黒竹
2022-05-30 21:09:37
18238文字
Public VOCALOID
 

七センチは高すぎる?

【ルカミク】
「ワンルームでも広すぎる」の続編。察するなんて難しすぎるよね、というお話。


「それはね、自業自得っていうのよ」
 折り紙で星を作りながらメイコが言い放った。正面のルカに見事に突き刺さる。
「わ……分かってます……
 一時期は二人の交際を心配し、やや反対気味でもあったメイコだが、今では受け入れて応援してくれている。といってもミクは気恥ずかしさから相談を持ちかけたりしないし、ルカは経験があるので頼ったりしていなかった。今日のこれは愚痴を聞いてもらっているだけだ。
 愚痴を聞きがてら、週末開催される朗読会の飾り付け作りも手伝ってくれる優しいメイコだった。
 二人がいるのはイベントごとなどで使われる予備室で、閲覧ルームとは廊下を挟んでおり、引き戸がついていて声ももれにくい。そのせいもあって少し気が緩んだのか、作業をしながら世間話をしていて、自然とミクの話題になった。
 「あーもう金色がないー」唇を尖らせるメイコ。善意で手伝ってくれているはずだが、単に折り紙で遊びたいだけだったのかもしれない。大人だって折り紙で遊びたいときもある。
 仕方なくオレンジの折り紙を引き出して折り始める。
「ハートも作ろ。ハートの折り方って載ってる?」
「よく使われる形だからあると思いますよ。……あ、あった、どうぞ」
 ルカが年季の入った折り紙教本をめくり、ハートの折り方のページを開いてメイコに差し出す。
 本を覗き込んでハートを折るメイコ。それを眺めながら、ルカは画用紙に朗読会のスケジュールを書いている。字だけだとちょっと寂しいがあいにく絵心がない。メイコが作ってくれた星とハートを貼り付ければ、まあ格好はつくだろう。
「そういえば、もうすぐ誕生日じゃなかったっけ?」
「ええまあ、一応」
「どうするの?」
「え?」
「ミクちゃん」
 ルカが渋い顔になった。あと一週間ほどで誕生日が来るが、それについての会話を一切していない。付き合ってすぐくらいに聞かれたことがあるから、ミクがルカの誕生日を知らないわけもないのだが、まったく話題に出てこない。ルカの方から言い出すのもプレゼントをねだっているようで気が引ける。そもそも先月クリスマスプレゼントをもらったばかりだ。高校生に何度もプレゼントさせるのも申し訳ない。
 このままずるずると、何事もなかったかのように過ぎていく可能性もなくはない。
「大人同士なら自然消滅のパターンだよね」
「やめてください」
 寒気がする。
 作り慣れていないせいか、星よりややいびつなハートを両手の指でつまんで出来を確かめつつ、メイコが片眉を上げてハート越しにルカを見やる。
「あたしからそれとなく話振ってみようか?」
「いえ、お気遣いなく。こっちの都合でミクを忙しくさせても悪いですし」
「ミクちゃん真面目だし礼儀もちゃんとしてる子だから、まあスルーってことはないと思うけどね」
 ピン、とハートを弾いて投げる。ハートはルカに届かずテーブルに落ちた。
 いびつなハートが何かを暗示しているようで、思わずため息をつきかけた時、「こんにちはー」と間延びした声が聞こえて慌てて飲み込む。
 ドアを開けると所在なさそうなミクが廊下をうろうろしていた。ルカを見つけてほっとしたように息をつく。
「どうしたの? 向こうは館長がいるはずだけど」
「あ、なんか電話してて。待ってたんだけどなかなか終わらないから」
 ミクは困り笑顔だった。手提げバッグに本が入っている。返却に来たのに図書館員が誰もいなくて困っていたらしい。
 手続きをするために並んで廊下を歩く。暖房は入っているが、廊下はさすがに少し肌寒い。
「ごめんね、今ちょっと忙しくて……
「来週、朗読会やるんだよね。何読むの?」
「宮沢賢治だったかな。えっと……『セロ弾きのゴーシュ』と『よだかの星』」
 へえ、と、ミクが少々気の抜けた声を出す。「ちょっとむずかしいのだね」朗読会に来るのは幼児から小学校低学年くらいの子どもを連れた母親が多い。確かに、もう少し年齢が上の子に向いた内容かもしれない。
「わたし、『やまなし』とか最初に読んだとき意味わかんなかったもん」
「クラムボン?」
「そうそう。クラムボンってなに?って」
「私も学校で習ったけど、よく分かんないままだったなあ」
 それほど読書家ではないので、宮沢賢治の著作を授業以外で読んだことがない。今回の選定も館長の提案をそのまま採用したに過ぎない。
 ミクに聞いてみればよかったな、と今更ながら思った。
「ルカさんが読むの?」
「そうよ。既成の録音した朗読を流してもいいんだけど、それだとなんだか味気ないじゃない?」
 ひんやりした空気が喉を流れる。「ふぅん」とつぶやいたミクの唇が少し尖る。発音によるものだと分かっているのに、少しだけ、腹の底をくすぐられた。
