外伝 バスカヴィルの魔犬【前編】

あらすじ
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語――。
ベイカー・ストリート221Bに暮らす小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンにある人物からとある純血貴族の不可解な死を解き明かしてほしい、と依頼が届く。忽然と姿を現した魔の犬。青い炎を吐き出す口、真っ黒なその犬に狂気を見出して死んだ男。これは殺人か、それとも神秘の気紛れか? ワトソンとシャルルマーニュはその地、ダートムーアへと向かう。

始まったぜ~~!!!!!! バスカヴィルの魔犬です!!!! ずっと書こう書こうと思っていたのですが行けるという確信を得たので見切り発車で書きはじめました。原作のバスカヴィル家の犬に割と忠実……です。今のところは。今の、ところは。どうなるかは作者も知らん。一応前編・中編・後編の三部構成の予定ですが、中編がどうなるか……という気持ちです。
中編→ https://privatter.me/page/6598c6d08eaa3
感想良ければ→https://wavebox.me/wave/b064pup7uhwd9l39/

スペシャルサンクス:笋様、Littorio様
いつも遊んでくださってありがとうございます。
笋様より『鳥の一族』の皆さま、アイドアさんをお借りしております。
Littorio様より『渡りの一族』の皆さま、アマネセール家の御家名をお借りしております。






1


__ 6月某日
ベイカー・ストリート221B




朝刊を咥えて持ってきたのは契約妖精であるブラックドッグだった。黒い狼のような姿の妖精である。どうやら彼は普通の人間にも「黒い大きな犬」として見えているらしく、たまに一緒に散歩をしていると「あら大きなワンちゃん」とマダムに話しかけられることもしばしばあった。
特段変わり映えのしないニュースが並んでいる。大統領の支持率、為替、町で起きた事件事故。テレビから流れるBBCの天気情報は何の意味も成さない。ロンドンはここのところずっと曇っている。欧州において六月は晴れの日が多いというが、それは嘘か何かだろうと疑いたくなるほどの曇り模様だ。

朝刊を適当な場所に置き、代わりに昔から愛用している杖を手に取る。昔友人たちから『紳士の必需品』だ、として貰ったものだった。ペナンローヤーという堅い棕櫚でできた杖である。だが単なる杖というわけではなく、その内側には細剣を隠した、所謂仕込み武器の一種だった。柔らかいの布で拭きながら、私の足元で遊んでいるエッグプラントを蹴らないようにそろりと足を組み替える。

「よおジェームズ」
「何」

私は声の主には目もくれずぶっきらぼうに返事をした。
シャルルマーニュ・ハイドノーブル。三階の空き部屋を間借りして住んでいる。大抵朝は外で食べているようなので、カフェを巡った帰りだろう。ジーンズの前ポケットからレシートが少しはみ出ている。
そしてこの牡馬は、何故か私の事は『ワトソン』ではなく『ジェームズ』と呼ぶのだった。

「それ、なかなかなアンティークだなあ」

シャルルマーニュは無感動な私を一切気にせず、ずかずかと部屋に入ってきて勝手に椅子に座った。

「ペナンローヤーか」
「貰い物よ。友人たちからのね」より正確に言うならば、これを選んだのは私の最愛たるメアリーだ。金を出したのはホームズらしいが。「で、何なの。水道は修繕してやったじゃない」
「別に住まいの文句言いに来たわけじゃねえっての。いやね、ちょっとお前に相談があってだな」
「スコットランドヤードに適任がいるわよ」
「バレルじゃ駄目だっつの。お前である必要がある案件だから頼んでんのに、も〜」
「実は馬じゃなくて牛だったの?」

拗ねているシャルルマーニュに適当な返事をしながら、私はマグカップに紅茶を注いだ。今日はスーパーで安売りだったアールグレイである。ちょうど好みのフレーバーティーが切れてしまっていた。

「まあ聞くだけ聞いてやってくんない? 普段なら絶対『頼みが』とか言ってくる奴じゃないし、そもそも俺みたいな混血の馬子を頼るって事が異常事態だからよ」
……嫌な予感しかしないのだけど」

私は眉を顰めた。脳裏にはっきりと浮かぶのはホームズと共に解決し、真実は秘するという方向で決着がついたある事件の記憶だ。
あの時は回帰者となったある馬子が事件の根幹部に関わっていた。とは言っても様々複雑に思惑が絡み合っていたので、その馬子単独で起こされた犯罪というわけでもなかったが。

「おい、イド。いいってよ」
「は!? ちょっと! 何も言ってないわよ私!」

思わず声を荒げる。シャルルマーニュはどこ吹く風という風に、その馬子を室内へ招きに入れた。
黒っぽい鹿毛の髪に白いメッシュ。片目は髪で隠されているが、美しい容貌である事は疑いようがなかった。魚目の瞳にスラリと長い手足。腰から伸びた尾はピシリと切り揃えられており、手入れに余念がない。脚元を彩る靴は牡馬のものにしては珍しく、高めのヒールだった。__しかも、レッドソール。
自分自身の美しさという武器をよく知っている。そう思った。

