mishiadd
2026-05-12 01:01:36
21229文字
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いおりひとり旅・日本紀行:燃ゆる海

【現パロ】記憶はないけど『倭建命』に縁がある一般大学生の宮本伊織さんがヤマトタケルゆかりの地を一人旅するシリーズ3作目。草薙剣の伝承の町【その他】
前作『いおりひとり旅・日本紀行:光芒射す』:https://privatter.me/page/6a098213a9ba4


四、

Y神社での参拝を済ませて再びレストランの店舗に戻ると、ちょうどあと二組程度で伊織の番が来るかという頃合いだった。
にこやかな老夫婦に席を譲って伊織自身は待ち合いエリアの隅で立っていると、やがて店員が伊織を案内にやってきてくれた。比較的小さな二人席のテーブルに通される。

ぐるりと店内を見渡せば、明るい内装のファミレスに見える。手元のメニューを開くと、早速名物らしいハンバーグのメニューが並んでいた。
ステーキやハンバーグがずらりと並ぶ中で、名物であり定番らしいハンバーグには、見本の写真の他に、メニューページの半分を割いて事細かな説明書きがなされている。……妹の言っていたのはこれかな、と伊織がアタリを付けたところで、にこやかな顔をした店員がやってきてくれた。
一通りの挨拶をしてくれた後、ぽそりと少しだけ声を潜めて尋ねた。

……お客様、もしかして当店は初めてでいらっしゃいますか?」
「はい」

伊織の答えに、店員の表情がぱっと明るくなる。目を輝かせた後、少しだけそわそわとした様子で「さようでございますか」と弾む声で言った。

「では、こちらの定番のハンバーグがもっともお薦めです。……焼き方も、当店のお薦めの焼き方か、もしお好みでしたらもう少し火を入れることもできますが」

おず、と店員が言う。

――やはり、お薦めは当店定番の焼き方かと」

きた、と伊織は思う。……そう、伊織は妹から既に聞いていた。このS県ご当地レストランのハンバーグが有名となったその由縁を。



――なんとこのレストランでは、牛100%のハンバーグをほぼ生に近いレアの状態で提供するのだ。



国内ではユッケの提供が禁止されて久しいとはいえ、レアの食感に近いローストビーフに始まり、馬刺し、更には鯨の刺身まで、生肉を食す機会はゼロではない。……とはいえ、ハンバーグ――ミンチ状にされた生肉を口にする機会は、ほぼゼロだろう。というか、ゼロであるべきだ
熱した鉄板に半調理状態のハンバーグを提供し、客の目の前でこれを鉄板に押し付けて火を通し提供する、というスタイルの店はいくつか存在するが、それはその行為によって完全に火を通す、ということが大前提となる。もしこれを怠った場合食中毒が出かねないし、というか実際出てしまった事例もある。

ハンバーグを生焼けで食べてはいけない、というのは、たとえば豚肉を生焼けで食べてはいけない、といった忌避感や危機感に近い常識だ。――その常識を徹底した衛生管理で覆したのが、何を隠そうこのS県が誇るご当地レストランなのである。



――何事も先入観や偏見なくまず一旦はすべて受け入れ、それから自分の目でその良し悪しを吟味するのが、伊織という人間である。……であるからして。



「『お薦め』でお願いします」

伊織がそう言うと、店員が嬉しそうに幾度か頷いてキッチンへと引っ込んでいく。妹に見せるための写真を撮ろうとしてスマホを準備していたところに、先程とは別の店員がやってきて飲み物やサラダを置いてくれる。それから、「お口に合うとよいのですが」と言って戻っていった。――どうやら、伊織が『初めて』であるということが、キッチンやホールに共有されたようだった。

しばらくして、伊織のもとに鉄板プレートが運ばれてきた。まん丸のボール状の肉塊がごろんと転がって乗せられている。それが伊織の前に置かれると同時に、店員が目の前で肉塊ボールを真っ二つに割る。ジュウウウウウ……と肉が焼け肉汁が弾ける音と共に、ぎゅ、ぎゅ、と店員が器用に半球状のハンバーグふたつを軽く鉄板に押し付ける。
――伊織も、妹や同級生に誘われてこのスタイルのレストランには何度か足を運んだことがある。店員が目の前でハンバーグを切ってくれて、鉄板に押し付けてくれるのも同じだ。……ただ。

明らかに、押し付けている時間が短い。

他のレストランであれば、半球状のハンバーグの形状が変わって平たくなってしまうまで押し付けるのが常だった。それが、鉄板に押し付ける力は申し訳程度で、ハンバーグはふんわりと半球状を保っている。――経験上、この程度ではほとんど火は通らない

ハンバーグの上からオニオンソースを掛けてくれた店員が、「どうぞごゆっくり」と目配せをして去っていく。――冷たいソースで鉄板の温度が下がったのか、もはやジュウジュウという音すら止んでいた。恐らくは、もはや余熱らしきものも残っていないだろう。

食べる直前の鉄板を写真に撮る。自分ひとりであればまずしない行為ではあったが、これは妹のための取材だった。

それからスマホを仕舞い、静かに両手を合わせる。「いただきます」と呟くように言い、ナイフとフォークで一口大を切り分けて、ゆっくりと口に運び込む。



――まず気が付いたのは、肉の冷たさだった。



前述通りハンバーグというものは、安全面から火が通っている状態が普通だ。火が通っているということは、即ち温かい、あるいは熱いということだ。
逆説的に、もし完璧に衛生管理をした生食に問題のないハンバーグを、もっともその特異性を活かして提供しようとするならば――他ではまず食すことが許されないであろう、一度も火を通していないがゆえに冷たい状態でというのが最適解である。
鉄板で心ばかり温めたとはいえ、その上から更に冷たいオニオンソースを掛けている。まるでローストビーフやタタキのように外殻はやや温かく、火の通った肉然としてやや硬く香ばしさがあるものの、半球の中心部分に近づくにつれ、冷たさを感じるようになっていく。何度か噛み締めると、総合的にはぬるいような温度感になる。

