外伝 バスカヴィルの魔犬【中編】

あらすじ
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語――。
ベイカー・ストリート221Bに暮らす小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンにある人物からとある純血貴族の不可解な死を解き明かしてほしい、と依頼が届く。忽然と姿を現した魔の犬。青い炎を吐き出す口、真っ黒なその犬に狂気を見出して死んだ男。これは殺人か、それとも神秘の気紛れか? ワトソンとシャルルマーニュはその地、ダートムーアへと向かう。
前編→ https://privatter.me/page/6596ce95596b9
後編→ https://privatter.me/page/659d3ad0c5cc4

2024/1/9追記 終わりそうなので数字消しました。後編の量おかしいやん?とか言わないで。泣くぞ。22歳成人のガチ泣き披露するからな。
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スペシャルサンクス:笋様、Littorio様
いつも遊んでくださってありがとうございます。
笋様より『鳥の一族』の皆さまのお名前や一部語録などをお借りしております。
Littorio様より『渡りの一族』の皆さま、アマネセール家の御家名をお借りしております。




地味に痛む脳天を押さえつつ、先に調べようと決めていた書庫へ向かう。バスカヴィル家の文献などが残っていれば、黒い魔犬に関する手掛かり、ひいてはヘルメスの領地に顕れたという謎の『猟犬』についても何かわかるかもしれないと考えていた。
書庫は昼間でも薄暗く光がほとんど入らない。未だ現役でこき使われている古い電灯をつけてみれば、天井の隅に巣を作る大きな蜘蛛の姿が見えた。
本棚の上には何かの木箱や金属の器が適当に置かれている。隙間なく詰められた本は羊皮紙もあれば紙の本も混ざっており、乱雑に__分類などもされぬまま、忘れ去られた存在の数々が敷き詰められていた。私は書庫の奥に何者かの存在を認める。少し背の低い男が黒い本棚の前に立ち、何かを探して本の背骨をなぞっていた。

「誰かいるのか?」奥の男は私たちの気配にすぐ気づいた。本から指を放してこちらを柘榴のような瞳が見ている。
「すまない。邪魔するつもりは__」
「ああ、昨日いらっしゃったフィニア嬢のお連れの方」彼はスーツのジャケットの埃を払いこちらに歩み寄る。「俺はこういうものです」
「マジか。日本の螺旋捜査官? なんでそんなのがいるんだよ」シャルルマーニュは驚いたように見せられた手帳を眺めた。
「ジンイチ・セガワ……瀬川迅一といいます。螺旋捜査官です。日本版神秘管理局の一員と思っていただければ」
「シャルルマーニュ・ハイドノーブル。こいつの助手みたいなもんだ」
「ジェームズ・ワトソンだ。諸事情あり、チャールズ・バスカヴィル卿殺害事件の調査をしている」

瀬川はさっと片手を差し出した。私は彼の手を握り握手を交わす。というか何故日本版神秘管理局の人間がこんな遠い国までやってきている? まさか日本にまでチャールズ卿の事件が伝わっているのか?

「チャールズ卿のことは本当に残念でした」瀬川はそう言って一度目を伏せた。「昨年から食客としてお世話になっていますが、あれほどの御仁はそういない」
「去年から?」私の声に瀬川は「ええ、そうです」と事務的に返事した。
「俺はある神秘の遺物を回収するために英国に派遣されています。それで食客に」
「んで、その遺物とやらがこのダートムーアに、ひいてはバスカヴィル家に眠っていると?」シャルルマーニュは挑発するように問いかけた。
「それはどうでしょうね」
「おいおい。もう答え言ってるようなもんじゃねえか」
「あはは……まあそれはそうですね。貴方方とはお話ししたいと思っていました。折角ですし、俺が知っている限りでのバスカヴィル家やこの土地にまつわる事をお教えしますよ」
……その見返りとして、『神秘の遺物』とやらを見つけて持ち去っても見逃せ、という話だろう?」