「全く招かれた感じはしないんだがなぁ」困ったように眉を下げて彼は言った。
「まあまあ座れって。ほらほら」シャルルマーニュはグイグイと彼を引っ張ってきて一人がけのソファに座らせた。「こいつ、アイドア。俺のちょっとした友達」
「ちょっとした、ね。そんな浅い関係でもないだろうに」

アイドアと呼ばれた馬子はシャルルマーニュの方を湿度の入った視線で見つめた。普通の牝馬なら軽く落とせそうな悩ましい視線である。私は思わずイチャつく牡馬二人から顔を逸らした。

「やだぁそうかも〜。俺たち結構ズブズブか〜も♡」
「他所でやれ」思わず苛ついて強い言葉が飛び出す。「用事がないなら帰って。私はこれから長編の執筆で忙しいの」
「そう言って三日前から一向に進んでないじゃん」
「うぐ」
「昨日だってアイゼンが来てたけど結局何も書けてねえんだろ?」

図星である。シャルルマーニュの言う通り私の筆は一向に進んでいなかった。それどころか後退してさえいた。返す言葉が無く黙っていると、

「悩める作家先生のために特大のネタを持ってきた、と言ったら?」アイドアはふっと微笑んで私を見た。
「どういう意味かしら」
「いや、何……ホームズ物語を続けている貴方には、悪くない話だろうと思っただけの事」
「勿体つけていないで話しなさい」

私はここでしまった、と思った。完全に相手のペースに乗せられたことに気づいたのは、シャルルマーニュがにやりと笑ったのを視界の端で捉えた時だった。

「では遠慮なく。少々面倒くさい事になっているんでね……端的に言えばおじい様の領地に『猟犬』が顕れた」
「『猟犬』……?」私は記憶を手繰る。何らかの使徒だったか、それとも幻想とはまた違う何かなのか。
「ここで言う『猟犬』とは、普通の鹿狩りなんかに使う犬コロとは違うのは流石にわかるだろ? 名探偵」
「だから私は探偵ではないと……ああもう。だけど領地というのは要するに、幻想領域の話でしょう?」私はアイドアに問うた。彼はこくりと頷き続ける。
「連中は非常に厄介でね。まァ空間、時間、そういったものまでもを平気で食い荒らす。つまり幻想領域の内部に出た、って事は、奴らは既におじい様の領地の一部を食ってる」
「なあイド。まず幻想領域って何」シャルルマーニュは平気で話の腰を負った。
……現実や物質的な物からは隔絶された、魔術的な空間の事だ。所謂結界のようなもので、幻想種や回帰者ならば簡単に生み出せる。その空間ではその持ち主のルールが全て。誰もそのルールには逆らえないし、逆らえば罰則を受ける」

私はここまで聞いてその『猟犬』とやらの異常性を認識した。恐らく、アイドアが言うおじい様とやらが持つ幻想領域は招かれざるものや鍵を持たない者は入れない仕掛けになっているのだろう。
だが『猟犬』は平気な顔をして顕れた。幻想のさらに外側にいるとすれば。

「十三の秘匿事項……?」私は溢す。「仮にそうだとしたら何故わざわざ幻想領域から」
「さあね。『猟犬』たちに聞いてくれ」アイドアは被りを振った。「だが問題はそれだけじゃないのが、さらに厄介な話」
「どういう事?」
「ダートムーアの一角に秘匿された領地を持っている馬子の一族がいる。バスカヴィル家という純血貴族なんだが……」アイドアは意味ありげに言い淀んだ。「そこの御当主が死んでね。妙な死に方をしていた。何でも門の前で、恐怖に顔面を強張らせて倒れていたとか」
「門の前? 位置関係は?」
「館側から沼沢地へ通じる門があって、沼沢地へ出て行く方向に倒れていたそうだ」
「沼沢地へ通じる門はその一箇所のみかしら」
「そうらしい。が、東屋を通っても沼沢地へは抜けられるようだ。だがダートムーアの沼沢地は馬鹿にならない。脚を取られて抜け出せなくなった哀れなポニーが沈んでゆくのを見たことがある。そんな方向に逃げ出そうなんて、自殺しに行くのと同義だと思わないか?」

確かにその通りだ。だがこの情報だけでは誰かがそこに遺体を遺棄した可能性も否定できない。

「何故沼沢地の方向へ逃げたとわかったの?」
「当時は雨上がりの直後で、足元は泥濘み、走った跡が残っていた」
「成程……背後から何者かに追いかけられたのね。他の足跡があったという話は聞いていないの」
「ああ、一つだけあった」アイドアはどこか楽しそうに頬杖をついて、こちらを再びじっと青い瞳で見つめた。「遺体から少しばかり離れたところに足跡があったそうだ」
「どういう足跡だよ」シャルルマーニュが問いかけた。
「熊みたいにでかい、犬の足跡だ」