mishiadd
2026-05-12 01:01:36
21229文字
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いおりひとり旅・日本紀行:燃ゆる海

【現パロ】記憶はないけど『倭建命』に縁がある一般大学生の宮本伊織さんがヤマトタケルゆかりの地を一人旅するシリーズ3作目。草薙剣の伝承の町【その他】
前作『いおりひとり旅・日本紀行:光芒射す』:https://privatter.me/page/6a098213a9ba4

一、

神格というものには、それぞれに司る分野がある。

ひとつの神格とそれが司る権能が直接的に結びつけられている――あるいは、神格そのものが権能の擬人化である、といった神格としての性質は、日本の神々よりもむしろ西洋の神々により顕著であるかもしれなかったが、日本の神々にも、あるいはその由来や成り立ち、逸話などから結びつけられた、その神格の得意なもの、というものは、やんわりと存在していたりする。

やんわり、というのも――おのおのの神が司る権能の区分というものは、本来はそうではなかった筈なのに、いつの間にかそういうことになっている、そしてそういうことになったのならそれはそれでまあいいか――などということがままあり、そのある種の緩さは、自然発生的で有機的な存在である日本の神々のいかにもならしさ、と言えるのかもしれなかった。



ヤマトタケルは、一般的には古代日本随一の英雄であり武神、とされている。転じて勝利の神でもある。



――が、神格としての彼以前に、彼自身の性格、あるいは人格、というものがある以上――なにもそればかりを司るのが彼の権能、というわけでもないのだろう。
権能、とはきっと後からついてくる。たとえば彼はその生涯の中で、ことあるごとに多くの歌を詠んでいる。であるならば、たとえば彼がなにかの気まぐれで文学や物語を加護したとて不思議ではないし、実際なにかのはずみでそういうことがあれば、それ以降彼の権能――あるいはご利益――に『文学』や『芸術』が付け加えられることがあるかもしれない。
あるいは、もし個人的にそういう経験をした者がいたのなら、少なくともその人間にとってのヤマトタケルは文学の神様でもある、ということになるだろう。



伊織にとってのヤマトタケルという神格は、大いなる柔軟性と共に『常にそこにいてくれる誰か』であった。
正直、かの神格の本来の権能についてはよく知らない。少し調べてみたら農業神でもあるとのことだったが、伊織は農業に関わったことがないのでそこはピンとこない。勝利の神であると言われればもう少し馴染みがある。――というのも、伊織にはヤマトタケルという神格を意識せざるを得なかった期間があり、彼個人の経験としてそういう時期があったからには、その存在やその大いなる力というものを骨身に沁みて理解させられざるを得なかったのだ。

――伊織にとっての始まりは、友人がくれたひとつのお守りであったかもしれなかった。

伊織にとって、とわざわざ言うのは、それがあくまでも伊織という非力で矮小でちっぽけなひとりの人間の限られた視野において認知ができた事実に過ぎないからで、後から振り返ってみれば決してそんなことはなかったからだが――とにかく、当時の伊織にとっての始まりは、たったひとつのお守りだった。

無事周囲の人間を説き伏せて志望していた高校へ進学した、その翌年のことだった。
文化祭に剣道部としてなにか出し物をしよう、ということになった。部としては有名でもなく規模も小さく、文化祭に参加したのも四年前のたこ焼き屋としての出店以来とのことだった。
言い出しっぺは伊織ではなかった。三年生の主将が言い出したもので、早々に終わってしまった全国大会への夢の代わりに、後輩たちになにか代わりの目標を持たせてやりたいというのが真意であったようだった。
おばけ屋敷、クレープ屋、女装メイド喫茶などさまざまな案が出たが、ぽつりと一年生のひとりが言った。――「真剣による演武を見てみたい」。

夢物語のような空想じみた話だった。それはもはや文化祭の出し物などという範疇を超えていた。……ただ、全校生徒の見守る文化祭で、この高校の体育館の舞台という場にこの現代日本に生き残った剣豪の手によって舞う日本刀の姿を招聘する――という途方もない一瞬の夢想を、伊織は確かに見てしまった