私は紅い背表紙の本を引き出して表紙を眺めながら言う。瀬川は困ったように「全部お見通しですか。嫌だなあ」と目尻を下げて笑った。


「バスカヴィル家にはある伝説があります。それが『魔犬伝説』です」
「魔犬伝説……そういやイドのやつ、チャールズ卿の遺体の傍にバカデカい犬の足跡があったって!」シャルルマーニュは思い出したように叫んだ。うるさい。「まさかチャールズ卿が死んだのって、その伝説の魔犬が絡んでんのか?」
「それはまだよく分かりません。この辺じゃ滅多にあんな猟奇事件は起きないですから、わざわざヤードから刑事が出張って来ていましたね。まあ彼らもあの尋常な様子ではない遺体に、科学捜査では当然うまい具合な回答は出せなかったようですが」
……お前、いちいち妙に棘のある言い回しをするな」
「? そうですか? 俺は普通ですよ?」無自覚なのか。これは厄介だ、と脳内で警報が鳴り始める。「話を戻しますね。バスカヴィル家には『魔犬伝説』があります。
バスカヴィル家初代当主であるヒューゴー・バスカヴィルという人物から始まる伝承で、バスカヴィル家の激しい気性にもまつわる話ですね。ヒューゴー卿はとても激しい気性の持ち主で、基本的に他人の言葉に耳を貸さない極めて独裁的な領主だったと記録されています」
「独裁的な領主、ねえ」
「ええ。しかも不敬で神を信じる心を持たない悪魔とあります」

凄い言われようだな、と私は瀬川から渡された黒い本に書かれた均一な文字列を視線で追いかけた。

「まあ腐ってもヒューゴーは純血の馬子でしたし、彼が恐ろしかった周囲の人々は彼をおだてて甘やかしていたんでしょうね。加えて当時この地域には教会が無く、聖職者がいなかった。それも一つの要因かもしれません。……そしてヒューゴーは、この郷土に住んでいたある女性を欲するようになります」
……その子は馬子だったのか? 普通の人間か?」
「人間です。彼女は当然ヒューゴーの悪名を知っていましたし、人の身ですからむやみにバスカヴィル家周辺に近寄る事すらありませんでした。ですが彼女は地域では美しいことでかなり有名だった。……ここまで言えばもうおわかりでしょうが、ヒューゴーは彼女を攫い屋敷に監禁しました。しかし彼女は命からがら窓から蔦を伝って脱出し、荒野を裸足で逃げ出した」
……『バスカヴィル邸から娘の自宅がある場所までは約二十キロもの距離があった』『ヒューゴーは直ちに犬と馬を放って娘の追跡を始めた。程なくして追いついたが、そこにいたのは娘ではなく巨大な、口から青い炎を吐きながら唸り、部下の馬たちを食い殺している黒い魔の猟犬だった』」

私は英字を口に出して読んでみる。ヒューゴーに関してはどう考えても自業自得ではないかと思われるが、この手の呪いは子々孫々末代まで呪いつくすタイプが多い。
〝犬が燃え上がるような増悪の籠った瞳で部下たちを睨みつけると、皆気が狂ったように逃げ出した。叫び、狂乱状態で沼沢地を駆けた。そしてある程度逃げた所で廃人になって干からびた枯れ木のようになり、金切り声を上げながら死んでいった〟__。
まるでチャールズ卿の死にざまと同じではないか。私はどこまでこの伝承を信ずるべきか考えていた。だがチャールズ卿の死亡直前の行動には単なる非科学的な事象で片を付けられない問題がある。
卿は死の間際、沼沢地へ通じる小門の前に数十分立っていたという。何か用事が無ければ犬の伝承などが囁かれる沼沢地の門口に、意味もなく突っ立っているという状況は考えにくい。何者かに呼び出されてそこにいた。そう考えるのが自然だ。

「ワトソンさん。どうお考えです?」瀬川は優美な微笑みを湛えていた。底知れないもの、仄暗い何かを感じて背筋がぞわりと冷える。
……伝承としては興味深い。だがこれが直接チャールズ卿の死に関わっているのかはいまいち判断がつかない所ではある」

私は素直な感触を述べた。
瀬川は意味深な微笑みを浮かべて私を見ている。一体何を考えているのか腹の底がわからず、私は困惑しながらその柘榴から視線を外した。