mishiadd
2026-05-12 01:01:36
21229文字
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いおりひとり旅・日本紀行:燃ゆる海

【現パロ】記憶はないけど『倭建命』に縁がある一般大学生の宮本伊織さんがヤマトタケルゆかりの地を一人旅するシリーズ3作目。草薙剣の伝承の町【その他】
前作『いおりひとり旅・日本紀行:光芒射す』:https://privatter.me/page/6a098213a9ba4


三、

Y市自体は長閑な漁港町で、一軒家やアパートなどの住宅の合間にぽつぽつと地元民向けの商業施設や飲食店が点在する、ゆったりとした空気の流れる町だ。

――ところで、S県には全国的に有名なハンバーグを提供する店が存在する。

S県内のみに展開しているチェーン店で県内の店舗数は三十を超えるが、県境を越えると途端に存在しなくなる。S県民であれば誰もが当たり前に知っていて、誰もが食べたことがあり――きっと県民の義務教育に組み込まれているのだろう――県外、特に地方を跨いだ人間にとっては名前だけは一度は聞いたことのある幻の店――それがこのS県民が誇るご当地ハンバーグレストランであった。

伊織は、基本的には食に興味がない。自分が栄養を摂取する上で必要最低限の食事は用意するし、義妹や亡き養父にまともなものを食べさせるため料理の腕はかなりのものであったが、如何せん伊織自身は食事というものに価値を見出せておらず、それを楽しむという感性がない。――ので、一般的な旅行における大きな目的のひとつ――現地の料理を味わい楽しむ、ということが、こと伊織の一人旅においては軽視されがちである。

それでも動き回っていれば腹は減るのでいつもよりきちんと飯は食うが、そのへんのコンビニのおにぎりなどで済ませがちである。……その伊織が今回、わざわざこのご当地有名ハンバーグレストランに足を運んでみようと思ったのは、偏に彼の義妹の一言のみが動機だった。――「一体どんな味なんだろう」、と。

そこで、このすこぶる義妹に甘い兄は、慣れない食レポを敢行しようと思い立ち――あわよくば自宅で味を再現できないものか、などと目論んだのである。

閑静でのどかな観光地化されていない漁港町――伊織の都合の良いことに、なんとY市内にはこのハンバーグレストランの店舗が存在した。……しかも、Y神社の徒歩圏内である。

一番の目的は、当然Y神社への参拝であるとして――S県ご当地グルメとして名高いこのハンバーグレストランへの挑戦を、この旅の重要ミッションのひとつとして伊織は位置付けた。ミッション、などと仰々しい呼び方をしなければならないのは他でもない、何を隠そうこのS県民の聖地であるハンバーグレストランは――



――三十店舗以上あるそのすべてのレストランが開店と同時に長蛇の列となる、という観光高難易度を誇っていたのである。







伊織が乗った新幹線は十時半にH駅着の予定だった。十時半は件のハンバーグレストランの開店時刻である。そこから在来線に乗り換えてS駅に行き、更に徒歩で店舗へと向かう。GoogleマップではS駅から店舗まではおよそ三十五分の道のりとのことだったが、伊織の足であれば恐らく十五分程度だろう。
となると、H駅から店舗までにかかる時間はおよそ三十分程度。……開店後三十分の十一時には店舗に到着できている筈だ。

H駅に到着し、在来線に乗り換えた伊織がスマホを開く。なんとこのレストラン、各店舗の待ち時間をリアルタイムで公式サイトに掲示してくれているのである。

十分前に開店した各店舗の待ち組数があっという間に二桁を超え、待ち時間が三十分を超えていく中、目的のY市店舗だけは待ち組ゼロ組、待ち時間ゼロ分を保っている。観光地化されていないことが功を奏したかと内心ほっとしながらも、S駅に到着するまでの間、まんじりともせずスマホの画面を監視する。――待ち組ゼロ組、待ち時間ゼロ分は待っている人がいないというだけで、店内は既に満席の可能性があるのだ。いつ状況がひっくり返るかわからない。

S駅に着き、車両から降りるために一旦スマホを鞄に仕舞い、改札を出る。駅の外に出て再び鞄からスマホを引っ張り出し――う、と一瞬言葉に詰まる。あれ程最後の希望の欠片のように待ち組ゼロ組、待ち時間ゼロ分を保っていたY市店舗に、四組の待ちが出ている。……他の店舗を見てみると、おのおの三十組は超えていた。それよりは大分マシかと思いながらも、スマホの画面をGoogleマップに切り替えて店舗までの道筋を表示する。

空はやや曇ってはいたが雨が降るまではなく、徒歩での移動には問題ないようだった。本来は車での来店を意識したロードサイド店舗であるので、そこまでの道筋も車道に沿っていくかたちになる。広い車道の端に広く取られた歩道を競歩のようなスピードで足早に歩きながら、Googleマップで道のりを確かめつつ一心不乱に目的地を目指す。途中ですれ違った自転車の地元民が不思議そうな顔をしていたが、軽く会釈をしてやり過ごす。

広い車道同士が交わる交差点の角に、その店舗はあった。――ぱっと見て駐車場はそこそこ埋まっているようではあったが、とはいえ満室というわけではない。公式サイトの待ち時間情報はS駅で見たっきりになっていたが、この様子であればもしかすると一桁台―― 一桁台前半――の待ち組数で収まってくれているかもしれなかった。