発言した本人はすぐにハハハと笑って自分の言葉を撤回しようとした。そこに待ったをかけた伊織が、「悪くないのでは」と言った。

「剣道部の活動を全校生徒に知ってもらう、という意味では、もっとも文化祭の出し物に合っているのではないだろうか」
「待て待て、宮本。田中だってそんなつもりで言ったわけじゃないだろ。ちょっとした冗談だよ、本気にしてやるなよ」
「冗談である必要がない」
「宮本。……演武って、誰が演るんだ? 高校の敷地内に真剣持ち込むって、そんな簡単に許可が出ると思うか? 文化祭実行委員会がハンコ押して終わりじゃないだろ。下手したら教育委員会まで行く」
「前代未聞だよ。そんなの、誰も今までやったことがない。ってことは、どうすれば話が通るか、誰も知らないってことなんだ。……文化祭まであと何ヶ月だと思っている? 来年ならまだしも、今年のには絶対に間に合わないぞ」
「やってみなければわからない」
「宮本!」

それまで黙っていた主将が一喝した。びくり、と部室全体が萎縮し、伊織が主将を見る。

……急にどうした。妙に昂って、おまえらしくもない。なぜそんなにも拘る」

自分らしくないだろうか――と伊織は思い、一方で、自分はずっとこうだったような気もした。

伊織が口許を一文字に引き結んでいると、はあ、と呆れた調子で溜息をついた主将が言った。

「まあいい。……宮本は放っておいて、他の皆は別の案考えてくれ。――宮本も、気が済んだらさっさと皆の手伝いしてくれよ」

黙りこくっている伊織をよそに、他の部員たちがわいわいと議論を再開する。伊織が顔を上げ、部室の壁に貼られているカレンダーを見た。文化祭まで、あと三ヶ月。
その場から立ち上がって部室を出ていく伊織に、部員のほとんどは気付かなかった。……がちゃり、と扉の閉まる音に一瞬だけ目を遣った主将がふるふると首を左右に振り、そのまま目を逸らした。







部室を出た伊織がひとりで図書館に立ち寄り、ノートにやるべきこと――ロードマップ――を書き留めていると、やがて閉館時刻となった。
主将や部員たちが言っていたことは、なにも意地悪で言っていたわけではないことは百も承知だった。彼らの言う通りだった。前例がない以上、この手順だって「こうすれば実現できるかもしれない」というただの伊織の仮定に過ぎない。それでも、これが伊織にできる最善の行動指針であったし――これすらできないのであれば、それこそ実現の可能性などゼロだ。

他に賛同してくれる仲間は誰一人いなかった。あの部の中でこれをやりたがっているのは伊織ただひとりだ。――伊織だけの、たったひとりの孤独な戦いになる。

なんのために――と考えたときに、きっと誰のためでもなかった。伊織がやりたいからやるのだし、その責任は伊織ひとりが取る。誰の賛同も承認も支持も要らない。伊織が信じた価値の為にやるのだ。きっと、伊織本人の為ですらなかった。

いつもの帰り道から少しだけ逸れて、河川敷を歩いていた。太陽は西の空に沈みかけていて、足元の砂利はオレンジ色に光り、川の表面はちらちらと赤く燃えるように輝いていた。
通学鞄を片手に歩いていて、ぽた、と何かを落とした感覚がした。足元を見ると小さなお守りが落ちていた。それを拾い上げてよくよく見てみる。黒地の生地に赤い紐がかかっていて、『勝守』と金糸で刺繍が施されていた。
ひっくり返して裏側を見てみると、Y神社とあった。……そういえば、中学の頃に同級生から旅行の土産物として貰い、そのまま鞄につけていたのだった。

どこの県のどこの神社で、誰を祀っているのかも知らなかった。ただ、その時目に入った『勝守』の文字が、たったひとりで行先も見えずに立ち向かっていくしかなかった伊織の肩を、ぽんと力強く叩いてくれたような気がした。



――ここまでなら、単なるいい話で済んだのかもしれなかった。

清々しい青春の一ページである。いち高校生の文化祭ドラマである。勝利のお守りを握りしめ、たったひとりでただひたむきに夢の実現に向かって邁進する主人公――その語りのどこにも神様の入り込む余地などありはしない。

だが違った。本来信心深い性質ではない伊織が、すべてが終わった後にこのお守りの神社の所在地を調べ、お礼参りをするに至った程に――その背中の押し方は、単なる比喩や気持ちの問題などでは説明のつかないものであったのだ。