 開架コーナーに入る直前、いたずらにミクの手を取る。
「っ、ル……
「ちょっとだけ」
 指を絡めて、親指でそっとミクの手の甲を撫でる。ミクはうつむいて息を止めている。ルカに捕まっていない方の手でバッグの紐をぎゅっとつかんでいる。開架コーナーからは見えない位置。館長はまだ電話しているだろうか。メイコは折り紙のハートをいくつ作っただろう。
 手を捕まえたまま、彼女の細い腰を引き寄せる。「……っ」ダンスをするような仕草でミクの耳元に頬を寄せ、南国の海にも北国の森にも似ている彼女の髪に口づける。
「ル、ルカさん、仕事中でしょ……
「仕事中でもなんでも、ミクの恋人であることに変わりはないし」
「公私混同っていうんだよ、そういうの」
 知ってる。けど止められない。
 耳の後ろからミルクのような良い匂いがする。噛みつきたいけれどさすがに我慢。こっそりとコート越しに背中のラインをたどる。
 ミクは少し身体を固くしたまま、なすがままになっている。
「ねえミク。今なら誰も見てないよ?」
「え?」
「ね?」
 ふっと微笑んで手を外した。その手をミクの頬にあてがう。「ルカさん?」きょとんとした瞳の中にルカがいる。
 四ヶ月待ったし。
 誰もいないし。
 いつどんな時でも、二人は恋人同士だし。
「え?」
 ミクの声が上ずる。
 ここまで来ても目を閉じないんだ、しょうがないな。
 そう思いながら唇を寄せた。
「────やだ!」
 強い衝撃にはじきとばされる。いや実際は肩を押されてよろめいた程度だったが、ルカとしては壁に叩きつけられた気分だった。
 ミクの両耳が真っ赤になっている。羞恥心からなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。どこかの作家みたいにそうやって曖昧な観測をしようとしたけれど無理があった。
 ミクは怒っていた。「嫌だ」と意思表示をして、顔を紅潮させ、柳眉を逆立てていた。それが怒りの表現でなくてなんだというのだろう。
──あれ?
 どうして。
 どうして、あんなことしたんだろう?
「なんで、そんなことするの……?」
 同じ問いを投げかけられる。答えられない。
 ミクは身を守るようにコートの胸元を掴んで、肩の震えを必死に抑えている。
「わ、わたしが約束破ったのが悪いってわかってる。自分で言ったのに、ぜんぜん、ルカさんがしたいことしてあげられなくて、そういうの、悪いなってずっと思ってて」
「ちがう、ちがうよミク。ミクは何も悪くないよ。今のは」
「あんたが悪い」
 後ろから首をキメられた。一瞬にして呼吸ができなくなる。腕はすぐに外されたが、変に空気が入って咳き込んだ。「だ、大丈夫……?」さすがにミクも心配してくれた。
 不意打ちでチョークスリーパーをキメてきたメイコは、呆れ返った瞳でルカを見下げている。
「ミクちゃん。しばらくルカさんと会わない方がいいわ」
 だめだこりゃ。メイコは肩をすくめ、大きく息を吐きながら首を振った。
「別にあなたたちがうまくいったりいかなかったりしてもいいけどね、色ボケして周りに迷惑かけるならやめなささい」
 メイコが顎で示したのはミクが提げているバッグだった。
 そうだ、彼女は恋人に会うために来たのではなく、借りていた本を返却するために図書館を訪れたのだ。そして自分はその手続きを行う職員だ。図書館に職員は二人しかおらず、一人は手が離せなかった。だからその仕事をできたのは自分だけだった。なのに、それを放棄した。
 他にも、そうだ、館長が離れてから本を借りたい人がいたかもしれないのに。まっすぐ貸出コーナーに向かっていれば本を借りられた人がいたかもしれない。
 肩から背中にかけてが熱く火照った。なんて恥さらしだ。職員も利用客も少ないここは、みんなまるで家族のように親しくて、たとえばメイコが職員の仕事を手伝ってくれたりして、誰も彼もが関係性を曖昧にしていた。
 けれど、曖昧にしてはいけない部分だってもちろんあった。
 ミクはルカの恋人だけれど、ルカはいつでもミクの恋人としてだけ振る舞えば良いわけがなかった。
 状況に甘えるな、とメイコは言う。まったくもってそのとおりだ。
「申し訳ありませんでした」
 深々と頭を下げる。ミクに向き直って、しかし視線は外したまま、ぼんやりとした愛想笑いを浮かべる。
「ミク、ごめんね。しばらく事務方に回らせてもらうようにお願いしておくから、図書館には来ても大丈夫よ。貸し出し手続きとかは館長に代わってもらうから」
 今すぐ背を向けて逃げ出したい。ミクの顔が見れない。それでもなけなしの矜持がルカを二本足で立たせている。
 せめて、とミクが借りていた本の返却手続きをして、一礼して送り出す。ミクはどうしていいか分からずにずっと戸惑っていた。
 このまま別れることになるのかな、と思ったら涙が出た。