黒竹
2022-05-30 21:05:34
20516文字
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ビブリオテイクは狭すぎる

【ルカミク】現パロ。


 三日目でミクがやってきた。
 なんとなく不機嫌そうに見えるが、おそらく身構えているだけだろう。「こんにちは」ルカはいつも通りに言う。
……こんにちは」
「こないだ忘れていった本、ちゃんと取ってあるから。あ、もちろん返却期限は延ばしてあるから大丈夫よ」
 ミクの視線は斜め下に落ちたまま動かない。気まずさが全身から放出されている。叱られることを察知して身を固くする子ども、あるいは脅威を前に様子をうかがうネコ科の動物を思わせた。
 二人分のコーヒーを入れてカウンタを出る。「こっち」両手がふさがっているので顎先で閲覧ブースの奥を示し、先導して歩き出す。
 一番奥、常連でも来ないような場所に落ち着いて、カップをひとつミクの方へ滑らせた。
「あ、ミクちゃんコーヒー平気? 暑いし、ジュースの方がよかったかしら」
「いえ、大丈夫です」
 ルカはカップを口に運びながらミクの表情を盗み見た。緊張していて、消えたはずの殻が復活している。それだけでなんだか気持が落ち込んだけれど、ここで諦めたら試合終了だし、諦めなくても試合は終わらせないといけない。
 結果を出さねばならない。
 メモの束をテーブルに置いた。ますますミクが緊張する。
「これ書いたの、ミクちゃんよね?」
……、ちが……
 そんなわけないです、違います。
 言い切れない彼女の言葉がなぜか良く判ってしまって、そういえば前にもこんなことがあったなとルカは内心で苦笑する。
 コーヒーで喉をうるおすと、少しだけ彼女へ近寄った。
 メモを一枚取り上げる。カエルさんと、もっとおはなしできたらいいな。いびつな、ところどころ鏡文字になっている不格好な字。おそらくルカが左手で書いた方がまだ読める。
「ミクちゃんが初めてここに来た時、私『綺麗な字ね』って言ったのよね。よく覚えてる」
………………
「あれは、お母さん?」
 流麗で整った、『まるで大人が書いたような』筆跡。あれは図書館に備え付けのボールペンではなくサインペンで書かれていた。
 おそらくは前もって登録用紙を持ち帰り、自宅で母親か誰かに書いてもらったのだ。
 それならミクがこちらへ通うのも納得がいく。もう一方の図書館では用紙はカウンタで直接もらい、その場で記入しなければならない。母親と一緒に行って書いてもらうこともできるだろうが、この年頃の子としては、他人の前でお母さんに代わりに書いてもらうなんて恥ずかしくてできなかったんだろう。
 新しい名簿への署名も同じことだ。
 ミクはカップに指先を触れさせたまま沈黙を保った。それが肯定を表していると気付かないまま。
「ごめんね、知らなかったとはいえ失礼なことしちゃって」
「いえ……
 メモをもう一枚。ミクにひったくられそうになって、咄嗟に腕を引く。
「ねえ、これ。これって、私のこと、よね?」
 いくばくかの不安が隠しきれずに語尾が弱まってしまった。それでも言い切る。ミクの頬が見る見るうちに紅潮する。
 観念したのか、ミクがぼそぼそと話し始めた。
「あの……書字障害っていって、うまく字が書けないんです。判らないとか読めないとかじゃなくて、ちゃんと字の形は判るんですけど、それを自分で書こうとするとどうしてもうまくできなくて。それで、練習のために毎日、その日あったこととかを書くようにしてて……
「それがこのメモ?」
 ミクが小さく頷く。
「学校の授業とかは許可をもらってノートパソコンで書いてるから、そっちに慣れちゃってあまり字を書かなくなっちゃったのを心配されて。お母さんに印象深いこととかを、少しでいいから書きなさいって言われたんです。
でも、やっぱり全然うまく書けないから見るのも嫌で、それでも頑張って書いたから捨てるのももったいなくて……
 そして出した解決策が、この寂れた図書館に隠すことだったわけだ。
 側に置いておきたくない、けれど自分の手がまったく及ばないところに捨ててしまうのも嫌だ。乙女心のような難しさである。
 たとえ見つかっても自分が書いたとは思われないだろうと計算していたのだという。確かに、メイコやシャッポさんはそれを何度見てもミクのものだとは考えなかった。ルカだって、この前までそれを幼児のイタズラだと思っていたのだ。
 ところでさりげなく話をそらされたが、先ほどの問いにはまだ答えてもらっていない。
「で、カエルさんって私よね?」
…………
「雨の日にクレームが来て泣いたこともあるし、ミクちゃんに誘われてお昼一緒に食べたこともあるわ」
 思い返せばメモの内容はすべて心当たりがある。メイコたちでは気づき得ないヒントが、そこかしこにちりばめられていた。
 「でも……」ミクが上目づかいにこちらを見やって来ながらおずおずと尋ねる。
