mishiadd
2026-05-12 01:01:36
21229文字
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いおりひとり旅・日本紀行:燃ゆる海

【現パロ】記憶はないけど『倭建命』に縁がある一般大学生の宮本伊織さんがヤマトタケルゆかりの地を一人旅するシリーズ3作目。草薙剣の伝承の町【その他】
前作『いおりひとり旅・日本紀行:光芒射す』:https://privatter.me/page/6a098213a9ba4


二、

家族旅行の土産物にと伊織にお守りをくれた中学の同級生は県外の高校に進学していた。約二年振りに連絡を取ると、やや驚いたものの――更に、連絡を取った理由がお守りの出処だったために更に怪訝げにされたものの――このお守りは母方の実家のあるS県Y市のY神社のものである、と教えてくれた。

スマホで路線を調べると、東京駅から新幹線でH駅まで行き、在来線に乗り換えれば辿り着けるようだった。大々的に観光地化されているわけでもない、のどかな漁港町である。
部活の遠征などで新幹線には既に馴染みがあったが、一人旅は初めての試みとなる。なんの変哲もない週末の土曜日、東京駅へと向かい、自由席の車両に並ぶ。人はまばらで、伊織の前に家族連れが一組、列に並んでいるだけだった。

三列席の窓側に座り、本屋で入手した観光ガイドブックを鞄から引っ張り出す。S県全体を取り扱ったガイドブックはページのほとんどを観光名所であるJ半島に割いていて、Y市についてはたった四ページしか載っていなかった。……そこに付箋を貼り、ページの角を折って印付けしていた。

Y神社は、Y市を扱ったページの二ページ目、右下の小さなコーナーにひっそりと掲載されていた。――地域に根差した、地元民に深く愛されている神社であるとのことだった。そもそもY市自体が観光地化されているわけではないため、県外から参拝にやってくる人間は稀であろうと思われた。
残りの三ページにも地元の公園や博物館などが掲載されていたが、いずれも県外の観光客などではなく地域に住む地元民をターゲットとした施設であるようだった。

人々が暮らして当たり前の日々を過ごす町に、異邦人として足を踏み入れるということは、すれ違う人々のほとんどが観光客や余所からの移住者である街とは違った趣がある。まったく知らないどこかの誰かの、彼らがこれまで歩んできてこれから歩んでいく、自分とはまったく異なる知らない人生を垣間見る――という不思議こそが、旅行の醍醐味でもある。

……とはいえ今回の伊織の一人旅の最大にして唯一の目的は、Y神社への参拝であった。そこさえ間違えなければ他は如何様に時間を潰してもいいが、逆に言うとそれだけは絶対に間違ってはならない。

S駅に降りた後の、Y神社への道順をGoogleマップで検索する。ごく普通の車道沿いを歩き、ごく普通の住宅街を抜けた先に、その神社はあるようだった。

周囲の座席から感嘆が聞こえ、ふと伊織が窓の外を見る。遠くに富士山が見えていた。







とにもかくにも、まずは演武を披露してくれる演者が必要だった。

伊織が師事を願った師範はその技の熟練度に反して――反して、というのもまた武芸者に対する偏見かもしれなかったが――気難しいところの一切ない気さくな人物で、伊織が彼に師事するために他の高校への進学を蹴った話がやんわりと伝わると、「おお、そうであったか」とカラカラと笑い、「ではせいぜい後悔させぬようにせねばなあ」などと軽口を叩いてくれた程だった。
……だが、演武の場に立ってくれるかというと話は別だった。なにも彼の信条に反するだとかそういう話ではない。二週間前にたまたま腰をやってしまっていて、今は床に臥せっていたのだ。
全治四ヶ月という話だった。――であるならば、回復は文化祭までに間に合わない。

