空席のロンド 1/5
長編。カーネル視点。エル×ピア。ピアはいない。甘くてシリアス。少し不思議系。
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錬金術を生業にしていると、理論というものは存外頼りないものなのだとわかる。机上の空論は今そこで起こる事実に到底及ばない。混ぜ合わせたら出来上がった、その工程を跡付けで理論に組み替えることも少なくない。起こった事実に対して言葉は無力とも言える。だがそれでも私達が頭を捻り、ありとあらゆる不可思議に稚拙な説明を成そうとするのは何故か。
肯定的に考えるのであれば、そこには好奇心や探究心という動機がある。あらゆる超常を言葉によって体系付けて分析し、世界の全てを解き明かさんとする冒険にも似た夢想が広がっている。しかしながらその裏、私はそこに拭い切れない負の面があることも知っている。
言葉によって切り取った時点で、目前の事象はそれそのものではなくなってしまう。どれだけ客観を心がけようとその変貌は避けられない。気体を液体に変えるように、私は理論を扱うことで、あちこちに蔓延る不可思議なものを遠ざけてまたは卑近に貶め、私の理解の範疇に事を収めようとしている。
この点の是非はもはや私などが語るべきものではなく、とっくの昔に数多の者が語りつくしていることだろう。ならば何故、わざわざ私がこうして筆を取っているのか。
長い前提を終えよう。
つまるところ私は、あの理解できない現象とそこに付随する諸々の感情を全て、言葉によって収めてしまいたいのだ。不可思議に対する無力さを言葉で誤魔化し何かに綴り、どこか見えないところにそっとしまい込むことで、あのひとときはただただ幸福で瑣末な日常だったのだ、と。
そんな言い訳と都合のよい理論を、これから編み上げようとしている。
◇◇◇
事の始まりは随分と前、私が宮廷錬金術師の肩書きにようやく慣れ始めた頃まで遡る。
晴れて宮廷錬金術師になれたものの、しばらくは忙しさに目もくらむ毎日が続いた。それでも幸いにして研究がひとまずの安定期を迎えた頃、私が真っ先に思い出したのは旧友、エルバークのことだった。
彼は未だ王都で店を開いているのだろうか。人間嫌いも少しは丸くなっただろうか。
一つ気になりだせば止まらず羽ペンを手に取った。忙しさの合間に書き上げた手紙を送れば、返事はすぐに来た。書き出しには、
「遅い!!」
と彼らしい一言があった。私はなんだか一気に肩の力が抜けて、吹き出してしまったのを覚えている。何が傑作かといえば、その文字の部分だけインク溜まりが激しく、羊皮紙が破れかけていたことだろう。ありったけの不満をぶちまけたかのようなその筆跡と、滲んだ文字の哀愁に妙なギャップを感じて、私は自分でも大げさだと思うほど笑ってしまった。
ひとしきり笑わせてもらった後、続く文字に目を通した。一枚に収まる簡素な近況の報告だったが、あっさりとした文に反して内容はたいそう濃いものだった。
弟子を取ったという。
あの、エルバークが!
しかもその弟子は女性、いや、手紙を読む限りだとまだあどけない少女らしい。今は共に王都で店を経営し、錬金用具の看板を薬屋に書き換えて、それなりの生活を送っているそうだった。
とんだ心境の変化もあったものである。
事情を聞きたい、と思う心に応えるように、手紙の結びにはこう記されていた。
「そんなわけだから、いつでも気軽に来いよ。歓迎する」
返す手紙の内容はこれで決まった。経過観察が必要な触媒はちょうど数日前に処理を終えたところだった。
◇◇◇
賑わう広場の市を突っ切った先、大通りの一角にエルの店は変わらずあった。店を訪れる日取りは伝えたはずだが店前に人はおらず、ドアノブには休業の札が揺れていた。
今は留守にしているのだろうかと不思議に思いながらドアノブに手をかければ、意外にも抵抗なくドアは開いた。中に居たのはたった一人。入って正面、カウンターで気だるげに頬杖をついている姿は懐かしの記憶となんら変わりがなかった。
彼は視線だけを動かして私を見はしたが、それ以上の反応はなかった。口火を切ったのは私のほうだった。
「エル、こうして顔を見るのは久しいな」
そう言って歩みを進め、長らくの友情を確かめるように右手を差し出したが、エルはふてくされた表情でそっぽを向いた。おや、と思うのもつかの間、鋭い声が飛んだ。
「遅い!」
あの手紙が喋り出したかのようだった。
ふは、と思わず笑いを漏らせば、エルは眉間の皺をさらに深くした。かといってそれが本気の怒りではないことは、そのわざとらしすぎる態度からもすぐ読めた。事実、私が素直に謝れば、エルの表情は一変しまさに破顔一笑で返してきた。
「おいおいおい、久しぶりだなあ!」
「ああ、本当に。また会えて嬉しいよ」
差し出していた手をようやく掴まれ、上下に勢いよく振られる。鼻歌まで歌い出しそうな雰囲気だった。あの態度はまさに大喜びというのが正しい。それまでの不機嫌さはただのポーズだったのがよくわかった。世捨て人のような生活をしている彼だが、感情表現は存外子どもらしい。
そうやってはしゃぐエルを見ていると、対照的な店内の静けさがふいに気になった。整然とした陳列棚は汚れ一つなく、休業中とはあったものの今すぐにでも店を始められそうな具合だった。
「ところで店のほうは
……?」
そう尋ねると、エルは思わせぶりな表情で含み笑いをした。
「ふふふ。聞いて驚け、今日はおまえ貸し切りだ!」
「
……それは、また。良いのか?」
「気にすんなって、俺らが勝手にやってんだ」
それほどまでに自分の来訪を心待ちにしていてくれたのか。と、喜ぶ半面、少しばかりの疑問が頭をよぎった。
さりげなく差し挟まれた“俺ら”という言葉。
手紙にあった、彼の弟子のことが思い浮かんだ。その存在は、自然と口をついて出るほど彼の心身に寄り添うものとなっているらしい。
そもそも件の彼女は外出中なのだろうか。彼女について話を聞こうとしたところで、エルがぱっと立ち上がった。
「さて、奥で茶でもしばくか!」
「あ、ああ」
機を逸した私は半端な返事をして、身を翻すエルの背を見やった。彼の言う通り、落ち着いてから改めて聞けば良い話だ。
この時の私は呑気にもそう考えていた。
◇◇◇
ことり、と用意されたマグカップは三つだった。
唯一新品さながらのカップは私のほうに向けられた。他の二つは持ち手に曇りができていたり、真っ白なはずの縁に少しばかりの染みがあったりで、普段使いと見て取れるものだった。私の知らない彼らの生活がそこにあり、あくまで私は客人だった。
向かい合わせに座る私とエルの前に、マグカップがそれぞれ一つずつ。そこまでは良かった。さらに直角の位置、空席のそこにカップが置かれたのもまだ、理解はできた。この席とカップは噂の御弟子嬢のものであるのだろう、と容易に予測がついた。
だから私は訊いたのだ。
「エル、それで噂のお弟子さんとやらはどこにいるんだ?」
一拍。
きょとんとした表情。
言葉の無い間。
即座に返事がくるものと思っていた私は、その奇妙な間に首を傾げる想いだった。そしてその奇妙さは直後、明らかな不審となって襲いかかってきた。
「なに言ってんだ、そこにいるだろ?」
エルはこう言った。心底不思議そうに、自分の横を指して。
空席である。使い古しのマグカップに、飴色の液体が満ちている。それだけだった。
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