「ルカさん、それだけでわたしが書いたって思ったんですか……?」
「え、だって、このカエルさんっていうのが私だと思ったから……えっ、違う!? 私の勘違い!?」
「ちち、違いませんけど、だからその、字……汚いじゃないですか。高校生が書いたなんて思いませんよ、普通」
 話していくうちにミクがどんどん俯いていく。自己嫌悪しているのだろう。出来ない自分のふがいなさを両肩に自分自身で乗せて、その重さに潰されている。
 ルカは持ったままだったメモへ目を落とす。
「確かに上手ではないわね」
「う……
「でもそれがどうしたの? ミクちゃんが頑張って書いたんだからいいじゃない。それに書かれてることも、私は嬉しいけど」
 ミクは俯いたままだったが、その首筋が赤くなっていくのが見えた。
「これ、『カエルさん』の話が多いわよね。ねえ、それってどうして?」
……うぅ……
 いきなりミクがテーブルに突っ伏した。カップにぶつかりそうになって、ルカは慌ててそれを取り上げる。思い切り掴んでしまったけれど幸いコーヒーは冷めていたので火傷せずに済んだ。
「だ、駄目なんです! なんか最近ルカさんのことばっか考えてて、メールとかするって言ったくせに恥ずかしくてできなくなっちゃうしっ。あ、や、嘘です! 今の嘘! 友達少なくて他に書くことないからルカさんの話が多くなっちゃうだけです!」
……ミクちゃん、嘘つくの下手ねぇ」
 首、頬ときて、今度は耳が赤くなった。ひょい、とそこを摘む。「ひゃん!」妙な悲鳴を上げてミクが飛び起きた。
「なにするんですか!」
「赤くなってて可愛いから、触りたくなっちゃった」
……そっ、そーゆーからかい方禁止って、前に言いましたっ」
「からかってないならいいんでしょう?」
 ふっと、ルカが表情をあらためる。「え……?」戸惑いがちな呟きがミクの唇から洩れて、それからわずかに視線をそらされた。
 彼女の頬に触れる。指先を滑らせて首筋からうなじへ。触れたいと思った箇所に、ルカは迷いなく踏み込んでいく。
 経験がないと言っていた少女はそれでも、その指先から何かを感じ取っているらしい。羞恥の紅潮が、触れていく中で次第に意味を変えていった。かすかな震えが伝わってくる。泣きだしそうな眼差しは、本当は違うことをルカは知っている。
「私、いまミクちゃんをからかってなんかいないけど」
……ルカさん、嘘つくの上手ですか?」
「ミクちゃんよりはね」
 微笑と共に答えると、ミクがちょっとがっかりした顔になった。
「なんでここでそんなこと言うんですかぁ……
「ミクちゃんが可愛いから意地悪したくなっちゃった」
 それでも、触れている指先に嘘がないことは彼女も判っているはずだ。
 しばらくされるがままだったミクだったが、やがておそるおそる、ルカににじり寄ってきた。
「ルカさん」
「なに?」
……わたしのこと、すき?」
 彼女の字のようにたどたどしくて可愛い愛の言葉だった。
 笑い出しそうになってしまうけれど理性で我慢、とびきり甘い声でそれに応える。
「ええ。好きよ」
 途端に、ミクが花やいだ笑みを浮かべた。
 いつの間にか育っていた二人の恋が芽吹いた瞬間だった。
 物語には恋の成就よりも崇高なハッピーエンドがあるらしいが、卑俗だろうとこれだって幸福には違いない。
 第一、こちらは『エンド』なんてまっぴらごめんなのだ。いくら崇高でもエンドマークをつけられてしまうなら、そんなものはこちらから願い下げである。
 俗っぽくてありきたりで、けれど後悔はしない、幸福。
「というわけで、これ、私がもらってもいい?」
 幸福の具現化したものであるメモの束を指し示しながらミクに笑いかけると、彼女はあっという間に慌てだした。
「ダメっ、もっとちゃんとしたのメールで送るから、それは持ってなくていいのーっ」
「これがいいのよ。こんなに可愛いラブレターもらったことないもの」
「やーだー!」
 駄々っ子全開で飛びついてくるミクをかわし、さっさとメモを手帳にしまいこんでしまう。
「あーん、ルカさんの意地悪ー」
「自分で持っておきたくないならいいじゃない。これからも私が預かっておいてあげる。それなら、図書館に隠したりしなくてもいいでしょう?」
 あうあうとまごつくミクに、悪戯な笑顔で提案する。ミクはまだぐずっていた。
「やだ……
「どうして?」
……だって、こうなっちゃうともうルカさんのことしか書けないもん。本人に見られるとか恥ずかしくて耐えられない……
 崩れ落ちるミク。「ここにある分は全部読んでるけど」「またそういうこと言う……」後頭部を優しく叩いてやると、ミクは喉の奥で低く唸りながら手足をばたつかせた。
 字が上手く書けないことが、彼女の魅力にどれだけの傷をつけるというのだろう。
 メモに書かれた字だって、こんなにも可愛らしいのに。気づいてない彼女はきっと、己の魅力にすら無頓着だ。
 だから彼女の字はルカが預からなければならない。だって他の誰かがそれを見て、彼女の魅力を知ってしまったらどうする?