扉を開けると家族連れやカップルが和やかな様子で待ち合い席に座っている。すたすたと入店しながら順番待ちの整理券発券機に近づく。



――四十六組、二時間半待ちとあった。



うん、と伊織が無表情のまま静かに絶句していると、にこやかな男性店員がやってきて「もしかして初めてでいらっしゃいますか?」と声を掛けてくれた。
静かに頷くと、わずかに高揚した様子を見せた店員が、「もしお時間大丈夫そうでしたら、こちらの整理券を発行してください。……申し訳ございませんが、お時間が近づくまで店舗の外での待機をお願いしております」と物腰柔らかく案内した。
――なるほど、とそれで空室の目立つ駐車場の様子にも合点がいく。直近の順番以外の客は皆、店舗付近ではないどこか別の場所で待機しているのだ。このレストランでは待つことが当たり前で、それが当然のマナーなのである。

妹にせがまれて同行する長蛇の列での待機前提のテーマパークみたいだと思いつつ、言われた通り整理券を発見する。二時間半後は十三時半頃なので、昼食としてはあながちそう外れた時間帯でもない。
……とはいえ、突然湧いて出てしまった二時間半をどうしたものか――と考えてから、ふと思う。……では、先にこの旅最大の目的を済ませてしまおう。

そもそもがお礼参りに来るための旅路であったのに、肝心の神社への訪問をレストランの待ち時間内に済ませてしまおうとしている――ということに、我ながら少しの不敬を感じないこともなかったが、とはいえ恐らくあの神格はそんなことは気にしない。というわけで、整理券を手に伊織はレストランの店舗を出た。Googleマップを開き、店舗からY神社への道のりを確認する。――片道三十分、往復で一時間。伊織の足であれば何も心配はなかった。







文化祭の申請書ができたので、改めて出し物として申請したい旨を主将に報告しに行くと、部室には主将の他に副将と会計係の二年生もいた。無表情で感情の読めない主将の隣で、副将が既に渋い顔をして腕組みをしている。更にその隣で、会計係がなにやらノートに書きつけている。

伊織が主将に申請書を差し出し、向かい側のパイプ椅子に座る。三対一の圧迫感の中で、すっと背筋を伸ばした伊織が、申請書に目を通している主将の顔を黙って見ている。

……本当に申請するつもりなんだな」

しかつめらしい顔をしたままの副将が言った。ノートから顔を上げた会計係が伊織を見て言った。

「伊織、おまえがいない間にこっちはこっちで部としての出し物の算段はつけたんだよ。女装メイド喫茶。申請書も書いた」
「同じ部からふたつというわけにはいかない」

厳しい声で副将が言った。

「別に皆、女装喫茶がどうしてもやりたいというわけではない。だが、飲食店の出し物には他の部での前例がある。方法が確立されている。だから、出し物を着実に、つつがなく実施し、遂行することができる」
「一方で、これは――

トントン、とボールペンの先でノートを叩いた会計係が、ボールペンの頭でちょいちょいと主将の持っている伊織の申請書を指した。

「申請したところで、実施できるかわからない。やれなきゃ空中分解、うちの部として今年の文化祭参加はナシ、ってことになる」
「そこまでしてしたいことなのか、これは? そのリスクを負ってまで」

副将が問うた。副将も会計係も、伊織を見ている。申請書から顔を上げた主将も、真っすぐに伊織の目を見ていた。――伊織は、静かに言った。

「はい。……どうしてもやりたいです」
「一体何がそこまでおまえを駆り立てるんだ」

はあ、と副将が呆れ返ったように言い、天井を仰ぎ見た。その拍子にパイプ椅子がぎしぎしと音を立てた。
「なあ伊織、」と副将が諭すような口調で言い差したところを遮って、「伊織」と主将が発言した。

「どうしてもやりたいんだな?」
「はい」
「なら、やれると証明しろ。その確証なしに、俺は『おまえのやりたいこと』に部全体を巻き込むことは許可できない」

「おい」と副将が主将を見る。ぺらり、と今一度申請書に目を通した主将が、伊織に書類を返した。それを受け取ってクリアファイルに仕舞った伊織が、主将を見る。
副将と会計係も主将を見る中、主将は伊織を真っすぐに見て言った。

「俺は、どちらでもいい。やっても、やらなくても」
「俺は反対だぞ」

副将が口を挟んだ。

「俺は、明確に反対だ。……問題が山積みだろう、考えただけでぞっとする。なぜわざわざそんな苦労をする必要があるんだ、たかだか文化祭の出し物に」

会計係が困った顔をして主将と副将を見比べている。伊織が言った。

「わかりました」
「『わかりました』? わかりましたって、何が」

副将が伊織を振り返る。その目を真っすぐに見返して、伊織が言った。

「申請期限までに、実施できると確証を取ります」
「どうやって」

伊織が口を噤む。その様子を見て更に何か言い募ろうとした副将を遮って、主将が言った。

「うん、それでいい。おまえが間に合わなければ女装喫茶で申請するだけだ。……安井、準備しといてくれ」

指示された会計係が困惑気味にノートに書きつける。――「よし、じゃあ行け」とパイプ椅子から立ち上がった主将が言った。

主将と、主将に言い募る副将と、そのふたりを追って会計係が部室から出ていく。……ひとり残された伊織が、手の中のクリアファイルに入った申請書をじっと見下ろしている。