冷たいがゆえに、普段熱く熱されたハンバーグでは味わうことのない味覚が直に舌に触れる。――熱されていればとっくに肉汁として液状化し、鉄板の上に零れ落ちているであろう、脂の旨味である。

噛むほどに、ミンチであるがゆえに全体に均一に混ぜ込まれた脂がまったりと舌にまとわりつく。まるで薄膜を張ったような脂がすり潰された柔らかな赤身を繊細に包み込み、肉の刺身――切り身を食べているときとは明らかに異なる食感を生んでいる。噛み応えというものがない分、挽肉のもったりとした舌触りがダイレクトに舌に伝わってくる。噛めば口の中で柔らかく広がり、火の通ったハンバーグに比べて口当たりが軽いにもかかわらず、より腹に溜まる感覚がある。
セットではライスを頼んだが、もしかしたらパンの方が合うのではないかという気がした。ドイツには豚の挽肉を生食する文化があると聞いたことがあったが、もしかしたらこれに近いのではないかと思った。

付け合わせまで完食し、両手を合わせる。さて、これを自宅で再現し、妹に食わせてやることができるかというと――まあ、まず不可能だろう。S県まで連れてきてやるしかない。

会計を済ませて去り際に、先程とは別の店員が頭を下げてくれた。「遠方からお越しくださりありがとうございました」とにこやかに言われた。今日は制服でもないので伊織が県外から来ていることを示す外見的な特徴はなかった筈であったが、恐らくはこの店に初めて来ているという事実自体が、伊織がS県民ではないことの証左であったのだろう。「とても美味しかったです」と伝え、店舗を出る。

腕時計を見ればもうすぐ十五時になろうかというところだった。帰りの新幹線の時間は特に決めていなかったが、夕飯は食べて帰ろうと考えていた。それまでの腹ごなしにと思い、海岸沿いに造られた公園をぶらぶらと散策する。







部外者による真剣の演武を実施できる確証を得る――ことを目指した場合、考えなければならないことは二軸だ。『実現可能性』と『実施許可の取得可否』である。
実現可能性というのは即ち、やってみて本当にそれが実現できるのかどうかということで、たとえば実現するための時間的余裕スケジュールが充分にあるだとか、費用が充分に賄えるだとか、そういった現場での足元の問題である。
一方で実施許可の取得可否というのは即ち、やるにあたって誰かの許可がいる場合、その許可が得られるかどうかという問題である。つまり、スケジュールは充分で、軍資金も充分あったとしても、文化祭実行委員会や学校から実施を禁止されてしまえば、当然これは実施できないということになる。

実現可能性については、ひとまずは問題ないように思えた。演者は無事に見つけることができたし、あの様子ではそもそも出演料を受け取ってくれそうになかった。舞台で竹などを斬る演目をやるなら必要な小道具は購入したいが、これは実行委員会から認可さえ下りれば文化祭出し物としての予算が割り当てられる筈だった。企画のためのスケジュールも、資金も問題ない。

……目下、問題になるのは実施許可の方だ。なにせ、誰に許可を貰えばいいのかすらわからないのである

大して親しいというわけではなかったが、同級生に今年の文化祭実行委員会の委員がいたため、話を聞いてみることにした。企画の話をしたところ「えっ」と面食らった顔をした同級生はしかし、ううん、とすぐに両腕を組んで頭を悩ませてしまった。

「いや、自分じゃわからないな……やっていいかどうかを実行委員会が決めていいのか、学校が決めるのか、はたまた」

そう言いながら、「よかったら委員会室まで来る? 過去の書類とか一通り残ってる筈だけど」と提案してくれた。
校舎の端にひっそりと存在している委員会室は部屋の四分の三が書庫になっている有様で、全体的に埃っぽかった。「自由に見てってよ」と言ってくれた同級生の言葉に甘えてキャビネットから手当たり次第に書類を引っ張り出しては繰っていく。過去十年間の申請書類がすべて保存されているようで、たこ焼き屋、お化け屋敷、クレープ屋などが続く中、「あ」と伊織が目を留めたものがあった。

七年前、空手部が外部の人間を招聘した空手の演武を申請していた。

「これ」と伊織が同級生に書類を示すと、「ああー」と書類の年月日を見た彼が別のキャビネットから書類を引っ張ってくる。七年前の実行委員会の議事録であるようだった。
コーヒーでもぶちまけたかのように端が茶色に変色している書類をぱらぱらとめくるのを、横から伊織が覗き込む。A4紙の中腹頃を指先でなぞった同級生が言った。

……ああこの案件、学校から教育委員会まで上げてたみたいだ。――空手で上げてたんだ、真剣使った演武ってことになったら、まず上げないってことはないと思う」
「教育委員会」

伊織が呟くように繰り返すと、「月に一回定例会議がある」と言って同級生が壁にかかったカレンダーを示した。

「文化祭出し物の申請書類の締め切りは来月下旬だろ。……さっきの話だと、申請書類締め切りまでに剣道部として宮本の案でいけるかどうかってのがはっきりしないといけないって話だったから」
「それまでには実施許可、あるいは実施許可が下りるという見通しが要る。――だから、来月中旬にある定例会議で議題として付議しなければならない」
「そういうことだ」

伊織がカレンダーをめくる。――教育委員会定例会議まで、あと二週間。