「そうなったら私、毎日ミクちゃんからラブレターをもらえることになるわね」
 それはすごく嬉しいなあ、という気持ちを込めて言ってやると、暴れていた少女の手足が止まった。
 顔を横向けて、ちらりとこちらを窺ってくる。
……ほしい?」
「ものすごく」
………………ガンバリマス」
 言質を取った。彼女のことだからメールならとても綺麗な文章で贈ってくれるのだろうけど、それでもルカは、あの不格好なたどたどしい字で書かれた恋心がほしい。
 懐かしい独占欲。
 彼女が生み出すなら、きっとペンを走らせる音すら心地良い。
 ようやく起き上がったミクは、うーんと伸びをすると小さく眉を下げた。
「毎日っていっても、ルカさんとはここでしか会えないから話題なんてそうそうないよね。どうでもいい話とかはメールで済ませられちゃうし」
「えっ」
「え?」
「デートとかしないの?」
「えっ」
 ミクが勢いよく身を乗り出した。「し、していいの!?」「当り前じゃない」どうして両想いになってまで図書館だけで会わないといけないのか。
「さしあたって、買い物でも一緒に行きましょうか? ミクちゃん今月誕生日よね?」
「よく知ってるね」
「登録名簿を調べました」
 こうならなくてもプレゼントはするつもりだったのだ。こうなったのでもっと都合が良い。嬉しはずかし初デートである。
「じゃあじゃあ、当日でもいいかなっ。夏休み最終日だし、思い出ほしいっ」
「もちろん。休暇申請はまだ間に合うから大丈夫」
 早速、ミクが携帯電話のスケジュール機能で予定を登録する。行儀悪く覗き見るとアイコンがハートだった。少女らしい。彼女の後方からきらめきがちりばめられている。
 どんな服装をしていこうか。やはりこちらの方が大人なのだしリードするべきだろう。あまり気合を入れるのも問題だ。露出はどの程度にするべきか? やりすぎると若さあふれる彼女と比べられやしないだろうか。
「あ、日焼け止めはどうしようかしら。ミクちゃんベタベタして嫌って言ってたわよね」
 独り言を聞き止めたミクが、うん?と首をかしげた。
「言ったけど、それ自分が塗る時の話だから、別にルカさんは使ってもいいんじゃない?」
「いえ、腕組んだ時とかに嫌じゃないかしらと思って」
「えっ! く、組んでいいの!?」
 いちいち驚くミクだった。
「組みたくない?」
「組みたいです! そういうことならいくらでもベタベタしたいです!」
 なんだか『ベタベタ』の意味が変わっているような気がするけれど、ルカとしても大歓迎なのであえて聞き返さない。
 ルカは久しぶりに己の心が浮き立つのを感じ取っていた
 素敵な物語はたくさんあるけれど、それだけでは得られない楽しみだってたくさんある。
 二人で過ごすには、この図書館は狭すぎる。
「じゃ、三十一日はちゃんと空けておいてね。夜中まで本読んでて寝坊したりしないように」
「判ってるもん」
 ミクが笑いながら頬を膨らませる。
 揃ってブースから戻ると、カウンタで上司がむっつりとしていた。
 こちらを見やって一言。
「図書館ではお静かに」
……すみませんでした」
 司書が率先して騒いでしまった。そこは神妙に頭を下げる。
「まあ、他に人もいないがね」
「さっきまで何人かいらっしゃったと思いますけど、あ、私たちがうるさかったせいでしょうか……
「君たちが原因だが、理由は『邪魔しちゃ悪いから』だそうだ」
 上司の口元が面白そうに緩む。「巡音さんは覚悟しておいた方がいい。明日から質問攻めだよ」
 ルカとミクが半ば無意識に顔を見合わせた。それから、ルカは額に手を当てて溜め息をつき、ミクは真っ赤になってその場にへたり込んだ。
 「暑いな」上司が小さく呟いたが、二人の耳には届いていない。


 夏が終わる。
 
 春は続いていく。