「代打を立ててやりたいところであるが、ツテがどうにもなあ」

病室のベッドの上で見舞い品のマスカットを摘まみながら、もごもごと師範が言った。

「その時期に暇にしていそうな数人に連絡をしてみるが、あまり期待はせぬ方がよかろうな」
「難しいですか」
「時期が悪い。その頃は大会だの会合だのが多くてなあ、立場のあるしがらみの多い連中ほど体が空かぬわ」
……――
ひとりか?」

突然なにを問われたのか一瞬わからず、それから伊織はこくりと頷いた。なけなしの小遣いで桃の缶詰を買って見舞いとし、たったひとりで病室まで訪ねてきていた。
目を細めて伊織を見た師範はしかし、ハハハ、と笑ってマスカットを伊織に差し出した。一粒指で摘まんで口にした伊織に、「いい、いい」と繰り返し言った。

「多勢に無勢、振りかざせる大義名分もなく、道なき荒野にただひとり、味方はひとりもなし。……剣の道を志せばそんなものよ」
「師範」
「だがまあ」

よいしょ、とベッドの上で右足を立てた師範が言った。

「人は味方しなくとも、別の何かは味方をしてくれることもあるやもしれんなあ」
……は?」
「人事を尽くして天命を待て。人にできるだけのすべてのことをやってようやく、天は手出しをできるのだから

師範が何を言っているのか伊織にはさっぱりわからなかったが、何かを極めた者の言葉とはそういうものなのかもしれなかった。
リハビリの具合などの話を一通り聞いてから、伊織が一礼して病室を辞そうとする。――それから、ぴたりと足を止めてベッドの上の師範を振り返った。「うん?」とどこか含み笑いをした様子の師範に、伊織が言った。

……名簿を、お借りすることはできませんか」
「名簿とな?」
「文化祭当日、うちの高校で演武をしてくださる方がいらっしゃらないか、片っ端から連絡してみたいんです」

一瞬絶句した師範が、「……フフ」と笑った。やがて、ハハハハ、と大声を上げて笑った。

「ああ、いい、いいとも、会合の緊急連絡網がある。会合やら親睦会とは名ばかりのただの飲み会に顔を出している連中の連絡先ならそこに載っているだろうよ。電話を掛けるときはこのしがない『佐々木』の名でも出すといい、それでどれだけ効力があるかはわからんが」
「ありがとうございます」

「後で部室に郵送しておく」とひらひらと手を振った師範に一礼して、今度こそ病室を辞した。



電車に乗って帰りながら、伊織は考えていた。師範から名簿を受け取って、リストの一番上から順々に電話を掛けていく。実際、どれだけの当てがあるかわからなかった。伊織の高校まで呼び寄せられるとしたら隣県の在住者までがせいぜいだろう。更に真剣での演武が可能で、当日予定が空いていて、しかも縁もゆかりもない高校の文化祭とやらのために腕を貸してくれる奇特者――と絞り込んでいくと、果たしてひとりでも存在してくれるかどうかすこぶる不安だった。
どれだけの長さのリストなのかもわからないが、そこから出演してくれる可能性のある候補を探し出し、更にその各々と出演交渉を完了させるまでは一週間程度でカタを付けたいものだ。文化祭までに残された時間を考えると、二週間はかけたくない。そもそも文化祭出し物の申請期限が迫っていて、ここに手こずっていれば申請も出来ずに終わってしまう。

最寄りの駅で降り、なんとなく落ち着かず、真っすぐ家に帰らず高校に寄ることにした。肝心の演者がまだ見つかっていないまでも、申請書の準備をしておこうと思った。

見慣れぬ住宅街の中を通り、ぽつぽつと公園や空き地がまばらにあるエリアに出る。もう少し行けば校門が見えるあたりで、立派な門構えの屋敷の前を通る。――そこで、風切り音を聞いた。
ヒュン、ヒュン、と鋭く澄んだ音に、伊織がはたと足を止める。開け放たれた門からそっと中を覗き見ると、屋敷の庭で壮年の男が刀を振っている。見る限り、真剣であるようだった。

