黒竹
2022-05-30 21:09:37
18238文字
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七センチは高すぎる?

【ルカミク】
「ワンルームでも広すぎる」の続編。察するなんて難しすぎるよね、というお話。


 イベントが続くと大変だからもう少し考えてほしい、と文句を言われたが、別に日付を選んで生まれてきたわけではないし、二月十四日にイベントを設定したのも自分ではないので、そんなこと言われても困る。
 文句を言いつつも手作りチョコレートをたずさえてやってきたミクは、いつの間にかミク専用になったクッションの上でコーヒーを待っている。
「チョコがあるからコーヒーは甘さ控えめにしたほうがいいんじゃない?」
 ミクが持ってきてくれたものと、ルカが買っておいたものがあるので、ここでコーヒーに砂糖を入れると糖分過多になるんじゃないかと心配しての忠言だったが、ミクはどこ吹く風でスティックシュガーを薄桃色のカップに入れた。
 やれやれと肩をすくめて薄青のカップに口をつける。ミクと会う日はメイクが薄めになるが、それでもカップに口紅がついてしまうので、いちいち拭うのがやや面倒である。(ついたままだとなぜかミクが照れるので)
「チョコの甘さと砂糖の甘さは違うでしょ?」
……まあ、ね」
 言っても無駄っぽいので諦める。なんでも話し合おうとは言ったが、個人の嗜好にまで口出しするつもりはない。適切な距離というのはあるものだ。
 ミクが手作りトリュフをひとつつまんでルカの口元に持ってきた。あーん、と開けて待つとトリュフが転がり落ちてくる。いつかの光景を思い出して小さく笑うと、ミクが目ざとく見つけて尋ねてきた。
「なに? 思い出し笑い?」
「ちょっとね。『あーん』なんて、小さい頃にしかしなかったなって」
 以前、ミクに飴玉をあげた時、彼女がごく自然にルカから食べさせてもらおうとしたのに面食らったことがある。あれは恋人に甘えていたわけではなかった。それもまた、可愛らしさだったのだけれど。
 たぶん、ミクはもうあんなふうに甘えてこない。だから少し懐かしかった。
「まあ……そうだね。大人はあんまりしないよね、そういうの」
 子ども扱いされたと思ったのか、ミクはやや不満げ。そのずれた反応に苦笑いを浮かべて彼女の頭を撫でる。
 やっぱり年齢を重ねないと実感できない事柄というものはあって、ノスタルジーなどその最たるものだろう。
 ルカもそれを言語化できるほど飲み込みきれてはいないから、苦笑いでごまかすしかない。
 トリュフは丁寧に作られているのが分かる。舌の上でなめらかに溶けたチョコレートの甘みは優しい。
「おいしい」
「でしょー。お菓子作り、けっこう好きなの。今度なんか作ってあげよっか?」
「機会があったらね」
 最初は本が好きだということくらいしか知らなかった。他には何も知らなかった。字がうまく書けないことも、お菓子作りが好きなことも、歌が上手いことも、実はけっこうわがままなことも、唇の柔らかさも。
 誰かのそばにいるというのは、なんとも楽しくて目まぐるしい。
──こんな気持ち、初めてじゃないかな。
 それなら。
 ある意味、初恋といってもいいのかもしれない。
 苦しくて、どうしていいか分からなくて、愛しくて、楽しくて、目まぐるしい想い。
 全部彼女がくれた。
「なに? 人のことじっと見て。ミクちゃんが可愛すぎて見惚れちゃった?」
 いたずらに笑う彼女の頬を優しく包み込む。
「うん。あんまり可愛くてびっくりしちゃった」
……も、もーっ」
 いなされて悔しいのかぽかぽか叩いてくる。ぜんぜん痛くないので止めようとはせず、ルカはただ笑った。
 いつかルカの部屋に彼女の着替えや歯ブラシが置かれて、それが当たり前に馴染んで、誰も不思議に思わない日も来るのだろう。
 今日のこのやり取りを懐かしく思う日もあるのだろう。
 それまでは時々七センチの壁を越えて、彼女に愛してるって伝えていよう。
「ミーク」
 ぽかぽかしてきた手が降ろされる。「なに?」濁りのない双眸。
 なんだか無敵感がある。それはそうだ。もうプロポーズも済ませている。
「幸せになりましょう」
……うん。なるよ」
 差し出された小指に自身の小指を絡めた。
 なに、時々現れる七センチほどの壁なんて、この小指一本分くらいのものだ。