促した。彼女は一応躊躇う素振りを見せはしたものの、またぽつぽつと言葉を落としていった。

「秘密にしてくださいね? ……初めは怖かったんです。いつもいつも注文は一緒で、ケーキは手つかずのままで。誰かと待ち合わせしてるのかなとも思ったんですけど、それにしても……
…………心中お察しするよ」

 はたしていくつのケーキが無駄になったのか。いや、無駄などという表現は良くない。エルの中ではピア嬢が食べたもののはずであって、それがたとえ手つかずのまま廃棄されてしまおうと彼にとっては意味のある行為なのだから。

「でも、」

 店員のお嬢さんは、手にした布巾を一度強く握りしめてから言った。

「あの方いつも、幸せそうな顔をされてるんです。だから、待ち合わせをすっぽかされてるわけじゃないんだなって思って。そうわかったら……怖い気持ちが無くなったって言うと、嘘にはなりますけど……

 そこで彼女は一度言葉を切り、改めてテーブルの上にあるケーキを見つめた。私の目もつられるようにそちらへ向いた。見えない誰かのために用意されたそれはとてもとても甘いのだろう。

「お店に来てもらえて、あんなふうに幸せそうな顔をしてもらえるんだから。あの方自身が幸せなら、それでいいじゃないかって。思えるようになったんです。ケーキをお出しして喜んでもらえることは、店員の生きがいですから」

 エルは確かに、この店に受け入れられていた。


 ────幸せなら、それで。


 淀んだ空気を春風が攫って行ったかのような言葉だった。
 急すぎるほど鮮やかに意識が一変したのは、私の心の底にその言葉と同じ気持ちがあったからなのだろうか。それとも単に、懸命につじつまを合わせするエルが見ていられなくなったからだろうか。幸せならそれでいいと言って、彼の問題に蓋をしただけではないだろうか。今となってはわからない。
 ただその時の私は確かに晴れ晴れとした気持ちで、頷いていた。そして店員のお嬢さんに微笑み、フォークをそのままに立ち上がった。

……やはりこれは、エルと彼女のものだ。私が横取りするのはもったいない。一度は承諾したのにすまないね」

 私の非論理的な言葉に、お嬢さんは笑顔のままで答えてくれた。

「いえ。私のほうこそ、すみません。ところで、その、」
「何だい?」
「このケーキをお召し上がりになったお客様のお名前を、教えて頂けませんか?」

 予想外の質問に私は目を瞬かせた。しかし、彼女の瞳には真剣さがあった。その真意を考えるより先に、私は見えない彼女の名を口走っていた。

「ピア。ピア嬢と言うらしい」

 店員のお嬢さんは、まるで内緒話をする時のような小さい声で、数回その名前を呼んだ。彼女の名前は軽やかな響きだった。ひとしきり呟き終えると、店員のお嬢さんは頭を下げた。

「急に、変ですよね。でもどうしても気になって。知っておかなきゃ、って思ったんです。
 ピア、さん。不思議と、懐かしい響きですね」

 そう言われると私のほうも何故か、ひどく焦がれるような心地がした。初めてエルからその名前を聞いた時は、得体の知れない恐怖しかなかったというのに。



 心変りを確かめるように胸元に手をやりながら、私はふと、もう一つのことに遅ればせながら気がついた。
 ────召しあがった。店員のお嬢さんは先ほどそう言った。美しい形を保ったままの、真っ白なケーキを目にしていながら。
 なんだかそれだけで私は、私の友人の、誰にも褒められることのないはずの努力が報われたような気がした。

……ここは本当に良い店だ。また来るよ」
「お待ちしてます」

 感謝をしようと思えば尽きないだろうが、私はあえて言わず、簡素なやりとりだけで話を終えた。そして、優しく甘い香りを背に店を立ち去ったのだった。
 その後、あの店は我々のうちで欠かせない贔屓の店になるわけだが、そこは割愛しておこう。

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