男の腕前は一目でわかった。下手の横好きが酔狂で蒐集したコレクションをいたずらに振るっているわけではないことは明らかだった。その水面に映る三日月の影のような捉えどころのない剣気に一瞬気圧され、それと同時に己の中に憧れにも似た強烈な昂ぶりを感じ――ふるふるふる、と慌てて伊織が頭を左右に振る。



――こんな偶然があるだろうか、と思う。



たまたま通ることにした道で、たまたま門を開け放した屋敷に出くわし、そこでたまたま真剣を振るっている達人を見つけた。

無論、伊織とは一切面識のない相手だ。ここで自分が声を掛ければ不審がられることは間違いないだろう。けんもほろろに追い返されて――あるいは、迷惑そうな顔をされてさっさと屋敷の中へと引っ込まれてしまうか。
だが、伊織には時間がない。師範から名簿を貰えるとはいえ、そこに候補がいるとも限らない。全員に電話を掛けたとしても、全員に断られて終わる可能性は充分にある。

ヒュン、ヒュン、と風切り音は続いている。彼がいつまでこうして鍛錬をしているかもわからない。伊織がこうして眺めている間に、刀を納めて汗を拭き、さっさと縁側へと上がってしまうかもしれなかった。

少しだけ、自分の身体が熱っぽいような気がした。あるいは、逡巡と躊躇いによる知恵熱のようなものなのかもしれなかったし、他の何かなのかもしれなかった。

はく、と口を開閉した伊織はしかし、改めて思った。――こんなお膳立てがあるだろうか、と。



すごい偶然だと思う。確率論としては、恐らくは偶然では説明がつかないような天文学的な確率の偶然であると思う。伊織はこの偶然に、誰かの意思を、思惑を、意図を感じた。きっと、これはただの偶然などではなかった。――だがきっと。否、だからこそ。






最後の最後で一手を指さなければならないのは、やはり人間なのである。






「すみません」と伊織が声を掛けると、壮年の男が刀を下ろしてこちらを見た。穏やかな表情の、しかし笑った眼光のひどく鋭いような顔つきの男だった。

「突然不躾なお声掛けをしてすみません、Y高校剣道部の宮本伊織と申します」

言いながらきっちりと礼をすると、かちゃりと納刀した男が興味深げに伊織を見た。手短に事情を説明すると、「――なるほど」と男が深く頷いた。

「三ヶ月後の●月●日。いいですよ」
「もし、少しでも考えていただける可能性があるのならば――はい?」
「●月●日。いいですよ。空けましょう。……普段はあまりこちらには滞在していないのですが、都合をつけるようにしましょう」
「え――は、あの」

即答に伊織の方が動揺すると、男がにっこりと笑った。

「高校の文化祭の場なのでしょう。後進育成の機会を頂けるというのならば、こちらこそ喜んで。……それに、伊織殿」

伊織殿、という古風で畏まった呼び名に違和感を覚えつつ男を見ると、にこやかな笑みを浮かべた男が伊織を見ていた。

「見ず知らずの武芸者に声を掛けるには相当な覚悟が必要だった筈。年長者として、若者の勇気には敬意をもって報いましょうぞ」

相手の連絡先を書きつけたメモを貰い、半分現実感もないままに男と別れて屋敷を後にする。門を出たときに表札を見ると、『柳生』とあった。



そのままふらふらと高校の図書館に立ち寄って申請書をしたため、家に帰ってから師範に連絡をした。偶然出会って出演を快諾してくれた男のことを報告すると、「ああ」と納得したような声を上げた。

「普段は東京の方にいて滅多にこちらにはおらんのでな、端から候補から外していたわ。……たまたま出くわしたのか?」

奇妙な偶然もあるものだと師範も言い、伊織も曖昧に返事をした。電話を切り、ふと伊織は机の上に目を遣る。――鞄につけた『勝守』のお守りが、揺れている。